『 注文の多い料理店 』
ず~いぶん昔…
私達年代の人達は、教科書とか、課題図書とかで 『宮沢賢治』の作品は読んでいると思う。
私は 『永訣の朝』が好きで、忘れられない。
注文の多い料理店も読んではいるんだけど、この歳になって読むと、味わいが違って良い!
ゆっくりとこの人の表現を味わえる。
解説の中にそういう意味の文章を見つけた。
『 賢治にとっては、自分のまわりのものが、すべて作品の材料になりました。
森も林も、電信柱もおネコもオオカミも。
それらが賢治の息吹にふれると、まるで生きかえりでもしたように、はつらつと活躍し始めるのです。
そこに賢治の並々ならぬ天分があるわけですが、ちっとも不自然さが感じられません。
つまりネコもドングリもカラスもみんな人間社会の一員として描かれており、しかも人間と同じような感情や理想を持っているために、一層親しみが湧いてくるのです。』

“水仙月の四日” から
『1人の子供が、赤い毛布(けっと)にくるまって、しきりにカリメラの事を考えながら、大きな像の頭の形を、雪丘のすそを、せかせか家のほうへ急いでおりました。』
『それはね、電気菓子と同じだよ。そら、ぐるぐるぐる回っているだろう。ザラメがみんな、ふわふわのお菓子になるねえ』

“山男の四月” から
『山男はあおむけになって、碧いあぁおい空をながめました。お日さまは赤と黄金でぶちぶちのやまなしのよう、かれくさのいいにおいがそこらを流れ、すぐうしろの山脈では、雪がこんこんと白い後光を出しているのでした。』

“鹿踊り(ししおどり)のはじまり” から
『そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあいだから、夕陽は赤くななめに苔の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のようにゆれて光りました。
わたくしが疲れてそこに睡りますと、ざあざあ吹いていた風が、だんだん人のことばにきこえ、
やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行われていた鹿踊りの、ほんとうの精神を語りました。』
で、お話が始まり。
『それから、そうそう、苔野原の夕日の中で、わたくしはこのはなしをすきとおった秋の風から聞いたのです。』
で、お話が終わります。
この前に読んでいた “小川糸”さんの表現はこの人に通じるものがあると思いました。
素敵です