GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「神は、人が越えられない試練を与えない」

2009年10月13日 | Weblog
 SANKYOレディースの最終日。初日からトップ続け、安定したゴルフを続けていた韓国の全美貞(ジョン・ミジョン)は、この日、素晴らしいゴルフをみせ、一時は2打差まで猛追した宮里藍のプレッシャーを受け続けた。4アンダーで先にホールアウトした宮里は、トップとは3打差もあり殆ど諦めながら(パターやショットの練習をしていない)、グラブハウスのモニターテレビで全美貞のプレーを観戦していた。

2位の宮里に3打差で迎えた17番。
まさの事が起こった。ボールは右にそれてバンカーに。
しかも目玉(ボールが真上から落ちて半分以上が砂に埋まる状態)。
結局そのホールをダブルボギーにした。
1打差で迎えた18番。
なんと3打目をショートしてボールは池に落ちた。
その時、心ないギャラリーから拍手が起きた。

このことを宮里は後日自らのブログでこう語っている。
「私としてはとてもとても心が痛かったです」
「応援してくれている方にもフェアプレー精神を持ってほしい。私の心からの願いです」

同じようなことが男子ツアーでも起こっている。
8月のサン・クロレラクラシックで、優勝した石川遼と争っていたB・ジョーンズがパットを外した際、一部の観客から拍手がでた。
まだ17歳だった遼君が宮里と同じように嘆いていた。

 相手のミスを喜ぶ気持ちは、自分の心を弱くする。相手のパットを、「外せ、外せ」と願っていて、仮に入ったときの心の動揺が、その後のプレーに影響するからだ。人のミスを待っているか、そんな弱気なことでどうする? こんな自問自答するようではいけません。ゴルフというスポーツはボールを打ち返す野球やテニスとは大きな違いがあり、止まっている自分のボールを打って、いかに少ない打数で上がるかを競うスポーツです。心の動揺が無意識に身体の動きをおかしくし、止まっているボールをクリーンヒット出来なくなるのだ。この呪縛とも云える自分との戦いがゴルフの本質だ。

 この戦いの最中に、全美貞は自分のミスに対して、ゴルフというスポーツをまったく知らない日本の心ないファンの拍手を聴いたのです。折れかけていた心に冷たい水をかけられたのです。その後のアプローチもパットも生彩がありませんでした。私は宮里藍のファンですが、その前のゴルフというスポーツの大ファンでもあります。

 大阪生まれの私は昔の難波球場や甲子園球場に何度も応援に行きました。打たれて交代されるピッチャーやチャンスに打てない4番打者、ピッチャーの交代時期を間違えた監督に対して、子供の私に聴くに堪えない野次、暴言の数々を聴いてきました。
(自分の味方だろ… なんでそこまでいうの…)

 ゴルフには野球のように1塁側・ライト側、3塁側・レフト側のように自分が応援するチーム側の席はありません。しかも、日本で開催されるゴルフツアーで2位が日本選手なら、当然のようにトップを走る外国人には強いアゲィンストの風を受ける。日本で稼ごうと来日してくるプロゴルファーなら当然承知でやって来る。しかし、自分のミスに拍手する観戦者はどこでも皆無に違いない。情けない日本のファン。

折れかけた心を必死で立て直そうと打ったボールが池に落ちる。
その衝撃的と思えるような自分のミスに対して、心ない拍手が耳に入ってくる。
「動揺するな」と云っても無理な話である。

棚からぼた餅的優勝が舞い込んだ今回の優勝劇。
宮里藍は何度も2位で、悔し涙を噛みしめてきた経験がある。
自滅して負けた試合こそ、強い自分を作っていくこと知っている。
最後のパットをバーディーで勝てる強さ。
最終日トップの成績を維持できる強さ。
ミスしても焦らず落ち込まず取り戻せる強さ。切り替えられる強さ。
アゲィンストの風にもアウェーの風にも負けない強さ。
そんな強さを身に付けようと藍をはじめとするすべてのプロゴルファーは練習に励んでいる。
ゴルフの呪縛にかからないように…。


この呪縛はプロゴルフの世界だけに存在するものではない。
小学生たちの教室にも、
クラブ活動の場でも、
社会の職場にも、
日本全体の社会にも、
国際的な場でも数多く存在する。

そんな呪縛や心なき言葉に左右されたくはない。

先日見たTVドラマの中で、こんなセリフがありました。

「神は、人が越えられない試練を与えない」

今回で1億円プレーヤーとなった韓国の全美貞。
彼女と共にこの言葉を噛みしめたい。