恋は自己本位、愛は…
この後、どんな言葉が妥当でしょうか?
ショッピングセンターで幼い子がこれを買って欲しいと駄々をこねているシーンに時々出くわします。私の息子も同じようなことが泉南のみさき公園でありました。いつでも一つだけというのが我が家のルールでした。ある売場のカウンターでコアラのマーチを買ったのですが、違うカウンターでちっちゃな虎のぬいぐるみが欲しいと珍しく駄々をこねました。すると買ったばかりにコアラのマーチをポイと捨てたのです。これには驚きました。確かに一つだからです。連れ添いもこれには参ったとばかり、その虎を買わざるをえませんでした。その後、その虎は小学校の高学年になるまで彼の大切な友達となりました。
駄々をこねる子供にも親への絶対の愛が存在しています。これは自己本位ではありますが、親への愛がなくてはできない行為です。親戚の叔母さんや祖父母、赤の他人にはできない行為だからです。そしてそれに対処する親にも子供への愛が存在しています。
さて、どこに行っても年輩者が目立つ今日この頃ですが、電車に席を譲る行為も愛が存在していると私は感じています。ボランティア活動も愛無くしてできる行為ではありません。私の意見ですが、「愛」には最後までその気持ちをやり通す責任があると思います。ですから電車の中で出会った子供が可愛いと思ってもそれは愛とはほど遠いもので、恋に近い気持ちでしょう。
では「恋」は?
初恋を考えてみましょう。私の場合ですが、相手に打ち明けるなど不可能でした。小学校の頃から多くの恋をしましたが、打ち明けたことなど一度もありません。小学4年生の頃、6年生の頃、中学2年生の頃、高校3年生の頃、すべて対象は異なりますが、恋をしていました。しかし誰にも一度も告白したことがありません。この間に何人かの女性から告白を受けましたが、一度も受け入れたことはありませんでした。今思い返せば、残念なことをしたと思わずにはいられません(笑)。しかし、その頃はそれが当たり前だと思っていました。相思相愛を夢見ていたようです。そして、自己本位であったために、違う相手にはかなり冷淡になったようです。
恋する相手と一緒になりたいと想うのは当然ですが、自己本位のために相手を見誤る傾向があるようです。ノリピーや矢田さんの場合もそうだったかもしれません。最近では子供が欲しいと思わないカップルも多いようですが、家族ができたなら父親も母親も彼らを守る責任が生じてきます。恋と愛との違いはこの辺りにあるようです。恐れを知らない自己本位の時代こそ、青春時代と呼ばれる季節なのだと思います。そんな季節もいずれ終わりを告げます。そして家族を守り育てる季節が訪れます。そして約30年が過ぎると新たな季節が始まります。
この世に生を受けて
最初の30年は青春時代と呼ばれる自己本位の季節、
次の30年は家族を守り育てる愛と責任の季節、
最後の30年はやりたいことを見極める自分たちの季節、
私はこのように人生を捉えています。
この後、どんな言葉が妥当でしょうか?
ショッピングセンターで幼い子がこれを買って欲しいと駄々をこねているシーンに時々出くわします。私の息子も同じようなことが泉南のみさき公園でありました。いつでも一つだけというのが我が家のルールでした。ある売場のカウンターでコアラのマーチを買ったのですが、違うカウンターでちっちゃな虎のぬいぐるみが欲しいと珍しく駄々をこねました。すると買ったばかりにコアラのマーチをポイと捨てたのです。これには驚きました。確かに一つだからです。連れ添いもこれには参ったとばかり、その虎を買わざるをえませんでした。その後、その虎は小学校の高学年になるまで彼の大切な友達となりました。
駄々をこねる子供にも親への絶対の愛が存在しています。これは自己本位ではありますが、親への愛がなくてはできない行為です。親戚の叔母さんや祖父母、赤の他人にはできない行為だからです。そしてそれに対処する親にも子供への愛が存在しています。
さて、どこに行っても年輩者が目立つ今日この頃ですが、電車に席を譲る行為も愛が存在していると私は感じています。ボランティア活動も愛無くしてできる行為ではありません。私の意見ですが、「愛」には最後までその気持ちをやり通す責任があると思います。ですから電車の中で出会った子供が可愛いと思ってもそれは愛とはほど遠いもので、恋に近い気持ちでしょう。
では「恋」は?
初恋を考えてみましょう。私の場合ですが、相手に打ち明けるなど不可能でした。小学校の頃から多くの恋をしましたが、打ち明けたことなど一度もありません。小学4年生の頃、6年生の頃、中学2年生の頃、高校3年生の頃、すべて対象は異なりますが、恋をしていました。しかし誰にも一度も告白したことがありません。この間に何人かの女性から告白を受けましたが、一度も受け入れたことはありませんでした。今思い返せば、残念なことをしたと思わずにはいられません(笑)。しかし、その頃はそれが当たり前だと思っていました。相思相愛を夢見ていたようです。そして、自己本位であったために、違う相手にはかなり冷淡になったようです。
恋する相手と一緒になりたいと想うのは当然ですが、自己本位のために相手を見誤る傾向があるようです。ノリピーや矢田さんの場合もそうだったかもしれません。最近では子供が欲しいと思わないカップルも多いようですが、家族ができたなら父親も母親も彼らを守る責任が生じてきます。恋と愛との違いはこの辺りにあるようです。恐れを知らない自己本位の時代こそ、青春時代と呼ばれる季節なのだと思います。そんな季節もいずれ終わりを告げます。そして家族を守り育てる季節が訪れます。そして約30年が過ぎると新たな季節が始まります。
この世に生を受けて
最初の30年は青春時代と呼ばれる自己本位の季節、
次の30年は家族を守り育てる愛と責任の季節、
最後の30年はやりたいことを見極める自分たちの季節、
私はこのように人生を捉えています。