小学校の頃、毎週のように他のクラスの仲間を集めて野球の試合をしていた。チーム名は青空チーム。場所は住吉公園のローラスケート場。今は砂場に姿を変えている。
「こんな小さな場所で野球を?」
今その場所に立つとあまりの小ささに驚く。私のポジションはキャッチャー。ただ一人仲間の顔を見られるポジション。影響を受けたのは南海の野村克也捕手。大阪難波から南海本線で10分足らずの所に住んでいた関係で南海ホークスのファンだった。ファーストやサード、ピッチャーもやったが、一番好きなポジションはキャッチャーだった。
野村克也選手は、現役時代南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレイし、引退後はヤクルトスワローズ、阪神タイガース、社会人野球のシダックス野球部監督を務めた。その後、東北楽天ゴールデンイーグルスで4年間監督を務め、今シーズンを以って退任する。
今日、マー君が完投しソフトバンクに2連勝してセカンドシリーズを終え、いよいよ日ハムとのリーグ優勝をかけて戦う。弱小チームを率いてまさかの展開。<私のヒーロー>が最後の勇姿を見せてくれている。
野村克也 1935年6月29日生まれ
長島茂雄 1936年2月20日生まれ
王 貞治 1940年5月20日生まれ
野村克也
・通算本塁打657本 捕手としての世界記録。
・捕手として3017試合出場(日本プロ野球記録。捕手としてダントツの大世界記録)
長島茂雄
・公式戦、日本シリーズ、オールスターの全てで通算打率3割以上 ※史上唯一。
王貞治
・通算本塁打:868(世界記録)
・MVP:9回 歴代最多
・本塁打王:15回 歴代最多
・2006年3月「第1回 ワールド・ベースボール・クラシック」日本を初代チャンピオン(世界一)へと導き、選手・監督として名実共に「世界の王」となる。
3人の中で最も永く現役選手を経験(26年間)し、今後もきっと誰も破れないだろう世界記録を2つも持っている。しかも監督として今期も現役を続けている。野村再生工場ともてはやされながら、一時は派手な妻の事を騒がれたり、社会人野球の監督も経験して辛酸を舐め、二人より華々しくはなかった野球人生。しかし、今や日本球界で記憶に残る最高の監督となった。全ての選手達に慕われ、地元のファンから大声援を受け、今やほとんどのプロ野球ファン、野球を知らない女性連中からもボヤキが可愛いとエールを受けている。
日本シリーズ出場をかけて、西武との戦いが始まろうとしているが、高齢74歳にして生涯で最高の年を迎えていることが鳥肌が立つくらい、根っからのファンとしてうれしく思っている。試合後のインタビューでのボヤキ、巨人や相手チームへの悪口など、すべてマスコミに取り上げて貰うためのしたたかな作戦。南海に入団するときもベテラン捕手のいない球団を調べて、ようやく補欠で入団。しかし、結果が出ずに辞めるように云われた時も、自殺すると云って球団を驚かせた選手に、こんな素晴らしい野球人生が待っていようとは誰一人、本人さえ思わなかったはず。「プロはプロセスのプロ」といって結果より過程が大切だと指導してきたのは、能力を努力でカバーしてきた自分の人生経験からきた言葉。
勝つために何が必要なのか。
打つために何が必要なのか。
三振をとるために何が必要なのか。
打たれないためにどんな投球が必要なのか。
「能力がない選手が能力のある選手に勝つために何が必要なのか」
考える野球の原点はここにある。
ID野球とは情報を如何に駆使して勝ち得るか、その手段に過ぎない。
それらはすべて勝とうとするためのプロセスなのだ。
『人間というのは、自分のことは自分が一番よくわかっていると考えがちですが、
決してそうではない。周囲の人の方が的確に見ているものだし、
相応の評価をしているものです』 (野村克也)
『ものの見える人が千人、ものの見えない人が千人いる。
見ている人は見ているのだから、仕事はいつも一生懸命でなくてはならない』
(野村氏の恩師:草柳大蔵)
PS:山崎選手とのハグ写真。見ただけ胸がキュンとなっちゃいます。
西武に勝とうが負けようが、
日本シリーズで勝とうが負けようが、
野村克也氏は45年以上、私のヒーローであり
今や生涯のたからものです。
言いたい放題、今後も続けて下さい。
それが長島や王とは異なるところ。
だから脳梗塞や胃ガンという成人病にかからなかったのですから。
これからも長生きして野球界を楽しくして下さいね。
「こんな小さな場所で野球を?」
今その場所に立つとあまりの小ささに驚く。私のポジションはキャッチャー。ただ一人仲間の顔を見られるポジション。影響を受けたのは南海の野村克也捕手。大阪難波から南海本線で10分足らずの所に住んでいた関係で南海ホークスのファンだった。ファーストやサード、ピッチャーもやったが、一番好きなポジションはキャッチャーだった。
野村克也選手は、現役時代南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレイし、引退後はヤクルトスワローズ、阪神タイガース、社会人野球のシダックス野球部監督を務めた。その後、東北楽天ゴールデンイーグルスで4年間監督を務め、今シーズンを以って退任する。
今日、マー君が完投しソフトバンクに2連勝してセカンドシリーズを終え、いよいよ日ハムとのリーグ優勝をかけて戦う。弱小チームを率いてまさかの展開。<私のヒーロー>が最後の勇姿を見せてくれている。
野村克也 1935年6月29日生まれ
長島茂雄 1936年2月20日生まれ
王 貞治 1940年5月20日生まれ
野村克也
・通算本塁打657本 捕手としての世界記録。
・捕手として3017試合出場(日本プロ野球記録。捕手としてダントツの大世界記録)
長島茂雄
・公式戦、日本シリーズ、オールスターの全てで通算打率3割以上 ※史上唯一。
王貞治
・通算本塁打:868(世界記録)
・MVP:9回 歴代最多
・本塁打王:15回 歴代最多
・2006年3月「第1回 ワールド・ベースボール・クラシック」日本を初代チャンピオン(世界一)へと導き、選手・監督として名実共に「世界の王」となる。
3人の中で最も永く現役選手を経験(26年間)し、今後もきっと誰も破れないだろう世界記録を2つも持っている。しかも監督として今期も現役を続けている。野村再生工場ともてはやされながら、一時は派手な妻の事を騒がれたり、社会人野球の監督も経験して辛酸を舐め、二人より華々しくはなかった野球人生。しかし、今や日本球界で記憶に残る最高の監督となった。全ての選手達に慕われ、地元のファンから大声援を受け、今やほとんどのプロ野球ファン、野球を知らない女性連中からもボヤキが可愛いとエールを受けている。
日本シリーズ出場をかけて、西武との戦いが始まろうとしているが、高齢74歳にして生涯で最高の年を迎えていることが鳥肌が立つくらい、根っからのファンとしてうれしく思っている。試合後のインタビューでのボヤキ、巨人や相手チームへの悪口など、すべてマスコミに取り上げて貰うためのしたたかな作戦。南海に入団するときもベテラン捕手のいない球団を調べて、ようやく補欠で入団。しかし、結果が出ずに辞めるように云われた時も、自殺すると云って球団を驚かせた選手に、こんな素晴らしい野球人生が待っていようとは誰一人、本人さえ思わなかったはず。「プロはプロセスのプロ」といって結果より過程が大切だと指導してきたのは、能力を努力でカバーしてきた自分の人生経験からきた言葉。
勝つために何が必要なのか。
打つために何が必要なのか。
三振をとるために何が必要なのか。
打たれないためにどんな投球が必要なのか。
「能力がない選手が能力のある選手に勝つために何が必要なのか」
考える野球の原点はここにある。
ID野球とは情報を如何に駆使して勝ち得るか、その手段に過ぎない。
それらはすべて勝とうとするためのプロセスなのだ。
『人間というのは、自分のことは自分が一番よくわかっていると考えがちですが、
決してそうではない。周囲の人の方が的確に見ているものだし、
相応の評価をしているものです』 (野村克也)
『ものの見える人が千人、ものの見えない人が千人いる。
見ている人は見ているのだから、仕事はいつも一生懸命でなくてはならない』
(野村氏の恩師:草柳大蔵)
PS:山崎選手とのハグ写真。見ただけ胸がキュンとなっちゃいます。
西武に勝とうが負けようが、
日本シリーズで勝とうが負けようが、
野村克也氏は45年以上、私のヒーローであり
今や生涯のたからものです。
言いたい放題、今後も続けて下さい。
それが長島や王とは異なるところ。
だから脳梗塞や胃ガンという成人病にかからなかったのですから。
これからも長生きして野球界を楽しくして下さいね。