<奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の
声きくときぞ 秋はかなしき>
(秋もたけた山の奥ふかく
散り敷く紅葉をふみわけて
鹿は鳴く
妻恋うて哀々と鳴く鹿よ
ああ その声を聞くとき
秋のあわれは深く身に沁む)
・『古今集』秋の歌に、
「是貞親王の家の歌合わせ」として、
「詠み人知らず」で出ている。
この歌の解釈はふた通りあって、
紅葉をふみ分けているのは鹿とする説と、
人とする説がある。
しかし、鹿が紅葉をふみわけつつ鳴く、
その声を、人里で人が聞いている、
としたほうが自然であろうし、
屏風の絵に添えられた歌であれば、
いっそう『古今』的な美の世界である。
秋深きころの何とはないせつない物思いを歌って、
わるくない歌。
ただし私は、鹿の鳴く声を耳にしたわけではない。
鹿の鳴く声は情緒深いものらしく、
中国では古くから詩にうたわれている。
中国最古の詩集(『万葉集』より千年以上も古い)
『詩経』に「鹿鳴(ろくめい)」の詩がある。
この歌は群臣や賓客をもてなす宴会で歌われた。
明治の鹿鳴館という命名は、
ここからとられた。
鹿に紅葉のとりあわせは伝統的な美しい意匠で、
日本美の一つ。
しかしこの美しい歌の作者に擬せられている猿丸太夫は、
なぜか歌仙絵では風体いやしきおっさんに描かれている。
この猿丸太夫というのは、
どうも実在の人物ではないようだ。
伝説上の人物が、
いつか実在の人物のように伝えられてしまった。
『古今集』の真名序(漢文の序)に、
「大伴黒主の歌は、いにしえの猿丸太夫の次なり」
とある。
黒主の歌は昔の猿丸太夫の系統である、
と評論されている。
猿丸太夫というのは、
すでに『古今集』の時代から、
伝承の人物になっていたらしい。
文献的には「真名序」の1か所だけである。
どの歌集にも歌はのせられていない。
『猿丸太夫集』と伝えられるものも、みな、
詠み人知らずの歌を集めたもので、
探れば探るほど、猿丸太夫の存在は茫々と、
歴史の闇に消えてゆき、
ナゾは深まるばかりである。
池田弥三郎先生は、
猿丸太夫の「太夫」は、
官職を示す太夫ではなく、
神職を意味する太夫であり、
猿丸太夫を名乗る多数の宗教関係者が、
諸国を巡行していたものとみるべきであろう、
とおっしゃっている。
してみると、たくさんの猿丸太夫のうちのある人が、
集団を権威づけるために作者名の散佚した歌を集めて、
『猿丸太夫集』を作ったのであろうか。
しかし『古今集』の頃から百年も経つと、
猿丸太夫は実在の人と信じられはじめた。
幻の虚像は次第にひとり歩きをはじめる。
藤原公任は、王朝中期の有名な歌人で評論家であるが、
その選んだ三十六歌仙に、
猿丸太夫を入れている。
定家はそれによって、
百人一首に「奥山」の歌の作者を、
ためらいなく猿丸太夫としたのであろう。
(次回へ)