子どもを連れて「ライフ」を観てきた。
大好きな親父が亡くなってもう5年が過ぎた。
僕の記憶の中に親父は確実に存在しているが、記憶だけではなくて僕の細胞の中に親父がいることをずっと感じている。
例えば子どもを見る目線は確実に親父が僕を見ていた目線だ。
親父が好きだったうどんやそばを僕も大好きで、最近は親父が好物だったセロリまで不思議に僕の好物になった。
イチゴや焼肉を食べるとき、美味しいところは僕や弟に全部分け与えて、
「俺は自分で食べるより子どもたちが食べる方がお腹が一杯になるんだよ。」と言っていたことが理解できるようになった。
ライフはそういう映画だと思う。
子どもに将来を託すと子どもにプレッシャーを与えるからとか、子どもは自分の分身ではない、とかよく言うけれど、それでも僕は断言する。
僕は僕の子どもたちを産むために産まれてきたんだ。
なんか映画を観てガツンときたし、ワインを飲んで酔っぱらっちゃったのかも知れない。
僕はこれからの人生を「教育」と「クリエイティブ」をテーマにしたいと思っている。
「学習」は「学ぶ習う」で自主的。
だけど「教育」は「教え育てる」である意味、上から目線だという人がいる。
なるほどと思う。でも子どもたちが進んで学んでくれて習ってくれるのを期待するだけではなくて、大人としては子どもを教えて育てる責任と義務があると僕は思う。
それは全然、上から目線じゃないよね。
「おしえる」の語源は「愛(を)しむ」。
だから「教育」とは愛して育むことなんだよね。
教育を一生のテーマにするなんてカッコいいじゃん。
ライフはそういう映画だと思う。
なんて適当なことを書きながらもう一杯。
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