古都・奈良に春を呼ぶという東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)(お水取り)は、752(天平勝宝4)年から1260年以上続く。しかし、写真に収められるようになった歴史は浅く、その名を世に知らしめたのは戦後カメラを向けた入江泰吉(いりえたいきち)や土門拳(どもんけん)らだった。それより前、昭和初期に撮られた写真67枚が朝日新聞大阪本社に残されていた。天平の昔を追う人々の姿には、どこか古風な趣が漂う。奈良の地域文化誌「月刊大和路ならら」の編集長で、10年以上お水取りを取材してきた鈴木元子さん(50)に印象をつづってもらった。
生きること、旺盛な日本人を見た
古い写真は二度と戻らない時代の景色を見せてくれる資料だ。同時に見る者を郷愁に誘い、無批判に懐かしませる「媚薬(びやく)」でもある。だが、今回見つかった二月堂修二会の一連の写真には、さすが厳寒期に行われる行法と言うべきか、バケツの冷水を浴びせられたかのような衝撃を受けた。
そこに写っていたのは生きることに旺盛な日本人だった。興味や関心を取り繕って隠すことなどなく、生の自分を見せることに恐れを抱かぬ人たちであった。
その最たるものが、二月堂の局(つぼね)から堂内を見る女性たちだ。どの人も肝がすわっていそうで、まっすぐにカメラを見つめてくる。一見怖い顔なのだけれど、怒っているのではない。あけすけな人懐っこさがある。
人懐っこさは松明(たいまつ)にも向けられた。松明を真下から見上げるとんびコートの男たちは、火の粉をかぶるのは当たり前と言わんばかりに、あっけらかんとしている。食堂(じきどう)の前で記念撮影する練行衆(れんぎょうしゅう)や、その付き人の童子らにしても、幕末の武士を思わせるような佇(たたず)まいで、「不退の行法」に臨む強靭(きょうじん)な意志を感じる。
修二会の行法と精神、作法や所作は、1200年前の昔からいまに受け継がれている。顔と時代さえ写り込んでいなければ、今回の1枚をもって去年の写真ですと言っても通用するかもしれない。それほどかたくなに伝統は守られてきた。
ただ、これらの写真が現代の修二会と違う何かを刻みつけたのだとすれば、それは着飾らない、「裸の日本人」の残影ではなかったか。毎年、二月堂で多くの人間が蠢(うごめ)き合うようにして育んできた土着的な祈りを、観光客が増えた現在のお水取りに見いだすことは難しい。スマートな暮らしと引きかえに、我々は「生身の重さ」を捨ててきたのではないだろうか。(寄稿)
本行は3月1日~15日早朝
お水取り本行(ほんぎょう)は3月1日から15日早朝まで。1~14日の午後7時前後に、おたいまつが二月堂回廊(舞台)に登場する。12日は11本で、その他の日は10本。毎日午後と、午後7時以降には練行衆の法要がある。たいまつの拝観や法要の聴聞は無料。