・別居結婚を成立させる条件の最たるものは、
経済的に自立できること。
(どんなに貧しくても、その気概をもてること)
その自信が女性の、妻の側になければ不可能である。
夫からの経済的援助をうけて、
別居結婚がいとなめるわけではない。
それだけに不要の出費がかさんで、
お互い苦労しているが、
その損失は私には元が取れているように思う。
それから二人が会うのは週に一、二日なので、
衝突しても次の機会には、かなり中和されている。
私のように結婚生活のキャリアが少ないものが、
言うべきではないかも知れないけれど、
すさまじい倦怠におそわれる関係までには、
並の結婚生活よりずっと時間がかかりそうである。
私と彼の、それぞれの家は、二十キロ離れており、
第三の私たちの家は、彼の家の近くにある。
私はそこへ五十分くらいかかって、
電車やタクシーを乗りついでいくので、
車を運転してわが家から乗りつける彼のほうが、
いつも先に着いている。
たいがい私の挨拶は、
「ごめんね、おそくなって」から始まるが、
一週間分のおしゃべりをしているうちに、
下の女の子二人が顔を出し、
おさらいや予習と手伝っていると、
もう夕食の時間である。
私たち二人とも、どんなにゆずりあったつもりでも、
主として彼よりも私の場合。
彼は私よりずっと大人だから・・・
自我がむき出しになり、
しかも私はわがままで片意地なところ、
しつこいところがあるから、
一人で考える時間が充分あることはよかったと思う。
それに先に触れたように、
お互いに家族や複雑な家庭事情のある男性や女性が、
結婚しようとするときは、
この第三の家庭を作って普段は別居しているという形も、
もっと考えられてよいと思う。
私は今まで意識的に別居結婚の利点ばかりのべて来たが、
現実にそれを十ヵ月実験して来て、
思いがけない、落とし穴があることも知った。
さきにいった、経済的な出費がかさむ不利などは、
大きな意味を持つものではない。
少なくとも致命的な欠陥ではない。
それから私自身が、
精神的や肉体的に過労になりやすいことについても、
人を雇うとか、何とか打開する方法はあると思う。
幾分なりとも、
より別居結婚を有利にできる技術にも習熟すると思う。
それより現実に意表をつかれたのは、
子供の問題だった。
といっても、現在いる彼の子供たちは、
彼と一緒に住んでいて、週に何日か私と暮らすだけで、
私は母親代わりであるが、母親ではない。
私は「おばちゃん」と呼ばせているし、
仲良しになってもべとべとした関係で育てるのは、
不健全だと思うから、「おばちゃん」として育てる方が、
自然だと思う。
彼との結婚をえらんだときに、
子供たちのこともひっくるめて運命を甘受したのであって、
彼と子供たちを切り離して考えたことはなかった。
彼と一緒に子供たちを育て上げ、
手放すまでの責任は私にもあると思っている。
ただ現実のところ、
私たちの場合の子供は彼のほうにより密着していて当然、
彼と一緒に暮らしているからそれですむ。
しかし、これが私の生んだ子供で、
彼との間に出来た子供だったら、
どちらへ従属させるべきだろう。
そんな環境に生まれた子供は不幸ではあるまいか。
両親が別居の形をとって、
互いに人生を快適に充足しているとき、
子供はどんなに不当な試練で、
その埋め合わせを強要させられることだろう。
(次回へ)