「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

43番、権中納言敦忠

2023年05月14日 08時02分26秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<あひみての のちの心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり>


(やっと きみがぼくのものになった
ところがどうだ
よけい苦しみが増し
物思いが多くなった
不安 嫉妬 独占欲・・・
ぼくは新しい苦しみをさまざま知った
この苦しさにくらべれば
きみを得たいとひたすら望んでいた
昔のぼくの物思いなんて
実に単純で底が浅かった)






・この作者は以前に紹介した、
38番の右近の恋人である。

右近は敦忠の心変わりを怨じて、
「わすらるる~~」という歌を彼に贈っている。

しかし敦忠のこの歌は右近にやったものかどうかは、不明。

『拾遺集』巻十二・恋に「題知らず」として出ている。

作者の敦忠は歌人としても音楽家としても有名だったが、
三十八で死んだ。

この一族はみな若死にである。

父の左大臣時平は三十九で死に、
兄・保忠、それに敦忠の姉、その夫の保明親王もみな、
若くして死ぬ。

三歳で東宮に立たれた保明親王の御子も五歳で亡くなられる。

これらはみな、時平が菅原道真を失脚させたせいだ、
と世間には思われていた。

道真は配所の筑紫で恨みをのんで死んだが、
その恨みがこの一族にたたるのだと、
信じられていたようである。

敦忠の妻はさきの東宮、
亡き保明親王の夫人の一人だった。

若い敦忠は親王とこの夫人の恋の文使いをしていた。
親王が二十一のお若さで亡くなられたのち、
夫人は敦忠と再婚した。

二人の仲はむつまじく、
妻を「限りなく」思いながら、
あるとき妻にこういった。

<ぼくの一族はみな短命だから、
ぼくもきっと若死にすると思う。
あなたはぼくの死後文範(ふみのり)と結婚するんだろうな>

文範は邸の家令を勤め、そのころ播磨守であった。

妻はあらがって、

<考えられませんわ、私が文範となんて>

<いや、まあ、まちがいないね>

自信ありげに敦忠はいった。
彼の死後、その予言は真実になったと、
『大鏡』には書いてある。






          


(次回へ)

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