元スパイ襲撃、ロシア関与の「可能性大」 英首相

2018年03月13日 | 事件
元スパイ襲撃、ロシア関与の「可能性大」 英首相
3/13(火) 2:49配信 AFP=時事
元スパイ襲撃、ロシア関与の「可能性大」 英首相
英イングランド南西部ソールズベリーにある警察署付近で、非常線が張られた一帯から警察車両を移動させる軍関係者ら(2018年3月11日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】(更新)英国で発生したロシア人の元二重スパイ殺害未遂事件について、テリーザ・メイ(Theresa May)首相は12日、ロシアが関与していた可能性が「非常に高い」との見解を表明した。

【写真】事件で標的になったとされるロシア人親子

 事件では4日、2010年のスパイ交換で英国に移住したセルゲイ・スクリパリ(Sergei Skripal)氏(66)と娘のユリア(Yulia Skripal)さん親子が、イングランド南西部ソールズベリー(Salisbury)の商業施設にあるベンチで意識を失っているところを発見された。

 メイ首相は議会で、英軍基地の専門家チームが事件で使用された毒物を分析した結果、ロシアが開発した軍用神経剤「ノビチョク(Novichok)」と特定されたことを明らかにし、「セルゲイとユリア・スクリパリに対する行為の責任はロシアにあった可能性が非常に高い」と表明。

 さらに、「これは国家としてのロシアによるわが国に対する直接的行為か、あるいはロシア政府が壊滅的な被害を与えかねないこの神経剤の管理を怠り、他者の手に渡してしまったかのどちらかだ」という見方を示した。

 メイ首相は、ロシアには「国家ぐるみの暗殺事件」の前例があるとも指摘した上で、「英国の町で兵器レベルの神経剤を使用したこの殺人未遂事件は、スクリパリ親子に対する犯罪というだけではない。英国に対する無差別で無謀な行為だ」と述べた。

 メイ首相はロシア政府に対する報復措置の発表はしなかったものの、同政府に対し13日中にノビチョク開発計画に関する詳細を化学兵器禁止機関(OPCW)に開示するよう求めた。【翻訳編集】 AFPBB News



ロシアのプーチン大統領、2014年に旅客機の撃墜を命令
3/13(火) 11:02配信 CNN.co.jp
ロシアのプーチン大統領、2014年に旅客機の撃墜を命令
ロシアのプーチン大統領
(CNN) ロシアで2014年に開かれたソチ冬季オリンピックの開幕直前、旅客機が乗っ取られたという情報が入り、プーチン大統領が撃墜を命じた――。このほど公開されたドキュメンタリーの中で、プーチン大統領自らがそんなエピソードを披露した。

写真特集:2018年版、プーチン大統領カレンダー

ロシアでは18日の大統領選挙を前に、プーチン大統領の「英雄伝」が相次ぎ公開されている。

乗っ取りの情報は間もなく虚偽だったことが分かり、旅客機は撃墜を免れた。

新作ドキュメンタリー映画「プーチン」は、11日にソーシャルメディアで公開された。この中でプーチン大統領は、2014年2月7日、ソチオリンピックの開会式に向かう途中、安全対策本部から緊急を告げる電話が入ったと証言。「ウクライナからトルコのイスタンブールへ向かっていた旅客機が乗っ取られた。犯人はソチに着陸しろと要求している」という内容だった。

乗っ取られたとされるトルコ・ペガサス航空のボーイング737-800型機には、乗客110人が搭乗していた。犯人は爆弾を持っていると伝えられた。

同機に対応するため、戦闘機を出動させることが決まり、プーチン大統領は「計画に従って行動するよう」命令を出したという。

しかし5~7分後に新たな電話が入り、乗っ取り騒ぎは「酒に酔ったいたずら」だったと告げたという。

旅客機は無事、トルコに着陸した。

国営スプートニク通信によると、今回のドキュメンタリーの中でプーチン大統領は、自分の乗ったヘリコプターが2000年、チェチェン共和国の上空で攻撃されたというエピソードについても語っている。

ロイター通信によると、ロシア大統領府の報道官は11日、プーチン大統領が語った内容を確認した。



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「私は死んだのですか?」東北被災地で幽霊が出現した意味

2018年03月12日 | 日記
私は死んだのですか?」東北被災地で幽霊が出現した意味
3/8(木) 12:00配信 現代ビジネス
「私は死んだのですか?」東北被災地で幽霊が出現した意味
写真:現代ビジネス
私たちは数多くの“死霊”と出会ってきた
 これから私は「幽霊」の話をするつもりである。震災後に出会ってきたおびただしい数の死者の霊についてだ。

 しかし残念ながら、「幽霊」を私がこの目で見たり、会話を交わしたという話ではない。

 震災以降、被災者が亡くなった近親者や仲間の霊に出会った、あるいは被災地で見ず知らずの人の霊とコミュニケーションをとったなどという、“霊体験”を記録した出版物が何冊も刊行された。

 そうした読書体験をとおして、私も数多くの霊と出会ってきたというのである。

 被災地における霊体験の記録者は、宗教家、宗教学者、社会学者、ノンフィクション作家、フリージャーナリスト、新聞・通信社の記者と幅広い。しかし内容が重なるものも少ないのは、読者の需要があるからだろう。

 1万5000人以上の死者を出した大震災について、だれもが事態の全容をつかみかねずにいる。そこで大震災から距離をおく人々を中心に、“残酷な事実”をイメージし、情緒的に理解することを期待して、神秘的な霊体験、霊魂譚を読もうとするのだろう。

 そうした霊魂譚をいくつか紹介しながら、民俗学の視点から、生者と死霊の遭遇が意味するところを考えてみたい。

さまざまな霊魂譚
 テレビのドキュメンタリー番組でも取り上げられた有名な“霊魂譚”に、津波で亡くなった子どもが生前に遊んでいたおもちゃを、親の前で動かしたという話がある。

 その子どもの母親が食事をするとき、祭壇に向かって「こっちで食べようね」と声をかけると、子どもが愛用していたハンドル付きのおもちゃの車がいきなり点滅し、音を立てて動き出した……。

 次のような霊体験も印象的だ。

 震災前に住んでいた家の前で、携帯を使って写真を撮ってみると、小学校で津波に巻き込まれ、行方不明になったままの子どもの顔が写っていた。

 その出来事以来、だれかが天井を歩いたり、壁を叩いたりする音が聞こえるようになった。物音が奏でるリズムは、落ち着きのなかった子どもの生前の性格を思い起こさせる……。

 宮城県石巻市で、複数のタクシードライバーが霊と遭遇したという事例は、社会学を学ぶ大学院生の調査としても話題になった。

 石巻駅で乗せた30代の女性は、初夏であるにもかかわらずファーのついたコートを着ていた。目的地を聞くと、大津波で更地になった集落だった。

 「コートは厚くないか? とたずねたところ、「私は死んだのですか」と答えるのでミラーを見ると、後部座席にはだれも坐っていなかった……。

 夏の深夜、小学生くらいの女の子がコート、帽子、マフラー、ブーツなどの厚着をして立っていた。「お母さんとお父さんは? とたずねると「ひとりぼっち」と答えた。

 女の子の家があるという場所の近くまで乗せていくと、感謝をあらわし降りたと思ったら、その瞬間に姿を消した……。

 私自身、被災地になんども足を運んでいるが、霊体験を聞いたことはない。またなにかしらの怪異な出来事に遭遇した経験もない。

 しかし被災者や、被災地にゆかりのある人々が幽霊に会ったり、怪異な体験をしたことは、疑いえない事実だろう。

 なかには、被災地に訪ねてきた取材者・調査者に、“サービス”として神秘体験を語る場合もあるかもしれない。

 また身近にいた人の突然の死に向き合ったとき、その人が夢枕に立ったり、現実世界に現われて、なにかしらの接触をはかることは、大災害時以外のときにも“普通”に起こっていることなのだ。


“あの世”からの伝言
 民話採集者で、童話作家として『竜の子太郎』や『ふたりのイーダ』などを書いた松谷みよ子は、『あの世からのことづて――私の遠野物語』(1984年・筑摩書房/1988年・ちくま文庫)のなかに、数多くの、現代の幽霊譚や怪異譚を収録している。たとえばこんな話だ。

 運転手の無謀運転による交通事故で亡くなった8歳の少年が、そのショックから入院した母親に声をかけた。「コンクールに出す手作り絵本が机の中に入っているから、送ってよ」。

 子どもの机の引き出しを夫に調べてもらうと、男の子が描いた絵本が出てきた。その絵本は賞に応募され、入選を果たした……。

 小学校6年生の男の子が、浜へ泳ぎに行き溺れ死んだ。来年は中学にあがるはずだった子どものために、親は制服やカバンをそろえていた。担任の先生は、せめて卒業証書をあげてほしいと校長に頼んだが拒まれ、卒業式に写真が参加することだけが許された。

 式の直前、友だちが遺影をもって坐っていると、講堂の腰板が外れ、すうっと風が入ってきた。式が終わり写真を返しに行くと、亡くなった男の子の母親が、ちょうど講堂に風が吹いた時間に、玄関の戸が急に開いたという。みな口々に男の子は卒業式に出かけたのだろうと言った……。

 こうした霊体験は決して珍しいことではない。親しい人が、突然この世からいなくなったとき、人々は霊と再会し、死んだものもまたこの世に現れるのだ。

 霊との遭遇は身近な人にだけ起こるともかぎらない。大震災の被災地を離れても、交通事故現場に立つ幽霊を見ることは不自然なことではないし、死んだはずのものがタクシーに手を上げ、ドライバーが乗せてしまうこともあるにちがいない。

 “個別的”な霊体験は、この瞬間にも各地で起こっている。不謹慎に聞こえるかもしれないが東日本大震災では、その数が“圧倒的”だったという違いだけなのである。

「私は死んだのですか?」東北被災地で幽霊が出現した意味
〔PHOTO〕gettyimages
新たな“妖怪伝承”は生まれるか
 被災地における霊魂譚のなかには、個人の霊と遭遇したというのではない体験も記録されている。

 その男性は津波被災地の周囲に住む人で、震災から10日ほど経ってから現場を訪ね、死霊に憑かれてしまったようである。

 男性は、アイスクリームを食べながら、クルマに「災害援助」という嘘の貼り紙をして被災地を歩いた。

 するとその夜にうなされ、家族に向って「死ね、死ね、みんな死んで消えてしまえ」「みんな死んだんだよ。だから死ね!」と叫び、何日も暴れ回ったという。

 その苦悩を聞いた宗教家は、死者に対する畏敬の念をもたず、興味本位で被災地を訪ねたためであろうと言った。

 震災以降に私が、被災地から伝わる話として興味を持ち続けているのは、幽霊体験ではなく、妖怪が発生したという事例である。

 『災害と妖怪』(2012年・亜紀書房)という本のなかで、私は河童や天狗、ザシワラシといった妖怪は、災害や戦争による「亡霊」とともに、生き残った人々のうしろめたさの感情、「生霊」が形をとり、伝承されてきたものではないかという仮説を立てた。

 死霊に憑かられた男性の話は、ひとりひとりが分散した「個別霊」ではなく、無数の霊が結びついた「集合霊」だったといえるだろう。

 しかし「妖怪」が誕生したという話はまだ聞こえてこない。社会や民俗が近代化してしまうと、妖怪は新たに生み出されてこないのだろうか。

 被災地ではいまだ死者も生者も分断され、孤独にさいなまれている。

 「個別霊」が集まり、「生霊」とも結びついたとき、被災地の精神的な復興が、少しでも果たされるのではないかと私は思うのだ。




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10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか

2018年03月10日 | 政治社会問題
10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか
3/10(土) 13:00配信 現代ビジネス
10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか
写真:現代ビジネス
 頻発する空襲を経てもなお「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」と言い続けた日本政府(前回記事を参照)。この方針は、一挙に大規模となった東京大空襲の被害を目の当たりにしても、変更されなかった。

 一度始まった政府方針は、簡単には修正されない。それでも、当時の政府方針に立ち向かおうとした議員がいた。その渾身の言葉に耳を傾けて、いま私たちはどう生きるべきか考える糧にしたい。

10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか
写真:現代ビジネス
10万人が死亡しても「空襲を恐れるな」
 1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下した。「東京大空襲」である。

 現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む広範囲が焼け野原となった。一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼった。

 この大惨事を受けて、さすがの日本政府も「逃げずに火を消せ」の方針を変更するかと思いきや、そうならなかった。空襲の直後、西尾壽造・東京都長官(現在の知事にあたる)と坂信弥・警視総監も、都民にむけた告諭で次のように呼びかけた。

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【東京都長官と警視総監の連名による告諭】
・罹災者の救護には万全を期している。
・都民は空襲を恐れることなく、ますます一致団結して奮って皇都庇護の大任を全うせよ。
----------

 「恐れるな」など無理な話だ。しかし、空襲による悲惨な被害実態はラジオや新聞で報道されず、「被害は僅少」という大本営発表が報じられたので、それを信じる国民も多かったはずである。

 さらに、この日の午後7時20分、小磯國昭首相はラジオ演説で次のように国民へ呼びかけた。

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【小磯首相のラジオ演説】
・敵は、今後ますます空襲を激化してくると考えます。敢然として空襲に耐えることこそ勝利の近道であります。
・断じて一時の不幸に屈することなく、国民が征戦目的の達成に邁進することを切望する。
----------

 家族と自宅を失って慟哭する国民に対し、「空襲に耐えろ」「一時の不幸に屈するな」と呼びかけている。これ以上どうやって耐えればよいのか、その方策は示されていない。

 2日後には名古屋、その翌日には大阪が大空襲の被害を受けた。いずれも約280機の爆撃機が襲来して猛烈な被害を生じた。

 3月15日付の読売報知には、陸軍当局が示した大空襲の教訓として「やはり初期防火の徹底である」という勇ましい呼びかけを掲載。同日の朝日新聞は、「初期防火と延焼防止 最後まで頑張れ 焼夷攻撃に怯まず敢闘」と一面に掲載した。



夜間大空襲の明朝に、内務省が発した命令は
 空襲の夜が明けて、東京に広大な焼け野原が広がった。この光景をみて直ちに、防空対策を担当する内務省が発した命令がある。

 残念ながら、「避難せよ、身を守れ」という布告ではなく、科学的見地から「このように消火せよ」という指示でもない。空襲予告ビラを所持するなという命令であった。

 空襲予告ビラとは、全国各地で上空から米軍機が散布したものである。時期により内容が異なり、1945年7月に散布されたものは、このように攻撃対象都市を列挙していた。

 なお、ここに書かれた12都市は、1945年7月から8月にかけて予告通りに空襲を受けている(高岡市の空襲被災地域は現在は射水市内となっている)。

 予告ビラが初めて散布されたのは、東京大空襲の1ヵ月前、1945年2月17日であった。関東から東海地方までの広範囲で、落ちたビラを恐る恐る拾ったという体験談が多く残っている。

 この空襲予告を国民が真に受けると、不安や動揺が広がり、都市から大勢が逃げ出す事態が起きたり、政府批判・戦争批判の世論が高まりかねない。

 そこで、憲兵司令部は火消しに走った。

 「(ビラは)荒唐無稽だ」「敵の宣伝を流布してはならない」「発見したら直ちに憲兵隊や警察に届け出よ。一枚たりとも国土に存在させぬように」と発表し、それが新聞各紙にも掲載された。

 ところが1ヵ月後の東京大空襲では、空襲予告ビラに書かれたとおり甚大な被害が出た。今後も空襲予告ビラの散布は繰り返されるだろう。政府としては「次はこの街が攻撃される」という動揺が広がるのを何としても避けたい。

 そこで、東京大空襲の日に、「敵のビラを届け出ずに所持した者は最大で懲役2ヵ月に処する」という命令を定めてしまった(内務省令「敵の文書、図書等の届出等に関する件」)。

 避難施設や消火機材の整備は遅々として進まないのに、こうした国民統制は迅速に進むのである。

 本来は、空襲予告ビラが撒かれたら、それを隠すのではなく、むしろ周知して「この街から逃げてください」と知らせるべきではないか。そうすれば多数の生命が助けられたのではないか。悔やまれてならない。


焦土に立つ議事堂で「逃げろと言っていただきたい」
 東京大空襲の翌日(3月11日)、午前10時9分から貴族院本会議、午後3時9分からは衆議院本会議が始まった。議事堂の周囲は、1月27日の銀座空襲と前日の東京大空襲により焦土と化していた。

 貴族院では小磯首相が演説した。空襲で傷ついた国民にムチを打つように、「職場に、防衛に、輸送に、国民ことごとく戦列につき、断じて我が国体と我が国土とを護り抜かんこと」を要望した。

 各議員からの質問は、国際情勢や本土決戦をめぐり政府を礼賛する内容が多かったが、最後に登壇した大河内輝耕(おおこうち・きこう)の質問は様相が違った。次のように政府の空襲対策を批判したのである。

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政府のやることが全て後手に回っている。例えば防空の問題。疎開の必要性を我々は主張していたが政府は一向に聞かない。それどころか「疎開する者は非国民だ」とまで言いだした。ぐずぐずしているうちに、昨日の被害、死傷者が出た。
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 学童以外の疎開を制限してきた政府方針を真っ向から批判する。空襲の翌日、焼け跡の異臭が漂うなかで、1人の人間として政府の方針を批判せずにはいられなかったのであろう。

 大河内議員は、3月14日にも貴族院本会議で登壇した。大達茂雄内務大臣が3月10日の東京大空襲の被害状況を淡々と報告したのに対し、「簡単に質問をいたします」と立ち上がり、次のように迫った。

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私の質問は、「人貴きか、物貴きか」と、こういう質問なんであります。
防空施設を整えるという話もあるが、私はこうなっては間に合わないと思う。大都会が焦土化するのは時間の問題だと思います。次は東京が全部やられるかも知れない。その場合に、人を助けるか物を助けるか、どっちを助けるかを伺いたい。
私は、人を助ける方がよいと思う。
消防などは二の次でよいから、身をもって逃げるということが一番よいと思う。
内務大臣から隣組長などに、「火は消さなくてもよいから逃げろ」と言っていただきたい。
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 避難を禁止して消火義務を負わせる防空体制を根本から否定している。この大河内議員は、東条英機首相による選挙干渉を議会で批判するなど、時流に流されない立ち位置を維持してきた稀有な議員であった。

 これに対し、内務大臣は「焼夷弾に対して市民が果敢に健闘いたしております」「初めから逃げてしまうということは、これはどうかと思うのであります」と答弁。

 東京大空襲の惨状をみても、国民を守るための軌道修正をしようという姿勢は皆無であった。


たとえ自衛戦争だったとしても
 それから敗戦までの5ヵ月間、全国の地方都市も空襲を受けていくが、政府は「逃げずに火を消せ」という防空法による方針を変更しなかった。

 広島・長崎の惨事をみた後には「原子爆弾には初期消火をせよ」という指示まで発していた(過去記事を参照)。

 日本が「我が国の権益を守るための自衛戦争だ」という名目で始めた戦争だったが、最終的には、国民が命を捨てて国を守るよう命じられた。

 たとえ自衛戦争だったとしても、国民を守るのではなく、国民が犠牲となって国家を守るという意味での「自衛」だったように思う。

 こうした過去の事実は、現代の私たちにも示唆を与える。

 憲法改正や自衛権行使のあり方が問い直されているが、もし将来、国家の自衛のために国民が愛国心をもって「国を守る義務」を負わされるとすれば、それは過去の歴史の繰り返しになってしまう。

 自民党が2012年4月に発表した憲法改正案は、国民は誇りと気概をもって自ら国を守るものだと明記している。それが道徳となり空気となることが恐ろしい。

 かつて日本政府は「戦争には必ず勝てる」「空襲の被害は軽微だ」という嘘を重ねた。それが国民総動員の原動力となった。

 今の政府は、同じような過ちを繰り返さないだろうか。

 ニュースをみれば、資料の廃棄(南スーダン自衛隊派遣、加計学園問題)や、不適切な比較資料(裁量労働問題)など、不都合な事実を隠蔽しているのではないかと疑わしい事態が繰り返されている。

 こうした体質の政府が「非常事態だから自衛のため武力行使をする」というとき、国民に向けて正しい情報と判断材料を提供するだろうか。もし疑問をもっても、特定秘密保護法が壁となって事実を知ったり知らせたりすることは困難なのではないか。

 あらためて、戦争は国民に何をもたらすのか。政府は国民を守るのか。過去の事実から学ぶべきことは多いように思える。

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前回記事はこちら:焼夷弾は手掴み、空襲は大丈夫…国民は「東京大空襲」をどう迎えたか http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54545
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拙著『逃げるな、火を消せ! ―― 戦時下 トンデモ 防空法』には、戦時中の写真・ポスター・図版を200点以上掲載している。本稿で触れた帝国議会での審理や、当時の新聞記事も豊富に掲載している。敗戦へ向かう社会の空気を感じ取っていただければ幸いである。
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eul********* | 24分前
国民も政権に騙されないよう賢くなければいけない。しかし滅私奉公、皇国史観の教育を植え付けられた当時の日本人にとって国に異を唱えることは、同調圧力に弱い現代の日本人と比較してもさらに難しいことだったろう。現代の日本に再び教育勅語など戦前、戦中の教育を持ち込もうとしている安倍晋三以下、日本会議の面々はこの教育の重要性(有効性)をよく理解している。そしてそれこそが森友学園問題の本質に他ならない。このコラムに書かれていることは決して過去の話ではない。


ame***** | 56分前
原爆の試験的投下、無差別の空襲による大量虐殺、これらは明らかに戦争犯罪だと思いますが、何故追求の声が聞こえないんでしょうか?
日本も他国で酷いことをやったという後ろめたさがあるんでしょうか。


hir***** | 1時間前
現代まで続くファシズム

口では個性を尊重するというが、少しはみ出すとすぐに異端児扱い

人材が育たない国

北と本質は変わらない


ProArgi9Plus | 1時間前
戦争末期に沖縄人を玉砕に追い込んだのと同じ。
また明治の初めにアイヌを叩いたのとも同じ理由。
縄文人の血を引き継ぐ日本人を皆殺しにするためだ。
それが明治維新で個性機制度までつくった超線陣のしていること。
豊洲いちばも東京にいる日本人を殲滅する最終段階に入ったってことだろ。


gon***** | 2時間前
10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、朝日新聞が何と言ったかご存知ですか?
「一億総特攻」「鬼畜米英殲滅」

朝日は今ではそんなことを隠し、捏造慰安婦報道で日本人を陥れ、反日左翼記事ばかり。
「人間は自分の利益のためには豹変する」典型的な見本です。


ai1***** | 2時間前
ウソの代名詞の大本営発表もそうだが、政府マスコミも虚言はったりのウソばかり。
先日国連から報道の自由がないと勧告されたらしいが、この国はまた過去に戻りかねない。

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ヌルッとKANSAI | 2時間前
この空襲を発案・指揮したカーチス・ルメイは
戦後自衛隊の近代化に貢献したとかで日本政府が勲章を贈ったとか。
どこまでお人好しなんだか。

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終末の戦士 | 2時間前
そのまま原発事故と重なりますね。「落ち着いて行動してください」、「放射能は怖くない」…挙句の果てには、「食べて応援」や「早期に故郷へ帰っていただく」と。
世界最悪のフクシマ原発事故を起こした今、もはや戦時体制の様なイカレた政権の暴挙で溢れかえりました。

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戦争のきっかけは子どもの落書きだった 死者50万人超のシリア内戦8年目に

2018年03月10日 | 政治社会問題
戦争のきっかけは子どもの落書きだった 死者50万人超のシリア内戦8年目に
3/10(土) 11:03配信 BuzzFeed Japan
落書きが戦争に
中東のシリアで続く激しい内戦。人口2000万人余の国で、これまでに50万人以上が命を落とし、500万人以上が国を逃れて難民となり、さらに600万人以上が国内避難民となった。世界を揺るがす戦争のきっかけとなったのは、子どもの落書きだった。【BuzzFeed News / 貫洞欣寛】

【写真】戦場で眠る日々。シリアの日常

戦争のきっかけは子どもの落書きだった 死者50万人超のシリア内戦8年目に
2011年2月1日、ムバラク大統領の辞任を求め、エジプトの首都カイロ中心部を埋め尽くした群衆
「アラブの春」興奮の余波
2011年2月、中東と世界全体は異様な雰囲気に包まれていた。

この年の1月、チュニジアで大規模な反政権デモが起きて、23年に渡り独裁を続けたベンアリ大統領が亡命した。それは中東で最大の人口を誇る地域大国エジプトに飛び火。大規模なデモが続き、2月11日に30年にわたる独裁を続けたムバラク大統領も辞任したのだ。
長期独裁にあえぐ国が多い中東で、「アラブの春」と呼ばれる民主化運動に火がついた。アルジャジーラなどの衛星ニュース局が各地のデモや「革命」を競って報じ、様々な国で繰り返された「体制打倒」などの言葉が流行語となった。

独裁政権が相次いで倒れるなか、多くの人々の目はシリアに向けられていた。シリアもバシャール・アサド大統領と、父親で先代の故・ハーフェズ・アサド大統領親子による支配が約40年に渡り続く独裁国家だったからだ。
こんな状況のなか、シリア南部のヨルダンとの国境に近いダラアという街で2月16日、14歳前後の少年たちが、赤いスプレー缶で学校の壁に落書きしたのだ。「次はあんたの番だ、ドクター」と。

「次はあんたの番だ、ドクター」
「ドクター」とは、父ハーフェズに後継者として指名されるまでロンドンで眼科医として修業を積んでいた現大統領バシャール・アサドのことと読める。

子どもたちには、「アサド政権打倒」を本気に訴えようというほどの政治的な動機はなかったようだ。スプレー缶を手に落書きしたナイフ・アバジードは「まだ子どもだったから、自分が何をしているか理解していなかった。あとで逮捕されて、初めて深刻さを知った」とカナダの新聞に語った。

一緒にいたムアーウイヤ・シヤスネは英紙テレグラフに「ジョークのようなものだった。シリアで反政府運動が起きるなんて想像もしていなかった」。一方で「抑圧と拷問にうんざりして、怒りでいっぱいだった」と語った。

いずれにせよ、多くの国では「子どものいたずら」で済まされる話だろう。

しかし、アサド政権が国中に監視網を張り巡らせて国民の言動を監視していたシリアでは、そうはいかなかった。

シリアは1946年にフランスから独立した。この地域は古代から続く豊かな文化を誇るが、国家としての歴史は日本の戦後よりも短い。今の国境線が生まれたのは第1次大戦後にオスマン帝国を欧州列強が解体した結果であり、一種の「人工国家」といえる。

アラブ人だけなくクルド人やアルメニア人なども暮らす多民族国家であり、宗教も国民の7割を占めるイスラム教スンニ派のほか、アサド一族が属する人口の1割程度の少数派であるアラウィ派、ドルーズ派などがある。キリスト教もシリア正教会、マロン派教会など多岐にわたる。さらに部族が存在する。

国民に「シリア人」という一体感は薄く、独立後は政変も繰り返された。1970年にクーデターで実権を握った空軍出身のハーフェズ・アサドが統治のため採ったのが、軍と治安機関を中心とする中央集権独裁だった。

政権に刃向かうものへの処断は容赦なかった。
世俗主義と社会主義を掲げていたシリアで、イスラムに基づく統治を求めるイスラム教スンニ派の政治組織ムスリム同胞団が1982年、ハマという都市で蜂起した際は、軍が市街地を包囲し、そこに暮らす市民もろとも攻撃。数千とも数万ともいわれる死者を出して武力で鎮圧した。正確な死者数は今も明らかではない。

それから約30年後、ダラアでの落書きに対してバシャールの政権は父親時代と変わらない苛烈さを見せた。少年らを相次いで連行し、投獄したのだ。

少年への拷問に市民の怒り
家族は治安当局の幹部に子どもたちの釈放を求めた。だが当局側は「あんな子どものことは忘れろ。子どもがほしければ新たに作れ。子作りのやり方を知らないなら、おれたちが教えてやる」と取り合わなかったという。

連行から1ヶ月近く経った3月18日、イスラム教では礼拝日のため休日となる金曜日だった。ダラアでこの日、少年らの釈放を求め、治安当局の横暴を糾弾するデモが始まった。釈放だけでなく「自由」「民主主義」などを訴える人も相次いだ。いずれも当時、エジプトやチュニジアなど各地で叫ばれていたスローガンだった。シリアでも反政権デモが本格化したのだ。
これに対する政権側の回答は、治安部隊の投入、そして発砲だった。

翌日もデモは繰り返された。
政権側も一時は妥協姿勢を見せ、少年らを釈放した。ダラアに代表団も送った。

だが、釈放は新たな怒りを呼んだ。
少年らは激しい拷問で傷だらけだった。

獄中で電線でむちうたれ、電気ショックに掛けられ、さらに天井から吊された。落書きの現場で一緒にいた子の名をあげるよう要求され、最終的にその場に実際にはいなかった子を含む23人が逮捕され、拷問された。

この映像がネットで出回り、ダラア、そしてシリア内外でアサド政権への強い反発を巻き起こした。少年たちは地元で「英雄」として迎えられた。首都ダマスカスなど複数の都市で、ダラアに対する連帯の表明や政治改革の要求などを掲げたデモが相次ぐようになった。


戦争のきっかけは子どもの落書きだった 死者50万人超のシリア内戦8年目に
3/10(土) 11:03配信 BuzzFeed Japan
戦争のきっかけは子どもの落書きだった 死者50万人超のシリア内戦8年目に
議会で演説するアサド大統領
「デモは陰謀」
アサド大統領は3月末、議会で演説した。この演説で、大統領が民主化に向けた動きを見せることを期待した国民もいた。

だが大統領は、各地で起きるデモを「国外からの陰謀」と位置づけ、「妥協の道はない。シリア人は平和を愛するが、国益と大義を護るためには戦うことを躊躇しない」と述べ、デモを徹底的に弾圧する考えを示したのだ。アサド政権は、チュニジアとエジプトの状況を分析し、妥協は政権の崩壊につながると考えたようだ。
「陰謀の手先」とされた市民デモの参加者らは、もはや「改革」ではなく「アサド退陣」を公然と求めるようになった。政権側は妥協せず、弾圧による市民の死者が相次いた。ダラアには戦車隊が投入された。

一方、市民への発砲命令に反発して軍から離反する人々も出始めた。7月には離反した兵士らが、反体制派の武装組織「自由シリア軍」を結成。政権側に武力で対抗し始めた。

戦争のきっかけは子どもの落書きだった 死者50万人超のシリア内戦8年目に
2011年8月18日、アサド政権への経済制裁を発表し、アサド大統領に退陣を求めるクリントン米国務長官
列強の介入
米国や欧州連合などは、アサド大統領に対して公然と退陣を求めた。反米色の強いアサド政権を倒す好機とうつったのだ。トルコやペルシャ湾岸の産油国も、こうした反体制派への支援を直接、間接に行った。こうした各国の干渉により、シリアに武器と資金が持ち込まれるようになった。
とはいえ、その受け皿となるシリアの反体制派はバラバラだった。

平和的な民主化や近代化を訴える学生グループから、自由シリア軍、イスラム法による統治を求めるムスリム同胞団、さらに過激なイスラム過激派もいる。混乱を突いて周辺諸国や欧米などから入り込んだ戦闘員が主力の過激派「イスラム国(IS)」は一時、シリアとイラクを広範囲に占領し、世界的な問題となった。
また、人口の1割を占め差別されてきたクルド人の関心は、シリアの民主化よりむしろ、クルド人の自治確立だった。

戦争のきっかけは子どもの落書きだった 死者50万人超のシリア内戦8年目に
2017年12月17日、シリアを訪問し、シリアに作られたロシア軍の基地でアサド大統領(右)との協議に臨むプーチン大統領
ロシアの参戦
反体制派は互いに反目や対立、武力衝突まで繰り返し、まとまりはなかった。単独でアサド政権を軍事的に倒す能力はなかった。

政治面でも、アサドに代わるリーダー候補は見当たらなかった。仮にシリアで完全に自由な選挙が行なわれたとしても、アサドに対抗して立候補し当選する可能性がある人物が出ることを想像するのは、現状では難しい。

その背景には、長年の独裁下、民主主義などに関する教育が行われず国民の政治意識が抑圧されていたうえ、少しでも政治的な動きを見せればすぐに拘束されたり、逆に知識人がシリアを見限って国を出て行ったりすることが続き、政権側が自らを脅かす可能性のある芽を徹底的に摘んでいた、という経緯もある。

一方、アサド政権を助太刀したのは、ロシアとイランだった。

ロシアはシリアと長い友好関係があり、シリアの地中海岸にはロシア国外で唯一の海軍施設を持っていたし、「民主化」を旗頭に権威主義体制が倒され、その陰に陽に西側の影が見える中東の情勢は、同様に権威主義的な統治を続けるロシアにとっては脅威でもあった。

イランは対イスラエル戦略などでシリアと共闘関係にあり、アサド政権を失うと中東政策に穴が空く。ロシアとイランはアサド政権軍とともに戦闘に加わった。

そして戦争は、今も続いている。


「どうして東グータから逃げないのかと訪ねる人たちへ。想像してほしい。マンチェスターやベルリン、NYなどに住んでいるとして、そこにロシア大統領のプーチンが自分の街と家から出なければ1日100回以上空爆し、地元を侵攻しようとする陸軍を支援すると言ったら、どうする? 自分の家に暮らす自分の権利を守ろうとするか、それとも臆病者として逃げるか。もし逃げようとしても、全く逃げる道はない。奴らは嘘つきだ」ーアサド政権軍に攻撃が続く、ダマスカス近郊東グータ地区のドゥーマから報告を続けるジャーナリスト、フィラス・アブドッラーのフェースブックより

落書きで捕まった一人、ムアーウィヤ・シヤスネは大学に行ってビジネスを学びたかったが、内戦となりその夢は失われた。

16歳だった2013年夏、政府軍による砲撃で自宅を破壊され、設計技師だった父親を亡くした。この怒りから政権に対して銃を取ることを決め、自由シリア軍に入った。17歳で初めて「敵」を射殺した。地元に残り、自由シリア軍から受け取る低い給与で母や3人のきょうだいとなんとか暮らしているという。

2017年3月、ダラアで戦闘員として政府軍と戦っている姿が、衛星テレビ局アルジャジーラで紹介された。
ナイフ・アバジードは2012年、隣国ヨルダンに徒歩で逃げた。家の前で政権軍が検問を作り、捕まりそうになったのだ。2年後に戻ったが、政権軍の雨あられのような砲撃や空爆の中での生活を余儀なくされ、今度は欧州に向けて旅立った。多くの難民とともに厳しい道のりを経て、オーストリア・ウイーンにたどり着いた。

そのオーストリアでは2017年秋、難民・移民の厳格化を掲げる新政権が発足した。シリアなどからの難民の波が社会問題となっているからだ。

しかし、シリアで戦争が終わらない限り、シリア難民問題も解決することはない。

(敬称・呼称略)

Yoshihiro Kando
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《ブラジル》ギャング同士の抗争で、女性3人惨殺=男5人が拷問後に殺害、斬首

2018年03月10日 | 事件
《ブラジル》ギャング同士の抗争で、女性3人惨殺=男5人が拷問後に殺害、斬首
3/10(土) 8:35配信 ニッケイ新聞
 ブラジル北東部のセアラー州で3日、若い女性3人が誘拐され、拷問を受けた後に殺され、首をはねられるという事件が起きた。

 同州州都のフォルタレーザ市に隣接するカウカイア市在住の女性3人が、犯罪組織のメンバーと思しき男性5人によって連れ去られたのは3日の事だ。

 男達は、女性3人をセアラー川の河口に近いマングローブの林に連れ込み、拷問を加えた上、銃や刃物で殺害、首をはねた。拷問の様子や、銃を突きつけて「組織を抜ける」と告白させた様子、「殺さないで」と叫ぶ女性の頭に銃弾を浴びせる様子などを録画した犯人達は、その日の内に映像をインターネット上に掲載した。

 犯人達がマングローブの林の中に穴を掘って遺体を隠したため、遺体の捜索は困難を極めたが、警察は6日に容疑者3人を逮捕、未成年者1人の身柄も拘束した。

 逮捕された容疑者2人を同行させた捜索によって、3人の遺体が見つかったのは9日。マングローブの林の中で泥に覆われていた上、ウジ虫がわいた遺体は、かなり腐敗が進んでいたが、警察は消防の助けも借りて遺体を回収し、法医学研究所に持ち込んだ。9日朝の時点では、身元が判明している犠牲者は1人だけだ。
 警察は、逮捕した容疑者らの供述やビデオの映像などから5人目の容疑者も特定したが、9日午後4時現在も、逮捕には至っていない。
 警察は、フォルタレーザ市内で勢力争いを繰り返している犯罪組織の一つが、ライバル組織に属する女性達を誘拐して起こした犯行と見て、さらに捜査を進めている。
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「寝たきりはイヤ」ドクターG・林寛之医師が実父のためにしたこととは

2018年03月10日 | 政治社会問題
「寝たきりはイヤ」ドクターG・林寛之医師が実父のためにしたこととは〈dot.〉
3/10(土) 7:00配信 AERA dot.
「寝たきりはイヤ」ドクターG・林寛之医師が実父のためにしたこととは〈dot.〉
林寛之医師(福井大学医学部附属病院救急科・総合診療部教授)
 命を救うのが医師の仕事である一方で、「命の終わり」を提示するのも医師の務め――。救急や外科手術、がんやホスピスなど死に直面することが避けられない現場で日々診療を行っている医師20人に、医療ジャーナリストの梶葉子がインタビューした『医者の死生観 名医が語る「いのち」の終わり』(朝日新聞出版)。その中から、NHK人気医療番組「総合診療医 ドクターG」でも知られる、福井大学医学部附属病院救急科・総合診療部教授の林寛之医師を紹介する。

*  *  *
 救急をやっていて一番つらいのは、子どもや働き盛りの人が亡くなった時。人間、死ぬのは1回だけです。医者は常に人が死ぬのを見てますが、その人が死ぬのは1回だけだし、家族にとっても1回だけですね。そういう時のグリーフィングケア、会話の仕方などには訓練が必要です。訓練によって、ある程度はできるようになります。

 患者さんが亡くなった時には、簡潔に死亡したということを伝えます。ご家族は泣かれますが、その間は矢継ぎ早に説明したりせず、一緒にじっと時間を共有し悲しみを十分に吐瀉してもらう。少し落ち着いたところで、経過など事務的な説明をします。そしてその後、元気だった頃の話を聞くんです。亡くなった人を思い起こし、その人について話す機会を与える。

 ご家族の中には、医療ミスじゃないのかとか、ガッと怒りをぶつける人がいますが、これは目の前に受け入れられない現実がある時の「否認(ディナイアル)」という正常な反応です。医者がそれをまともに受けてケンカをしてはダメで、「つらいですね……」ってひとこと言えばいいんです。

■元気なうちに、最期を迎える時の意思を確認しておく

 ただ、実は今はもう「救急医療イコール老年医療」になってきています。

 例えば、98歳の高齢者が救急搬送されて来る。誤嚥性肺炎で6回目の救急搬送、そのたびに入院して持ち直していたけど、今回はもう瞳孔が開いて、救急隊が心マッサージをしている。

 そういう時、よく若い先生方が「人工呼吸器につなぐか、強心剤を使うか、どこまでやるのか、ご家族が決めてください、もう時間がありません! どうしますか!」って言うんです。そうすると家族は焦って、「ぜ、全力でお願いします!」となる(笑)。

 それでまた心臓が動き始めてしまって、ICUに入って1泊50万円も100万円もする治療を2、3日続けて、結局亡くなるんです。その200万~300万円の医療費は税金で払う。どうしてこんな、無駄な医療をするんでしょうか。

 こういう場合には、「蘇生しても植物状態で人工呼吸器につながれ、施設に入るか、家に連れて帰ってご家族が面倒を見なければならないのですよ」という説明の仕方をすると「いや、うちのオヤジはもう十分生きたから結構です」と言う人が多いですね。

 また一番大事なのは、「ご家族の方が決めてください」ではなくて、「ご本人が元気だった時、どんな最期を迎えたいと言ってましたか」と聞くことです。寝たきりは絶対にイヤだと言ってました、そうですか、ではご本人の意見を尊重しましょうか、と。

 家族としては、「蘇生をしないでくれ」というと自分の責任で親が死んだように思うので、かなり過大な負担になるんです。それが分からずに、あなたが決めてください、と言っている医者は多いですね、まだ(トホホ……)。

 死に方のパターンは四つ。わずか7%しかないピンピンコロリ。比較的ピンピンしていてバタバタッと悪くなるがん。COPD(慢性閉塞性肺疾患)や心不全などは、良くなったり悪くなったり上下しながら弱っていく。そして、認知症の老衰は低空飛行ですね。死にそうで死なない。危なくなれば救急車で病院に来るから、また持ち直す。年齢や今までの経過を見ればいつ死んでもおかしくないのに持ち直すものだから、周りはヨーダみたいに900歳まで生きると思ってますよ。主治医に覚悟するように言われたのはもう2年も前だし、ずっと生き延びると思ってました、って(笑)。

いずれにしても本人が元気なうちに、主治医が最期を迎える時の意思をきちんと確認しておかないとダメなんです。そういう意味では医者の教育は非常に大事です。

 今はPOLST(Physician Orders for Life-Sustaining Treatment:生命維持治療に関する医師指示書)というものがあるので、それを作っておくべきだと思いますね。POLSTは医者の処方箋と同じです。蘇生してはダメと指示されていれば、してはいけない。リビングウィルを持っている人がいますが、あれはあくまでも患者さんの主張にすぎないので、医者はそれを無視して治療をしても構わないんです。

■そんなに簡単に親の最期を決められるわけがない

 高齢者医療を真面目に考えなければいけない、と思ったのは、父の死を経験してからです。父は「寝たきりは絶対にイヤじゃ」と言ってたんですが、誤嚥性肺炎を繰り返して入院し、寝たきりになってしまった。

 入院当初はさんざん家に帰りたいと言ってましたが、1カ月もすると何も言わなくなった。目が死んでるんです。

 オムツや色々な臭いもして、あの威厳のあったオヤジが、流木のような姿でそこにいる。父親としてそんな姿を息子に見られるのは嫌だろうな、申し訳ないな、と思って。それに、胃ろうや静脈栄養をするような生かし方はしたくない。結局、主治医や在宅をやっている仲間と相談して、家に連れ帰ることにしました。

 家でオヤジを、いつもの部屋のいつものベッドに寝かせたら、突然動き始めたんです。グー、グーって。OKサインですよ。どれだけ家に帰りたかったんだか。3カ月も入院させてしまった罪悪感を、ものすごく感じましたね。

 家では点滴なし、水分は口を少し湿らせるだけ。最初の2日間は多少意識が戻って、全然喋れないはずなのにお袋と意思疎通した雰囲気があって。3日目から昏睡状態になり、5日目に僕が出張に出掛けようとして声を掛けたら、息をしていなかった。

 葬儀屋さんが、ご遺体が軽いですね、って言ったんです。それを聞いた時、ああ、オヤジ、いい死に方をしたな、と思いました。実は干からびて死ぬほうが自然で、つらくないんですよ。


 オヤジを家に連れて帰ることを決めた時は、自分が親の死を決めてるんじゃないかっていう、大きな不安というか葛藤がありましたね。それでも、絶対に寝たきりはイヤだとしつこく言っていたオヤジの望みは、かなえなきゃいけないだろうと。あのまま病院にいれば、あと半年くらいは生きたと思いますよ。1日に1本点滴するだけで、2~3カ月は生きますから。

 医療者でさえ、そういう不安や葛藤があるのだから、一般の人がそんなに簡単に親の最期を決められるわけがない。色々なプロセスが必要なんです。医者として、そのお手伝いをしてあげたいな、という気持ちがありますね。

■医者は生き方の終わり方を考える手助けもできなければ

 人間は100%必ず死ぬ動物です。人生には必ず、幕引きがある。本人と家族にとって、最も良い人生の幕引きの仕方はどうなのか。医者は患者を助けるだけでなく、「生き方の終わり方」を考える手助けもできなければいけないのではないか。医者も含めて国民の教育が必要です。その理解が広く進めば、多くの人が無駄に医療費をかけず、無駄な罪悪感にも苛まれずに死んでいけるのではないかと思いますね。

 僕自身は、年を取って身体が利かなくなったら施設に入る。家族の24時間介護は疲弊します。仕事でやる人たちは時間で交代ができるし、オムツ替えなども上手です。そのほうが安心して任せられる。そして、蘇生は絶対にしない。特に誤嚥性肺炎は、病気というより老衰からくる機能障害ですから、それで治療なんか一切しない。そのためにも、将来的にはPOLSTをきちんと作っておこうと思っています。

※『医者の死生観 名医が語る「いのち」の終わり』から



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あおられて頭にきた」逮捕の男供述 神奈川県の車発進

2018年03月10日 | 事件
「あおられて頭にきた」逮捕の男供述 神奈川県の車発進
3/10(土) 8:10配信 産経新聞
 神奈川県二宮町のコンビニエンスストア駐車場で今月、口論相手の男性に車のドア付近をつかまれたまま車を発進させて男性にけがを負わせたとして、傷害容疑で自称会社員の男(56)=同県大磯町国府新宿=が逮捕された事件で、男が事件直前に車を運転中、「後ろの車からあおられたので頭にきた」との趣旨の供述をしていることが9日、捜査関係者への取材で分かった。

 捜査関係者によると、事件直前、男は国道1号の右折車線で停車したが、後続車から「あおられた」と感じたため、窓から顔を出して後方に向けて何かを怒鳴っていたといい、後続者を運転していた男性会社員(56)=二宮町百合が丘=がそれに反応。その場で車を降りて男と口論になっていたという。

 その後、2人は近くのコンビニ駐車場に移動して再び口論となり、男が男性に車の運転席付近をつかまれたまま車を急発進させ、軽傷を負わせていた。

 捜査関係者らによると、周辺の防犯カメラ映像からは、後続車が特段、あおっているような様子は確認されていないという。
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「パワハラ内紛」伊調馨と栄監督が袂を分かった「決定的な出来事」

2018年03月09日 | 事件
「パワハラ内紛」伊調馨と栄監督が袂を分かった「決定的な出来事」
3/8(木) 12:10配信 現代ビジネス
「パワハラ内紛」伊調馨と栄監督が袂を分かった「決定的な出来事」
写真:現代ビジネス
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女子レスリング五輪4連覇の伊調馨選手に対する、栄和人監督による「パワハラ問題」。その発端は、男子レスリングに衝撃を受けた伊調の「変化」と「決心」にあった。伊調の過去の発言、揺れるレスリング協会の関係者らへの取材から騒動を読み解く。
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■留学後の一大決心

 「栄さんのパワハラについては、レスリング関係者ならみんな思うところがあるんじゃないですか。会長も専務理事も、栄さんに乗っかってしまったから、かばうんです。自分たちにも批判が及んでくるし、今の地位が危なくなりますから」(レスリング関係者)

 女子初のオリンピック4連覇を達成し、国民栄誉賞を受賞した伊調馨(ALSOK)。オリンピック金メダリスト6名を育て上げた栄和人(日本レスリング協会強化本部長、至学館大学レスリング部監督)。輝かしい師弟関係の対立に注目が集まっている。いったい何が起きていたのか。

 全国女子中学選手権3連覇を達成した“スーパー中学生”伊調を、栄が八戸の実家へ出向いてスカウトしたのが、二人の師弟関係のスタートだ。

 中京女子大学附属高校(現・至学館大学附属高校)に入学、栄のもとで練習に励んだ伊調は才能をさらに伸ばし、高校2年生になったばかりの2001年4月、世界選手権2連覇中の山本聖子を破り、クイーンズカップ優勝を飾った。

 「世界チャンピオンの坂本(現・小原)日登美先輩をはじめ、世界で活躍する選手たちといっしょに練習でき、スパーリングパートナーはいくらでもいる。練習は厳しく、監督が納得しなければ日付が変わっても終わらない」

 厳しくも充実した練習内容を妹から聞いた姉・千春は、東洋大学を辞めて中京女子大に再入学するほどだった。

 伊調馨と2学年上の吉田沙保里が同じ階級でつぶし合うことを避け、かつ、女子レスリングの採用が決まったアテネオリンピックに両者を出場させるため、身長が高く、手足も長い伊調の階級アップを決断したのも栄である。

 伊調は栄の指示に従い63キロ級に変更すると、翌年のジャパンクイーンズカップで優勝を果たす。そこから伊調馨の快進撃が始まった。

 2003年、ニューヨークで開催された世界選手権で連覇すると、本人曰く「イケイケでした!」と2004年アテネオリンピックで金メダルを獲得。惜しくも銀メダルに終わった姉・千春とともに「北京でリベンジ! ふたりいっしょに金メダル!」の大目標を掲げ、二人三脚で夢に向かった。

 2008年の北京オリンピックもアテネと同じく、妹・馨は金メダル、姉・千春は銀メダル。

 それでも、千春が「妹といっしょに輝かしいレスリングの道を歩んでこれたことを、私は誇りに思います。勝負が終わった後はメダルに色がついてしまいますが、私は自分のレスリング人生が最高だったと思っているので、このメダルは金色に輝いて見えます」と言えば、馨は「千春が笑顔で北京オリンピックの銀メダルをみんなに見せている姿を見て、よかったなと思いました。公約した『ふたりで金メダル』は果たせず悔しかったですけど、やっと終わったという感じでした」と語った。

 北京オリンピック後、東京で開催された世界選手権を欠場した伊調姉妹はカナダへ留学。英語を学ぶ一方で、週2~3回カルガリー大学の練習に参加した。

 そこで目にしたのが、世界選手権やワールドカップで戦ったことがあるライバルたちが、試合とはかけ離れたところで、生涯スポーツとしてレスリングを楽しむ姿だった。そして、子どもたちがレスリングを心の底から愛し、無邪気に楽しむ姿に、姉妹はかつでの自分の姿を見出す。

 帰国後、千春は地元・八戸で高校教員となったが、馨はある一大決心をした。

 ここが、今回の「パワハラ問題」の源流である。

■男子レスリングの衝撃

 伊調馨は大学卒業後も母校・中京女子大で練習を積み、北京オリンピックに挑んだが、カナダから帰国後、練習拠点を変更。東京で一人暮らしを始める。

 カナダでの経験から「好きで始めたレスリングなんだから、楽しまないともったいない。いつかはカナダで見たようなレスリングをしたい」と思いつつも、再び厳しい勝負の世界に戻ることを決めた伊調。名門・代々木クラブ/安倍学院、自衛隊体育学校、早稲田大学など、東京の各所で出稽古に勤しんだ。

 すると、1988年ソウルオリンピック金メダリストであり、当時の男子強化委員長だった佐藤満から馨の兄・寿行に「馨が東京で出稽古しているなら、こっちの合宿に連れて来いよ」と声がかかった。

 佐藤がアメリカ留学を経て、専修大学ヘッドコーチに就任したとき、キャプテンを務めていたのが寿行という間柄だった。

 兄に連れられ、男子の代表合宿に参加した伊調馨は衝撃を受けたという。

 「チビッコの頃から20年以上やってきたのに、レスリングの真髄を全く知らずにいました。それなのにオリンピックチャンピオンだなんて、もう恥ずかしくて」

 男子のコーチや選手たちと接する機会が多くなった伊調の目の前に、新しい世界が広がった。レスリングの奥深さを知ることができたのだ。

 「それまでは体が動くまま、本能だけでレスリングをやっていました。考えてレスリングをやったことなんてありません。でも、男子の合宿で私が生まれて初めて接したレスリングは全く違っていました。例えば、タックルひとつとってみても、なぜいま入ったのか、相手をどう崩して、どこにスペースをつくって入るのかとか、すべて言葉で、理論的に説明できるんです」

 その日から伊調は、「説明のできるレスリングを目指し、“勝利”よりも“技術”を追求する」ようになると同時に、再びレスリングが「楽しくなった」と語る。

 「日々、自分を改良していくのはとっても楽しいです。もっともっとレスリングが知りたくて、日々葛藤しています。でも、やればやるほどわからなくなる。それでも、諦めたら終了です」

 当時の伊調は、こんなことも漏らしている。

 「たとえコーチの話でも、自分にとって必要かどうか判断して、必要でなければ聞き流したりもします。私はたぶん、コーチ陣からしたら扱いやすい選手ではないと思います。何でも自分で決めてしまうので。だから、『こいつは素直じゃないな』と思われるときもあるでしょうが、素直に聞くこともあります。ポイントは自分を納得させてくれる何かがあるかどうか」

 ただ勝てばいいのではなく、理論的なレスリングへ。競技スタイルを変えた伊調が決意したのが、栄との決別だった。

 高校から北京オリンピックまで指導を受けた栄の元を去り、新たな師として選んだのが田南部力だ。

 田南部はアテネオリンピック・フリースタイル55キロ級で銅メダルを獲得。髙い技術力をもつ男子ナショナルチームコーチである。

 伊調の出稽古は田南部が所属する警視庁レスリングクラブが中心となった。

 「レスリングがもっとうまくなりたくて、もっと知りたくて、日々葛藤する」という伊調は、いつしか「レスリングを極めんとする孤高の求道者」「異次元の強さを追求する絶対女王」と呼ばれるようになっていった。


「協会は栄さんを守るでしょう」
 2012年ロンドンオリンピックでは全4試合1ピリオドも失わず、圧倒的な強さを見せつけ、日本女子初の3連覇を達成する。現地入りした翌日、本番4日前に靭帯を損傷し、痛み止めの注射とテーピングなしでは、まともに歩くことすらできなかったにも関わらずだ。

 ロンドンオリンピック後、去就が注目されるなか、伊調はあっさりと「現役続行」を宣言した。

 「いまレスリングがどんどん好きになってきています。やり残したこともいっぱい。アテネからロンドンまで8年間、あっという間だったから、リオも意外とすぐにくるんじゃないかな」

 オリンピックイヤーが終わる前に本格的に練習を再開させた伊調は、翌年から試合にも出場し、リオデジャネイロオリンピックまで突き進んだ。

 2014年11月にはずっと応援してくれてきた最愛の母が突然、亡くなるという不幸に見舞われた。

 「『どんな状況でも試合に出ろ! 出るからには勝て! 死んでも勝て! 』という母の遺言を守るとともに、自分のレスリングを追求していきます」

 リオへ向けて成田航空を出発する際には「平常心を持って、戦います」と誓ったが、いくら絶対女王と言えども、4連覇のプレッシャーは相当なものだったろう。

 第1試合から本来の動きができず、迎えた決勝戦では1-2とリードを許しながらも攻め込めず、時間だけが過ぎていった。それでも、伊調馨は最後の力を振り絞った。試合終了4秒前、タックルに入ってきた相手を「最後のチャンス」と思って攻め、バックを奪って2点奪取。3-2で劇的な勝利をあげ、4連覇の偉業を達成。世界中を感動させた。

 だが、そうした伊調の「レスリング道追求」、人類の金字塔ともいえる大活躍の裏で、北京オリンピック後から8年にわたり伊調を指導してきた田南部コーチが栄強化本部長(ロンドンオリンピックまでは女子強化委員長)からパワハラを受けていたとの告発がなされた。告発文の要旨はこうだ。

 「栄和人氏による圧力により、伊調馨選手は男子代表合宿への参加を止められ、練習拠点である警視庁レスリングクラブへの出入りを禁止された。そのため、伊調選手は練習ができない。田南部力コーチは『伊調をコーチするな』と栄氏から言われ、従わなかったために代表コーチ、協会理事、警視庁レスリングクラブコーチを外された。それらは公益財団法人日本レスリング協会の福田富昭会長、高田祐司専務理事も了承している」

 告発状が掲載された『週刊文春』が3月1日発売されたのを受け、伊調は同日、所属するALSOK広報を通して「報道されている中で、『告発状』については一切関わっておりません」とコメントする一方で、「しかるべき機関から正式に問い合わせがあった場合は、ご説明することも検討したいと思っています」とし、「それ以外、お伝えすることはございませんが、私、伊調馨はレスリングに携わる者として、レスリング競技の普及発展を常に考えております」と加えた。

 公益財団法人日本レスリング協会は3月6日、倫理委員会を開き、第三者による聞き取り調査を行うと発表したが、はたして真に公平な調査ができるのか。

 「協会は『週刊文春』が出た後、すぐに『パワハラ行為は一切ない』と全面否定しました。伊調、田南部から何も聞かないどころか、ろくに調べもせずに、直ちに否定。それって、協会は栄さんを守るという宣言でしょう。そんなところがまともに調査するんでしょうか。第三者と言っても、それを選ぶのは協会の倫理委員会ですからね。内閣府が直接調べて、JOCも積極的に関与しないとダメでしょう」(レスリング関係者)

 東京オリンピックまで2年。我々は伊調馨が晴れ晴れと5連覇を目指す姿が見たいだけなのだが――。

 (文中敬称略)

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「楽園」バリ島のプラスチックごみ問題、水中映像で浮き彫りに

2018年03月08日 | 旅行
「楽園」バリ島のプラスチックごみ問題、水中映像で浮き彫りに
3/8(木) 23:13配信 AFP=時事
「楽園」バリ島のプラスチックごみ問題、水中映像で浮き彫りに
インドネシア・バリ島のクタビーチで、重機でゴミを集める作業員(2017年12月19日撮影、資料写真)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】インドネシアのバリ(Bali)には、ヤシの木で彩られた景色や豊かな海洋生物目当てに何百万人もの観光客が訪れるが、その一方で澄み切った海の下には危うさが潜んでいる──それは膨大な量のプラスチックごみだ。

【写真特集】海の珍しい生き物

 英国人ダイバーのリッチ・ホーナー(Rich Horner)氏が今週撮影した水中映像には、バリ島そばの有名なダイビングスポットで、プラスチックなどのごみがあふれる海の様子が収められ、この「楽園」が抱える問題を如実に映し出した。

 ホーナー氏はフェイスブック(Facebook)に、バリ島から約40キロに位置するマンタポイント(Manta Point)で撮影した動画を投稿。この動画は既に100万回以上再生されている。

「海流は私たちに素晴らしい贈り物を届けてくれた。クラゲやプランクトン、葉や枝…ああ、それに幾つかのプラスチックもある」としていたホーナー氏だが、動画にはその後、ボトルやカップ、ストローを含むものすごい量のごみの中を泳ぐダイバーの姿が映り、「ポリ袋、さらにポリ袋、プラスチック、プラスチック、こんなにも多くのプラスチックがある!」と続けた。

 事態の深刻化を受けて、バリの当局者らは昨年、ジンバラン(Jimbaran)やクタ(Kuta)、スミニャック(Seminyak)といった人気のビーチを含む6キロにわたる沿岸一帯に「ごみ緊急事態」を宣言した。

 1万7000以上の島々から構成されるインドネシアは、中国に次ぐ世界第2位の海洋ごみ排出国で、毎年排出されるごみは129万トンという膨大な量に達すると推算されている。

 バリにあるウダヤナ大学(Udayana University)で環境海洋学を専門とするイ・ゲデ・ヘンドラワン(I Gede Hendrawan)氏は先にAFPの取材に対し、「マイクロプラスチック(微小なプラスチック粒子)は魚の汚染を招き得る。人間が食べれば、がんを含む健康問題を引き起こしかねない」と話していた。【翻訳編集】 AFPBB News
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2020年後に大不況が来る可能性が高まっている 「借金減らして、現金増やせ!」

2018年03月08日 | 政治社会問題


2020年後に大不況が来る可能性が高まっている 「借金減らして、現金増やせ!」
3/8(木) 12:02配信 マネーの達人
黒田日銀総裁の再任が決まったことで、デフレがまだまだ続きそうな状況になってきました。

今回の黒田総裁再任については、2年前の1月に発刊した「10年後破綻する人、幸福な人」(新潮新書)で、

「自民党総裁の任期は2期6年だが、安倍首相はこの上限を伸ばして3期総裁をやるだろう。ただ、デフレはずっと脱却できないから、そうなれば黒田総裁も任期を伸ばして続投することになるだろう」

と書きましたが、予想どうりの展開になりました。

2020年後に大不況が来る可能性が高まっている 「借金減らして、現金増やせ!」
オリンピック後、大不況の可能性が高まっている
オリンピック後、大不況の可能性が高まっている
困るのは、そうなるとデフレ脱却がますます困難になり、大不況が来る可能性が高まること。

オリンピックという巨大公共事業の終わりと、安倍首相、黒田総裁のダブル退任が重なると、成長戦略がない日本経済は、崖から転がり落ちるように一気に悪化することが予測されます。

この予想は当たって欲しくないですが、可能性は濃厚になってきました。

■黒田総裁が続けてきた金融緩和政策の副作用

実際に、黒田総裁が続けてきた金融緩和政策には、すでに大きな副作用が出ています。

特に、2年前に行ったマイナス金利政策は銀行の業績を悪化させ、3メガバンクにりそな、三井住友トラストを加えた5大銀行グループの昨年9月の中間決算は、業務純益ではすべてのグループがマイナスとなり、前年同期比でなんと3割減でした。

安倍政権下で、企業の内部留保は100兆円も増えて400兆円を超え(2016年度末)、企業はもう銀行からお金を借りる必要がなくなっています。

個人も給料が上がらないので、住宅ローンなどの新規借り入れが増えない。

それどころか、超低金利の中で高い金利のローンを低い金利に借り換えるので、銀行の利ざやは激減しています。

どんなに日銀が国債を買い上げた代金として現金を銀行に流しても、運用先がないので、そのお金は日銀の当座預金に預けられてしまう。

そこで、「これ以上日銀の当座預金にお金を預けたら、預かったお金の金利はマイナス0.1%にする」というマイナス金利政策を始めたのが2年前。

お金を預けると利息を取られるのですから、さすがにこれ以上預ける銀行はないだろうと思いきや、なんと今年3月1日現在の日銀の当座預金残高を見ると、2年前よりも100兆円も預け入れが増えているではありませんか。

銀行は、お金が運用できないので、損を覚悟で当座預金にお金を預けざるをえないところまで追い詰められているということです。


日銀は、「敗退」を「転戦」と言いくるめて突き進む。
銀行協会の統計では、都市銀行はマイナス金利導入以降、貸出金がほぼ対前年比でマイナスとなっています。

相続税アップなどで追い風を受けて堅調だった信託銀行も、半年前から急激に業績が下がっています。

つまり、今まで銀行の根幹だった「お金を貸して、そこから利益を得る」というビジネスモデルが、完全に壊れてしまったということです。

結果、儲け口を失った銀行は構造不況業種となり、これからリストラの嵐が吹き荒れます。

予定では、みずほ1万9,000人、三菱UFJは9,500人、三井住友は4,000人をリストラします。

ただ、それで業績が上向くかといえば、話は逆で、ますます泥沼に入っていきそうです。

■出口が見えないまま金融緩和が続く

黒田総裁は、出口が見えないままに金融緩和を続けるつもりで、負けるとわかっていても進むしかなかった太平洋戦争の時の日本軍のように、「敗退」を「転戦」と言いくるめて今の政策を続けていくでしょう。

日銀は、日本国債の4割を買い、日経225の4分の1の企業の筆頭株主になっています。

その日銀が、マーケットから撤退するといううわさがながれただけで大混乱になる可能性があります。

日銀も、撤退できない泥沼に追い込まれているということです。

「借金減らして、現金増やす!」
では、デフレが続き、その先に不況が待ち受けているとしたら、私たちはこれからどんな準備をしておくべきでしょうか。

何度も書いてきたことではありますが、いま銀行が生き残る道は2つ。

■銀行が生き残る道 (1)

1つは、カードローンのような利益率の高い個人融資の強化すること。

■銀行が生き残る道 (2)

もう1つは、皆さんの預貯金を投資に振り向けて、ノーリスクで儲かる手数料商売を強化すること。

ですから、「投資をしましょう」の大攻勢は、ますます強まるでしょう。

けれど、株価も乱高下し、先々の状況も見えない中では、安易な投資には走らないほうがいいでしょう。

今、家計がやっておかなくてはいけないことは、「借金減らして、現金増やす!」デフレは、まだまだ続きます。

そして、デフレの中の大鉄則は、借金を減らして身軽になり、現金を増やして強固な基盤を作ること。

実は、バブル崩壊から20年以上、これを徹底してきたのが日本の企業です。


できれば投資商品ではなく、なるべく現金でしっかり貯金する
不良債権の処理をして身軽になり、内部留保という貯金を山ほど持つことで、日本の企業の財務体質は飛躍的に改善しました。

いっぽう家計は、バブル崩壊後の景気浮揚のための国策である住宅ローン控除拡大や住宅金融公庫の大盤振る舞いで、多くの人が家を買い、負債を追っています。

また、給料があがらないのに社会保険料や税金、教育費の値上げなどで現金を減らしています。

だとしたら、まずはローンを、繰上げ返済などで少しでも軽くし、できれば投資商品ではなくなるべく現金でしっかり貯金していきましょう。

備えあれば、憂いなし。まだ間に合いますから、しっかり家計の立て直しを今から考えておきましょう。(執筆者:荻原 博子)


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貧困家庭の子供が成長してもお金を稼げない本当の理由

2018年03月08日 | 政治社会問題
貧困家庭の子供が成長してもお金を稼げない本当の理由
3/8(木) 6:00配信 ダイヤモンド・オンライン
貧困家庭の子供が成長してもお金を稼げない本当の理由
幼い頃から読書や音楽、美術などに親しむ環境に身を置いていれば、「文化資本」は自然と身に付く。そしてこの文化資本は、大人になってからの「金を稼ぐ能力」とも密接に結びついている
 『文化資本』とは金銭以外の個人的資本を指す言葉で、経済資本とは異なる意味を持つ。そして貧困の連鎖や子どもの貧困といった問題とも無関係ではない。そんな文化資本の側面から見た、日本の格差の構造とは?(清談社 松原麻依)

● 裕福になれるかどうかを決める 「文化資本」とは何か

 文化資本とは、金銭以外の個人的資本を指す言葉だ。フランスの社会学者、ピエール・ブルデューは「身体化された文化資本」「客体化された文化資本」「制度化された文化資本」の3つの形態に分類している。

 「身体化された文化資本」とは、さりげない仕草や立ちふるまいから知識・技能にいたるまで、文字通りその人の身体に染み付いているものを指す。「客体化された文化資本」は、美術品や書籍といった物として獲得されるもの、「制度化された文化資本」は学歴などのように、目には見えないが社会的に「意味がある」と認められているものをいう。
 
 そして、これらの文化資本は、「金を稼ぐ能力」とも密接に結びついている。理屈上は、金持ちでない家に生まれた子どもであっても、ハイレベルの文化資本を身につけられれば、自分でしっかりと稼ぐことができるということになる。
 
 しかし、現実は残酷である。ブルデューは文化資本も経済資本同様、「主に親から子へと『再生産」されていく』と述べている。つまり、お金や土地などの資産同様、文化資本も親から子へ受け継がれていく性質が色濃いというのだ。

 しかし、たとえば本ひとつをとっても大衆小説から古典文学まで様々なジャンルが存在する中、なにをもってして「文化資本」と言えるのか。ライター、コラムニストの北条かや氏は、「ブルデューが活躍した1990年代のフランスと現代の日本では、文化資本の内容もやや異なってくるのかもしれません。ただし、両者とも基本的には『より中央に近い文化』を価値の高い文化とみなす点では同じです。すなわち、この社会を支配している層が有する文化が、文化資本として評価されるわけです」と話す。


● 金があるだけではダメ 文化資本を持てる家庭環境とは

 日本の場合だと、マンガよりも古典文学、仲間内でしか分からない方言よりも就職活動などで論理的に共通語を話す能力、ジャンクフードを早食いする能力よりも綺麗なテーブルマナー…といった要素が「文化資本」となりえる。

 「文化資本を有する人が社会的な階層を上げやすくなっていることは確かで、それがいわゆる経済格差や貧困の連鎖に結びついていると考えられます。たとえば、『教科書を座って読む』という行為も身体化された文化資本ですから、学校教育自体が中央の文化を基準にして作られているとも言えます」

 家に本棚があれば、それが読書習慣へとつながる。座って文字を読む行為そのものは学校教育と親和性が高く、学校教育で評価されれば高い学歴を得やすくなる。これらの要素はすべて文化資本であり、それぞれがリンクして増大していくことが分かる。

 「文化的再生産」、つまり文化資本が親から子へと受け継がれていくというのは、どのような構造なのだろうか?

 「文化的再生産の過程では、地域や学校のコミュニティなど様々な要素と関わりがあります。その中でも、最も大きな役割を果たすのは家庭環境でしょう。文化資本の有無は幼少期の経験の積み重ねによるところも大きく、いつでも本が読める環境を用意したり、コンサートや美術鑑賞の経験などを子に与えるかどうかは、親の嗜好や経済状況に左右されるのです」

 仮に宝くじで3億円が当たったとしても、それだけで高い文化資本を持てるとは限らない。幼少期に親から文化資本を持てるような経験を提供してもらえるかどうかが、非常に大きなカギを握っているのだ。

 また、北条氏は「その人が文化資本的なものに価値を見出すかどうかは、属しているコミュニティに影響を受けやすい」と話す。たとえば、日本なら地方のヤンキーよりも都市部の富裕層のほうが、文化資本的なものに価値を見出しやすいコミュニティといえそうだ。


● 学校では強者のはずのヤンキーが 社会では通用しない理由

 「好きな小説について語り合って交友を深めるコミュニティもあれば、拳で語り合うコミュニティもある。しかし、日本の支配者層が支持するカルチャーを文化資本とするなら、いわゆるヤンキー文化的なものは文化資本の範疇には入りません。地域によってはヤンキーがスクールカーストの頂点になる学校もありますが、社会という枠組みで見たら、彼らのほうが不利な状況に陥りやすくなるのです。もちろんヤンキー的なコミュニティーに属する人たちの全てが不利だと言っているわけではなく、あくまで社会的地位の取得において不利になりやすい人が多くなるという意味です」

 机に座って勉強することを『ダサい』と捉えるコミュニティより、学校教育に馴染みのあるコミュニティの出身者が高い文化資本を有することになり、後者のほうが社会的階層を上げやすくなる。社会的階層が上がれば、当然ながら経済的にも有利になりやすい。

 本来、優等生もいればヤンキーもいるというのは当然のこと。個人の差異はあってしかるべきで、逆に優等生ばかりの社会などというものが成立するはずもない。だが、この差異は単なる「違い」では済まされない。なぜなら、北条氏が指摘するように、その先にある「貧困」が問題だからだ。

 「社会学の階層調査では、年代を重ねるごとに親の地位が再生産されやすくなっていることが分かりました。『ブルーカラーの子どもが医者になる』というような事例が極端に少なくなっているわけです。経済が急成長している時期なら、社会全体で賃金も底上げされているため、子は親の稼ぎを上回りやすい。しかし、今の日本は完全にマイナス成長で、身一つで階層を上げていくことが難しくなっているのです。そうなると、親の階層が子の階層に直接影響するようになってくるわけです」

 こうして経済格差が固定化されれば、貧困の問題はより深刻になっていくという。


● 文化資本を考慮に入れれば 安直な「貧困自己責任論」には陥らない

 このように文化資本の「格差」などというと、地方のマイルドヤンキーよりも都市部に暮らす富裕層の文化のほうがエライ、と言っているように聞こえなくもない。「文化資本」の存在を認めることは、ある種の差別とも感じられるのではないか。

 しかし、北条氏は「文化資本の格差が存在しない前提で貧困問題を語ると、『自己責任論』に陥りやすくなる』と指摘する。

 「会社で評価されるようなコミュニケーション能力、マナーや作法、お金の管理能力、机に長時間座っていられるような持久力、それらもすべて文化資本と言えます。どれも今の日本社会で有利となる要素ですが、一昼夜で身につけられるものではなく、ましてや経済的な支援のみで解決できる話でもありません。スタートラインの平等を信じることは、ある意味危険なことだと思います」

 たとえば子どもの貧困対策を考えた時、子ども食堂や無料塾など、目に見える支援を行えば万事解決なのか。それでも将来貧困に陥ったら、その子自身に問題があると言えるのか。あるいは、なけなしの給料を毎月、酒につぎ込んでしまう人がいたとしたら、それは100%、その人の「自己責任」なのか。

 文化資本の有無は、その人の優劣でもなければ、ましてや良し悪しでもない。ただ、文化資本を持っていない人が割を食うような社会システムが存在することは確かなようだ。育ってきたコミュニティの違いで不平等が生じているのなら、「文化資本」の側面から貧困を考えてみることは無駄ではないはずだ。

松原麻依



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信号待ちで発進遅れた後…女性運転の車の窓ガラス叩かれる 後続トラックの運転手逮捕 愛知

2018年03月08日 | 事件
信号待ちで発進遅れた後…女性運転の車の窓ガラス叩かれる 後続トラックの運転手逮捕 愛知
3/8(木) 0:59配信 東海テレビ
 愛知県大治町で、交通トラブルとなった相手の乗用車の窓ガラスを信号待ちをしている間に叩いたとして、7日、トラック運転手の男が逮捕されました。

 逮捕されたのは、名古屋市北区に住むトラック運転手・佐藤浩基容疑者(47)で、今月2日、仕事で大治町内を走行中に交通トラブルとなった相手の乗用車が信号待ちをしている間に、運転席の窓ガラスを叩いた暴行の疑いが持たれています。

 窓は割れず、乗用車を運転していた女性(35)にケガはありませんでした。

 調べに対し、佐藤容疑者は「窓ガラスを叩いたことは間違いない」と容疑を認めています。

 警察によりますと、被害に遭った女性は、少し前の信号待ちで発進が遅れた後、佐藤容疑者が執拗に車間距離を詰めたり、無理に追い越そうとしてきたりしたと話しているということです。


幅寄せにハイビーム…“あおり運転”し相手の車の男性に頭突き 暴行容疑で38歳男逮捕 名古屋
3/7(水) 0:02配信 東海テレビ
幅寄せにハイビーム…“あおり運転”し相手の車の男性に頭突き 暴行容疑で38歳男逮捕 名古屋
名古屋・東区
 名古屋市東区であおり運転をした末、男性に暴行を加えたとしてブラジル国籍の男が逮捕されました。

 逮捕されたのは、愛知県小牧市の自称アルバイト、コスタ・イワブチ・ジョアオ容疑者(38)で、去年8月、名古屋市東区東片端町の国道で、アルバイトの男性(当時20)の額に頭突きをするなどの暴行を加えた疑いです。

 ジョアオ容疑者は暴行前、男性の車に乗用車で幅寄せしたり、後ろからハイビームをしたりするなど「あおり運転」をしていました。

 警察の調べに対し「口論はしたが、手は出していない」と容疑を否認しているということです。


レコーダーに「バカたれ」と叫ぶ男の姿が… 暴行などの容疑で逮捕 三重・四日市市
3/5(月) 19:32配信 メ〜テレ(名古屋テレビ)
レコーダーに「バカたれ」と叫ぶ男の姿が… 暴行などの容疑で逮捕 三重・四日市市
 
「バカたれ」と叫ぶ男の姿をドライブレコーダーが捉えていました。
三重県四日市市内の県道。はみ出しての追い越しが禁止されている中央線を大きく越えて1台の車が前に割り込み、後続の車が止まらざるを得ない状況を作りました。すると運転席から高齢の男が降り、近寄ってきます。そして、発した言葉は「バカたれ」でした。この間、狭い道路に2台が停車した状態になり、事故を誘発しかねない状況も生じさせました。逮捕された菰野町の無職松岡紀彰容疑者(77)は20代の男性の車を追い越して急停止させ、脅迫めいた言葉を発して車内に手を入れたとして、暴行などの疑いがもたれています。警察の調べに対して松岡容疑者は「運転を注意したが、暴行はしていない」と容疑を一部否認しているということです。
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バイクの女性たたき転倒させる=傷害容疑で高校生ら3人逮捕―福岡県警

2018年03月06日 | 事件
バイクの女性たたき転倒させる=傷害容疑で高校生ら3人逮捕―福岡県警
3/6(火) 17:49配信 時事通信
 車で追い抜きざまに、原付きバイクを運転する女性会社員(52)を傘でたたき転倒させたとして、福岡県警早良署は6日までに、傷害容疑で、いずれも18歳の男子高校生2人=福岡市西区=と飲食店従業員の男=同=を逮捕し、車を運転していた介護職員の男(19)=同=を書類送検した。

 
 同署によると、女性は右肩を骨折し、1カ月の重傷。高校生の1人は「女性だからやめようと言った」と一部否認し、ほかの3人は容疑を認めているという。

 逮捕容疑は共謀し、昨年9月14日午前3時17分ごろ、同市早良区東入部の国道で、軽自動車の後部座席の窓から、傘で原付きバイクの女性をたたき転倒させ、重傷を負わせた疑い。

 同署によると、高校生らは対向車線を走行するバイクを発見し、Uターンして暴行。女性と面識はなかった。

 容疑者の一部は「バイクをびびらせてやろうと思った。ほかにも数件やった」と供述し、県警は捜査を続けている。 
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伊調馨パワハラ騒動の栄和人氏 吉田沙保里とは8年間隣室生活

2018年03月06日 | 政治社会問題
伊調馨パワハラ騒動の栄和人氏 吉田沙保里とは8年間隣室生活
3/6(火) 6:04配信 女性自身
伊調馨パワハラ騒動の栄和人氏 吉田沙保里とは8年間隣室生活
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スキンヘッドをニット帽で包み、寒そうに駅に向かって歩いていたのは栄和人氏(57)だった。愛知県にある至学館大学(旧・中京女子大学)のレスリング部監督であり、日本レスリング協会強化本部長も務める栄氏。だが、前々日の2月28日から続く報道のために疲れ切っているように見えた。それでも本誌記者が問いかけると、少し笑顔を見せた。

「この騒動には参ったよ。もうヘトヘトだよ。やっぱり私を陥れたいグループがいるんだろうね。そっちのほうが問題だと思うけどね」

金メダリスト6人を育てた“名将”を追い込んでいるのは、2月28日に週刊文春の報道により明らかになった告発状の存在だ。

「内閣府に告発状を提出したのは、貞友義典弁護士です。貞友弁護士は、元五輪出場選手らの依頼を受け、栄氏ら日本レスリング協会幹部たちの“パワハラ”を告発する文書を作成したのです。文書には栄氏らが伊調馨選手(33)の練習場所を不当に奪ったこと、伊調選手が師事しているコーチへ『伊調の指導をするな』といった圧力をかけていたことなどが記載されています」(社会部記者)

そもそも栄氏にとって、伊調選手も少女時代から育てた“弟子”だったはず。だが'09年に伊調選手が栄氏のもとを離れ、田南部力コーチ(42)の指導を仰ぐようになってから、その関係は悪化の一途をたどったという。スポーツ紙記者は言う。

「栄氏は独自の指導哲学を持っています。選手たちのために4千万円のローンを組んで一軒家を購入して寮にしたというエピソードはよく知られていますが、行きすぎた愛情になってしまうこともあるようです」

《(選手を)好きにならないと本気で指導できない》と、栄氏はスポーツ紙のインタビューや対談では指導哲学について語っているのだ。栄氏は'93年には臨時コーチとして指導していた10歳年下の女子レスリング選手と結婚。さらに'08年には、またも19歳年下の教え子と再婚している。

「結婚にはいたらなかったものの、栄氏にとっての“最愛の教え子”といえば、吉田沙保里選手(35)でしょうね」(前出・スポーツ紙記者)

再婚から2年後の'10年、栄氏と夫人は至学館大学にも近い新築マンションを購入している。そして、その隣の部屋を購入したのが吉田沙保里選手だった。'16年に栄夫妻はさらに大きいマンションに転居したのだが、同時に隣室を購入したのは吉田選手。8年も隣室に住み続けるという、その師弟の絆には驚くばかりだ。レスリング協会関係者は嘆息する。

「栄氏は昔から嫉妬深いところがありました。教え子が誰かほかのコーチに教えてもらおうとすると激怒するのです。彼は伊調選手が男子選手と練習していることを注意したそうですが、嫉妬にほかなりません。彼のもとを離れた伊調が偉業を成し遂げたのも許せなかったのでしょうね」

本誌が栄氏を目撃した3月2日、吉田選手や伊調選手との関係ついても質問した。

――吉田選手と、ずっと隣同士で生活しているのはなぜでしょうか?

「昔から吉田は、うちの女房が作った料理を食べているんです。まぁ、家族ぐるみの付き合いということです」

――伊調選手とは“家族ぐるみ”になれなかったということですか?

「ああ、彼女は大学を卒業した後は、僕のところから出て行って、別の練習場所を求めたから……。僕や吉田とは進む道が違ったのだろうね」

日本レスリング協会からの事情聴取に備えるため、改札口を通るその背中はとても小さく見えた。



伊調馨パワハラ告発で影響受けそうなあの女子レスリング選手
投稿日: 2018年03月01日 19:00 JST


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女子レスリングで五輪4連覇を果たし国民栄誉賞も受賞した伊調馨(33)が日本レスリング協会の栄和人強化本部長(57)からパワーハラスメントを受けていたと、「週刊文春」(文芸春秋)が報じた。

 

同誌によると04年のアテネ五輪と08年の北京五輪を連覇後、栄氏の意に反して練習拠点を愛知から東京へ移動。それをきっかけに嫌がらせが始まったという。

 

その後パワハラが繰り返されたため、今年1月に代理人弁護士を通じて内閣府の公益認定等委員会へ告発状を出していたというのだ。

 

同誌が発売された3月1日、民放各局のワイドショーは大々的にこの問題を取り世間に拡散。今後、この報道は多方面に影響を与えそうだという。

 

「栄氏の一番弟子といえば、五輪3連覇の吉田沙保里選手。今はフリーで活動し、バラエティー、CM、イベント出演など本業以外でも活躍しています。しかし吉田選手=栄氏というイメージがあるため今後は問題がひと段落するまで、関係各所もしばらく芸能活動のオファーを自粛するのではないでしょうか……」(広告代理店関係者)

 

果たして、この問題の顛末やいかに。

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橋田寿賀子さん「安楽死、もうあきらめました」

2018年03月05日 | 政治社会問題
橋田寿賀子さん「安楽死、もうあきらめました」
3/5(月) 18:35配信 朝日新聞デジタル
橋田寿賀子さん「安楽死、もうあきらめました」
橋田寿賀子さん=外山俊樹撮影
■渡る世間と安楽死:1

 『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』をはじめ、国民的なテレビドラマを手がけてきた脚本家・橋田寿賀子さん(92)は2016年、雑誌インタビューで「認知症になったり、身体が動かなくなったりしたら、安楽死したい」と発言し、大きな反響を呼びました。GLOBE1月号で安楽死を合法化しているオランダを取材した太田啓之記者(53)が、橋田さんにインタビュー。その1回目は、「日本人が求める安楽死のあり方」についてです。

【写真】2016年12月16日、安楽死する5分前に、「最後の記念写真」に納まったジャン・ファルハーゲンさん(享年96、左)。右は息子のミヒルさん(67)。太田記者がオランダで取材した=ミヒルさん提供

     ◇

 記者 橋田さんの安楽死に関する発言や著書『安楽死で死なせて下さい』にあれだけの反響があったというのは、とりもなおさず、高齢になった時の「死に方」について色々と考えている日本人が多いということだと思うんです。

 橋田 私には、家族も心を残した人もいませんから、寝たきりになったり、重度の認知症になったりして、人に迷惑をかけてまで生きていきたくない。ただ単純にそれだけです。

 自分の死について考え始めたのは、88歳ぐらいからです。それまでは、自分が死ぬなんて思わないで、一生懸命仕事をしていました。だけど、そのぐらいの年齢になると、自分の体がしぼんできちゃうんですよ。それを見て「ああ、もうすぐ私も死ぬんだな」と実感しました。

 そうなるまではせめて元気でいたいと思って、週に3回、1時間ずつトレーニングしたり、お医者様に通ったりしています。その代わり、「もういよいよだめだ」というときに、「お願いです。もう精いっぱい生きたんです。死なせてください」と言ったら「はい、いいよ」と楽に死なせてくれる仕組みがあるといいな、と。それが、私の考える「安楽死」です。

 身寄りがいませんから、体が自由に動かなくなったら、世話をしていただくのにいっぱいお金がかかる。そう思うと、お金も自由に使えない。まあ、船の旅には行きますけど、「これだけ使って大丈夫かな」と、不安に思いながら使うわけですよ。保険みたいに安楽死があれば、お金が安心して使える。元気なうちに精いっぱい使えるんです。

 しんどくなって、動けなくなって、楽しみもなく、人の役にも立たない、人に頼らないといけなくなった時に、第三者が本人の状態や意思を確認し、そのOKをもらえれば安楽死できる。そんな仕組みがあれば、楽しく遊べるのにな、と思って。

 記者 本人の意志だけでなく、それをきちんと判定する人が必要だと?

 橋田 もちろん、それはいると思います。本人の意志に関係なく、そういうことを決められたらかわいそうですもんね。

■「日本は議論ぐちゃぐちゃ」

 記者 安楽死が法制化されているオランダでも、「本人の自由意思」は絶対必要条件とされています。もうひとつの重要な条件は「耐えがたい苦痛があり、安楽死以外の方法ではそれを軽減できない」ということです。安楽死が行われた後も、地方の専門委員会がその条件を満たしているかどうか審査します。

 橋田 だから、自分の意思をはっきりと示すために、元気なうちに絶対に遺言は書いておかないといけないと思います。

 記者 橋田さん自身、そういう遺言はもう書いているんですか?

 橋田 はい。「無駄な延命はやめてください。お葬式はいりません。しのぶ会もやめてください。マスコミにはだまっててください」と書いていますから。みんなにもそう頼んでいます。

 現実問題として、日本で安楽死は難しそうだから、今は専門の在宅医にお願いして、安楽死に近い尊厳死をさせていただきたいと思っています。熱海にもそういう方がいらっしゃるんです。その方に「ご飯が食べられなくなったら、すり身にして食べさせたりさせないでください。もちろん胃ろうなんてやめてください」とお願いしたい。「ご飯を食べないで、老衰で死ぬ」のが一番いいなと思っているんですけど。安楽死はもうあきらめました。

 記者 安楽死はあきらめたんですか。

 橋田 本当は、あきらめてはいませんけど。安楽死について発言すると、うるさく言われることが多いんですよ。「安楽死なんてとんでもない。もっとちゃんと生きる希望を持ちなさい。一生懸命生きなさい」と叱られたり、「他の人にまで死を強制することになりかねない」と言われたり。

 記者 日本では尊厳死(消極的安楽死)の法制化について、障害者団体などは「治療を停止する圧力になりかねない」として反対しています。だけど、高齢者の安楽死の問題と、障害のある方々の治療の問題は、分けて考えるべきだし、それは十分可能だと私は思うんです。

 橋田 日本は、議論をぐちゃぐちゃにしているんですよ。安楽死を短絡的に、「役に立たなくなった人は死ねということか」という議論に結びつけるのは違うな、と思います。

 若い人たちはもちろん、どんな努力をしても生かしてあげたいし、「もっと生きなさい」と励ますべきです。

 でも、これからは70歳以上、80歳以上の人たちがたくさん出てきますからね。「患者を何が何でも生かす医療」だけじゃなくて、「患者にどういう死を迎えさせてあげたいか」、と真剣に考えるお医者様が増えないと、日本は惨めになる。かわいそうな人でいっぱいになると思います。(太田啓之)
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