今年、某出版社の児童文学新人賞に近未来とAIの物語を書いて応募した。
実は少し自信があったのだけど、一次選考も通らなかった。
おそらく応募した人は全員自信があったんだろうけど。
賞の入賞作品が発表になったら、僕の落選作品もどこかで発表しよう。
児童文学ということで、面白いだけじゃなくて、何が正義なのかとか哲学的や倫理的なことを子どもたちに考えてもらう要素をたくさん加えた作品にした。
「ブレードランナー」は1982年の作品だから、僕は高校生だった。
劇場ではなくて、だいぶ経ってからテレビで視た。
フィリップ・K・ディックの原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読んだのはさらに後だった。
ディックは「ブレードランナー」が公開する前に亡くなっている。
「ブレードランナー2049」の原案はもちろんディックだがストーリーはオリジナルの続編。
リドリー・スコットは監督ではなくて今回は製作総指揮。
始終流れている重低音のBGMやノイズや雨の音にいつの間にか気分も塞がれる。
リドリー・スコットだなあまったく、と思う。
最近は目が覚めると気分が重くテンションが上がらない朝が多い。
特にお酒を飲んだ翌朝が罪悪感で目がさめるので、お酒を飲まない日も増えた。
その日に予定があると、気分が少し軽くなる。
それが楽しみにしている予定であればなおさら目覚めは良くなる。
今日の予定じゃなくて、未来の予定でも救われる。
来年は大学院に行くんだ、という希望が僕に元気を与えてくれる。
スキン・ジョブ(レプリカント)やアンドロイドやバーチャル映像のAIも人間と同じように感情を持っていて、しかし彼らには未来の希望がないとしたら、どうして心が壊れないのだろう。
ディープラーニングを始めたAIがうつに悩まされるなんて未来もあるのかも知れない。
1982年の「ブレードランナー」の物語の時代は2019年。
もう未来に来てしまったんだ。
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