昨日、ヨーロッパでの某写真展のために、サンプル写真を送った。
英語の「Geisha」以来、海外の出版社や著者から、写真貸出し依頼が時々あり、驚くとともに、「ありがたいことだ」と思う。
もっとも、、その都度の対応に関わる時間を考えると、
利益よりも労力の方が多いのだが。
だが、こういう仕事というのは、
(地道に糸をつむぐのに似ているかなと思う)
どこか遠くで、関心を持ってくれる人が居ることは励みになるし、
後日、律儀に手紙と見本誌を送ってくれたりすると、小さな心のつながりを感じる。
日本では、不思議なことに、読者の多くが(ほとんどが?)
私の本の写真は別の人が撮っているのだと思っている風で、
「XXの写真を借りたいが、カメラマンを紹介してください」
と連絡が来ることもあるから、面白い。
さて、シャッターを切る瞬間は快い。
不思議にも、シャッターの音とともに、そのファインダーで区切られた情景、たとえば人の顔、物の姿が一枚の絵の様に、脳にプリントされてゆくような気がする。
カシャ、カシャ・・・
写真を撮ると、撮らなかった場合に比べて、記憶力が何倍にも高まるように思える。
何年経過しても、写真一枚を見るだけで、
『あの日は**さんと一緒だった。写っていないがその横にはXXがあった、OOさんが居た、その少し後に雨が降ってきた・・・』
などと、糸を手繰るように記憶がスルスルと蘇る。
モノを書くにも、写真一枚が役立つものだ。
日本での写真展用に、この13年間に撮った
京都花街、舞妓さん、芸妓さんの写真をつらつらと眺め、選びながら、写真には写っていない、
様々なことまで思い出した。
さまざまのこと 思い出す 桜かな 芭蕉
には、時期が早いか・・・。
英語の「Geisha」以来、海外の出版社や著者から、写真貸出し依頼が時々あり、驚くとともに、「ありがたいことだ」と思う。
もっとも、、その都度の対応に関わる時間を考えると、
利益よりも労力の方が多いのだが。
だが、こういう仕事というのは、
(地道に糸をつむぐのに似ているかなと思う)
どこか遠くで、関心を持ってくれる人が居ることは励みになるし、
後日、律儀に手紙と見本誌を送ってくれたりすると、小さな心のつながりを感じる。
日本では、不思議なことに、読者の多くが(ほとんどが?)
私の本の写真は別の人が撮っているのだと思っている風で、
「XXの写真を借りたいが、カメラマンを紹介してください」
と連絡が来ることもあるから、面白い。
さて、シャッターを切る瞬間は快い。
不思議にも、シャッターの音とともに、そのファインダーで区切られた情景、たとえば人の顔、物の姿が一枚の絵の様に、脳にプリントされてゆくような気がする。
カシャ、カシャ・・・
写真を撮ると、撮らなかった場合に比べて、記憶力が何倍にも高まるように思える。
何年経過しても、写真一枚を見るだけで、
『あの日は**さんと一緒だった。写っていないがその横にはXXがあった、OOさんが居た、その少し後に雨が降ってきた・・・』
などと、糸を手繰るように記憶がスルスルと蘇る。
モノを書くにも、写真一枚が役立つものだ。
日本での写真展用に、この13年間に撮った
京都花街、舞妓さん、芸妓さんの写真をつらつらと眺め、選びながら、写真には写っていない、
様々なことまで思い出した。
さまざまのこと 思い出す 桜かな 芭蕉
には、時期が早いか・・・。