むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

32、柏木 ⑧

2024年03月14日 08時24分40秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・夕霧大将は、
柏木の妻、二の宮の住まれる、
一條邸へ絶えず見舞いに、
上っていた。

いつか春が来ていた。

ここ一條邸は、
悲しみに沈んで心ぼそく、
物思いがちに日を送って、
夕霧が訪問すると、
庭には青草が生え、
敷砂の薄いところに、
蓬がいきおいよく生えていた。

邸内の母屋には、
喪中とて伊予簾が、
かけ渡してあった。

喪の家はしめやかに沈んでいた。

夕霧は今は、
この邸を、ひいては、
この邸の女あるじを、
慕わしく思い初めている。

夕霧は、
庭の木立の美しいさまを見て、

「いいな、
枝をつらね葉を重ねる、
仲のよさ」

宮のいられる部屋のかなたに、
向ってささやく。

「親友柏木は許しました。
彼と同様に私をお考え下さい。
おそばに近づき慣れるのを」

(なまめいたお姿がまた、
よくて・・・)

(男っぽい殿方と聞いていたけど、
しなやかに色めいて・・・)

と女房達は言い交わす。

二の宮は、
ご接待役の少将の君という、
女房を通してお返事なさる。

「わたくしには、
もはやつらねる枝も葉も、
ございません。
荒野に一人立つ木でございます。
どんな枝とも重ねるつもりは、
ございません。
だしぬけのお言葉、
今までのあなたのご親切も、
浅はかに思われて参ります」

夕霧は取り次ぎの言葉に、
ひと言もない。

母君、御息所が、
挨拶に出られた気配が、
御簾のかなたに感じられた。

「悲しく辛い浮世を見まして、
気分もすぐれず、
ぼんやりしておりますが、
こうも度々のお見舞い、
嬉しく存じております」

御息所は、
ほんとうにお加減が悪そうである。

夕霧はさまざま、
御息所を慰めるのであるが、
二の宮に対する恋心が、
募ってゆく。

亡き友の妻であるが、
宮は噂に聞くよりもいっそう、
奥ゆかしい人柄のように、
思われる。

夕霧の恋には、
宮への同情もこめられている。

内親王の身分は、
ただでさえ世の好奇心と関心を、
集めやすいもの。

ご降嫁になって、
あまり年もおかず、
未亡人になられた、
世の心ない注目を、
宮は内心辛く思い悩んで、
いられるであろう。

そう思うと夕霧は、
いっそう宮を守りたい、
という気になる。

(美しい方なのだろうか。
いや、柏木があまり熱心に、
通わなかったところを見ると、
さして美女ではないかもしれない。
しかし、
容姿で女の価値を決めるのは、
不都合なことだ。
自分なら、
いつまでも見飽きぬものは、
女の気だて。
それは年うつり容色衰えても、
変らない魅力だから。
いや、むしろ、
年を加えるごとに深まさり、
色濃く人生を染めていく、
匂いだから。
慕わしい宮)

そんなことを考え続け、
夕霧は御息所に、

「今は、
亡き人の代りとして、
私を他人とお思い下さるな」

というのであった。

宮への求婚というさまに見せず、
しかし一抹、
宮への思いをほのめかしつつ、
話す。

女房たちは、

「同じことなら、
あの夕霧大将の君が、
宮さまの新しい背の君として、
お邸にお出入り下さるようになれば、
どんなに嬉しいことでしょう」

と言い合った。

柏木の死は、
世の中に惜しまれた。

まして源氏は、
柏木を思うこと多かった。

源氏は若君を、
柏木の形見と思っていたが、
人に言えぬ秘密なので、
それもはかないことであった。

柏木の一周忌には、
源氏は特別に誦経させ、
追善の黄金百両を寄進した。

柏木の父大臣は、
事情を知らないので、
ただ恐縮してお礼をいう。

夕霧大将も、
柏木の追善供養を、
心をこめてとりしきり、
一條の宮のもとへも、
心こめて見舞った。

夕霧の友情もさりながら、
柏木の両親は、
二の宮への執心があってのこと、
とは知らないであろう。






          


(了)

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