何を基準に自分のパートナーを選ぶのがいいのか?
例えば「相手が可愛くないとダメ」という思いの男性が、
そんな女性と結婚したとする。
ところが、いざ家庭に入ってみると掃除や料理がまるでダメだった。
そして自分の周囲に、見た目は10人並だがとても家庭的な女性がいて、
彼女といると居心地が良いことに気がついた。
こんな場合は、可愛いことが優先で相手を選んだが、
実は家庭的な女性を求めていたことに気づかなかったということです。
ある女性はひどく貧しい生活をしてきたため、
自分のパートナーは絶対に裕福な生活を維持できる相手を選びたいと思っていた。
そして金持ちの男性といっしょになった。
ところが男性に金の他に時間ができてくると女遊びが始まった。
こんなとき、本当に裕福な生活が優先(本音)している場合は、
なんとか我慢できるのではないだろうか?
しかし、我慢できず離婚し、
貧しいが家庭的で自分を最優先に想ってくれる男性と出会い再婚した。
こんな場合は「自分を最優先に想ってくれる暖かい家庭を築ける人」を
初めから選ぶべきだったのかもしれません。
また、金持ちの生活を経験して物質的欲望が満たされてしまうと、
初めて想われる暖かい生活の幸せを知ることもあります。
幼さのため最初から相手を選ぶ基準が違っていたということです。
日記に何度も書いてきましたが、
「自分の本音を探すことが人生の旅だ」と私は思っています。
その大切な道行きのパートナーを選ぶとき、
わずか30年足らずの時間(結婚までの期間)で
自分の本音に人はたどりつけるのでしょうか?
私の場合から考えると大変難しいように思うのです。
だからパートナー選びは<大きな賭け>というしかありません。
そして、運命共同体となった二人のそれぞれが持っている運にも
大きく左右されるに違いありません。
ただ云えることは、人生最大の決断(半世紀を生きてきて私はそう思っている)
するのですから少なくともその時点での自分の本音だけは
しっかりと自覚しておく必要があるように思うのです。
たとえその後、上記のような過ちに気づいたとしても、
きっと誰のせいにするわけでもなく受け入れられるような気がするのです。
その受け入れる気持ちこそが、
相対的人物感の構築やその後の将来に対して大きな糧となり役割を果たすでしょう。
私が就職活動する時点の条件は2点でした。
1)将来伸びる業界・産業の伸びる可能性のある会社。
2)上場できる会社。
私が就職した1977年から31年が過ぎました。
12年間勤めましたが、その間一度も辞めたいと思ったことはありませんでした。それは自分の最初の条件2点を確かめたかったからです。上場前に辞める同期の連中がいかに多かったか。120名入社した同期が12年後5,6名になっていたことからいかに肉体的にも精神的にもきつかったことがわかりますが、その時点の思いが強ければ乗り切れるのです。
今、外食産業という業界は1977年の市場規模9兆円から約3倍に伸ばし、
在籍する間に就職したD社も上場も果たしました。
ただ、私のような想いが強ければ、十分体験しその結果を見届けると(ファミリーレストランの限界が見えた)次の段階に進みたくなるのもいたしかたありません。つまり当初の目標をクリアーし、新たな目標を求め始めたのです。そして子供の小学校入学という転機も私の転職を奨励しているかのように思えました。今のままでは異動のため引っ越しを伴い、転校を余儀なくさせるからでした。
故郷大阪に帰り(自宅で両親の自営業を手伝う)、1年半後創立100年というような電鉄会社から声がかかり、今までD社で得た最先端の飲食店経営の知識と経験が活かせる職場への復帰が決まりました。1990年、関西の企業ではまだバブル経済が最高潮を維持しており、そういった時期が復職の大きな追い風になったと今では感じています。
「女と男のいい関係とは?」から私の就職・転職の話に移行しましたが、
次回は、いよいよ実際の私のパートナー選びについて、
赤裸々なお話をいたします。ご期待下さいませ。
例えば「相手が可愛くないとダメ」という思いの男性が、
そんな女性と結婚したとする。
ところが、いざ家庭に入ってみると掃除や料理がまるでダメだった。
そして自分の周囲に、見た目は10人並だがとても家庭的な女性がいて、
彼女といると居心地が良いことに気がついた。
こんな場合は、可愛いことが優先で相手を選んだが、
実は家庭的な女性を求めていたことに気づかなかったということです。
ある女性はひどく貧しい生活をしてきたため、
自分のパートナーは絶対に裕福な生活を維持できる相手を選びたいと思っていた。
そして金持ちの男性といっしょになった。
ところが男性に金の他に時間ができてくると女遊びが始まった。
こんなとき、本当に裕福な生活が優先(本音)している場合は、
なんとか我慢できるのではないだろうか?
しかし、我慢できず離婚し、
貧しいが家庭的で自分を最優先に想ってくれる男性と出会い再婚した。
こんな場合は「自分を最優先に想ってくれる暖かい家庭を築ける人」を
初めから選ぶべきだったのかもしれません。
また、金持ちの生活を経験して物質的欲望が満たされてしまうと、
初めて想われる暖かい生活の幸せを知ることもあります。
幼さのため最初から相手を選ぶ基準が違っていたということです。
日記に何度も書いてきましたが、
「自分の本音を探すことが人生の旅だ」と私は思っています。
その大切な道行きのパートナーを選ぶとき、
わずか30年足らずの時間(結婚までの期間)で
自分の本音に人はたどりつけるのでしょうか?
私の場合から考えると大変難しいように思うのです。
だからパートナー選びは<大きな賭け>というしかありません。
そして、運命共同体となった二人のそれぞれが持っている運にも
大きく左右されるに違いありません。
ただ云えることは、人生最大の決断(半世紀を生きてきて私はそう思っている)
するのですから少なくともその時点での自分の本音だけは
しっかりと自覚しておく必要があるように思うのです。
たとえその後、上記のような過ちに気づいたとしても、
きっと誰のせいにするわけでもなく受け入れられるような気がするのです。
その受け入れる気持ちこそが、
相対的人物感の構築やその後の将来に対して大きな糧となり役割を果たすでしょう。
私が就職活動する時点の条件は2点でした。
1)将来伸びる業界・産業の伸びる可能性のある会社。
2)上場できる会社。
私が就職した1977年から31年が過ぎました。
12年間勤めましたが、その間一度も辞めたいと思ったことはありませんでした。それは自分の最初の条件2点を確かめたかったからです。上場前に辞める同期の連中がいかに多かったか。120名入社した同期が12年後5,6名になっていたことからいかに肉体的にも精神的にもきつかったことがわかりますが、その時点の思いが強ければ乗り切れるのです。
今、外食産業という業界は1977年の市場規模9兆円から約3倍に伸ばし、
在籍する間に就職したD社も上場も果たしました。
ただ、私のような想いが強ければ、十分体験しその結果を見届けると(ファミリーレストランの限界が見えた)次の段階に進みたくなるのもいたしかたありません。つまり当初の目標をクリアーし、新たな目標を求め始めたのです。そして子供の小学校入学という転機も私の転職を奨励しているかのように思えました。今のままでは異動のため引っ越しを伴い、転校を余儀なくさせるからでした。
故郷大阪に帰り(自宅で両親の自営業を手伝う)、1年半後創立100年というような電鉄会社から声がかかり、今までD社で得た最先端の飲食店経営の知識と経験が活かせる職場への復帰が決まりました。1990年、関西の企業ではまだバブル経済が最高潮を維持しており、そういった時期が復職の大きな追い風になったと今では感じています。
「女と男のいい関係とは?」から私の就職・転職の話に移行しましたが、
次回は、いよいよ実際の私のパートナー選びについて、
赤裸々なお話をいたします。ご期待下さいませ。