護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

思い出(1)

2007年01月02日 20時17分52秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
 このコーナーに書くのは、2年前に護憲+の戦時を語るコーナーに、戦前・戦中・戦後に体験したり聞いた事を書いたものですが、再編してお送りしています。


  思い出(1)  

難しい話はこれくらいにして、心の和む話を書こう。
 
吉州のできごとである。隣は銀行の支店長をされている東大出の朝鮮の方だ。ここの家の娘さんが結婚されるということで、次席の父は、当たり前の話だが、朝鮮の仕来たりに合わしてお祝いを持参したらしい。ところが、結婚式の早朝、隣の美人の奥さんが、五人女性を従えて料理を持ってやってきた。

 部屋一杯に料理を並べ、料理の説明を始めたのである。見事な料理だが、我が家は父がニンニクが苦手で、朝鮮料理は、シンセンロ(ニンニクは入っていなく唐辛子も入ってない絶品の鍋だが、戦後テレビで一度だけ韓国宮廷料理の放送で紹介したのを聞いた。私は母に作り方を教わっているので若い時には作っていたが、手間とお金が掛かるので現在は紛い物で誤魔化している)という宮廷鍋料理しか食べなかったのだが。父も母も神妙に説明を聞いていた。

あるゼリー状料理に、「奥さんイゴキシニガイサソヨ(これは力が付きます)」と言っての説明は、サンチョネ(何だか判らない)と牛の玉タマちゃんを三日三晩煮込んだ物で、手間のかかった料理と話してお帰りになった。

 考えると牛の睾丸だから力が付くのは当たり前かも判らない。母が私達に「食べてごらん」と言っても子供とて説明を聞いているのだから食べられない。結局、銀行の小使いさんに(先に書いた朝鮮の娘を女中に雇ってと行って連れて来た同じ人物だが、父が転勤する度に付いて来たようだ)「隣の奥さんに悪いのだが、内緒にして」と、食べられない料理をもって帰ってもらうことになった。

ところが、この特別料理。「奥さんこれは戴くわけはいかない。私たち貧乏人には一生口にできない料理」だと言うのだ。「気にしないで持って帰って。ただ李(支店長)さんにはくれぐれも内緒にね。」
 
父を心酔している小使いさん。「おくさん絶対口には致しません」と平身低頭して帰ったが、翌日、「母ちゃんが、このような高価なものをただでは頂いたら罰が当たると言うので」と二円持って、どうぞ受け取ってくれとやって来た。母の説得でやっと帰っていったのだが、当時の二円とは大金で、今これを書きながら、食べてみたら良かったかなと思っている。