こんにちは。
約一か月のヨーロッパ取材から帰国しました。
FBはスマホから簡単に、移動中などにアップできますが、
このブログはそうもいかずご無沙汰してしまいました。
にもかかわらず、
たくさんの方々がご覧くださったようで「ありがとうございます!}
毎年の取材でもあり、何十年も(笑)馴染んでいるヨーロッパではありますが、
いつも、どこかに自分なりの感動や発見を求めて取材を続けています。
ライン川沿いを走る列車の車窓より。
この路線、数え切れないほど何度も乗りました。いつも懐かしい!
ヴィースバーデン。街角に温泉を飲める施設がいつくかあります。
この建物の中に温泉が出ていて、毎日コップを持って飲みに来る人もいます。
ヨーロッパの社交場だったエレガントな温泉保養地です。
➡ この記事は朝日新聞デジタル&Travelの連載に掲載中です。
一か月余りの間には、私が一人でも多くの人と話そうとすることもありますが、たぶん200人以上(ドイツでは毎日10人近くの人と出会い、話しましたから、もっとかも)の人からお話を聞きました。
記事にするとか、記事になるということはさておき、私は常にその土地の政治情勢や言語状況(ヨーロッパでは一つの国の公用語が一種類とは限りません。たとえば、ルクセンブルクはフランス語とドイツ語、ベルギーもフランス語、フラマン語、ドイツ語)、大学など教育の状況などなど・・・、本当にたくさんの事を一言でも多く生の声に興味を持っています。
書くのは旅の記事としても、そうしたバックグラウンドを知ってから書きたいと思います。
また、自分の視野を広げたいと常に考えているためでもあります。
ガイドさんやインタビューの相手だけでなく、タクシーの運転手さん(この人達は中々スゴイ。話が面白い!)、ホテルのレセプションの人(色々であります。案外興味深い)、列車で隣り合わせた人(様々な国の人たちです)、レストランのウエイトレスさんなどなど、意外なところで興味深いお話が聞けます。
たとえば、ドイツ。
ドイツ語の新聞や雑誌、TVなどで見聞きし、多くの友達との交際から
よくよくわかっていることではあっても、「目の前の初対面の人はどう言うか?」質問してみます。まさに、Was sagen Sie dazu? であります。
それが取材ではないかと思っています。
さて、今回、印象に残った事の一つに、
1989年のベルリンの壁崩壊の3か月前に両親が東ドイツから西ドイツへ逃れてきて、西ドイツで生まれたという女性のお話があります。
トランク一つで西ドイツに逃げてきたまだ二十代前半だったご両親。
(東ドイツではかなり早く結婚する人が多かった)
もちろん住む家もありません。
東ドイツ時代の預貯金など西へ来れば「蓄え」といえるような金額ではありません。
やっと見つけた小さなアパート。でも、近所の人からは冷たい目で見られ、仲間外れにされたことも。
東西ドイツの意識の違いから仕事の場でも想像もつかないような苦労の日々を送った父と母。
彼女自身も学校でいじめられたり、辛い思いをすることはしょっちゅうだったそうです。
年頃になって大学へ行きたくても、両親には言い出せないし、言っても家にそんな余裕があるわけがありません。
でも、彼女は大学へ行こうと、三か月働いて三か月大学へ通うという制度を使って大学を卒業しました。
学費は返済しなくても良いそうです(注:ドイツでは州によって、こうした制度が異なります。私立の大学も以前に比べて増えました)。
大学には学生寮があったけれど、働く三か月間は自分でアパートを探さなければならず
三か月ごとに引越し。「落ち着かない日々だったけどね!」と彼女は微笑みました。
(余談ですが、彼女はすごく美人!)
そして、この6月に結婚。
お相手は若いけれどもすでに大きな仕事を成し遂げた建築家です。
彼女も会社ではマネージャーの立場にあります。
将来が楽しみです。
➡7月7日 彼女は結婚式の写真を送ってきました。映画のワンシーンのように美しくて、幸せそうで、私は改めて感動したのです。二人の門出を心からお祝いします。この幸せがずっと続きますように!
・・・私はとても爽やかな「力」を感じ、生きてるって素晴らしいと改めてうれしくなりました。
<良かった!>
約一か月のヨーロッパ取材から帰国しました。
FBはスマホから簡単に、移動中などにアップできますが、
このブログはそうもいかずご無沙汰してしまいました。
にもかかわらず、
たくさんの方々がご覧くださったようで「ありがとうございます!}
毎年の取材でもあり、何十年も(笑)馴染んでいるヨーロッパではありますが、
いつも、どこかに自分なりの感動や発見を求めて取材を続けています。
ライン川沿いを走る列車の車窓より。
この路線、数え切れないほど何度も乗りました。いつも懐かしい!
ヴィースバーデン。街角に温泉を飲める施設がいつくかあります。
この建物の中に温泉が出ていて、毎日コップを持って飲みに来る人もいます。
ヨーロッパの社交場だったエレガントな温泉保養地です。
➡ この記事は朝日新聞デジタル&Travelの連載に掲載中です。
一か月余りの間には、私が一人でも多くの人と話そうとすることもありますが、たぶん200人以上(ドイツでは毎日10人近くの人と出会い、話しましたから、もっとかも)の人からお話を聞きました。
記事にするとか、記事になるということはさておき、私は常にその土地の政治情勢や言語状況(ヨーロッパでは一つの国の公用語が一種類とは限りません。たとえば、ルクセンブルクはフランス語とドイツ語、ベルギーもフランス語、フラマン語、ドイツ語)、大学など教育の状況などなど・・・、本当にたくさんの事を一言でも多く生の声に興味を持っています。
書くのは旅の記事としても、そうしたバックグラウンドを知ってから書きたいと思います。
また、自分の視野を広げたいと常に考えているためでもあります。
ガイドさんやインタビューの相手だけでなく、タクシーの運転手さん(この人達は中々スゴイ。話が面白い!)、ホテルのレセプションの人(色々であります。案外興味深い)、列車で隣り合わせた人(様々な国の人たちです)、レストランのウエイトレスさんなどなど、意外なところで興味深いお話が聞けます。
たとえば、ドイツ。
ドイツ語の新聞や雑誌、TVなどで見聞きし、多くの友達との交際から
よくよくわかっていることではあっても、「目の前の初対面の人はどう言うか?」質問してみます。まさに、Was sagen Sie dazu? であります。
それが取材ではないかと思っています。
さて、今回、印象に残った事の一つに、
1989年のベルリンの壁崩壊の3か月前に両親が東ドイツから西ドイツへ逃れてきて、西ドイツで生まれたという女性のお話があります。
トランク一つで西ドイツに逃げてきたまだ二十代前半だったご両親。
(東ドイツではかなり早く結婚する人が多かった)
もちろん住む家もありません。
東ドイツ時代の預貯金など西へ来れば「蓄え」といえるような金額ではありません。
やっと見つけた小さなアパート。でも、近所の人からは冷たい目で見られ、仲間外れにされたことも。
東西ドイツの意識の違いから仕事の場でも想像もつかないような苦労の日々を送った父と母。
彼女自身も学校でいじめられたり、辛い思いをすることはしょっちゅうだったそうです。
年頃になって大学へ行きたくても、両親には言い出せないし、言っても家にそんな余裕があるわけがありません。
でも、彼女は大学へ行こうと、三か月働いて三か月大学へ通うという制度を使って大学を卒業しました。
学費は返済しなくても良いそうです(注:ドイツでは州によって、こうした制度が異なります。私立の大学も以前に比べて増えました)。
大学には学生寮があったけれど、働く三か月間は自分でアパートを探さなければならず
三か月ごとに引越し。「落ち着かない日々だったけどね!」と彼女は微笑みました。
(余談ですが、彼女はすごく美人!)
そして、この6月に結婚。
お相手は若いけれどもすでに大きな仕事を成し遂げた建築家です。
彼女も会社ではマネージャーの立場にあります。
将来が楽しみです。
➡7月7日 彼女は結婚式の写真を送ってきました。映画のワンシーンのように美しくて、幸せそうで、私は改めて感動したのです。二人の門出を心からお祝いします。この幸せがずっと続きますように!
・・・私はとても爽やかな「力」を感じ、生きてるって素晴らしいと改めてうれしくなりました。
<良かった!>