
処により
26/20℃
戦前や生活が困窮の戦後の日本では子供の成長を願い祝う行事(雛の節句、端午のの節句)はあったが個々の誕生日祝い、父母への「母の日や父の日」への感謝する日は無かったと思う。戦後も安定してきた昭和30年(1955)頃から欧米の文化の導入され、子供の日、敬老の日は国の祝日とされ「個々の誕生祝、母の日や父の日(発祥地は米国で休日)」が習慣的な行事として普及してきた。 日本の父の日に送る花は「日本ファーザーズ・デイ委員会」は黄色いバラと決められた(アメリカは白バラ)。 昨日の夕方、今日の父の日を前に次女から父の日のプレゼントが届いた。
家内が開けてみると野菜ジュースのセットで健康維持を願ってのプレゼントで毎朝飲んでいる野菜ジュースより品質が良さそうなジュースだ。家内も飲めるので大変ありがたいプレゼントである。 東京の学生時代の昭和30年頃、アメリカンポップスでエデイ・フイッシャーが甘い声で"Oh my papa"が若い女性に大ヒットし、カバーヴァジョンで雪村いづみ、ペギー葉山や伊東ゆかり、が歌っていた。 日本語歌詞は「オー・マイ・パパ 私にとても素敵だったオー・マイ・パパ 私にとても良くしてくれたあんなに優しく愛すべき人は ほかに誰もいないのではオー・マイ・パパ、・・・」だが子供は女の子ばかりで教育は家内任せで酒ばかり飲んでいて何もしてやらなかったが年老いた父親の健康を願いを込めて贈られたプレゼント、有難いジュースドリンクなのである。
良かったですね。
親は子供の成長と幸せ願い、育てるのは当たり前の事です。
子供は大きくなり親に感謝の意味で親の健康と長寿を願うのも当然です。
一流会社とかを基準にするのは変に思いいます。
どんな職業、家庭であろうとも親も子も、思いは一緒ですぞ
何時も色々考えられて本当に優しい娘さんですね
お花のプレゼントも有るのですね、私だったら白がいいですね
私色に、染まって欲しいから 厚かましいかないかな-
コメントが出かけていて後先になって済みません
親の健康など気遣ってくれる子供に成長してくれたこと、
感謝したい気分になることでしょう。
コメント
戦後の核家族化で親・子・孫はどうなるのか懸念化していましたが家族関係は変わりありませんね。
豪州に数ヵ月滞在していた時、母の日には子供家族全員集合してレストラン(またはホームで手作り料類)で会食するのが習慣でした。
その日は何処の