
6/13(土) 9:26配信
日刊ゲンダイDIGITAL
小堀鷗一郎医師(C)日刊ゲンダイ
【死なせる医療 訪問診療医が立ち会った人生の最期】
定年退職を機に外科医から訪問診療医に転身した小堀さん。最初の数年間は患者やその家族に求められるまま、最期を迎える頃合いになると病院に搬送し、生き永らえるための措置をしてきた。ところが何人かの患者をみとるうちに、病院での延命が必ずしもベストとは限らないことに気がついたという。
「病院で積極的な治療を受けて延命するのか、在宅で穏やかな死を迎えるのか、それぞれの最期にはそれぞれの選択があります。訪問診療を通して患者やその家族と長く付き合っていれば、多くの情報を共有しますし、信頼関係も生まれます。そうなると患者や家族の意向を踏まえつつ納得がいく最期を迎えられるように、総合的な判断を下せるようになるのです」
その結果、在宅でみとるケースが増えた。現在は75%が在宅死だという。
それでは小堀さん本人は、どのような最期を迎えたいと考えているのか。450人以上の死に寄り添ってきた経験から導き出した答えはどんなものなのだろうか。
「私自身は、病院にするのか自宅にするのか、最期を迎える場所を決めていません。自分がどのように衰えていくのか、体力を失っていくのかは、まだ分かりませんからね。体の状態がどのように推移していくのかによっても違ってきますから、現段階で計画を立てることはできません。ただはっきりと言えることは、体が動く限りは医師の仕事を続けたいということ。このまま訪問診療に取り組んでいきたいです」
小堀さんは80歳を越えた今も、驚くほど元気だ。背筋はピンと伸びているし、早足でスタスタと歩く後ろ姿からは、若さすら感じる。昔のことや固有名詞を思い出す時に、言葉に詰まることもない。数字や具体例を盛り込みながら、スラスラとよどみなく話すのだ。
日常的に死と向き合い、死を見つめながらも、自らその準備を始めるには早いのだろう。
今も毎日、埼玉県にある病院まで片道20キロをマイカーで通勤。混雑する日は片道1時間かかることもあり、往復3時間を費やす日もあるそうだ。ただ、それを苦にしている様子はない。
「訪問診療の際は自分の軽自動車を運転して地域を回っています。運転ができなくなれば看護師に代わってもらうこともできるし、勤務先を自宅近くの診療所に変えることも可能でしょう。いかにして働き続けるか、選択肢はいろいろありますよ」
現在、医療の現場では新型コロナウイルス感染症という新しい病も広がっている。
「身近なところにも最前線で戦っている医療者がいます。私だって、いくら予防していたとしても、いつ感染するか分からない。まあコロナは8割が軽症と言われますが、そうなった時は、そうなった時ですね」
無駄に死を恐れない。そんな死生観も読み取れる。「生かす医療」と「死なせる医療」という正反対に見える2つの医療のはざまで最適解を求め続けてきた小堀さんだからこそ、冷静に見つめることができるのだろう。
「その人らしく死ねるように支援するのは簡単ではありません。訪問診療医は、汚物にまみれたり、行政と戦ったり、神父のように死について語ったりすることもあります。高齢化が進み多死社会に突入すれば、現場で人手が足りなくなって“負け戦”を強いられるかもしれません。それでも私は生きている限り、訪問診療を続けていくつもりです」
小堀さんの訪問診療の記録は、ドキュメンタリー映画「人生をしまう時間」(NHKエンタープライズ)でも描かれている。=おわり
(小堀鷗一郎/医師 取材・文=稲川美穂子)
医者も忌み嫌う「死の現実」自分の身に起こると理解しない
2020年05月30日 by 小堀鷗一郎
バックナンバー
小堀鷗一郎医師
小堀鷗一郎医師(C)日刊ゲンダイ
厚生労働省の人口動態調査をもとにした「死亡場所の推移」によると、1951年は病院・診療所での死亡が11・7%だったのに対して自宅が82・5%だった。この割合は1976年になると逆転し、2005年には病院・診療所が82・4%で自宅が12・2%となっている。50年あまりで、ほぼ真逆の割合になった格好だ。
「私が子供の頃は、自宅でのみとりが当たり前でした。年を取り衰えて寝たきりになり死んでいく。そんな姿を目の当たりにしたのです。おかげで誰にとっても死は身近なものであり、いつか死ぬものなのだと、みんなが自然と認識できていましたね」
だが、在宅死が1割の“例外”のようになってしまった今は、死を現実のものとして受け止めて、いつかは身の回りで起きることなのだと実感できない人が増えているという。
「現代人は死から遠ざかり、目をそらすようになりました。死ぬことを想像できず嫌悪するようになっています。これは日常的に人間の死と接しているはずの医師であっても同じですね」
少し前、小堀さんは医師たちでつくる団体から原稿を依頼された。その時に付けたタイトルについて、団体側に難色を示されたこともあったという。それは定年を迎えるまで外科医としてメスを握り、その後は訪問診療医として400人以上の患者をみとってきた経験をもとに書いた論文だった。
「タイトルは『生かす医療から、死なせる医療へ』と付けました。手術室を出て在宅医療の現場に足を運ぶうち、『救命・治療・延命』だけが医療ではないと痛感したからです。ところが、団体側から“言葉が乱暴だ”との指摘を受けてしまった。それで『命を永らえる医療から、命を終えるための医療へ』と変えたのですが、これも却下されて……。医師の団体でさえも死を忌み嫌っている、現実のものとして受け止められなくなっているのだと感じました」
医師でさえも死を疎み、嫌悪するようになっているのだ。こうした傾向は、一般の社会になると、より顕著だ。
「神戸に住む女性が、身寄りのない人たちが最期を迎える施設(みとりの家)を造ろうとしたことがありました。ところが地元住民たちの猛反対で実現できなかった。自分たちの生活圏で、大勢の人が死を迎えるような施設ができることを拒んだのです。住み慣れた賃貸住宅で最期を迎えたいと希望した一人暮らしの男性が、『孤独死は事故物件になる』と大家に反対されたこともありましたね」
ある高校の講演会にスピーカーとして招かれた時もそうだった。
「この時は『あなたはどこで死にたいですか』をテーマにしようと準備を進めていました。高校生にも死という現実と向き合ってもらいたかったからです。ところが『死を連想させる話は高校生に向かない』と校長先生に反対され、テーマを変えることを要求された。人は必ず死にます。それなのに今の日本では、死について思いを巡らすことを嫌う。死は、自分の身に起こることだと理解しようとしない。どこか他人事なのです」
生きていれば、いつかは老いて死ぬ。人間は不老不死の存在ではないのだ。まずはその現実を直視する。そして、自分や自分の家族にとって望ましい死とはどのようなものか、最期の時をどう過ごしたいか、死を迎えるときのことを想像してみる。
死を恐れずに理解することは、人間らしい死を迎えるために欠くことができない作業なのだ。
(取材・文/稲川美穂子)