むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

4番、山部赤人

2023年04月05日 08時30分16秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ>


(駿河の国の田子の浦に 
たたずんで はるかにみれば
ま白き富士の高嶺に 雪は降りつむ)






・絵のような景色で、
床の間の掛け軸の如きである。

これをよみあげるとき、
いかにもお正月らしき、
また日本の冬らしき、
身のひきしまる思いがして、
なかなかによろしきものである。

しかし、作者の山部赤人が、
地下でこの歌を聞いたら、

(お、お、お、待てよ・・・)

と首をかしげるに違いない。
赤人が作ったのは、

<田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にぞ
富士の高嶺に 雪は降りける>

という歌だった。

これは『万葉集』巻三、
「山部の宿禰赤人の不尽の山を望める歌一首」とある。

長歌にあわせた反歌が、
この「田子の浦」なのである。

赤人のもとの歌は、
田子の裏を「通っている」わけで、
そこから見る富士山は真っ白に雪が降り積もっていた、
その「真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」
という、言い切ったひびきが男らしくて力強い。

「真白にぞ・・・降りける」
という現場に立った感動に比べると、
「白妙」などと飾った言いまわしや、
「降りつつ」などという改ざんは、
感動をそぐこと甚だしい。

この歌は『新古今集』に転載されたとき、
新古今風に、しらべを重視して、
一首の流れを優美にするため、
変えられてしまったのである。

昔から、この改悪は評判が悪くて、
2番の持統天皇の歌同様、
もと歌の『万葉集』に載ったほうがよかったのに、
と惜しがられている。

私の学生時代は昭和十年代で、
『万葉集』全盛のころ。

『古今・新古今』はオール否定、
という気運がさかんであったから、
この歌なども引き合いに出されて、
いかに『新古今』時代の歌人が、
歌を形骸化したかという、
証拠にあげられたりした。

正岡子規の『歌よみに与うる書』以来、
『古今・新古今』の神聖性は地に引き落とされたが、
ことに戦時中だったからなおのこと、
柔眉・繊細といった情調はかいもく、
かえりみられなかったのである。

山部赤人は柿本人麿と並び称される、
『万葉集』の歌人。

清らかな、静かな自然観照のうたが多い。






          



(次回へ)

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