昨日・今日とやっとエアコンを使わずに過ごせる日がやってきました~
さっき、雑誌の間にプリントアウトしていたパオロ絡みの古い記事が出てきたので、
備忘録として残しておきたいので転載します。
でも、これのソース元が分からないんだけど
「コラム:キャプテンとその20年(2005年1月20日)」
パオロの顔や表情は「家族の宝」というフレーズにぴたりとハマる。
簡潔かつ洗練されたこのフレーズは、イタリア最有力の日刊紙が、
今日20日の紙面に、パオロの20周年を祝うべく打ち出したものだ。
ミランで、ミラネッロで、そしてピッチの上で。
彼は仕事好きで、常に変わらぬ意欲と情熱をもって日々のトレーニングに励む。
そんなシンプルなことの積み重ねによって、パオロ・マルディーニは歴史を作り上げた。
20年という長いサッカー人生を語ること、その感動を拾い上げること、
それらを吟味することはいずれも決して簡単なことではなく、
その年月の間にはたくさんの勝利と失望、数え切れない程のエピソード、
そして多くの感動が詰まっている。
1985年1月20日のことが、まるで今日の出来事のように思い出される。
スパイクの紐をしっかりと締め、まるで結婚式前の花嫁のように胸を高鳴らせていたパオロ。
監督ニルスはベンチから立ち上がって彼に言った。
「準備するように」。
そしてパオロはピッチへと入り、そのときミランはウディネーゼを相手に1点差のビハインド。
すべての人は思った。
「チェザーレの息子はいい選手なのか?」。
「父親よりもずっと素晴らしい選手だよ」とリードホルムは口の中でつぶやく。
一方その頃、父チェザーレは、車を止めてラジオをつける。
出ているかも知れないし出てないかも知れない。
でも、もしかしたらパオロの名前が聞けるかもと期待しながら・・・。
それから20年が過ぎた。
忘れられない初勝利から、マンチェスターのあの最高の一夜まで。
40年前に彼の父がそうしたように、パオロはキャプテンとして、
チャンピオンズリーグの優勝杯を掲げ、イギリスの地でひとつの大きな到着点に至った。
チェザーレと同じように。
レオナルド小学校に在籍し、サッカーに関して他の誰よりも非凡な才能を既に発揮していた彼は、
やがてミランの顔となり、全ての人をしのぐ、全ての人の先頭にたつキャプテンとなって、
様々な新記録を打ち出してきた。
そして、友人のビリー(コスタクルタ)が「夢のスタジアム」と呼ぶサンシーロは、彼の家となった。
家族の写真から飛び出したパオロ少年の名前やその姿は、やがてポスターに、横断幕に、
サポーター席のコールに登場するようになり、ミラニスタの心の中に深く刻まれた。
しかし、それだけではない。
もっとも手厳しい敵ですら、パオロを罵倒するフレーズを口にすることはないのである。
彼に声をかけたり、写真を撮らせてもらうように頼むことを尻込みする人を時折見かける。
それは、パオロ・マルディーニを包む特別なオーラのせいということもあるが、
彼はもともと人当たりのよいタイプで、つまりは彼に対する「尊敬の念」が、
あるいはピッチ内外に関わらず偉大な唯一無二の選手に対する「憧れの念」が、
人々を時に尻込みさせるのだ。
彼があと何年、現役を続けるのかは分からない。
彼の情熱は尽きることがなく、ピッチに立つ事は彼にとって価値のつけようのない事だ。
他の選手より1日多い休暇が許されても、パオロは皆と同じ日にミラネッロに姿を現す。
パオロ・マルディーニは限界知らずで、友人ビリーが40歳で現役を退く事も、
彼にとっては受け入れがたいことだろう・・・。
ニースに旅行していたAnnaからの写真
さっき、雑誌の間にプリントアウトしていたパオロ絡みの古い記事が出てきたので、
備忘録として残しておきたいので転載します。
でも、これのソース元が分からないんだけど
「コラム:キャプテンとその20年(2005年1月20日)」
パオロの顔や表情は「家族の宝」というフレーズにぴたりとハマる。
簡潔かつ洗練されたこのフレーズは、イタリア最有力の日刊紙が、
今日20日の紙面に、パオロの20周年を祝うべく打ち出したものだ。
ミランで、ミラネッロで、そしてピッチの上で。
彼は仕事好きで、常に変わらぬ意欲と情熱をもって日々のトレーニングに励む。
そんなシンプルなことの積み重ねによって、パオロ・マルディーニは歴史を作り上げた。
20年という長いサッカー人生を語ること、その感動を拾い上げること、
それらを吟味することはいずれも決して簡単なことではなく、
その年月の間にはたくさんの勝利と失望、数え切れない程のエピソード、
そして多くの感動が詰まっている。
1985年1月20日のことが、まるで今日の出来事のように思い出される。
スパイクの紐をしっかりと締め、まるで結婚式前の花嫁のように胸を高鳴らせていたパオロ。
監督ニルスはベンチから立ち上がって彼に言った。
「準備するように」。
そしてパオロはピッチへと入り、そのときミランはウディネーゼを相手に1点差のビハインド。
すべての人は思った。
「チェザーレの息子はいい選手なのか?」。
「父親よりもずっと素晴らしい選手だよ」とリードホルムは口の中でつぶやく。
一方その頃、父チェザーレは、車を止めてラジオをつける。
出ているかも知れないし出てないかも知れない。
でも、もしかしたらパオロの名前が聞けるかもと期待しながら・・・。
それから20年が過ぎた。
忘れられない初勝利から、マンチェスターのあの最高の一夜まで。
40年前に彼の父がそうしたように、パオロはキャプテンとして、
チャンピオンズリーグの優勝杯を掲げ、イギリスの地でひとつの大きな到着点に至った。
チェザーレと同じように。
レオナルド小学校に在籍し、サッカーに関して他の誰よりも非凡な才能を既に発揮していた彼は、
やがてミランの顔となり、全ての人をしのぐ、全ての人の先頭にたつキャプテンとなって、
様々な新記録を打ち出してきた。
そして、友人のビリー(コスタクルタ)が「夢のスタジアム」と呼ぶサンシーロは、彼の家となった。
家族の写真から飛び出したパオロ少年の名前やその姿は、やがてポスターに、横断幕に、
サポーター席のコールに登場するようになり、ミラニスタの心の中に深く刻まれた。
しかし、それだけではない。
もっとも手厳しい敵ですら、パオロを罵倒するフレーズを口にすることはないのである。
彼に声をかけたり、写真を撮らせてもらうように頼むことを尻込みする人を時折見かける。
それは、パオロ・マルディーニを包む特別なオーラのせいということもあるが、
彼はもともと人当たりのよいタイプで、つまりは彼に対する「尊敬の念」が、
あるいはピッチ内外に関わらず偉大な唯一無二の選手に対する「憧れの念」が、
人々を時に尻込みさせるのだ。
彼があと何年、現役を続けるのかは分からない。
彼の情熱は尽きることがなく、ピッチに立つ事は彼にとって価値のつけようのない事だ。
他の選手より1日多い休暇が許されても、パオロは皆と同じ日にミラネッロに姿を現す。
パオロ・マルディーニは限界知らずで、友人ビリーが40歳で現役を退く事も、
彼にとっては受け入れがたいことだろう・・・。
ニースに旅行していたAnnaからの写真