全身麻痺で脳だけは正常、、これで生かされてる、、死んだほうがマシだ。
医療の偽善、暴力、人権侵害!!そして銭儲け。
回復の見込みのない患者に対して、、無理やり治療して<<拷問の人生をギブする恐るべき医療者>> 富裕層など良いが一般庶民のファミリーなら大ダメージだ。
これが本音だ!!
**私は透析患者だが、現場では、意識不明の後期高齢者に透析をしている光景を見る<<手遅れで死ぬのだが、銭儲けの医者がフェミリーに””透析しないと死にますよ~~!!等と言うのでフェミリーは、DEATHでもいいですとは言えないで透析する>>
仮設の透析管を首の血管に刺す、、、どうせ長くはない。
**中には、土地を売って病院の借金を払い、他に財産が無くなった原住民のジイさんが<<当該ケースはヘルプできて通院してるがジイさんのせいでファミリーは土地をなくした>> 軽い知能障害のある成人の息子が付き添いできている。
上記の、患者のランドを買ったのは、近所の同じ透析患者で<<インテリの校長先生という展開だ>> 夫婦で教員してる。
**フィリピンでも老人ヘルプが有り<<フィリピン国籍ならば透析1回=820ペソで済むが、月に8から24回するので原住民負担は大きい>>薬もいろいろな種類を飲むがフィリピン国籍の老人は20%割引だが一般的な原住民には大変な負担。透析来れる原住民の殆どは<<オーバーシーズワーカー、、出稼ぎで仕送りしてくれてる>>。
貧乏人は公立病院の透析だが<<そもそも透析マシンが少なく、コネがないと受けれないので貧乏人は死ぬのだが>> 一応、ボランテア的なヘルプが有り私立病院に1回位、稀に透析に来る(1タイムス見たことがある)が、名目程度で連続してヘルプは受けれないと聞いた。1回位ヘルプしてオシマイ。
**透析現場では、この前トークした患者が、死んでいたということがよくある。
ケースの殆どは、穏やかに死んでいくようだ<<心臓停止、、、心臓が弱り心停止するので苦しみもがくのはないようなので、自分も自然に心臓弱り停止するだろう>>
**自分は、ミラクルがあるのでパワーで治癒すると放言してるのだが<<言の通り、、2回の透析が1回で済むようになり=自分で検査結果を分析してドクターに要請した>>
つい先日の検査結果も問題はない<<私がコーラを飲んでるので悪化してると迷信的批判するが>>結果が証明している。たまにコーラ飲んでも何も問題はない。
**記事のように悲惨な状況で無理に生存されるなど拷問で人権侵害だと考える<<それでも生きたいと患者が望むなら良いだろうが、、圧倒的多数者はゴメンだろう!!>> 考えるだけで悲惨、恐るべきことだが<<医療者は、これが正しいと考えてるところが恐ろしい!!!>> この連中に哲学はないのだろうか??
オートバイ事故で全身まひになった患者 感覚ない身体を清拭され…ケアは相手にとって「よきこと」なのか?
1/10(金) 12:21配信
読売新聞(ヨミドクター)
鶴若麻理「看護師のノートから~倫理の扉をひらく」
オートバイを運転中に車と衝突し、心肺停止状態で救急救命センターに搬送されてきた60歳の男性。脊髄損傷。手術をするが、四肢が完全にまひした状態となった。意識レベルはクリア。頸髄を損傷しているため、呼吸筋を動かす神経が損われており、十分に呼吸ができない状態だった。そのため、気管切開を行い、人工呼吸器での呼吸サポートが必要となった。気管にチューブが挿入されているため、発声することはできず、コミュニケーション方法は口の動きのみになった。
患者はナースコールを押すことができないので、舌でナースコールを押す器具をセッティングした。何とか患者とコミュニケーションをとろうと、看護師が文字盤を読み上げていき、うなずいてもらうか、「水飲みたい」「喉痛い」「喉が渇いた」「苦しい」など簡単な言葉を書いた紙を作ってみたりした。口パクで何とか会話するときもあった。
人工呼吸器が必要なくなるまで回復すること、そして、リハビリテーションの病院へ転院すること、それが患者と家族の目標だった。「絶対、頑張る。社会の役に立ちたい」と、患者は看護師に思いを伝えていた。
最初のうちは、車いすへ移動して2時間ほど座ることができた。しかし、その後、何回かチャレンジするうちに、血圧が下がるようになり、車いすへの移動もだんだんできなくなってきた。人工呼吸器を「自発モード」(自力での呼吸に加え、十分な換気量を保てるように吸気のサポートを行う)にすると、呼吸が苦しくなって眠れないこともあった。患者の目標に沿って、人工呼吸器を外せるよう、医療チームがさまざまな方法をとるも、現状では人工呼吸器を取り外すことは難しいという判断になり、呼吸器装着を継続する方針となった。
患者は、自分の伝えたいことがうまく伝わらないもどかしさや状況が好転しないなかで、だんだんイライラしたり、話をしなくなることも多くなった。このような患者とかかわるうちに、看護師は「私たちがしているケアって、彼にとって本当に幸せなのかな?」と思ったという。
「彼にとって本当に幸せなのかな?」
救命医療と急性期領域で長年働いてきた看護師が語ってくれたケースです。温かいタオルで全身を清拭(清潔に保つこと)するけれど、患者自身はおそらく、温かいとも、気持ちよいとも感じていない。そのような状況にある患者にとって、「このケアそのものが、自分のいまの現実を思い知らされることになっているのではないか」と思ったそうです。自分たちがしているケアが、患者にとっては、「感覚のない自分」を痛烈に感じさせる行為につながっているのではないか、ということです。もちろん、そんなつもりで看護師はケアをしているわけではないのですが、一体、どのように患者と向き合っていけばよいか、悩んだそうです。
この看護師の言葉をきいて、本当にはっとさせられました。たとえば、看護とか、ケアとかは、よきことであるという思いが多くの人にあると思います。しかし、この看護師の問い、「私たちがしているケアって、彼にとって本当に幸せなのかな?」は、私たちにケアという行為について改めて考える機会を与えてくれていると思います。
ケアが苦痛をもたらすことも
ケアは、たとえば手術のような治療と異なり、患者の身体に直接的な侵襲を加えるようなものではありませんが、患者にとってさまざまな形で苦痛をもたらすこともあります。受け手がどのように捉えるかが関係するからです。ケアは、一方的によきことであるわけではなく、患者と看護師の相互のかかわりによってその良さが決まっていくものでしょう。この患者から、「身体の清拭は不愉快だ、つらい」と直接的に言われたわけではなくても、その可能性も十分あり得るということです。何事もそうですが、よいに違いない、よいはずだと考えていれば、それ以外の面はあまり見えなくなります。
「聞いてくれるのは、あなただけなんだよ」
この看護師が、自分の思いをスタッフに投げかけてみたところ、同じことを考えていた人もいたそうです。そこで、「患者にとって何が必要か」を徹底的に考えていくことにしました。「わずかな時間でも、車いすに移乗してベッドから離れるように促す」「おすしが好きだったので、状態が安定してきたら、家族と食べる時間をつくる」など。呼吸が落ち着いたら、理学療法士の協力を得て、人工喉頭(のどぼとけのあたりに機械を当てて振動させ、コミュニケーションをとる)を使って患者の思いを聞こうとしました。
その時、一番大切にしたのは、睡眠の確保だったといいます。患者を見ていると寝つきが浅く、睡眠中に何度も起きてしまうことに気づきました。その時に投げかけられた言葉が、「胸が重い」だったそうです。よく観察してみると、換気量が減っていることがわかったので、「息が苦しいのか」「息を吸うのにもっとサポートが必要なのか」などと聞いて、医師と話し合い、睡眠の状況、呼吸の様子をチームで共有していきました。そのような中、「そうやって聞いてくれるのは、あなただけなんだよ」と患者さんに言われたそうです。
患者にとっての「快」とは
この看護師は、このケースを振り返りながら、患者さんにとっての「快」を意識していくことが、ケアするうえで大切だと語ります。ある患者さんにとっては「快」なケアも、ある患者さんにとってみたら「不快」かもしれません。それは、場面やタイミングなど様々な要因で変わってくるのだと思いますが、それは患者さん自身が教えてくれるはずと考えているそうです。穏やかな表情をしているのか、呼吸は苦しそうではないか、血圧・心拍は安定しているのか、発汗はしていないか、末梢は冷たくなっていないか。「常に関心を持ち続け、少しの変化も見逃さない」という身体のアセスメントが重要で、その中で患者さんが望んでいることに時間を使うようにしていきます。
この看護師が問いを投げかけたように、「ケアは常によきことであるとは限らない」という思いを持ちながら、患者と向き合い続けることそのものが、倫理的な看護実践につながっていくのだと思います。
オートバイ事故で全身まひになった患者 感覚ない身体を清拭され…ケアは相手にとって「よきこと」なのか?
鶴若麻理「看護師のノートから~倫理の扉をひらく」
鶴若麻理(つるわか・まり)
聖路加国際大准教授(生命倫理分野)、同大公衆衛生大学院兼任准教授。
早稲田大人間科学部卒業、同大学院博士課程修了後、同大人間総合研究センター助手、聖路加国際大助教を経て、現職。生命倫理の分野から本人の意向を尊重した保健、医療の選択や決定を実現するための支援や仕組みについて、臨床の人々と協働しながら研究・教育に携わっている。2020年度、聖路加国際大学大学院生命倫理学・看護倫理学コース(修士・博士課程)を開講予定(認可申請中)。編著書に「看護師の倫理調整力 専門看護師の実践に学ぶ」(日本看護協会出版会)、「臨床のジレンマ30事例を解決に導く 看護管理と倫理の考えかた」(学研メディカル秀潤社)、「ナラティヴでみる看護倫理」(南江堂)がある。
Negroni | 1日前
患者にとって何が本当に「快」であるのか考えるというのはケアを行うにあたってとても大事なことなのは間違いないと思います。
ただ、それはそれとして記事の組み立てとして清拭を引き合いに出すのはおかしくないでしょうか?
清潔を保つのは健康の維持のために重要なことであって、患者が快く思ってないからってやめていいようなものでもないでしょう。
仮に「身体の清拭は不愉快だ、つらい」と意思表示されたとしても、清拭を行わずに体が汚れていくのに任せるなんて選択肢はあり得ないはずです。
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lin***** |1日前
清潔に保つことは基本的なことであるのはわかっての例。
そのあなたの「するべき」「気持ちいいもの」であると言う先入観に疑問をもつためのもの。
「する」「しない」の話ではなくて、清潔にすることは「快」であるという「思い込み」は良くないという事を示すためだけ。
この内容は「不愉快だ」と言われたら「やめる」という事を言ってるわけではない。そういう気持ちがあるかもしれない事を受け止めるという事。
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rub***** |1日前
当たり前として行っている清拭が不快に繋がっているかも知れない、と視点を変える事で気付く事があるという例かな
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@ |1日前
これと同じことプラスアルファ以上の事を准看護学校に通っていた時にしつこく説かれたから、今さらというか、常識だと思ってました。
先入観を抱かず常に疑問を抱き、より良いケアを追求する姿勢は大切です。
苦痛だからしなくていい、ではなく可能な限り最大限、苦痛を和らげる技術を、手技や接遇、環境の調整などあらゆる事全てフルに使うことが看護師が生業として行う「看護」。
そしてそれがマンパワー的に出来ずジレンマを抱えている人も多くいると思う。
もしくは誰の目から見ても限られた時間と人員の中で十分にやっているように見えるのに、自らの技術不足だと自分を責める人も何人か見てきました。
限られた時間とマンパワーで行われる、適当(テキトーという意味合いではない)な処置を、臨床経験が無いお偉いさんに「それは患者さんに対する最適な看護ではない」と言われたりします。
真面目な人ほど心が折れる所以だと思う。
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azu***** |1日前
看護師が盲信の様に行っている清拭でさえも、患者にとってはマイナスになる部分があるかもしれないって事だね。
どの行為もプラスの部分もあればマイナスの部分もある。プラスとマイナスを天秤にかけて、実行するかどうかを決定したり評価したりする訳です。
盲信は非倫理的。医療に絶対なし。
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きゅうりうまい |1日前
体調悪い時ってトイレ漏れそうで起きたとしても頭動かしたらぐわんぐわんするしフラフラして気持ち悪いから出来るなら行きたくないもん
必要に駆られたことでもこれだから体拭くのは余計にしんどい人いると思う
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*** |6時間前
この記事では清拭は悪いことだ、不快と思ったらやらないほうがいい、とかそんなことは一言も言っていないと思うのだが。
当然と思っていた清拭の最中に気づきがあったというお話やろ
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rub***** |1日前
例えば清拭自体はよくっても、その時の扱い方で息が苦しくなったり頭に血が上った感じになったり口の中が酸っぱくなったりめまいがしたり…?
周囲の人には気付きにくい不快な事がきっとあるんだと思います
そこに思いと目を向け改善を図るのは素晴らしい事です
ケアする人が皆そんな風に考えられたらいいですね
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tak***** |1日前
これ書いてるの大学の准教授様ですね。現場のことや家族とおそらく1週間も関係してないでしょう。清拭がいいことと悪いことで区別するならいいことです。患者が清拭を不快と思っているかもしれない、と現場の人間は考えています。1週間ぐらいならいいでしょう。でも1ヵ月、1年怠った場合は。間違いなく他の疾患が待っているでしょう。それを防ぐためにするのです。本当は現場の人間も意にそぐわないことはしたくないのです。1ヵ月位認知症デイの入浴介助をしてみてください。果たして同じことが書けますかね。
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アカグツ |41分前
コメ主は超能力者だね
行間にも書かれていないことが
読めるらしいやwww
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kero |1日前
>ただ、それはそれとして記事の組み立てとして清拭を引き合いに出すのはおかしくないでしょうか?
まさに、その通りだと思いました。論理の組み立てとして清拭を持ち出すのはおかしいです。もっと適切な例を出したら納得感が高かったように思います。
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eve***** | 1日前
ただ生かされてるだけで、私だったら毎日が苦痛だと思う。安楽死の選択ができたら、いいのに。
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fut***** |8時間前
自分もただ生かされているだけは勘弁して欲しいですね。
なので、臓器売買法を立法して生前意思(遺言書など)により売買を出来るようにして売買した金は課税なしでそのまま遺族に渡るようにして欲しい。
そうすれば臓器待ちの人も助かるし遺族も多少なりと金が入り葬式なども出し易くなったりその後の生活も少しは楽になると思う。
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ARM |2時間前
これが多数派にならないから 安楽死が進まない
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pzo***** |9時間前
その呼吸すら苦しいのだから地獄。
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xtd***** |8時間前
死にたくても死ねないというのは、考えただけで恐怖。
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nik***** |1日前
一日中ただ呼吸するだけの毎日はきつい。
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oka***** | 1日前
突然のことだから家族も整理がつかないのかもしれないけど、できることは何でもして助けてと頼んだのに、寝たきりになったら今度は看病なんかできないから施設に入れろって言う家族の多いこと多いこと。
年末に救急ドキュメンタリーやってたけど、そんな姿をたくさん映して欲しかったな。笑顔で退院する人ばかりでなく、家族にありがたがられない救命が数多くあることをね。何でもして欲しいが患者にとって苦痛の始まりであることを知って欲しい。
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tzo***** |20時間前
そうだねー!
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*** |1日前
無理矢理延命することが"善"ではない。
結局、自分が悪者になりたくない、だけど面倒はみたくない、ってことだよね。
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per***** |9時間前
おっしゃる通り!賛同です!
家族のワガママに付き合いきれず、毎日疲弊しながら働いてます。
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al2***** | 1日前
映画「ジョニーは戦場へ行った」をふと思い出しました。
意識はあるのに全身まひで自分の意思を伝えることのできない状態ほどつらいことはないです。
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shi***** | 1日前
医学と科学の進歩は止まらず、ひと昔前だったら確実に死んでいた人でも命をつなぎとめることができるようになった反面、「死んだほうがまし」な状態でも無理やり生き続けさせられることの是非について議論する必要あると思います。とくに終末期の医療。
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ma***** | 1日前
「必要な事だからそれを施すのは良い事だ」という先入観や固定観念で思考停止する事に慣れたら、提供側に正当と思える理屈さえあれば「当事者がどう思おうと部分的に無視していい」となります、
独りよがりな福祉でいいならどんどん機械化すれば済む、
人が現場で働いているからこそ過ぎる深い考えというのは貴重だと思えます。
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ひろゆき | 1日前
バイクは本当に危ない。プロは事故しても少しでも体を守るためにスーツやプロテクト付けるけど通勤程度でそんな事する人はいないから事故したら大怪我するのは当然かも。
返信5
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iku***** |1日前
車も危ないけど、バイクのほうが何倍、何十倍も危険ですよね。事故って、足切断とか全身麻痺になったとかよく聞きます。バイクは気持ちのいい乗り物かもしれないけど、自分は乗らない。
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arm***** |5時間前
二輪車の場合、プロテクターとかエアバック装着しても、転倒時にたすかることがあるだけで、しないよりはまし位で衝突などの激しい衝撃には全く無力であります。プロテクターとかエアバック装着を過信すべきではありません。四輪以上の安全運転が求められます。
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jee***** |3時間前
自分もバイクは大好きだけど、結婚を機に乗るの止めたわ。
安全を考えると仕方ないのだけど、街中でバイク乗っている人居るとつい目線が動いてしまう。正直カブでも良いから乗りたいという衝動を抑えるのが辛い。
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rub***** |1日前
渋滞しがちな国道ですり抜けしていくバイク達、危ないんだよねえ
せめてスーツやプロテクトして欲しい
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zzz |5時間前
こける事を想定して、エアバッグウェアと
首部分も保護した方が良いですね。冬場は厚着でも苦しくないけど、夏場は半袖Tシャツ一枚と短パンのスクーター、けっこういますね。
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rsp***** | 1日前
当方、介護職だけど、あまりに利用者に感情移入しすぎて、しんどい時ある。ほんとうに必要とされてるケアってなんだろうって。プロとして一線を超えない範囲で精一杯やってるつもりでも、本人が死を望んでたりしてると、どんなケアも受け付けないし。日本の場合、死ぬことについてあまりに拒否反応ありすぎじゃないかなと思う。胃瘻とか気管切開とか栄養食とかいろいろ生き延びる術はあるけど、本人が望まないのに生きることほど苦痛なことはないし。
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brother | 1日前
ロボットのように看護側としてやるべきことは「良きこと」と教えられてる中で、こういう疑問を持っている看護師がいるのは良いことだと思います。清拭のことだけでなく、議論しても良いことだと思いました。
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wkh***** | 1日前
事故や病気で不自由になった場合と、先天的に不自由がある場合も当事者の捉え方は違います。
幸福や快不快は主観的なもの。当人の気持ちが大事なのでは。
kyo***** | 1日前
死なすな生かせって暴力。
生かすだけを「助ける」とするならかなりの確率で助けるコトが出来る時代にはなったけど、医療の限界で死ねた時代の方が幸せだったんじゃないかな?
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林檎剥けなくていいから君振り向いてほしい | 9時間前
安楽死制度導入は賛成
貧困層で身内無が全身まひで要介護になった場合、施設には預けられない、自宅介護すれば長時間出かけられない・働けないで貧困のサイクルが出来てしまい心身がやられてしまう。そうなると最後は介護者を殺めて自死したほうが楽の選択になる。
ror***** | 1日前
こうなったら死んだ方がましなのかな。
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lov***** | 1日前
こんなのは嫌だ死なせてほしい。
と率直に思った。
tan***** | 17時間前
医療はビジネスです
治療に感情は無いよ
gai***** | 1日前
自分の体を自分の意思で自由に動けないなら
死ぬことを選択するかもしれない。
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nob***** | 1日前
私だったら死にたい。
安楽死の合法化を心から願いします。
hay***** | 1日前
ハリウッド映画でボコボコにされて全身まひになった友人に
呼吸器を止めて欲しければ2回まばたきをしろというのがあった。
2回まばたきをしていた。治らないのなら辛すぎると思う。
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aim***** | 1日前
本音を書けば、自分なら死にたいかな。
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iku***** |1日前
同感です。頭はしっかりしているのに、自分では何一つ出来ない。たくさんの管につながれて、むりしゃり生かされている。生活が一変し、家族にも多大な迷惑をかけ、お金も半端なくかかる。それがずっと死ぬまで続くのです。考えただけでイヤになります。でも、体が動かないから自殺も出来ない。日本も早く安楽死を認めてほしいです。
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lin***** | 1日前
「全身まひ」
もし自分がなったら安楽死したいから、安楽死を選択できるように法改正してほしい。
他人にかかる迷惑はゼロ。安楽死したくない人は選択しなければよいだけ。
安楽死という技術が確立する前の古い法律に苦しめられるのはいやだ。