むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

6番、中納言家持

2023年04月07日 08時26分43秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<かささぎの わたせる橋に おく霜の
しろきを見れば 夜ぞふけにける>


(冬の夜空に凍りきらめく星々
七夕の夜にはカササギが翼をうち交わして
天の川に橋をかけるというが
おお ここ地上の橋にも白く霜が下りている
それを見れば夜も更けたことが思われる)






・天も地も凍るなか、橋の霜のみが白い。
おそらく吐く息も。

ところで、子供の頃の私はこの歌から、
カササギが橋の上でぽつんと立っている姿を連想したものだが、
それは中国の七夕伝説を知らなかったからである。

七月七日、一年に一度、
織女と牽牛が天の川を渡って会う日、
カササギが羽を並べて橋を作る。

牽牛(彦星)はカササギの橋を渡って、
織女に会いにいくという伝説である。

正岡子規はこの歌の嘘が面白いという。

「全くないことを空想で現して見せたるゆえ、
面白く感ぜられ候。
嘘を詠むなら全くないこと、 
とてつもなき嘘を詠むべし、
しからざればありのままに正直に詠むがよろしく候」

(『歌よみに与うる書』)

この「かささぎのわたせる橋」を虚構と解して、
面白がっているようである。

この「はし」は、賀茂真淵以来、
宮中の階段のことではないかといわれている。

しかし、子規のように、
天界の空想の橋とするもの、
地上の橋とするもの、さまざまの説がある。

私は天と地の情景を一首のうちに詠んだものとして、
地上の橋を指すのではないかと思う。

作者は天を仰いでカササギの橋を連想し、
目を転じて地上の橋の霜をながめたのではなかろうか。

凛冽たる寒気に身もひきしまる思いがする。

この作者といわれる大伴家持だが、
この歌は『万葉集』には載っていなくて、
『家持集』に第五句を、「夜はふけにけり」
として載っている。

家持は『万葉集』編集にタッチしたのではないか、
といわれる歌人。

三十六歌仙の一人だが、
おびただしい名歌を数多く残しており、
どう考えてもこの歌が歌歴を代表する作品とは思えない。

しかも、家持の作かどうか、
断定しにくいような歌を、
定家はなぜ採ったのであろうか。

それも私の素朴な疑問である。







          


(次回へ)

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