GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「愛とは?」

2008年10月25日 | Weblog
許せないから人は怒り、とんでもないことをしでかします。
そしてその怒りは、ストレスを増加させ成人病を誘発させます。

許せないことが増大しているのが現代の特徴のような気がしています。
こんな世で許せる心を育てるのは本当に無理なんでしょうか?

<許せることが愛の証>だと信じています。

つまり、裏を返すと「愛とは許せる気持ち(心)」ではないかと思っています。


許せないから人は多くの過ちを犯してしまいます。

殺人は決してやってはいけない最も愚かな行為です。
隣の車の追い越しを許せなくて、スピード違反をしでかす。
タバコの煙が許せなくて争いになる、
我が子の行いを許せなくて手をあげてしまう、
酔っていてぶつかった相手を許せなくて、殴ってしまう、
離婚も愚行ではありませんが、許せないからするのです。


怒る人は、愛が足りないのです。

離婚の原因としては
・行きすぎたギャンブル
・アルコール中毒&他の薬物の病気
・暴力
さすがに、この3つは許し難いものがあります。

(ギャンブル)
 父はこれが一番恐ろしいかもしれないと云っていました。私の従兄弟は歯医者をしていましたが、病院・家・その他の財産すべてをヤクザに取られてしまいました。今どこで何をしているのかも分かりません。今ではパソコンや携帯から日本中の公営ギャンブルに賭けることができます。病院のベッドにいてもそれができるのです。まさに恐ろしいシステムというほかありません。ギャンブル狂にはくれぐれもご用心を!

(アルコール中毒)
 過去、私の周囲に二人いました。二人とも商店街の店主で親父の友人でした。二人ともゴルフに行っても朝から冷や酒を飲んでいました。顔は黒く、肝臓をすでに蝕んでいたのでしょう。一人は飲酒運転で電柱に激突し死亡、もう一人も入院し若くして亡くなりました。仕事がら酔っぱらいとは何度も接していますが、彼らにはこちらの意志が通じません。ヤクザと同じです。そして身近の家族にも暴力沙汰にもすぐなってしまいます。

(暴力)
 暴力は習慣です。そして、だんだんエスカレートしていくようです。昔、自分が圧倒的暴力の前にひざまづいた為に、弱者の前ではその復讐を行ってしまうようです。かつて弱かったときの反動なのでしょう。残念なことです。最初から強い人は暴力で人を圧倒する必要はありません。暴力が家族や親族に及ぶようでは遠ざかる以外にないと思います。暴力はアルコールを伴う場合が多いようです。瞬間の苛立ちや怒りでも手を挙げてしまい過剰な暴力があるなら早々に離れた方がいいと思います。生命の危険があるからです。


よくある理由として「浮気」もあります。

 浮気で絶対に許せないのは、女(男)の家に入り浸り、我が家に帰ってこない。金を女(男)に貢つぐような場合です。家庭裁判所もすぐに離婚を認めてくれるでしょう。生活権を侵害されたからです。それ以外の場合で反省しているなら、許してあげて欲しいと思います。そんな場合は、長続きなどするはずがないのですから。家に帰ってくる、生活費を持ってくるなら……。しかし、それでも許せないのは愛がなくなっているのでしょう。愛があれば許せるはずです。

 大切なことは生き抜くことなのです。生き抜くために離婚し、生き抜くために離婚を思い止まる。ここが大切なような気がします。

 憲法二五条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
と書かれており、国民の生活権、生存権を基本的人権として保障しています。この生活権、生存権を奪われるなら(給料を持ってこない、家に帰ってこない、暴力を振るう、アルコールやその他の中毒のため危険であり、最低限の生活が営めない)離婚は成立するので、即座に離婚すべきです。

 しかし、別れたい感情が優先してしまって、人間であるまえに生きものであることを忘れてはいけません。食べて行かねばならないのです。その為には金を必要とするのです。親が金持ちの場合は容易に離婚に至るでしょう。しかし、親から考えれば我が子の幸せを願うのは当たり前とはいえ、かさの高い大人(娘や息子)が帰ってくるのは、考えようによっては迷惑な話です。自立したはずの娘や息子をまた、面倒みなくてはならないのですから。余裕がなければ当然のことです。そして、余裕がない親の方が断然多いことを知っておかねばなりません。

「寛容に出会った子どもは 忍耐をおぼえる」とドロシー・ロー・ホルトの詩の一節にありましたが、寛容とは<許し>に他なりません。

 愛情が豊かでなくては、決してできる行為ではありません。夫婦や恋人、友人関係においても同じです。許された夫や妻、許されたカップルの相手、許された仲間は忍耐・我慢を覚えます。つまり忍耐・我慢が寛容な心を作り、豊かな愛を育んでいくでしょう。許せない気持ちは、怒りや苛立ちを生み、許す以上にストレスを増加させるでしょう。しかも大幅に。

許すことが豊かな愛を育みます。

お金は使えば使うほど、目減りしていきます。
しかし、愛は決して目減りすることはなく、心を大きく豊かにしてくれます。
それは、愛の本質が<許し>にあるからだと思います。
許せない人の泉はどんどん減少していくのです。
求めるだけの人の泉も枯れていきます。

商売と違ってギブ&テイクでは泉の水は増えていかないのです。
きっと、商売もギブ&テイクだけではいずれ枯れていくにちがいありません。

許す気持ちは、その時は辛いかもしれませんが、いずれ人の懐を大きくしていきます。
理解していこう、理解したい、この気持ちを大切にしたいと思います。
どのように考えれば許せるのか、そう想い悩むからこそ、
人の心に一歩近づけ、思いやる気持ちが育ちます。
愛の泉はそんな心から生まれるような気がします。

                     (続く)