折々のうま-当たらぬでもなし

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自民党政権ではなしえなかったシベリア抑留者救済

2010年08月21日 06時44分48秒 | 社会
私の大伯父(母の伯父)はシベリア抑留者である。
満鉄にいて何がなんだか分からないうちに、
連れて行かれてしまったという。

関東軍のことは口を開けば糞味噌にけなしていた。
平穏時は威張り散らし、ソ連侵攻時には民間人を残して、
橋を落として逃げたという。戦車の侵攻を食い止めるためだそうだ。
軍人の矜恃というものを私は信用しないが、全くのビビリである。

戦時中、陛下の赤子みたいだった奴が、ソ連軍の気に入られようと
オルグ活動を始めたのが一番のショックだったとこぼしていた。
彼はコミンテルンの戦士として、共産党の覚えめでたく真っ先に帰還したという。

大伯父は帰還してからは満鉄出身者お決まりの国鉄入社となった。
体制糾弾は衰えなかったが、組合活動に対してはどこかニヒルな面があった。
いざとなったら何も信じられないとも言っていた。

祖父は戦艦赤城や改装後の空母赤城にも載った写真がある。
どうやって撮ったのかも驚きだが、戦時中に肋膜炎を患い、
失意のうちに亡くなった。

祖父達は当然、靖国神社には入らなかった。
入りたいとも思わないだろう。
間に合いはしなかったが、大伯父への鎮魂という意味では、
シベリア抑留者の救済の方が余程意味があると、
お盆の墓参りの時にふと思った。

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