盛岡からの上り電車で乗り越してから1週間が経ち、今日は一関からの下りでしたが、何とか途中、危なかった時もありましたが、無事に下車しましたよ。宴会の場所は駅前の焼き鳥屋と言われていたが、行って見ると、どうやら私が通勤していた頃にはなく、やきとりセンター一関駅前店という新しい店でした。その店の反対側の店には3回程は行きましたか、店の看板がなくなっていて潰れたんですかね。
この時期、会社での異動の時期ではありますが、宴会の席で、中国の大連への異動の話があったという若い人の話。最初、中国と言われて、”中国地方じゃ、支店は広島辺りにあるのか”と。”いやいや、本物の中国”とのこと。結局のところ、中国行きが頓挫したが、やっぱり遠隔地への異動になったとのことでしたよ。異動を言われれば、それに従うしかないのがサラリーマンの宿命である。帰り際に、体に気を付けてと言って別れましたね。
そんな中、社協主催の「今からボランティアセミナー」を聴講。昨年7月の西日本豪雨災害の支援に行った、社協の職員が講師となって行ったもの。その災害は平成最悪の水害で土砂崩れ、土石流、言わば”山津波”での被害。昭和57年7月の長崎大水害以来の大水害で、今は昔の話だが、それから2年半後の昭和60年2月に九州を一周して長崎にも寄ったが、確かに大水害の話を現地で聞いたかもしれない。痕跡はほとんどなかった気がするが。
この時期、会社での異動の時期ではありますが、宴会の席で、中国の大連への異動の話があったという若い人の話。最初、中国と言われて、”中国地方じゃ、支店は広島辺りにあるのか”と。”いやいや、本物の中国”とのこと。結局のところ、中国行きが頓挫したが、やっぱり遠隔地への異動になったとのことでしたよ。異動を言われれば、それに従うしかないのがサラリーマンの宿命である。帰り際に、体に気を付けてと言って別れましたね。
そんな中、社協主催の「今からボランティアセミナー」を聴講。昨年7月の西日本豪雨災害の支援に行った、社協の職員が講師となって行ったもの。その災害は平成最悪の水害で土砂崩れ、土石流、言わば”山津波”での被害。昭和57年7月の長崎大水害以来の大水害で、今は昔の話だが、それから2年半後の昭和60年2月に九州を一周して長崎にも寄ったが、確かに大水害の話を現地で聞いたかもしれない。痕跡はほとんどなかった気がするが。