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実は全然興味がなかった映画が、突然、話題になって否が応でも目に入ってきたので。
佐藤浩市さんが総理大臣役の「空母いぶき」のインタビュー記事が載っている漫画雑誌を立ち読みもできないからと、家のものが買ってきた。なので、読んでみました。
現職総理大臣の病気を揶揄していると一部の御用文化人?から批判されているらしいけど、なーんだ、全くお門違いでしたよ。
むしろ、歴代総理大臣を務めた方たちへのリスペクトを感じた。
本当にどうして特定個人への揶揄なのか、むしろ応援団が言われてもないことを想像して、安倍さんを貶めているのじゃないかと思ったくらい。
短い文章なので、全部書き起こしできました。なんでこんな短い文章をちゃんと読まないで噛み付いているのでしょうか。
――総理大臣役は初めてですね。
佐藤 最初は、絶対やりたくないと思いました(笑)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残っているんですね。
でも、監督やプロデューサーと「僕がやるんだったらこの垂水総理をどういうふうにアレンジできるか」という話し合いをしながら引き受けました。そしてこの映画での少し優柔不断な、どこかクジ運の悪さみたいなものを感じながらも最終的にはこの国のかたちを考える総理、自分にとっても国にとっても民にとっても、何が正解なのかを彼の中で導き出せるような総理にしたいと思ったんです。
佐藤 最初は、絶対やりたくないと思いました(笑)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残っているんですね。
でも、監督やプロデューサーと「僕がやるんだったらこの垂水総理をどういうふうにアレンジできるか」という話し合いをしながら引き受けました。そしてこの映画での少し優柔不断な、どこかクジ運の悪さみたいなものを感じながらも最終的にはこの国のかたちを考える総理、自分にとっても国にとっても民にとっても、何が正解なのかを彼の中で導き出せるような総理にしたいと思ったんです。
「体制側を演じる抵抗感が自分の世代の役者には残っている」というところに、カチンと来たのでしょうか。
現実問題、世界中あちらこちらで権力の横暴さや強引さを感じることも多いので、体制側をやるからには、簡単には引き受けられない世代というのはよく分かる。私も佐藤浩市とほぼ同世代なので。
戦争自体は知らないけれど、子供のころから周りの大人に戦争のなごりは残っていて、話は聞かされた世代だ。
でも、体制側の立場でやると決めたからには、より深く彼らの姿や心情を理解して自分なりに納得した上で演技したかったのだと思う。
短い言葉の中に、過去の総理大臣の顔が思い出されました。優柔不断というと小渕総理とか鳩山総理とか?ごめん。
くじ運の悪さっていうと、福田総理とか原発事故に遭遇した菅総理とか・・・そんな人たちの顔が浮かんできました。
福田さんなんかは、就任が決まったときは「火中の栗を拾う」って言ってた記憶もあります。
――総理は漢方ドリンクの入った水筒を持ち歩いていますね。
佐藤 彼はストレスに弱くて、すぐにお腹を下してしまうという設定にしてもらったんです。だからトイレのシーンでは個室から出てきます。
この部分に、現職総理を揶揄している、って噛み付いてきたんでしょうが、この前後を読めば、総理大臣という職業がどれほど重責でストレスのかかる仕事なのか、ということを言わずもがなで伝わってくる部分です。
確かにオリジナルの水筒を持っているのは、安倍さんがモデルになっているかもしれませんが、むしろそういう事や弱さを含めた人間としての総理を表現した部分は、演出としてわかりやすいし、私は逆にその弱さに好感を持ちました。
――劇中では名実ともに「総理」になっていく過程が描かれます。
佐藤 これはある政治家の方から聞いたのですが、どんな人でも総理になると決まった瞬間に人が変わるっていうんです。それぐらい背負っていくものに対する責任を感じる、人間とはそういうものなんですね。
厳密に言えば、安倍さんの病気とストレスによる腹痛は、まったく違うものです。
しかし、あえてストレスに弱いことを強調するためにこの設定にしたのは、弱さを抱えながら乗り越えて行くこと、総理大臣になっていくことを強調したかったのだと思います。
役者として、総理大臣を演じるための心構え、むしろ佐藤浩市さんに役者魂を感じたけれど、三流の役者だなんて断定している人たちこそ、ちゃんと文章を読んでいなかったのだと思います。
なお、意識エネルギーの視点では、彼らの中では常に強い被害者意識があるので、最初の方で批判されていると思い込み攻撃態勢に入ったのだとわかります。
-10000F現象である「停滞→消耗→消滅」今も現在進行系です。
――この映画からどのようなものを受け取ってもらいたいですか。
佐藤 僕はいつもいうんだけど、日本は常に「戦後」でなければいけないんです。戦争を起こしたという間違いは取り返しがつかない、だけど戦後であることは絶対に守っていかなきゃいけない。それに近いニュアンスのことを劇中でも言わせてもらっていますが、そういうことなんだと僕は思うんです。専守防衛とは一体どういうものなのか、日本という島国が、これから先も明確な意思を提示しながらどうやって生きていかなきゃならないのかを、一人ひとりに考えていただきたいなと思います。
映画の中の垂水総理は、過去の総理大臣たちのイメージが混在した、映画中でしか存在していない総理です。
ストレスや責任感で悩み苦しみ、体に変調をきたしながらも、でも国を預かり、必死で国民を守ろうとする、そんなイメージが伝わってきました。
「病気を揶揄した」っていう意見、私にはそんなふうには全く読めませんでした。むしろ、逆に安倍さんをリスペクトしているような感じにもとれました。
それに垂水総理は安倍さんには、似ていないと思いました。
映画自体には、今まで興味はなかったけれど、佐藤浩市演じる総理大臣を見てみたいな、と少し心が動きました。
そういえば、父である三國連太郎の死去の際に、述べた言葉も心に残りました。反骨は父親譲りですね。
→戒名もいらない、散骨して誰にも知らせるな