・「なぜ、私に隠し続けたのだろう、あの人は。
誰の娘、どんな身分と、
打ち明けてくれてもよかったのに」
「お隠しになるつもりは、
なかったのでございましょうが・・・
どうせ一時の浮いたお心から、
通っていらっしゃるのに決まってるわ、
とおっしゃって、
そんなことなら、と、
何もお打ち明けにならなかったのでございます」
「つまらぬ意地の張り合いをした。
私も世間がうるさかったし、
あんなに忍んで通わなくてはならない、
差し障りもあった。
今はもういいだろう。
あの人のことを話してくれ」
右近はまた涙ぐむ。
「何をお隠し申しましょう。
御方さまの父君は、
三位の中将でいらっしゃいました。
たいそうお可愛がりになっていらしたのですが、
ご不運続きで若死にされました。
そこへ頭の中将さまが、
まだ少将でおいでのころ、
ふとしたことで、
お通い初めになったのでございます。
三年ほどはこまやかにお通いでしたが、
北の方さまのご実家の右大臣家から、
こわいことを申されて参りまして、
御方さまは、おびえてしまわれました。
身を隠してあの五條の家へいらしたのです。
お気弱でいらして、
一人、くよくよ物案じなさるお性質の方で、
いらっしゃいましたから・・・」
「小さな女の子を行方不明にしたと、
中将がふびんがっていたが」
「はい。
一昨年の春、お生まれになりました。
とてもお可愛い姫君でいらっしゃいます」
「あの人の形見に引き取りたいものだ。
頭の中将にもいずれ話はするが、
あの人を恐ろしい目に遭わせて死なせた、
と恨まれるのが辛い。
その姫君を引き取って世話したいのだが」
「そうなりましたら、
どんなにかうれしゅうございましょう」
右近は涙ぐみながら、
嬉しそうにいった。
「夕顔の年はいくつだった?
いたいたしいほどかよわく見えたが・・・」
「十九におなりでございましたろう・・・
弱々しくやさしい方でいられました。
右近はあの方をあるじと思って、
生きてまいりましたものを」
「弱々しい女は好きだ。
あまりはきはきして勝気な女は、
私にはなつかしく思えない」
「お好みにあった方で、
いらっしゃいましたのに・・・」
右近はまた泣いた。
この女房は美人ではないが、
情趣ありげで、まだ若く素直で、
そば近く召し使っていい感じの女だった。
五條の家では、
女あるじと右近が突然、
蒸発したように姿を消したので、
みんな心配していた。
右近が何もいって来ないのもおかしい、
と言い合った。
右近の方も、
夕顔の死に責任があるように、
責めたてられるのが辛く、
心にかかりながら、
姫君の消息も聞けないでいるうちに、
日は過ぎていった。
伊予の介は、
十月はじめに伊予へ下ることになった。
源氏は餞別を送ったが、
秘めやかな贈り物として、
かの空蝉に、
夏の一夜の思い出の、
うすい衣を返してやった。
空蝉もしみじみした返事をよこした。
源氏はいつまでも空蝉を忘れられないが、
空蝉もそうであるらしかった。
しかし彼女は、
源氏が自分を忘れないのを嬉しく思いつつも、
二度とあの夜の物思いを、
重ねようとは思わなかった。
(了)