ずっとアップしなきゃ、と思っていた1月のスペイン↓
やっと画像アップ終了しました・・・遅すぎ
と、その前に両親に挟まれたアロンソ、いい画像だな~、
と思っていたらブーちゃんも発見
@alo_oficial アロンソtwitterでsamuraiというキャプションだった
アロンソが、日本文化に興味がある、っていうのを聞くと真実味があるんだが
Bilbao Vol.1
Barcelonaを後にし、今回の旅の最終地点Bilbaoへ飛行機にて移動。
航空性中耳炎持ちとしてはなるべく飛行機を使いたくないので、
本当は電車移動するつもりだったんだけど、
購入を先延ばししてたら売切れてた
皆さんも購入はお早目に!
アウェーのソシエダ戦に向かうBarçaは1時間後の便だったらしいので、
空港内で見掛けたかったのに、搭乗しなきゃいけなくて叶わず残念。
ホントはSan Sebastianで観戦する予定でもあったけど、
訳あって結局行けずに観れなかったし。
冬は特に雨が多いらしいけど、
ビルバオ空港に着陸前からすっごい雨なんですけど
バスク地方は美食地帯とも言われているだけあってなのか、
この地方のバルやレストランで食べた味付けは
さっぱりしていて美味しかった。
そして、何よりTxakoli(チャコリ・バスク地方の微発泡の白ワイン)です。
ビルバオ滞在中、いつでも何処でも必ずチャコリ
念願のバスク地方に居ると思うだけで、
天気が良くなくても毎日嬉しい日々でした。
何度も載せるようだけど、昨年
WOWOWで放映した
「
バスク ~なぜ彼らは掟を貫くのか~」
を見て、どうしても行きたかったのよね。
ざっくりとですが、この番組で印象に残った所を抜粋しました。
死んだ我が子を抱いて泣き叫ぶ母、
断末魔の馬、目を見開いたまま息絶えた男性。
スペインの巨匠、パブロ・ピカソ作ゲルニカ(Guernica 1937)
誰もがこの絵を1度でも見たら忘れられません。
地獄絵図、この作品にピカソは怒りと祈りを込めたのです
ここに浮かび上がる1つの民族・バスク。
ゲルニカとは、
人類史上初めて無差別爆撃にさらされたバスク地方の1都市の名前です
内戦とファシズムに翻弄され、悲劇の民となった人々。
彼らは不屈の魂で悲しみを乗り越えて力強く生き延びてきました。
1936年、ファシスト フランコ(Francisco Franco)将軍の反乱により内戦が勃発
そんなさなか世界を凍りつかせる衝撃的な出来事。
ナチスドイツがフランコ軍を援助し、
バスク自治の象徴ゲルニカに無差別爆撃を行ったのです。
ゲルニカの街は1日で廃墟と化しました。
内戦に勝利したフランコ将軍はMadridに独裁政権を樹立。
バスク地方に対して、36年間徹底的な弾圧を加えました。
フランコ演説
『バスク人達よ、お前達はスペイン国家の為に働かなければならない。
スペイン万歳!』
バスクの国旗イクリーニャ(Ikurriña) を使う事も36年間禁止されていました
バスク地方は、
ピレネー山脈を挟みスペイン北部とフランスにまたがった地域。
大西洋とピレネー山脈に囲まれたバスク地方は、
十分な降水量と豊かな森林に恵まれて古くから林業が発達しました
デウスト大学バスク言語学エチェバリア教授曰く、
『地形の特性上、林業が発達した為
バスク地方には屈強な人が多くいました。
強靭な肉体が生きていく上で必要だった訳です』
屈強で真面目、働き者、丸太切りの競争や石の重量挙げなど
木こりにちなんだ力比べの競技も盛んでした
中心都市のBilbaoは人口36万人、19世紀以降鉄鋼業で繁栄してきました。
その時代の面影を残すビスカヤ橋は、
世界最古の運搬橋として世界遺産に登録されています。
しかし今はサービス業に転換のさなか。
鉄工所の跡地に建てられたグッゲンハイム美術館(Museo Guggenheim)は、
変わりゆくBilbaoの今を象徴しています
独立運動が盛んなバスク。
マドリード中央政府から弾圧を受けた歴史を持ち、
独自の文明を築いた自負があるのです
バスク語とスペイン語は完全に別の言語です。
時に謎の民族とも呼ばれるバスク。
バスク人は、15万年前からピレネー山脈の麓に住む民族で、
スペイン人とは異なるDNA・言語を持ち、
そのルーツは未だに明かされていない。
多くの著名人も輩出しました。
フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)、チェ・ゲバラ(Guevara)、
モーリス・ラヴェル(Maurice Ravel)、ビクトル・エリセ(Víctor Erice)、
エビータ(Eva Perón)もバスクの血をひいています
そんなバスクにイングランド人が持ち込んだもの・・・サッカーです。
1898年、スペインで最も早い時期に創設されたのが、
アスレティック・ビルバオです。
無骨なイングランドサッカーはバスクの男達の精神によく馴染み、
勇猛果敢な彼らにはライオンのあだ名がつきました
スペインサッカーといえば、
華麗なテクニックと観客を魅了するパスサッカーで
世界をリードする存在です。
しかしバスクは全く違います。
年間降水量は首都マドリードの3倍、
イングランドに似た軟弱なグラウンドでは、
パスサッカーよりも、ロングボールを主体とする肉弾戦の方が適していました。
純血主義を守りながらそれでも強い。
その強さはバスクという土地が生んだものでした
Athletic名誉職Iribar(現役時代GKとして活躍)
『イングランドサッカーの影響が大きいのは間違いありませんね。
敵にまっすぐ向かっていく肉弾戦、
崇高でエネルギッシュなスタイルが好まれました。
初めてこのBilbaoにサッカーを持ち込んだのが、
製鉄所で働いていたイングランド人技師だったからでしょうね』
1975年11月、フランコ死去。
暗黒の独裁時代が終わりました。
そして、Athleticのホームスタジアムに、
禁止されてきたイクリーニャが堂々と掲げられたのです。
計画を思いついたのは、当時のキャプテン・Iribarでした。
『あれは歴史的な瞬間でした。
当時あの行為は違法で私は投獄を覚悟していました。
この思い切った行動でバスク社会に貢献出来るぞ、
と固く信じていたのです』
暴力・弾圧・虐殺といった多くの困難に負けず、
固有の伝統を大事に育んできたバスクの人々。
アスレティック・ビルバオこそ不屈と団結の象徴だったのです
地域のチームを応援する、
それはヨーロッパの人々にとって人生の大きな喜びの1つです。
スペインサッカーの名門アスレティック・ビルバオ、
このチームは1つの掟を100年間も貫いてきました。
その掟とは・・・。
バスク純血主義、なぜ彼らはこの掟を100年も貫くのか、
そして厳しい誓約にも関わらず何故強いのか
この1年間、彼らは大きな転機を迎え変化の只中にあります。
変わるもの、そして変わらないもの、
彼らを1年間追いながら掟の運命を見つめ続けました。
A・ビルバオ1898年創設、スペインのプロサッカーリーグ、
リーガエスパニョーラでも有数の名門です。
バスク純血主義を100年間頑固に貫いてきました。
各国スーパースターのひしめくリーガにあって
これは極めて異例のこと
Llorente
『リーガエスパニョーラのような高いレベルの中で、
郷土出身の選手だけで戦うチームは他にはないだろう』
Toquero
『Athleticというチームは、バスク人だけで戦う唯一のチームだ。
僕たちはリーガエスパニョーラという
世界最高のリーグで戦っていて、
一度も2部リーグに降格したことがないんだよ、
だから毎試合全力を投入出来ることが誇りなんだ』
Ander
『クラブが創られた約100年前から、
バスク人だけで戦うという掟でやってきた。
人気があるのはこの掟のためなんだ。
この掟で戦う世界で唯一のチームだからね。
世界中の人々がそれをエキゾチックに感じているし、
好奇心をもって見ているんだよ』
Susaeta
『他のチームは資質のある選手を外から獲得出来るけれど、
Athleticはバスク人だけで戦わなければならない、
だから僕たちは闘志を持たなくてはいけないんだ』
リーグ優勝8回、日本の天皇杯にあたる国王杯優勝24回。
また、リーグ創設以来1度も
2部リーグに降格していないのはわずか3チーム。
Real Madrid、Barça、そしてAthleticだけです。
しかし1984年の優勝を最後に、
30年近くタイトルから遠ざかっている現実を前に、
彼らにも転機が訪れています。
伝統を守ってきたチームにやってきた
改革者・アルゼンチンの名将Bielsa監督。
Bielsaを招いた強化責任者・Amorrortu、
『これまでもチームはそれなりの成績をおさめていました。
しかし何かが足りません。
何かこう新しい刺激が必要だったんです。
ゲームを組み立てていく新たな形。
よりコンパクトにもっと人数を割いて攻撃出来るスタイルです、
変革すべき時がもう来ていたという事です』
世界1となったバルサのように、今はまさにモダンサッカーの時代。
Bielsaはその第一人者の1人です。
指導方法は独特でこれまでと全く違うもの。
細かい決め事の元、
戦術練習を繰り返しながら2~3分に1度は
選手を集めノートパソコンで勉強会。
選手である前に戦士たれ、
とするあのAthleticはどこに行ってしまったのでしょうか。
Ander
『何かを変える時は常に時間がかかるんだ。
以前のサッカーとは完全に異なるから、
新しい基準で理解しなくてはいけない。
でも、それは有効かつ正当な方法なんだ』
2011-12シーズン開幕。改革者ビエルサ監督の元で、
新たな挑戦の始まりです。
ところが、新監督のコンセプトを
まだ完全に理解してない選手達は闘争心が空回り、
なかなか結果が出ません。
どこか狂った攻守の歯車、
名門Athleticにとって予想外の苦しい戦いです
この後もなかなか結果が出ず、
開幕5試合で勝ち星なしの2分3敗クラブ史上最悪のスタートです。
Bielsa監督の新体制は不穏な出だしとなりました。
新体制となった事で苦しい立場に追い込まれた選手もいます。
Toqueroは、バスク地方の中小クラブを渡り歩いた後、
24歳でやっとAthleticに在籍。
労を惜しまない泥臭いプレーで地元ファンの人気者。
イングランドサッカーの血筋を脈々と受け継いだ選手です。
ところがBielsa監督就任後はレギュラーの座を失っています。
『今年は少ないチャンスを活かさなければならないんだ。
そういう時に応援してもらうと本当に愛情を感じるよ。
うまくいってない時こそ応援が必要なんだ』
今苦しい立場にある彼の心に何が去来するのでしょうか。
シーズン開始1ヶ月頃から(2011年10月27日A.Madrid戦以降)
あれ程空回りしていた彼らの戦いぶりが少しづつ改善してきました。
Bielsa監督の改革がようやく実を結ぼうとしています。
激しいプレッシングとパスワークで相手を崩すモダンサッカー。
そして選手である前に戦士たれ、
の伝統に根ざした無骨なサッカー。
この2つの融合がAthleticを根本から変えようとしていました。
Iraizoz
『僕らはスポンジのようになろうとしている。
監督から出た全ての知識を貪欲に吸収しているんだ。
監督の要求に適応しようと努めているよ。
毎週出される新しい指示が僕らを成長させてくれるんだ』
Susaeta
『ディフェンスラインからしっかりと組立るようになったんだ。
ダイレクトにボールを放り込むことはしなくなったんだよ』
そして、彼らの進化を象徴する一戦があります。
王者Barçaとの激闘。(2011年11月6日)
この日もバスク地方らしい雨の降りしきるスタジアム。
雨を味方につけた粘り強い戦い方と、
鋭い出足でBarçaを追い詰めますが、
試合時間90分を3分過ぎたところでメッシがゴール。
Athleticのチーム作りに対し、Pepも称賛を惜しみませんでした。
『驚くべき対戦相手でした。
彼らは走り回り集中力を保っていました。
これほどアグレッシブなチームと戦ったことはありません。
このようなチームを作るBielsaは、やはり素晴らしい監督です』
シーズン後半、Athleticは旋風を巻き起こします。
国王杯では圧倒的な強さで他を寄せ付けず順調に勝ち進みます。
そして遂に決勝にまで上り詰めました。
決勝の相手はBarça。28年ぶりの国王杯優勝を狙います
ヨーロッパリーグでも快進撃。
Manchester Unitedを敗るなど世界をあっと言わせ、
国王杯同様決勝の舞台に立ちました。
Bielsa監督は、バスク純血主義を誓約とは考えません。
バスクの人々の心情にのっとりつつ、
自分のモダンサッカーを追求しました。
その時、バスク純血主義はAthleticにとって最大の強みになったのです。
Ander
『僕らは変わったと思う。
Bielsaの緻密なサッカーと闘志を前面に押し出した伝統のスタイル、
この2つを両立することで、素晴らしいサッカーが出来るんだ』
Bielsa
『このチームは地域との結びつき、
エンブレムとの結びつきが密接です。
私はこの土地にうまく順応できていると思います、
誇りを最も大切にするこのユニークな土地にね』
2012年5月2日、AthleticがホームにR.Madridを迎えます。
奇しくもこの日は、R.MadridがAthleticに勝てばリーグ優勝が決まる日。
R.Madridはフランコ政権の元で栄光を築いたクラブ。
それだけにBilbaoの人々は優勝させてなるものか、と気合が入ります。
変わるものと変わらないもの、Athleticのサッカーはこの1年、
劇的な変化を遂げました。
しかし、選手である前に戦士たれ、
という彼らのスローガン、
それは永遠に変わることはありません
試合はR.Madridの猛攻が始まりあっという間に3失点。
必死に追いすがるアスレティックイレブン、
そのAthleticをひたすら応援するバスクの人々。
R.Madrid、32回目のリーガ優勝。
敗れてもなおスタジアムには、
アスレティックコールがこだまし続けます。
戦術は変わっても魂のありかは変わりません
ゲルニカの木(Gernikako Arbola : Árbol de Guernica)
朽ち果てた木のすぐ目と鼻の先に1本の若木。
これは年老いた木の苗から育ったもの、
まだか細い幹ですがやがては生い茂って大木となります
ゲルニカ爆撃の記憶を語ってくれたルイス・イリオンド氏(Luis Iriondo)
『実は兄と一緒に両親の眠る墓地に来る予定でしたが、
もう94歳なのであまり外出しません。
兄はAthleticの伝統的な選手で多くのゴールをあげました。
国王杯で4回、リーガで1回優勝し
監督としても国王杯で優勝しました。
兄との会話はいかなる時もバスク語でした、
たとえ禁止されていてもね』
バスクの人々はどんなに辛く暗い時代にあっても
誇りは失いませんでした。
全てのものは時の移ろいと共に変わる、と言われています。
でも、変わらないものだってある。
その事をバスクの人々に支えられた、
Athleticの誇り高きフットボールが教えてくれるのです
Toquero
『僕たちはバスク人だけで戦う掟を貫いてきた、
この掟をこれからも守っていかなければいけない』
前置きが非常に長くなりました
私がとても好きなこの言葉をスペ語でどんな風に言うのだろう、
と思っていたら、
ある方から、
『巨人は紳士たれ、をA・ビルバオ風に日本的に言い換えたのでは?』と言われ、
え~っ、そうなの~!と久々に、ヴィンテージ武井になりましたが
旧市街や街を流れる川沿いを散策。
宿で地図を貰ってはいたものの、いまいち建物の名称とか良く分からず。
参考にならずですいません
旧市街にあるサンティアゴ大聖堂に行ってみたかったんだけど多分ココ(左側)
ココもバスク博物館も閉まってたけど
バスク自治州の国旗「イクリニャ」が好きで、
掲揚しているとつい撮ってしまう
特に夕方以降、川沿いを沢山のビルバオ市民ランナーが走ってるんですけどね。
一緒に犬も連れてるケースが多いんですけどね。
何だかリードしてる人が少ない気がするんですけど。
幾ら犬好きな私でも、ポニー?ハイジのヨーゼフ??パトラッシュ???
いや、とにかくでかい犬がリードなしで横通るとビックリしますわ
高層ビルを目印に歩く・・・にも関わらず、反対を歩いていて途中で気付いたり
グッゲンハイム美術館前にいるパピーちゃんも目印に歩く
銀行とか高級店が並んでたので、この辺をビルバオの銀座、と勝手に呼ぶ