ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

「月寒の少年」物語

2011年11月15日 21時17分14秒 | ペタンク爺さんの一日
平成7年に「月寒の少年」市民会議が発足した、この歌の作詞作曲家の星野哲郎、船村徹さんが名誉顧問に就任し、平成8年11月15日に月寒公民館で桂市長を筆頭に市民会議が開催され、そこへお二人が来札し会も盛大になった。
今日、11月15日「月寒の少年」市民会議の集い~作詞家星野哲郎師を偲んで~が開催され、私も参加してきた、偶然なのか平成22年の11月15日に星野氏は他界した、札幌の「月寒の少年」市民会議とは不思議な重なり方をしているのに驚いている。

この曲は、昭和30年代に札幌の月寒地域を通った時に出来上がったと云っていたが、地方の片隅の地名入りの歌は埋もれてしまっていたらしく、何十年も経過した平成6年に個人の秘蔵のレコートを探し出し出され、そこから月寒の人達の努力で広がっていったと云われている。
私と「月寒の少年」の出会いは、数年前月寒連合町内会の新年会に出席した時に女性部の合唱で初めて知った時だった。
ゆったと流れるリズム感と、牧歌的な詩の内容が非常に心地よい響きとともに体の中に染み込んだように感じた。
私も今は月寒の住人にどっぷり浸かっているので、もう体質のようにこびりついたと思っている。
今日の会は、月寒小学校の子供たちの合唱から始まり、映像上映、講演、オンステージ/演歌、民謡、尺八、ギター、三味線合奏等二時間三十分の楽しい時間だった。

今日は、PCホームページビルダー15のマンツーマン講座があった、今日で3回目でようやく一対一の勉強にも慣れてきた、ひとと通りはやっているが、少し時間をおいて習ったことが全部出来るか少し不安か残る。

時間を切って色々なこともやっているが、キックズスキー(スリッパスキー)の第2号が完成し、写真撮影を終わらせた、これらは色々なものに利用しようと思っている。

今日の「月寒の少年」市民会議の様子を少し動画に収めたので、明日以降YouTubeにアップして此処にも貼り付けようと思っている。

月寒小学合唱団

はかまだ雪絵さんのライブ


キックズスキー2号

寒くなると温泉が良薬に

2011年11月14日 16時04分24秒 | ペタンク爺さんの一日
ここのところ、サプリメントを含め薬は全く飲んでいない日々が続いているが、残念ながら回復の望めない眼科の病気の緑内障が発見され治療を続けているが、医者のセリフを言うと進行を止めるだけで治療の方法は今のところ目薬を差すだけで生涯続けてくださいとのことだった。
内科、外科と違って直接命に関わることもなく最悪でも失明で終わるせいもあるのか、薄情にも聞こえる診断が下されていた。
もう一年以上も続けていると思うが、目薬を朝1回と夜2回、毎日欠かさず差し続けなければならない、最初のうちは眼のふちに液をこぼしていたが、それが目の周りの色素を黒くし疲れた時の目の状態になっていた、最近は少し上手になってきているので、余り黒さが目立たなくなってきている。
今朝、目薬が切れそうになって事に気が付き、昼近くになっていたが慌てて向かいの眼科に行く、最近特に目が萎んで引っ込んでいたので、内科からくる症状かと気にしていた、今日は眼科の医師に尋ねたらこれは目薬の副作用との話だった。
良く考えると、医者はしきりに眼圧を下げると云っていたか、眼球の眼圧を下げると目の玉そのものが小さくなることだ、と自分なりに判断し、それなら目が引っ込んで行く理屈が理解できると思った。今日の診断は、今のところ特に悪くなっていることは無いとのことだった、次回は正月も明けてから、この分なら2月頃になると思う。

昨夜から、一気に気温が下がりだしていた、朝起きると私のアキレスケンの腰に少し異常が感じられていた、原因は気象のせいと理解し体全体の筋や筋肉をのびやかにするには温泉療法が一番と、西の里にある山根園天然温泉森のゆに出向く、近郊の日帰り温泉の中でも一番落ち着ける所と思っている、通常600円で回数券を買うと450円くらいになる。
・・・・・・・コーヒー色の温泉で・・温まった、此処はパークゴルフコースもありまだプレーしているパーテーもいた。
見た目からも寒そうだったが、温泉入口にパークと温泉セットで1,200と書いてあった。
パークと温泉セット
回明堂眼科は自宅前



瓢箪から駒

2011年11月13日 15時23分11秒 | ペタンク爺さんの一日
最近はすごく食が細くなってきているのに気が付いていたが、別段特別体調の変化もないのだが、体重だけは増えることは無く微かにだが減り続けているように感じている、先日のお風呂屋での体重測定で58キロを限りなく切りそうな状態に、身長は昔で行くと168センチ今は多少詰まってきているが、我らの平均的な体格では上位の方にランクされていたと思う、それから行くとお風呂の中で同年代の人たちのお腹の大きさに、少し異常さを覚えるが、それに引き替え私は何処をとっても太めの所がなくなっている。

確かに、筋力が極端に少なくなっていると感じるこの頃だが、運動で付けることはこの年齢ではもう無理かと思うようになってる、それでも最近は何事も本番をトレーニングのつもりで精一杯頑張ることにしている。
昨日ひょんなことから、滅多に見ることもない新聞のチラシを見ていたらラーメン屋さんのチラシが目に入った、暑い間はラーメンの看板を見ても食欲は湧かなかったが、ストーブの火か恋しく感じられるようになると、暫くぶりでラーメンを食べたくなっていたのが良くわかった、それに300円の金額が異常に安さを感じた、近年はラーメン一杯7.800円は当たり前になっているので、この値段にも引き付けられたと思っている、妹に明日のお昼はラーメンを食べに行こうと誘ったが、これはきっと本州の有名店並みに並ばないと食べられないよとの話になっていたが、札幌ではそんなこともないと高をくくっていた。

11時開店なので、恐る恐る目当てのお店近くに近づくと10台くらいの車が駐車場入りの順番を待って並んでいた、昨日云ったことが本当になっていた、せっかく来たからと後ろに並ぶ、結局食べれたのは1時間を過ぎていた、これだけ待ったのだからさぞや美味しいはずと食べ始めたか、待っただけの期待を裏切らない美味しいラーメンだった、昔々室蘭で食べた少し黄ばんだかん水の訊いた麺で、札幌で初めて出会ったと思っている。
ここなら、紹介できるお店になると感じた。「白樺山荘」

ラーメン300円
久しぶりラーメンでした


冬の足音聞こえてくる

2011年11月12日 15時18分37秒 | ペタンク爺さんの一日
冬支度は、雪国の人達には非常に大事な行事であり準備である、此れから立ち向かうであろう冬将軍との戦いの日々に備えて。
北海道の、動物も恵みの秋に食料を蓄える術を使っていて羆などは体に皮下脂肪を貯め込んで静かに越冬状態に入っている、雌熊はその間の絶食中に出産を済ませている、最近特に増えてきた鹿は笹や枯草を食べつくすと、若い木の皮を食べてしまい木を枯らすといわれている、良く鹿は畑を荒らすと農家の人達には嫌われているが、今年は山が不作のせいで羆までしきりと里山を通過し町の中まで出没している、クマの食糧難が深刻だと云うことが、今年こそ市民の皆さんにも認知されたと思っている。
お蔭で、キノコの不作もあるが今年のキノコ採りの後半はすっかり山に寄りつかないでしまった、意に反しそれでもキノコが豊作だったら危険を冒しても入山していたと想像している。

数日後に車検入りを控えていたが、月曜からとうとう雪が降り出すらしい、来週も出て歩くことが多いので夏タイヤから、冬タイヤに交換しょうと、朝から気合が入っていた、午前中来客があり昼から取り掛かった、普通のタイヤ交換なら昔取った杵柄、30分もあれば出来てしまう、所が今度の中古車は足回りが欠陥だった、タイヤのナットを外してもタイヤが外れない、春のタイヤ交換時にも苦労したことを思いだす。

やむなく、自分での交換をあきらめ近くのスタンドに持ち込む、雪の気配を感じてかタイヤ交換する車が三台も待っていた、順番を待ってプロにやってもらう、1本700円4本で2,800円也スタンドの稼ぎ時也。

そろそろトマトの端境期で、品薄の上高値が続いている、それでも我が家のトマトピューレーのストックが底を突きだしたので買ってくる、写真のトマトは全部で1,300円、それにカットトマトかんずめ65円トマトジュース290円を入れ一回で作る。
此れで20日分くらいのトマトピューレーが出来るので、1日分100円にも満たない勘定になる。
兎に角、朝食時のパンとトマトピューレーは我が家の常食なり。
・・・・・トマトの中に蜂蜜と黒酢が加わる。

わが町のカーリング場、工事たけなわ来年の8月には完成、ハイシニアカーリングチーム結成を目標に掲げる。

月寒カーリング場工事たけなわ
トマトピューレ作り



開墾150年のつきさっぷ

2011年11月11日 16時03分17秒 | ペタンク爺さんの一日
私が札幌に出てきたのが1961年でまだ20歳代の後半の歳だった、丁度そのころ札幌市に豊平町が合併されている、それから数えても50年は過ぎていて、人生の大半は札幌が住処になっている、今は豊平区の月寒地域に居住し20年も過ぎている、その月寒の開拓は今から150年に遡り明治4年にわずか44人の岩手県民がこの月寒の開拓に入ったといわれている。
今年の月寒地域の人口は3万6千人になっていると発表されている、此処から札幌の中心部を見るときは、この地域から丘陵地帯になり市内が下の方に眺められていた、其処に自衛隊の送信所が広々と広がっていたが、本当にあっという間と思うくらいで、団地が出来上がっていた、今日新聞に出ていて11月から入居が始まっていると書かれていた。
7~11階建て7棟で、約2千名近い住民が増えるらしい、建て主は国で市内の老朽化した国家公務員宿舎を集約し、「月寒東住宅」が完成していたことをこの目で確認できた。

この処の暖かさも、どうやら今週末で終わり週明けの月曜から一気に気温が下がってくるらしい、予報にも雪マークがつくようになった、慌ててタイヤ交換までは要らないと高をくくっているが、17日には車検に入れることにもなっているのでその辺で判断するつもりでいる。

今週から、週4つのカリキュラムが組まれていて、12月初めまで続く一つは2時間、一つは30分程度だが一日のサイクルの中に入り込んでくると、少しは制限されてくることもあり慣れるのにしんどく思うこともある。

札幌の、ポプラ並木は北海道の代名詞にもなっているが、北大のポプラは老朽化が進み、今は完全には解放されていないが、もう何年も前から二世のポプラ並木も出来ているが、まだ馴染まないのは無理からぬこと。
それに引き替え、月寒八紘学園内のポプラ並木は、牧歌的な背景のポプラと組み合わせ北海道を代表する風景であるこは類を見ない。

サイロが目印に
月寒東住宅





ぽかぽか陽気

2011年11月10日 15時02分16秒 | ペタンク爺さんの一日
11月に入って、本当に暖かい日が続いている過去の記憶の中では10月の末に初めての里雪がありすぐ消えてしまうが、11月の文化の日には雪がちらちらと降っている風景が私の幼いころからの記憶に残っている。
子供たちとスキーを始めてからでも、10月の末から11月の文化の日の辺りは、必ずと言っていいほどスキー滑りが始まっていた、無論街の中には雪は無いが、雪を求めて高い黒岳、旭岳、手稲山、中山峠、豊羽鉱山、等に行っていた、可也遅くなってから人工雪ゲレンデが出来るようになると様子が一変したのも覚えている。

気象庁の発表では、どうやら初雪が遅いらしいひょっとすると11月の20日の記録が更新されるかもと言っていた、今のところここ一週間くらいは劇的に気温が下がり冬らしくなる気配は感じられない、近郊のスキー場もやきもきしているのが判る。
・・・・兎に角天からお金が降ってくると云うセリフはスキー場のオーナー関係者から聞いていることだった、今でも変わらないと思っている。

余りの暖かさに、裏庭で一人ペタンクの練習を始めた、カーデニング作業も順調にこなしてきていたが、早々と練習を終え葡萄の選定を始めた、一年で相当枝が伸びベランダの手すりを覆ってしまう、今年も思い切って短くした。
公園内の大きな木は、市で毎年見計らっては選定をやってくれているので大きな木は我らが手を加えることは無いが、低木は囲いもしないので自然枯れする木も出てくる、10本ほど有ったつつじが今年は2本になっていた、見るに見かねて少し手入れをする。
同じ低木でも榛松は、丈夫で年々かさが大きくなり散策路を塞ぐ勢いだ。
出来れば、少し枝切りをしたいのだが結構な量になるので、手を出しかねている、年のせいかとうなづくだけ。・・・・よほど気合が入った時でなと・・・・・

葡萄剪定前

剪定後

切られた枝



入居指定日5月1日

2011年11月09日 15時41分00秒 | ペタンク爺さんの一日
現在入居している月寒はまなす団地には、平成2年の5月1日だったことが今日再認識させられた、ひょんなことから古い書類で、札幌市からの市営住宅入居繰り上げ当選通知と案内及び入居許可書が出てきた、詳しいことはもうすっかり忘れ去っていたが、入居してから早22年も経っている事が判った。
入居時は、敷金66,200円と家賃33,100円だったことが判った、この値段でも民間の家賃からみても安かったことは今でも鮮明に覚えている、それ以後それより高くなることは無く年金生活に入ってからは、年収に合った家賃設定に民間では出来ないシステムに感謝している。

つい最近、自然食品のまほろばに出入りし始めた、北海道にはなじみが薄い柿ひとつ290円の値がつけられて出ていた、よく見ると九州熊本の太秋柿で少し調べると。

比較的新しい柿で、「富有」「次郎」「晩御所」「花御所」を掛け合わせて、現代風の食感と甘みで仕上げた柿が、太秋で、甘柿に分類され独特の瑞々しいシャリシャリした食感が、梨を連想させ、とくに甘みが高いのが特徴です。
ミネラル水栽培・太秋柿とJA熊本果実連ブランドと販売し販売期間が短いのが判る。

1995年の今頃、日本ペタンク協会主催の日本選手権熊本大会に参加した時に、車を持ち込んで行ったので大会終了後、そこから裏日本を海岸沿いに生まれ故郷の新潟まで旅をしていたことを思いだしていた、熊本入りする前に小樽から舞鶴へそこから一気に下関まで高速でつつぱしった事を懐かしく思い出している。
そこから熊本までの道すがら、道路沿いに出ていた柿の販売店で、大きな柿があることを始めて知らされていた、道すがら食べ歩きもしたと思うが味の方は全く記憶がなくなっている。

そんな思いが、かすめたのか思わず大きな柿を買って帰る、デザートでどんな味がするか楽しみにしている。
そうそう、その時の札幌チームの成績は男子は5位で終わったが、女子組は準優勝している自慢できる成績を残していると思っている。

入居許可書

繰り上げ当選通知



葉を落とし冬籠り準備

2011年11月08日 16時07分05秒 | ペタンク爺さんの一日
気温温暖化が着実に進行しているのか、地球規模で異変が起きているようにも思える、長雨でタイの国全体が水浸しになっている、インドやスリランカが低地地帯が広がっているとは認識していたが、タイは結構高い山もあり川が氾濫しても直ぐ水が引き、大きな被害には繋がらないと思っていた、東南アジアは話や映像だけの知識しかないので、実情は皆目判らなかったが、このたびの異常事態でタイに進出していた日本の企業に大きな警笛を上げた事には間違いないと思う。

世界中が、経済の渦の中に巻き込まれ現政権もTPP交渉の最終判断に迫られている、10年も前にこんな世の中になるなどと想像もできなかった。
出来れば、再生可能な国造りて日本だけで生きてゆけるなら、と想像だけは出来るが、実状では世界中が連鎖で動いているのが判り出来ない相談になると思う。

ただ中国人のバイタリテーに圧倒される、昔から国は無くてもどこにでも行って根を張る事が出来、地球が中国人で占領されてしまうかと錯覚も起きてくる。
それに引き替え、生存環境の狭いのが日本人の様に思える、春夏秋冬こんな最高な環境に住んでいる民族も少ないと思う。・・・・これが幸せなのか不幸なのか、考えると難しくなる。

中国インターネット事情は、ものすごいといっていいと思う、これまで広がったネット環境はもう後には戻れない、一寸先は闇と言ってもいい、何が起こるか想像を絶する。

そんな、ネット環境に私もささやかだが加わっている、今日から本格的にビルダー15の基本勉強が始まった、先生と一対一の授業で二時間、第1回目はあっという間に終わった。
初日から、目からうろこが落ちるようだった、勉強になる。

次回は明後日、12月初めまで続く。

今日は雨、裏庭の木々は、すっかり葉を落とし冬支度が終わっているように見えていた。



ラストウオーキクグ2万歩

2011年11月07日 17時32分44秒 | ペタンク爺さんの一日
5月頃から、月一のペースで創造学園OB会主催のウォーキングが開催されいてた、11月の7日が今年の最終企画で北大校内を散策することになっていて、ペタンク練習会も10月で終わっていたのでシーズンラストウォーキングに参加した。
地下鉄南北線北18条駅に午前9時45分集合だった、それに合わせるように妹を連れだって9時には自宅を出発していた、大通り駅で乗り換え現地に着いたのは予定時間の数分前だった、シニアばかりの集まり、殆どの人達が駅の改札出口でたむろしていたのが直ぐ目に入る、スタイルは、シニアの見本のようにリックを背負っている人が多いのに、自分は何も身に着けず手ぶらなのに場違いを感じるくらいだった。
話では、校内を1時間くらいほぼ4キロうろつくことになっていた、大した範囲内なので可也のパーマネントコースを予想していた、校内の18条通りは少し前まで一般車道が貫通していて校内が分断されていた、今はアンダーバスでの道路は地下に潜っているので、なにか北大校内が広く感じられるようになっていた、その辺は低温科学研究所があり馬術部の練習場があるくらいとしか認知していなかったが、今日北大第2農場として古い建物がある独立したコーナが出来上がっているのに初めて知らされ、入場無料で保護されているが判った。
其処を皮切りに、あちらこちら予想通りのパーマネントルートを歩き回り、最後は北大本部横のサラ亭にランチ時間に合わせるように到着する、企画した安西氏は予め自分の足で歩いてみて綿密にコースなどを決めたなと、思う伏が所々見え隠れしていた、それにしても立派な企画と感心しきり。・・・・頭が下がる。

恵迪寮を訪れた時に、先日終わったばかりの寮祭の残骸がまだ玄関前に散らかっていたのが印象的だった、・・・・それを見てなかなか派手にやったと想像していた。

最後のサラ亭のランチは、北大飼育の牛肉のシチューセットと珍しくビール1本を取る、合計1700円ビールはコップ一杯で、後は注いで回る。

ここえ来る前に、クラーク会館のレストランのカレー270円を見てしまった、それすら注文しないでカップラーメンを食べている学生もいて彼らの食生活の実情も少し垣間見た。
自宅に帰り、万歩計を見ると1万9千600歩を歩いていた。
北大第2農場

恵迪寮




アイデアを形に

2011年11月06日 17時20分26秒 | ペタンク爺さんの一日
朝からエコガーデニングの実践の続きを始めていた、昨日から土嚢袋に落ち葉だけ寄せ集めぎゅうぎゅう詰めにした袋が6個出来上がった、昨日買っておいた樽木を利用し公園の隅の花壇にコーナーを作った、ネットで得た知識を早速実践しブルーシートを轢いて袋詰めした落ち葉を三個づつ重ね一番上に再生土の袋を載せた、此れで自然に上からの重みで下の袋は沈んで行くことになっている、4月になるまでこのままの状態でほっておくと完璧な腐葉土ではないが出来ている事になっている。・・・・・・春まで待ち遠しい。
仕舞ってあったプランタンに完成していた、再生土を満たし生ごみでの堆肥作りの用意をした、少し大きめのプランタン2個なので、ベランダに置き2、3ヶ月くらいは此れで間に合うと思っている、気になるのは北海道は冬はマイナス温度になるのでどの程度分解が進むか未知数、論より証拠実践しかない。
午後からは、一気に気温が下がって来た、太陽が沈む前に花壇の菊の写真撮りをする、殆どは雑菊だが夫々が誇らしげに咲き誇っているように見えて、可愛さが伝わってくる。

今年の冬も、月寒公園そり山で子供の集まる冬休み期間に試乗会をやるつもりだ、泡橇の他にダンボールと米袋それにペットホトルを材料にガムテープを使って、子供でも作れそうな橇と、キックズスキー(スリッパ製)を用意しようとただ今準備中、後は量産まで行かないがどちらも10個程度作ればいいかなと思っている。・・・・・子供の喜ぶ姿を想像して。

先日から、12月になるとリースで入ってくるバケット(1.6m)の稼働範囲等に危険ポールを建てたり、芝の上にテントとネットを張ったりしていた、動かす人は会員の50歳くらいの副会長で、どうやら裏の公園に持ち込んだ雪でそりコースも作ってくれそうにだ。
無論、私もコース作りに精を出していると思う、今年の冬は裏庭に子供たちの賑やかな声が響き渡るかなと想像している。
無論、此処でも橇やキックズスキーを貸出そうと今から楽しみにしている。

キックズスキージュニア

菊ab

菊cd

菊ef





エコガーデニングの実践

2011年11月05日 15時41分34秒 | ペタンク爺さんの一日
毎年秋になると、木々から舞い落ちる木の葉で小さな公園が散らかっているように思えて、自冶会全体でも10月の木の葉が落ち始める頃に大清掃作戦を励行しているが、掃除が終わった後からも落ち葉で芝生が見えなくなる事もある。
特に、私の受け持っている花壇も守備範囲が広くなり、様々な仕事や資材等が自然に増えてきている、もう大分前になるが落ち葉の積み上げ場所(一坪)ほどのスペースの所で、落ち葉で腐葉土作りをしていた、春夏は芝刈りの青草なども入れていたりしていた、秋は無論のこと落ち葉が主体だったが、そのうち不埒なやつがいて生活環境のゴミが混ざっていたり、分解しないゴミも入っていたり、手を焼いたことがある。
数年後に、その堆肥作り場所を無くしてしまった、昨年からコンポスト1個を置いているが量的にはそんなものでは間に合うことはない。
昨年から、土嚢袋に詰めて野ざらしにしていたが、春までには腐葉土にはならなかった、今年はネットで得た知識で再度挑戦することにして、袋詰めを始めた。
雨に当たられないので、ブルーシートを被せることにして置きは所を石垣の塀に沿って、杭を打ち其処に積み上げることにした、午前中は公園で作業が出来たが午後から雨が降り出し、材木を少々買いに豊平のビバホームに行く、ついでに腐葉土作りと、並行してプランタンで生ごみから堆肥作りを実践するため、EMぼかしを買い込んでくる。

雨が降り続く中、向かいの東光ストアーに寄るとマグロの解体ショーをやっていた、魚もいいがお寿司も良いと覗くだけで終わってしまい、最後に本日のサービス品の串カツセット10本付きが今晩のおかずとなる。

昨夜久しぶりに、大人の会合に参加したように思った、午後7時から始まり終わったのが9時30分近くになっていたと思う、中身は月寒公園利活用、管理運営検討会議で私が首を突っ込んだのが21年と思っている、月寒公園再整備計画で工事は24年から始まり、完成は28年になっている、完成時までは生きていたいと思っているが、約束はしてくれない。

後片付けはまだ残る

マグロ解体

月寒公園再整備計画



ゆく秋を惜しんで

2011年11月04日 16時14分28秒 | ペタンク爺さんの一日
明日から予報は半分傘マークが入ってきた、この後あまりお天気が芳しくない次の晴れ間までにはもう晩秋になっていると思う、今日もベランダ外の落ち葉集めをやっていた、次から次と木の葉が落ちて限がないと思うが、少しはさっぱりするかと精を出している、無論終わった後の自分の花壇にうず高く積み上げ、そのまま春に成ると腐葉土の足しになるからと思うからで、本当は投げるものは無いのだが、たった一つのコンポストでは堆肥作りには足りない、ただ積み上げておくだけでも有効と思っている。

日に日に気温が低くなっているが、もう寒いのだから虫は発生しないと思っていたら、菊にアブラ虫がびっしり付いているのに驚かされる、むむむむ・・・しぶとい、もう使わないと思っていた噴霧器を引っ張り出しオルトン水溶液を散布する。
それにしても、あと半月もすれば雪が舞う、それまでの命と思うが害虫は憎まれる。
少々可愛そうにも思える。

今日、自然食品のお店に出向き店に置いてあるおぼろ月玄米を2K、精米機で白米にしてもらって買ってくる、お米は少し宗旨変えし、玄米を精米してもらって買うことに変える、それも面倒だが1キロ~2Kくらい。・・・・・先日そんな買い方で買ったお米は、本当に美味しかった。・・・・あと回数で何回食べれるか、微妙に心が揺れ動く。

帰り道、八紘学園に立ち寄りゆく秋を惜しんでパノラマ用に風景写真を三脚を備えて写してくる、写真の被写体は此処に来ると沢山あり事欠かないのでお気に入りの所です。

秋もいいが、雪の中の風景も素晴らしく、このときはクロカンスキーで訪れて、トレーニング場として利用している。
大雪が降った後は、自宅玄関前からスキーを履いたままで行けてしまう近さです。

手稲山が見えてくる


白樺の道





ネーミング固まる

2011年11月03日 13時07分42秒 | ペタンク爺さんの一日
今日は、先日雨で流れた五区連合町内会のボランテア活動があった、いつも使わしてもらっている五区公園の清掃作業で、雪の降る前に少し綺麗にしておこうと云うことて、町内会への市からの委託事業で多少なりとも手当がある、連町としては少ない財源の足しにはなると思う、今年は雨で伸びたせいか欠席する町内もあり参加者が少ないように感じた。
木の葉が大量に落ちており、全部集めて袋に入れればいいのだが、多すぎて全部は片づけられずしまい、あと一週間後に札幌市清掃課が落ち葉片づけに来るらしい。

兎に角、春から秋いっぱい週3回は練習会をやっているので、ボランテアでの参加は当たり前と思っている、今日は大掃除が終わってから裏の小公園で一人で撮影会を始めた、三脚をセットしセルフタイマーでシャッターを、少し離れると10秒では少し短く感じられ、なかなか忙しい思いをさせられた。

ブーツの上から履くスリッパスキーのネーミングをいろいろ考えていた、ようやく決まったのは「Kicks SKI」と「スキックズ スキー」=ツッカケスキーになる。
ついでに、発泡スチロール製橇は、「Foam 橇」フォームそりに落ち着く、泡で作った橇と云うことになる。
宣伝用の資料に今日撮影会で写した、写真を取り込む、終わってみてなんとなくのんびりムードになる。
明日の夜に、本日完成した資料が少しでも役に立てばと思っている。

HPの方のパソコンの先生から、来週から週2回ペースで講習日程が組まれた、終わるのは12月の初めまでかかる、ホームページビルダー15のテキスト本を見ると結構分厚い、何とか修了出来ればと思うことしきりだ。

橇文化とネーミング




2012橇工房動き出す

2011年11月02日 15時44分17秒 | ペタンク爺さんの一日
ペタンクはオフシーズンに入った、10月の30日札幌協会主催の市民大会が農試公園の室内ツインキャップで開催された、これが公式試合の最後の大会で、この後は各練習会になってしまう、ツインキャップでも冬の間週2回くらいペタンクに開放している、ただし平日の午後からで日曜祭日は貸切になり使えない、ソレィユーの面々はシニアもいるが学生や現役世代の人達なので日祭日以外空いていないので、残念ながらツインキャップは利用できないでいる。

今年も、12月から始り3月いっぱいまで真駒内駒岡の地区会館を利用することにしている、近いうちにお伺いして日にちを決め予定表を発表する事になっている。
今は、北海学園大学の中村先生が担当してくれていて、大いに助かっている。

昨日から、11月に入った先シーズンから考え纏めていたことを形にし始めた、予め材料は集めていて厚紙で型作りから始まり、ようやく第1号が形になった、作りながら試行錯誤の連続で何とか纏めることが出来たと思っている。

最初の、考えの始まりは昔の竹スキーから始まり、子供のミニスキーに、防寒ブーツの上から履けるスリッパにたどり着き、考えを形にしてみた。
簡単に脱着が出来ること、本体はテントと塩ビ板で作っているので固いものではないので、ぶっかっても此れで怪我することは少ないと思う。
ポケットにでも入れて持って歩ける、必要な時だけ出して使える、考えとしては用途が広がると期待が大きくなる。

それにしても、試滑を繰り返し改良する部分が出てくるか、後は雪の降ってくるのを待つだけとなる。
物作りは楽しい、橇と組み合わせることで冬の北国の楽しみが増えることは間違いない。

試作品第1号完成



書道に魅せられて

2011年11月01日 19時32分49秒 | ペタンク爺さんの一日
間もなく90歳に手が届く所まで来ている、親戚になっていた竹内氏とは、私が札幌の円山住むようになりなってから頻繁に交流が増えた縁戚で、亡妻の従兄、私もまだ30歳になったばかりの青年時代だった、そのころ釣具店を開店していて、丁度次男坊がまだ生まれたばかり。
そんな付き合いも50年近くになる歳月が流れているのに驚きを隠せない、私より10歳年上でこの年齢では立派に兵役をへて満州の戦いで実戦を経験し弾の下をくぐったと聞いている。

10年あとの私の時代は、小学校一年生の時にハワイ真珠湾攻撃の開戦から始まり、小学校五年生で終戦を迎えている、私たちより三年くらい先輩たちは予科練に行った人もいる、実戦には参加していないが、軍隊生活で人生感が変わった人たちも多いと聞いている。
とにかく、直接戦争経験はなかった四年生の時に子供たちだけで学童疎開をやっていた、増毛町に親戚があり其処の蔵の二階で中学生の姉を筆頭に子供だけの生活が、1年には満たなかったが続けられ地元の学校にも通学していた。

竹内家は本家筋で、北海道開拓時代の親の時代に十津川から滝川付近に移住してきた人たちで、その系統の中の家系から私の妻の母が、酒田から来ていた父と一緒になり上から二番目に長女として生まれ、そのあと弟妹が続き大家族になっているので、長女として苦労したように聞いていた。

良く見ると、竹内氏と亡妻は可なり遺伝子が近いのかよく似ているように見えていた。
竹内氏の趣味は、高尚で書道をたしなみ今も現役で創造学園のクラブの面倒や、文化祭には作品を出し続けている、久しぶりに顔をだしおしゃべりをしてくる。
竹内氏の元気な源は、キサさんと云う奥さんの存在があればこそと、羨ましい環境を見つめている。

新聞にも載った星野哲郎師を偲んでの集いに、参加しようと公民館に整理券をもらいに行ってきた、作詞・月寒の少年の歌には月寒町との深い因縁があったと聞いている。

4日の夜、公民館で月寒公園活用検討会議があり、その資料として取りかかっていたものが完成する。

竹内氏の仕事場
「月寒の少年」市民会議の集い
入場整理券
 月寒公園会議資料