GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

<加藤和彦>2

2009年10月20日 | Weblog
19日の朝日新聞朝刊に、フォークルメンバーの親友、きたやまおさむ(精神科医・作詞家)の追悼文が掲載されていました。

『趣味は一流、生き方も一流、ギタープレヤーとしても一流でプレヤーすなわち「あそび手」としても一流。それがゆえに、凡百とのおつきあいの世界は、実に生きにくいものだったろう。加藤和彦が日本の音楽にもたらしたもの、それは「革命」だった。自主制作の「帰ってきたヨッパライ」が300枚作られ、結果的に280万枚を売った半年で日本の音楽の流れが大きく変わったのだ。大先生が作る作品を歌手が歌うという「上から下」の主流に、自作自演のという「下から上」への波が音を立てて流れ込んだのである。その上、新興のシンガー・ソングライター・ブームに対し、加藤の志向は、主にバンドにあり、フォークル、ミカバンド、最近では和幸とソロ中心に偏ることはなかった。私のようなセミプロを傍らに置いてたててくれたのも、バンド志向の優しいリベラリズムであったと思う。

 後ろは振り返らない、そして同じことは絶対にやらないというモットーを貫き通した彼は、おいしいケーキを食べるために全財産をはたいて、また手の届かないところに飛んで行った。戦友としては、その前だけを見る戦いぶりに拍手を贈りたい。しかし、昔話に花を咲かせ共に老後に過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である。』

 映画「パッチギ!」で彼の歌が流れてきたとき、涙が溢れて止まりませんでした。「イムジン河」が作られたのが私が15歳、高校一年生の時でした。朝鮮半島分断の悲劇を歌った曲と知ったのはしばらく経ってからでした。日本の現状も世界情勢のことも、そして人の心の痛みも何も分からなかった私でしたが、この美しいメロディーがとても気に入って、ギターで練習したことを良く覚えています。


<イムジン河>

イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥 自由にむらがり 飛び交うよ
我が祖国 南の地 想いははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る

北の大地から 南の空へ
飛び行く鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を 二つに分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの

イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ 想いを伝えておくれ
ふるさとを いつまでも忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと流る』


『ライフ』誌上で高らかに「アメリカの世紀」を謳いあげたのは1941年。1950年代は希望に満ちた右肩上がりの「豊かさ」の時代。60年代から70年代初頭にかけてアメリカは希にみる激動の時代を迎える。学生運動、マーチン・ルーサー・キングを中心とする市民権運動、婦人権運動、反ベトナム戦争運動、ヒッピー運動は、50年代の「リベラル・コンセンサス」に対して根底的な挑戦となった。1968年は共和党のリチャード・ニクソンが民主党のヒューバート・ハンフリーに辛勝し、この選挙をもって、ケネディに始まるリベラルな改革主義の時代が終焉したとされてる。

 1968年(もしくは1969年)は今までのコンセンサスが大きな変革を見せた年と云えるのかもしれません。親友のきたやま氏が追悼文で書かれたように「上から下」という従来のスタンスが、「下から上」への流れ生まれた。いわば20世紀のルネッサンスと云うべき革命が世界中に沸き上がったのです。その日本の第一人者が加藤和彦氏と云えます。1969年8月に40万人以上集めた<ウッドストック>はその象徴的イベントでした。大好きなバンド、イーグルスも象徴的な1969年を歌っています。


<ホテルカルフォルニア>

暗く寂しいハイウェイ
涼しげな風に髪が揺れる
コリタス草の甘い香りがほのかに漂い
はるか前方には かすかな灯りが見える
頭は重く 視界かすむ
どうやら今夜は休息が必要だ
礼拝の鐘が鳴り
戸口に女が現れた
僕はひそかに問いかける
ここは天国? それとも地獄?
すると 女はローソクに灯を灯し
僕を部屋へと案内した
廊下の向こうから こう囁く声が聞こえる

ようこそホテル・カリフォルニアへ
ここはステキなところ
お客様もいい人たちばかり
ホテル・カリフォルニアは
数多くのお部屋をご用意して
あなたのお越しをいつでもお待ちしています
ティファニーの宝石のように繊細で
高級車のように優雅なその曲線美
美しいボーイたちはみな
彼女たちに心を奪われている
中庭では香しい汗を流して
ダンスを踊っている人々
思い出を心に刻もうとする者
すべてを忘れるために踊る者

そこで僕は支配人に告げた
「ワインを持ってきてくれないか」
すると彼は「そのようなスピリットは1969年以降一切ございません」
それでも人々が深い眠りについた真夜中でさえ
どこからともなく 声が聞こえてくる

ようこそホテル・カリフォルニアへ
ここはステキなところ
お客様もいい人たちばかり
どなたもホテルでの人生を楽しんでいらっしゃいます
口実の許すかぎり せいぜいお楽しみください
鏡を張りめぐらせた天井
グラスにはピンクのシャンパン
誰もが自分の意思で囚われの身となった者ばかり
やがて 大広間では祝宴の準備がととのった
人々は 鋭いナイフを突き立てるが
誰ひとり内なる獣を殺せない

気がつくと僕は出口を求めて走りまわっていた
もとの場所に戻る通路を
なんとかして見つけなければ・・・
すると 夜警がいった
「落ち着いて自分の運命を受け入れるのです
チェック・アウトは自由ですが
ここを立ち去ることは永久にできません」