・私は結局、
長い里下りをすることになった
内大臣・伊周(これちか)どのたちの、
騒ぎはいっこうに片付かず、
左遷流刑の宣告に、
あれこれ抵抗されたからである
宣命が下りたのは、
四月二十四日であったが、
それから四日たっても、
検非違使は内大臣どのを、
捉えられない
中宮と母君の貴子の上が、
内大臣どのの手にとりすがり、
一緒に泣いていられるので、
役人もどうするすべもない
五月一日になって、
ついに役人たちは、
宣命を奉じて邸内捜索を、
強行する
「宮さま(中宮)は、
ご退去ください」
車が用意され、
やむなく中宮は乗られる
その間に役人たちは、
中宮の夜の御殿であった、
塗籠の扉をこじあけようとする
塗籠は四方を壁で、
塗り立てた部屋、
扉は頑丈なので、
打ちこわしても開かない
扉の脇の壁板を、
かなぐり破って乱入したという
中には中納言どのが、
蒼白になって坐っていられた
貴子の上はじめ、
女房たちがいっせいに泣き出すが、
肝心の内大臣どのは見当たらない
床板をはがし、
天井板を引きはがしてさがした
従者の一人が、
愛宕山へいかれたと白状した
すぐさま、
兵が愛宕山を捜索したが、
見つからない
内大臣どのはこの夜、
父君・道隆公のお墓に詣で、
そこから北野の天神にまわって、
祈念をこらされた、
ということである
しかしいつまでも、
逃げおおせることはできない
翌日の明け方、
網代車で二条邸に、
帰ってこられた
検非違使たちが車に手をかけ、
「誰の車か」
と咎めると、
供の者が、
「殿です」
という
門前で車が牛から離される
内大臣どの、
いや、もう帥どのと、
呼ぶべきであろうが、
車から下り立たれると、
検非違使たちがあわてて、
庭に飛び下り、かしこまった
位を落とされなすったとはいえ、
つい数日前までは、
内大臣であられた方だから
静かに車から下りられた、
内大臣どのは、
二十三というお年にふさわしく、
色白に肌清げに、
ととのったご容貌はふっくらして、
お体も貫禄あって気高く見えた、
という
薄鈍色の直衣に指貫、
清らかなお姿で、
見上げる人々は、
(昨日に変る今日のお身の上は)
と泣いたということである
朝廷では、
「翌朝は卯の刻(午前五時~七時)
までに必ず配所へ出発させよ
今まで延引したのも、
検非違使の怠慢である」
ときついお達しがきている
内大臣どのを中に、
中宮と母君の貴子の上が、
左右からとりすがって、
一晩中、泣き明かされた、
ということである
「もはやご出立の時です」
と促しても、
中宮と貴子の上は、
内大臣をひしと捉え、
貴子の上は涙にむせんで、
「いいえ、
離すものか
私が行かせません
老いた母を置き去りには、
させませぬぞ」
といわけない童のように、
狂乱していられたという
朝廷からは、
「遠慮に及ばぬ、
もはや内大臣ではない、
流人にすぎない、
実力行使して引っ立て、
すぐさま下せ」
「しかし何といっても、
中宮がひたとお付きになって、
いられますので、
手を下すこともはばかりが・・・」
「ええい、猶予はならん」
そういう命令ではあるものの、
さすがに検非違使たちも、
中宮のお体に手を触れることは、
恐ろしくてできない
「時刻が移りますと、
この上、どのようにきびしい、
ご処置が取られるかしれませぬ
どうか帥どの、
穏便にお出ましを願います」
この日も暮れてしまえば、
明日は力づくで引っ立てなければ、
ならなくなる
検非違使たちも寝ていないのである
内大臣どのは観念されたらしい
邸の奥から出て来られた
幼いご長男の松君が、
あとを慕って泣かれるのを、
女房たちがだましてすかして、
奥へ連れて入る
内大臣どのを待つ車は、
粗末な莚張りである
道中の食料が、
わずかばかり車に入れられた
橘の実に柑子などである
中納言・隆家の君の車も、
同じ莚張り
内大臣どのは筑紫なので、
西南の方角へ、
中納言どのは出雲なので、
西北へ、
それぞれ追われて行かれる
母君・貴子の上は
内大臣にとりつき、
「一緒に連れていっておくれ」
と無理にお車に乗ってしまわれた
「けしからぬ、
引き離し奉れ」
侍たちはわめくが、
貴子の上は、
手のつけられにほど、
惑うて、
「せめて山崎まででも、
お送りしたい
それすら許して頂けぬ、
はずはあるまい」
とひしと内大臣どのに、
しがみついていられる
「よんどころない
お車をそのまま引き出せ」
お車が別々の方角へ去り、
おあとを慕う人々の泣き声が、
邸をゆるがす
そのさなか、
また、痛ましいことが重なった
中宮がお手ずから、
鋏を取られて御髪を切られ、
尼になられたという
そのとき、人々は、
伏しまろんで、
魂も消え入るばかりだった、
と
これはずっと、
中宮のおそばについていた、
右衛門の君が伝えてくれた
すぐさま内裏へ使者が立った
主上は中宮が尼になられた、
と聞かれて、
「ただではないお身なのに
よしない思いをさせて」
と落涙されたという
(次回へ)