☆オヤジの晩ごはん ☆オヤジの館

昭和をこよなく愛する団塊オヤジです。
料理レシピ&趣味娯楽&日々のつぶやきetc!

鶏むね肉のオイスターソース炒め

2013年11月03日 | 肉のおかず



材料(2人前)

鶏むね肉・・・・・・・・1枚(200g)
しょう油・・・・・・・・小さじ1
酒・・・・・・・・・・・小さじ1
片栗粉・・・・・・・・・大さじ1
ピーマン・・・・・・・・2個 
長ネギ・・・・・・・・・1/2本
しょうが・・・・・・・・1かけ
にんにく・・・・・・・・1かけ
サラダ油・・・・・・・・適量

(調味料)
オイスターソース・・・・大さじ2
酒・・・・・・・・・・・小さじ2
しょう油・・・・・・・・小さじ1
ごま油・・・・・・・・・小さじ1
コショウ・・・・・・・・少々


作り方

1.鶏肉は一口大のそぎ切り、しょう油・酒で下味をつけ薄く片栗粉をまぶす。

2.ピーマンは一口大の乱切り、長ネギは斜め1cmの厚さに切る。しょうがは薄切り、にんにくはたたいてつぶしておく。

3.フライパンにサラダ油を熱し、鶏肉を焼き色がつくまで炒め皿に移しておく。

4.3のフライパンににんにくを入れ、弱火で香りが出るまで炒める。

5.しょうが・長ネギ・ピーマンを加えて強火で炒め、野菜に火が通ったら鶏肉を戻し、(調味料)をまわし入れ炒めて完成。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なすのしょうが焼き

2013年11月03日 | 野菜のおかず




材料(2人前)

なす・・・・・・・・・・2本
サラダ油・・・・・・・・適量(やや多め)

(しょうが焼きのタレ)
しょうゆ・・・・・・・・大さじ1.5
酒・・・・・・・・・・・大さじ1
みりん・・・・・・・・・大さじ1
おろししょうが・・・・・1かけ(量はお好みで)


作り方

1.なすはヘタを落として縦半分に切り、皮に格子状の切れ目を入れる。さらに3~4等分に切って水にさらしてからざるにあけ、キッチンペーパーでよく水気を拭き取っておく。(しょうが焼きのタレ)はよく混ぜ合わせておく。

2.フライパンにやや多めの油をひき、水気を拭き取ったなすを炒める。

3.なすがしんなりしてきたら(しょうが焼きのタレ)を回し入れ、全体によく絡ませれば完成。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ランチョンミートでゴーヤチャンプルー

2013年11月03日 | 野菜のおかず




材料(2、3人前)

ゴーヤ・・・・・・・・・1本
木綿豆腐・・・・・・・・1丁
卵・・・・・・・・・・・2個
ランチョンミート(缶詰)・・1缶
しょう油・・・・・・・・小さじ2
オイスターソース・・・・大さじ1
ごま油・・・・・・・・・適量


作り方

1.ゴーヤは、縦半分に切り、種・ワタを取り除き薄くスライスする。木綿豆腐は食べやすい大きさに切る。ランチョンミートは5mmの薄切りにする。

2.ゴーヤは軽く塩もみをしたあと、熱湯で軽く下茹でして水気を切っておく。

3.熱したフライパンにごま油をひき、ランチョンミート、ゴーヤ、豆腐の順に軽く炒め、醤油・オイスターソースを入れ炒める。

4.野菜に火が通ったら溶き卵を流し入れ、卵が固まるまで優しく混ぜ合わせたら完成。
  


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

打撃の神様

2013年11月03日 | 昭和30年代の出来事&思い出
 現役時代「打撃の神様」と呼ばれた元巨人軍監督の川上哲治さんが、10月28日、老衰のため亡くなりました。93歳でした。

 私が川上さんを知ったのは、長嶋が巨人軍に入団した1958年でした。当時私は小学校3年生でしたが、野球が好きだった父から、川上さんのことをいろいろと聞かされました。戦前19歳で首位打者を獲得したこと。戦後巨人軍に復帰してから、天才打者と言われた大下弘の青バットに対抗して赤バットを使用したこと。打席でボールが止まって見えたといい、「打撃の神様」と呼ばれたことなど。

 1920年3月23日、熊本県生まれ。熊本工時代に投手として1934年、37年と全国中等学校野球選手権に出場しいずれも準優勝しています。

 1938年、熊本工時代バッテリーを組んでいた吉原とともに巨人軍へ入団。同期には千葉茂がいました。プロでは打者として活躍し、MVP3回、首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回のタイトルを獲得し、プロ野球史上初の2000本安打も達成しています。現役通算18年で2351安打を放ち、生涯打率は3割1分3厘を記録しています。

 1961年に水原茂監督に代わり巨人軍監督に就任し、14年間で優勝11回、2位1回、3位1回、4位1回。1066勝739敗、勝率・591の成績を残しました。また、1965年から9連覇を達成し、巨人軍第3期黄金時代を築きました。

 1974年に監督を退任した後は野球評論家として活躍。球界への強い影響力を持ち、元南海ホークス監督の鶴岡一人と共に「球界のドン」と呼ばれました。

 ご冥福をお祈り致します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする