朝、起きる。
布団を蹴り上げて、リビングに行き、そこにある鏡に何気なく目をやる。
「えっ?この人誰??」
ついこの間の出来事であるが、その時私は背筋がぞーーっとした。
「ほんとにあった怖い話」というテレビ番組があるが、私にとってはこれが「ほんとに怖い出来事」だったのである。
鏡の中にいたのは背中を丸めた小太りのおやじであった。
小太りのおばちゃんだったらわかる。
おやじだったからビックリ仰天したのである。
霊でも出たのかと、もう一度目をこすってよく見ると、鏡に映っていたのは私とお揃いのベージュのパジャマを着た、まぎれもないおやじだった。
気分のいい目覚めになるはずが、私の体のまわりにはオーラのように「がーーん」の文字が放射状に広がった。
何度、「こんなはずではない。これは何かの間違いだ」と幾ら首を振っても目の前にあるのはまぎれもない現実なのであった。
若い頃、老いというものは徐々にやってきて、一年、一年、なだらかに少しづつ老いていくと思っていたが、実はそうではなかった。
老いはがつん、がつんと階段状に襲ってくるのだ。
なだらかにやってきてくれれば、それほど、どきっとすることはない。
「そう言えば、ちょっとシワが・・・」と心のゆとりも出来る。
ところが階段状に襲ってこられると、ある日、突然、老いと直面するハメになる。
昨日までは、おばちゃんだったのに一晩寝たら、おやじになっている自分を発見したのである。
「朝、起きて虫になっているのとどっちがいいか?」と考えた。
その時のショックを考えたら、まだ虫の方がマシのような気がした。
人間から虫になれば文学になるが、おばちゃんがおやじになると、そこには笑いしかない。
当人は泣き笑いするしかないのだ。
この階段は若い時と中年になった時と段差や形状が違うような気がする。
若い時の階段は10㎝ほどで次の段まで1メートルくらい歩かなくてはならない、あまり意味のない階段があるが、とてもなだらかなものだ。
ところが中年になってからの老いの階段は違う。段差が1メートルで足を置く部分が10㎝くらいと逆になり、気をつけないと転げ落ちそうになる。
もちろん、一度階段を下りてしまったら前の段に上がることなど殆ど不可能なのだ。
「ううむ」
鏡をちらちらと見ながら、頭を抱えた。
おばちゃんから、おばあちゃんになるのはいいが、おばちゃんからオヤジになるのは、どうしても食い止めたい。
これは私のこれまでの人生で、一番の試練だった。
つづく
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