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おっさんの品格
チャンピオンの品格(PrimeVideo LIVE BOXING 9 雑感)
このブログの「プロレス、格闘技」カテゴリには、当然ボクシングも含まれます。
わたしは一応、ボクシングにもそれなりに興味を持つ人間ではあります。
遡れば、"カンムリワシ" 具志堅用高が活躍した1970年代、わたしは小学生でした。
その次に思い出されるのは、"浪速のジョー" 辰吉丈一郎の生き様です。
「辰吉丈一郎 vs シリモンコン戦」
このフレーズを頭に思い浮かべるだけで、今でもグッとくるものがあります (´;ω;`) ウッ...
"ノックアウトダイナマイト" 内山高志の活躍を目撃したのが、2009年頃のことでした。
その後の数年間、TV 東京の世界タイトル防衛戦の中継で「内山がまた勝った!」のテロップを見てから年を越すのが、我が実家の大晦日の恒例となりました。
内山高志選手に関しては、もう少し早い時期から着目していれば良かった、活躍をもっと長く見たかった、と今でも後悔しています。
そして、2024年12月30日のナルバエス戦で、"モンスター" 井上尚弥の存在を知りました。
内山高志選手と同じ後悔をしないように、井上尚弥選手の今後のさらなる活躍を、目を皿のようにして見ていきたいと思っているところです。
そんなわたしが、先日の 2024年7月20日(日)、Amazon Prime Video LIVE BOXING 9 の中継を観戦しましたので、そのときに思ったことを書いてみたいと思います。
この大会の目玉は、WBC世界バンタム級チャンピオン、中谷潤人選手の初防衛戦と、
WBA バンタム級7位、那須川天心選手のボクシングデビュー第4戦目、の2試合で、
普通に考えれば、初防衛戦を闘うチャンピオンが主役である筈です。
しかし、大晦日の RIZIN 等に出場した経歴を持つ那須川天心選手が、知名度は先行しています。
中谷潤人選手の名前と実力は、ようやく一般層に知れ渡り始めている段階かと思います。
それもあってか、中谷潤人選手のタイトルマッチがメインの試合ではありましたが、大会のプロモーション的には、那須川天心選手のボクシング転向第4戦が前面に押し出されていました。
それはビジネスとしては完全に正しく、また、那須川天心選手のそれまでのキャリアがボクシング界に貢献しているということでもあるので、悪いことではないと思います。
ただ、そのことをあまり快く思えない人がいるのも、事実かと思います。
興行を打つ側の論理としては間違いのない、那須川天心選手の「VIP 待遇」を、
素直に受け止められない人は、少なからずいるように思います、
先日の LIVE BOXING 9 の中継を見て、そのように改めて感じました。
那須川天心選手と中谷潤人選手、二人それぞれの試合後の、勝利者インタビュー。
あれを見て、みなさんはどう思われたでしょうか?
那須川天心選手は、自らマイクを掴んで、雄弁且つ派手にアピールを施していきました。
ファンへのサービス精神であるのは間違いなく、それに呼応する場内の歓声もありました。
しかし、その一方で「固まっている」観客も大勢いました。
ちょっと引いた感じで、皆黙り込んでいる・・・・、そういう空気が充満している様子が、
途中何度か客席に映像が切り替わったとき、手に取るように分かりました。
一方の中谷潤人選手は、謙虚で爽やかな受け答えを披露してくれました。
那須川天心選手に比べると歓声は少なかったかもしれませんが、客席に映った人たちは皆、
素直に拍手を送っていて、那須川選手のときとは雰囲気が明らかに違っていました。
この対比は、とても面白いなと、見ていて思いました。
格闘技なので、強くなければ話になりません。
でも、試合に勝ちさえすれば、あとのことはどうでも良いのか。
チャンピオンには、相応の品格が求められる。
日本のボクシングファンは、そういう目で見ると思います。
それが最も強く問われたのが、かつての「亀田劇場」だったと思います。
那須川天心選手が亀田劇場と同じと言うつもりは、全くありません。
そもそも、アピールの方向性が全く違いますし・・・・(笑)
ちなみにわたしは、亀田劇場を、もったいないなぁと思って見ていました。
小さい頃からあれだけ一生懸命ボクシングに打ち込み、努力を重ねた人間の根本が曲がっている筈はないのに、あんなことをやらされて損をしているなと、思いながら見ていました。
那須川天心選手の類い希なる格闘センスは、誰もが認めるところで、説得力十分です。
外野の文句を実力で黙らせる、そんな活躍を今後も見せてくれると思います。
ただ、一挙手一投足の振る舞いを少し変えるだけで、世間の見る目はさらに大きく変わる。
その意味で、やはり少し損をしている部分があるように、わたし個人的には思っています。
那須川天心選手のボクシング転向第1戦のとき、解説席の村田涼太氏が、那須川天心選手のマイクアピールを見て半ばキレ気味に苦言を呈したことが話題になりましたが、あれは、同じことを思ったからではなかったのかなと想像します。
一方の中谷潤人選手は既に、チャンピオンの風格と品格を備えていると感じます。
どんなに劇的 KO 勝利を飾っても、勝利者インタビューはあくまでも、謙虚で爽やかに。
コーナーポストに駆け登って雄叫びガッツポーズ、というようなパフォーマンスをやることも、決してしないでしょう。
頭が金髪に染められることも、
ましてや、ワンポイントのタトゥーが入れられることも、ないでしょう。
そしてあの、脱力系の優しい表情。
今の時点で、本当にもう清々しいまでに、俺が俺がというところが全くありません。
それでいて、"ネクストモンスター" と言われる実力を兼ね備えている。
そんなチャンピオンの勇姿は、日本人の心に突き刺さります。
中谷潤人選手を見ていると、思わず応援したくなる。
そういう人は、今後益々増えていくのではないかと思います。
現在、世界バンタム級の4本のベルトは、中谷潤人選手を筆頭に日本人が独占しています。
この4人の中に、那須川天心選手がどのように割って入るのか?
井上尚弥戦の切符を手にするのは、誰なのか?
これからの夢の闘いが本当に楽しみです。
わたしは一応、ボクシングにもそれなりに興味を持つ人間ではあります。
遡れば、"カンムリワシ" 具志堅用高が活躍した1970年代、わたしは小学生でした。
その次に思い出されるのは、"浪速のジョー" 辰吉丈一郎の生き様です。
「辰吉丈一郎 vs シリモンコン戦」
このフレーズを頭に思い浮かべるだけで、今でもグッとくるものがあります (´;ω;`) ウッ...
"ノックアウトダイナマイト" 内山高志の活躍を目撃したのが、2009年頃のことでした。
その後の数年間、TV 東京の世界タイトル防衛戦の中継で「内山がまた勝った!」のテロップを見てから年を越すのが、我が実家の大晦日の恒例となりました。
内山高志選手に関しては、もう少し早い時期から着目していれば良かった、活躍をもっと長く見たかった、と今でも後悔しています。
そして、2024年12月30日のナルバエス戦で、"モンスター" 井上尚弥の存在を知りました。
内山高志選手と同じ後悔をしないように、井上尚弥選手の今後のさらなる活躍を、目を皿のようにして見ていきたいと思っているところです。
そんなわたしが、先日の 2024年7月20日(日)、Amazon Prime Video LIVE BOXING 9 の中継を観戦しましたので、そのときに思ったことを書いてみたいと思います。
この大会の目玉は、WBC世界バンタム級チャンピオン、中谷潤人選手の初防衛戦と、
WBA バンタム級7位、那須川天心選手のボクシングデビュー第4戦目、の2試合で、
普通に考えれば、初防衛戦を闘うチャンピオンが主役である筈です。
しかし、大晦日の RIZIN 等に出場した経歴を持つ那須川天心選手が、知名度は先行しています。
中谷潤人選手の名前と実力は、ようやく一般層に知れ渡り始めている段階かと思います。
それもあってか、中谷潤人選手のタイトルマッチがメインの試合ではありましたが、大会のプロモーション的には、那須川天心選手のボクシング転向第4戦が前面に押し出されていました。
それはビジネスとしては完全に正しく、また、那須川天心選手のそれまでのキャリアがボクシング界に貢献しているということでもあるので、悪いことではないと思います。
ただ、そのことをあまり快く思えない人がいるのも、事実かと思います。
興行を打つ側の論理としては間違いのない、那須川天心選手の「VIP 待遇」を、
素直に受け止められない人は、少なからずいるように思います、
先日の LIVE BOXING 9 の中継を見て、そのように改めて感じました。
那須川天心選手と中谷潤人選手、二人それぞれの試合後の、勝利者インタビュー。
あれを見て、みなさんはどう思われたでしょうか?
那須川天心選手は、自らマイクを掴んで、雄弁且つ派手にアピールを施していきました。
ファンへのサービス精神であるのは間違いなく、それに呼応する場内の歓声もありました。
しかし、その一方で「固まっている」観客も大勢いました。
ちょっと引いた感じで、皆黙り込んでいる・・・・、そういう空気が充満している様子が、
途中何度か客席に映像が切り替わったとき、手に取るように分かりました。
一方の中谷潤人選手は、謙虚で爽やかな受け答えを披露してくれました。
那須川天心選手に比べると歓声は少なかったかもしれませんが、客席に映った人たちは皆、
素直に拍手を送っていて、那須川選手のときとは雰囲気が明らかに違っていました。
この対比は、とても面白いなと、見ていて思いました。
格闘技なので、強くなければ話になりません。
でも、試合に勝ちさえすれば、あとのことはどうでも良いのか。
チャンピオンには、相応の品格が求められる。
日本のボクシングファンは、そういう目で見ると思います。
それが最も強く問われたのが、かつての「亀田劇場」だったと思います。
那須川天心選手が亀田劇場と同じと言うつもりは、全くありません。
そもそも、アピールの方向性が全く違いますし・・・・(笑)
ちなみにわたしは、亀田劇場を、もったいないなぁと思って見ていました。
小さい頃からあれだけ一生懸命ボクシングに打ち込み、努力を重ねた人間の根本が曲がっている筈はないのに、あんなことをやらされて損をしているなと、思いながら見ていました。
那須川天心選手の類い希なる格闘センスは、誰もが認めるところで、説得力十分です。
外野の文句を実力で黙らせる、そんな活躍を今後も見せてくれると思います。
ただ、一挙手一投足の振る舞いを少し変えるだけで、世間の見る目はさらに大きく変わる。
その意味で、やはり少し損をしている部分があるように、わたし個人的には思っています。
那須川天心選手のボクシング転向第1戦のとき、解説席の村田涼太氏が、那須川天心選手のマイクアピールを見て半ばキレ気味に苦言を呈したことが話題になりましたが、あれは、同じことを思ったからではなかったのかなと想像します。
一方の中谷潤人選手は既に、チャンピオンの風格と品格を備えていると感じます。
どんなに劇的 KO 勝利を飾っても、勝利者インタビューはあくまでも、謙虚で爽やかに。
コーナーポストに駆け登って雄叫びガッツポーズ、というようなパフォーマンスをやることも、決してしないでしょう。
頭が金髪に染められることも、
ましてや、ワンポイントのタトゥーが入れられることも、ないでしょう。
そしてあの、脱力系の優しい表情。
今の時点で、本当にもう清々しいまでに、俺が俺がというところが全くありません。
それでいて、"ネクストモンスター" と言われる実力を兼ね備えている。
そんなチャンピオンの勇姿は、日本人の心に突き刺さります。
中谷潤人選手を見ていると、思わず応援したくなる。
そういう人は、今後益々増えていくのではないかと思います。
現在、世界バンタム級の4本のベルトは、中谷潤人選手を筆頭に日本人が独占しています。
この4人の中に、那須川天心選手がどのように割って入るのか?
井上尚弥戦の切符を手にするのは、誰なのか?
これからの夢の闘いが本当に楽しみです。
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健介
今日は、元プロレスラーの佐々木健介選手について、思うところを語ってみたいと思います。
2014年に現役を引退し、マット界から完全に身を引いている今現在、
本来は「佐々木健介氏」と言うべきなのかもしれませんが、
わたし個人的には、かつて新日本プロレスで活躍していた頃のイメージが強いので、
「佐々木健介選手」と言わせていただきたいと思います。
佐々木健介選手がいかに大物プロレスラーであったかは、
今さら多くを説明する必要もないと思います。
アントニオ猪木から長州力へ実権が引き継がれた、1990年代の新日本プロレスで活躍し、
武藤・橋本・蝶野の闘魂三銃士らと並んで、ひとつの時代を築いたプロレスラーでした。
あの頃が、佐々木健介選手のキャリアの最盛期だったように思います。
その後、新日本を退団してフリーとなってからは、WJ プロレスの挫折や、
師匠の長州力と疎遠になるなど、悲哀を味わうこともあったようですが、
フリーのプロレスラーとして、多団体の交流時代における目玉選手であったと同時に、
ファンに飽くなき夢を抱かせる「顔」であり続けた、そんな選手だったと思います。
2014年に現役を引退した佐々木健介選手は、今現在は芸能活動に取り組んでいるようです。
そして、今や一個人が誰でも YouTube で動画配信し、収益を得られる時代。
多くの元プロレスラーが、次々とチャンネルを開設し、昔話を聞かせてくれています。
その風潮自体は、とても良いことだと思います。
当時の逸話が、当事者のレスラー自身から改めて語られるのは、価値あることだと思います。
そんな中にあって、佐々木健介選手は、自身の YouTube チャンネルを持っていません。
奥様の北斗晶さんの YouTube チャンネルの動画に、夫婦で一緒に出演している以外は、
他の元プロレスラーの動画へのコラボ出演は今のところ実現していません。
また、一時期は、ダウンタウンの番組に出て「健介!」と浜ちゃんにいじられるなど、
TV でもよく見かけた佐々木健介選手ですが、最近はその機会も減ったように思えます。
あんなにいつもニコニコしていて、いい人そうなのに、なぜ?
あれだけの大物プロレスラーだったのに、どうして?
そんな声も見かけます。
佐々木健介選手について、ネット界隈の情報によれば、いくつかのことが言われています。
・後輩レスラーや練習生に対するシゴキ(いじめ?)
・合同練習中の練習生の死亡事故について
今のこの時代、特定の意図を持った情報が、一人歩きで存在できるとは考えられません。
それが根も葉もないでっち上げであれば、それを否定する情報も必ず発信されて、
情報の自浄作用が働くと思います。
それを考えると、佐々木健介選手に関して言われている、これらのことが、
今も残っているということは、
ある程度の本当らしさがある話と、考えて良さそうに思えます。
わたしも、1970年代の「金曜夜8時」の頃からプロレスを見てきた人間として、
佐々木健介選手に関して巷間言われているこれらの話は、当然知っています。
そのことが原因にもなってなのか、最近の佐々木健介選手が、
表舞台からやや遠ざかっているように見える現状についても、認識しています。
練習生の死亡事故の件については、事故当時、警察も入って調べが行なわれた筈ですから、
そこで何らの処分もなかったということは、そういうことだということでしょう。
それ以上のことを、噂レベルで言うべきではないと思います。
佐々木健介選手のシゴキが原因だという人もいれば、そうではないとする説もあります。
金本浩二選手は、YouTube の動画で「佐々木さんが原因ではない」と明確に否定しています。
後輩レスラーや練習生に対するシゴキ(いじめ?)の件については、
双方の立場や考え方があろうかと思います。
真壁刀義選手は、未だに恨みを持っていることを、YouTube で堂々と公言しています。
天山広吉選手も、佐々木さんのシゴキが凄かったと言っています(=同時に天山選手は、普段は気前よく小遣いをくれたりする一面もあった、とプライベートのことも少し話しています)。
新日本プロレス時代の佐々木健介選手は、一言でいうと、怖い雰囲気が充満していました。
表舞台の顔、すなわち TV 中継の試合を見ているだけでも、それは伝わってきました。
なので、舞台裏で佐々木健介選手に練習の指導をつけてもらっていた後輩レスラーや、
練習生からすれば、それはそれは凄まじいシゴキであったのだろうことは、想像がつきます。
それに対し、今なお恨みを抱き続け、告発の声があがることは、受けた側としての真実として、あり得ることだろうと思います。
一方、それを施した側の、佐々木健介選手の立場からすれば、
わたしが思いますに、生来の一本気、生真面目、不器用な性格からくる責任感が、
そうさせた部分が大きかったのではないかと、想像します。
新日本をデカくするために、こいつらを一人前に育てないといけない。
そのためには、自分が悪者になって嫌われてもいい。
そういう気持ちが、根底にあったのではないかと想像します。
佐々木健介選手について、わたしが今も忘れられないシーンが、2つあります。
1つは、確かジャパンプロレス時代だったように、記憶していますが、
ファンサービスの集いか何かのイベントで、続々と訪れるファンを握手で出迎える
佐々木健介選手の姿を、TV でチラと見かけたことがありました。
ファン一人一人の目をきちんと見て、しっかりと握手をする様子が、印象的でした。
もう1つは、2009年6月13日、プロレスリングノアの広島グリーンアリーナ大会。
試合中の事故で三沢光晴選手が心肺停止に陥ったとき、途中から佐々木健介選手が駆けつけて、
三沢選手の近くでじっと見守っていた、あのときの様子も印象に残っています。
佐々木健介選手の性格がよく現れた、我をも忘れて思わず取った行動に見えました。
佐々木健介選手は、良くも悪くも、一本気で不器用。
これを否定する人は、誰一人としていないと思います。
強さだけをひたすら追い求めるプロレスラー時代は、それで良かったかもしれませんが、
現役を引退後、その性格が裏目に出て損をしている感があります。
自分の気持ちをまげて、うまく立ち回って、ポジション・居場所を確保する。
不器用な佐々木健介選手は、そういうことが出来ないのだろうと思います。
でもやっぱり、何だかんだ言って、
あれだけの大物プロレスラーだったわけですから、
今の「健介」が何を語るのかについて、
単純に見たい聞きたいと思っている人は、多い筈です。
有名無名のプロレスラーが、こぞって YouTube チャンネルを開設する昨今。
佐々木健介選手への、コラボ動画出演依頼が、
全くないわけはないと思うのですが、その辺りどうなのでしょうか。
もちろん、「自分、正直不器用なんで」の一言で済ませられるのは、納得できない。
そう考える立場の人もいると思います。
ただ、人間、長い年月を経て変わる部分は、必ずあると思います。
それは、お互いにそうではないかと思います。
「佐々木さん、御無沙汰してます」
「おお、真壁、元気にやってるか」
そんな何気ない挨拶を一言交わす。
それだけでも、価値あることなんじゃないかなと思います。
そんなシーンが実際に見れたら嬉しいですし、そういう話が聞けるだけでも、
我々のような昔からの元プロレスファンとしては、ほっこりした気持ちになれます。
長年、絶縁状態にあった者同士が、恩讐を超えて顔を合わせる。
そういうのは、多くの人の心に、間違いなくプラスの影響を与えると思います。
2014年に現役を引退し、マット界から完全に身を引いている今現在、
本来は「佐々木健介氏」と言うべきなのかもしれませんが、
わたし個人的には、かつて新日本プロレスで活躍していた頃のイメージが強いので、
「佐々木健介選手」と言わせていただきたいと思います。
佐々木健介選手がいかに大物プロレスラーであったかは、
今さら多くを説明する必要もないと思います。
アントニオ猪木から長州力へ実権が引き継がれた、1990年代の新日本プロレスで活躍し、
武藤・橋本・蝶野の闘魂三銃士らと並んで、ひとつの時代を築いたプロレスラーでした。
あの頃が、佐々木健介選手のキャリアの最盛期だったように思います。
その後、新日本を退団してフリーとなってからは、WJ プロレスの挫折や、
師匠の長州力と疎遠になるなど、悲哀を味わうこともあったようですが、
フリーのプロレスラーとして、多団体の交流時代における目玉選手であったと同時に、
ファンに飽くなき夢を抱かせる「顔」であり続けた、そんな選手だったと思います。
2014年に現役を引退した佐々木健介選手は、今現在は芸能活動に取り組んでいるようです。
そして、今や一個人が誰でも YouTube で動画配信し、収益を得られる時代。
多くの元プロレスラーが、次々とチャンネルを開設し、昔話を聞かせてくれています。
その風潮自体は、とても良いことだと思います。
当時の逸話が、当事者のレスラー自身から改めて語られるのは、価値あることだと思います。
そんな中にあって、佐々木健介選手は、自身の YouTube チャンネルを持っていません。
奥様の北斗晶さんの YouTube チャンネルの動画に、夫婦で一緒に出演している以外は、
他の元プロレスラーの動画へのコラボ出演は今のところ実現していません。
また、一時期は、ダウンタウンの番組に出て「健介!」と浜ちゃんにいじられるなど、
TV でもよく見かけた佐々木健介選手ですが、最近はその機会も減ったように思えます。
あんなにいつもニコニコしていて、いい人そうなのに、なぜ?
あれだけの大物プロレスラーだったのに、どうして?
そんな声も見かけます。
佐々木健介選手について、ネット界隈の情報によれば、いくつかのことが言われています。
・後輩レスラーや練習生に対するシゴキ(いじめ?)
・合同練習中の練習生の死亡事故について
今のこの時代、特定の意図を持った情報が、一人歩きで存在できるとは考えられません。
それが根も葉もないでっち上げであれば、それを否定する情報も必ず発信されて、
情報の自浄作用が働くと思います。
それを考えると、佐々木健介選手に関して言われている、これらのことが、
今も残っているということは、
ある程度の本当らしさがある話と、考えて良さそうに思えます。
わたしも、1970年代の「金曜夜8時」の頃からプロレスを見てきた人間として、
佐々木健介選手に関して巷間言われているこれらの話は、当然知っています。
そのことが原因にもなってなのか、最近の佐々木健介選手が、
表舞台からやや遠ざかっているように見える現状についても、認識しています。
練習生の死亡事故の件については、事故当時、警察も入って調べが行なわれた筈ですから、
そこで何らの処分もなかったということは、そういうことだということでしょう。
それ以上のことを、噂レベルで言うべきではないと思います。
佐々木健介選手のシゴキが原因だという人もいれば、そうではないとする説もあります。
金本浩二選手は、YouTube の動画で「佐々木さんが原因ではない」と明確に否定しています。
後輩レスラーや練習生に対するシゴキ(いじめ?)の件については、
双方の立場や考え方があろうかと思います。
真壁刀義選手は、未だに恨みを持っていることを、YouTube で堂々と公言しています。
天山広吉選手も、佐々木さんのシゴキが凄かったと言っています(=同時に天山選手は、普段は気前よく小遣いをくれたりする一面もあった、とプライベートのことも少し話しています)。
新日本プロレス時代の佐々木健介選手は、一言でいうと、怖い雰囲気が充満していました。
表舞台の顔、すなわち TV 中継の試合を見ているだけでも、それは伝わってきました。
なので、舞台裏で佐々木健介選手に練習の指導をつけてもらっていた後輩レスラーや、
練習生からすれば、それはそれは凄まじいシゴキであったのだろうことは、想像がつきます。
それに対し、今なお恨みを抱き続け、告発の声があがることは、受けた側としての真実として、あり得ることだろうと思います。
一方、それを施した側の、佐々木健介選手の立場からすれば、
わたしが思いますに、生来の一本気、生真面目、不器用な性格からくる責任感が、
そうさせた部分が大きかったのではないかと、想像します。
新日本をデカくするために、こいつらを一人前に育てないといけない。
そのためには、自分が悪者になって嫌われてもいい。
そういう気持ちが、根底にあったのではないかと想像します。
佐々木健介選手について、わたしが今も忘れられないシーンが、2つあります。
1つは、確かジャパンプロレス時代だったように、記憶していますが、
ファンサービスの集いか何かのイベントで、続々と訪れるファンを握手で出迎える
佐々木健介選手の姿を、TV でチラと見かけたことがありました。
ファン一人一人の目をきちんと見て、しっかりと握手をする様子が、印象的でした。
もう1つは、2009年6月13日、プロレスリングノアの広島グリーンアリーナ大会。
試合中の事故で三沢光晴選手が心肺停止に陥ったとき、途中から佐々木健介選手が駆けつけて、
三沢選手の近くでじっと見守っていた、あのときの様子も印象に残っています。
佐々木健介選手の性格がよく現れた、我をも忘れて思わず取った行動に見えました。
佐々木健介選手は、良くも悪くも、一本気で不器用。
これを否定する人は、誰一人としていないと思います。
強さだけをひたすら追い求めるプロレスラー時代は、それで良かったかもしれませんが、
現役を引退後、その性格が裏目に出て損をしている感があります。
自分の気持ちをまげて、うまく立ち回って、ポジション・居場所を確保する。
不器用な佐々木健介選手は、そういうことが出来ないのだろうと思います。
でもやっぱり、何だかんだ言って、
あれだけの大物プロレスラーだったわけですから、
今の「健介」が何を語るのかについて、
単純に見たい聞きたいと思っている人は、多い筈です。
有名無名のプロレスラーが、こぞって YouTube チャンネルを開設する昨今。
佐々木健介選手への、コラボ動画出演依頼が、
全くないわけはないと思うのですが、その辺りどうなのでしょうか。
もちろん、「自分、正直不器用なんで」の一言で済ませられるのは、納得できない。
そう考える立場の人もいると思います。
ただ、人間、長い年月を経て変わる部分は、必ずあると思います。
それは、お互いにそうではないかと思います。
「佐々木さん、御無沙汰してます」
「おお、真壁、元気にやってるか」
そんな何気ない挨拶を一言交わす。
それだけでも、価値あることなんじゃないかなと思います。
そんなシーンが実際に見れたら嬉しいですし、そういう話が聞けるだけでも、
我々のような昔からの元プロレスファンとしては、ほっこりした気持ちになれます。
長年、絶縁状態にあった者同士が、恩讐を超えて顔を合わせる。
そういうのは、多くの人の心に、間違いなくプラスの影響を与えると思います。
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ゾーンに入った武尊は、誰にも止めることはできない
2023年6月24日。
異国の地、フランスのパリにて開催された格闘技大会「Impact in Paris」に、
キック界のカリスマ、元K-1世界3階級チャンピオンの武尊選手(31)が出場。
約1年振りの復帰戦を闘い、見事なKO勝利を飾りました。
2022年6月19日、東京ドーム。
格闘技の歴史に間違いなく刻まれる世紀のイベント「THE MATCH 2022」において、
那須川天心選手(24)との「試合」で判定負けを喫してから、およそ1年。
あの一戦で両者の明暗が別れた、世間の目にはそのように見えたことでしょう。
勝利した那須川選手は、キックを引退してボクシングに転向し、話題を集めています。
一方、敗れた武尊選手は「THE MATCH 2022」開催後の6月27日の会見で、長期休養を発表。
あの長期休養宣言を聞いて、「武尊もこれで実質引退か」と、多くの人は思ったでしょう。
わたしも、去年の6月19日、「THE MATCH 2022」の大会を PPV で観戦しました。
メインの「試合」、3分3ラウンドなんてあまりにも短すぎた。
それが一番の率直な感想でした。
判定で敗れた武尊選手の様子が、とても印象的でした。
勝敗が決した後、那須川選手と何事か言葉を交わし、その時点で既に感極まっていました。
リングを降りて花道を退場する際も、場内の観衆に何度も頭を下げ、号泣していました。
「今まで本当にありがとう」と、ファンに感謝の気持ちを伝えているように見えました。
あの武尊選手の号泣を見て、引退を決意したのだなと予感しました。
その後の長期休養宣言の会見を見て、そう確信しました。
勝負の世界は厳しい、甘くはない、とは言うものの、
あれだけの歴戦の実績で格闘技界を長年牽引してきた、カリスマの引き際としては、
いささか寂しい気もするなと思いました。
「THE MATCH 2022」での那須川天心戦も、「試合」の勝敗は厳然たる事実として、
それが全てではなく、内容については違う評価もできると思うからです。
あの「試合」の勝敗だけで、武尊選手のキャリアがフェードアウトするのは、
あまりに勿体ない、わたしにはそう思えました。
しかし、あれから1年。
武尊選手は決して、諦めたわけでも、惰性に流れていたわけでもありませんでした。
今年の3月29日、武尊選手の復帰戦が発表されると同時に、
Abema TV との専属 PPV ファイター契約(最低保証額1億円)が発表されました。
正直、あの長期休養宣言からこのまま引退だろうと思っていたわたしには、
これは非常に嬉しい誤算、本当に心から応援したいと思ったニュースでした。
そうですよね!
あの那須川選手との「試合」に敗れたからといって、武尊選手の戦歴とカリスマは何ら変わりはなく、ファイターとしての商品価値を生かして、これからもどんどん稼げば良いのです。
このまま終わってしまうのは、あまりにも勿体ない。
そう思う反面 ・・・・
どこまで出来るのかなという不安も、正直ありました。
「THE MATCH 2022」の時点でも、長期のブランク明けの一戦でした。
あれからさらに1年の長期休養明けの復帰戦で、どこまで闘えるのか・・・・
そんなわたしの一抹の不安も、完全な素人の杞憂に終わりました。
武尊選手は「決闘」に臨んだときこそ真価を発揮するファイター。
昨夜の復帰戦を見て、改めてそう思いました。
「THE MATCH 2022」での那須川天心戦、あれは「決闘」ではない。
3分3ラウンドなんて、とても「決闘」とは言えない。
武尊選手は当初、無制限ラウンド・完全決着の「決闘」で行なうことを希望した。
しかし結局、3分3ラウンドの「試合」として行なわれることになった。
おまけにあの「試合」、1ラウンドでダウンこそ喫したが、
その後の2、3ラウンド、武尊選手は完全にゾーンに入っていた。
迎え撃つ那須川選手の表情は、明らかに追いつめられていた。
RIZIN のリングで、メイウェザーや五味選手と闘ったときと、同じ表情だった。
つまり、あの試合が 4、5ラウンド・・・・ と続く「決闘」だったら、結果は分からなかった。
武尊選手が捕らえていた可能性もあった。
武尊選手が一旦ゾーンに入ったら、誰も止めることは出来ない。
そのことを改めて再認識させられた、昨夜の復帰戦でした。
早くもロッタン戦が武尊選手本人の口から飛び出しているようで、残りそう長くはない現役生活で、ファン垂涎の夢の「決闘」を実現させてほしいと思います。
尚且つ、後進世代の選手にも夢を与えられるように、Abema の PPV でしっかり稼いで欲しい。
そう思います。
異国の地、フランスのパリにて開催された格闘技大会「Impact in Paris」に、
キック界のカリスマ、元K-1世界3階級チャンピオンの武尊選手(31)が出場。
約1年振りの復帰戦を闘い、見事なKO勝利を飾りました。
2022年6月19日、東京ドーム。
格闘技の歴史に間違いなく刻まれる世紀のイベント「THE MATCH 2022」において、
那須川天心選手(24)との「試合」で判定負けを喫してから、およそ1年。
あの一戦で両者の明暗が別れた、世間の目にはそのように見えたことでしょう。
勝利した那須川選手は、キックを引退してボクシングに転向し、話題を集めています。
一方、敗れた武尊選手は「THE MATCH 2022」開催後の6月27日の会見で、長期休養を発表。
あの長期休養宣言を聞いて、「武尊もこれで実質引退か」と、多くの人は思ったでしょう。
わたしも、去年の6月19日、「THE MATCH 2022」の大会を PPV で観戦しました。
メインの「試合」、3分3ラウンドなんてあまりにも短すぎた。
それが一番の率直な感想でした。
判定で敗れた武尊選手の様子が、とても印象的でした。
勝敗が決した後、那須川選手と何事か言葉を交わし、その時点で既に感極まっていました。
リングを降りて花道を退場する際も、場内の観衆に何度も頭を下げ、号泣していました。
「今まで本当にありがとう」と、ファンに感謝の気持ちを伝えているように見えました。
あの武尊選手の号泣を見て、引退を決意したのだなと予感しました。
その後の長期休養宣言の会見を見て、そう確信しました。
勝負の世界は厳しい、甘くはない、とは言うものの、
あれだけの歴戦の実績で格闘技界を長年牽引してきた、カリスマの引き際としては、
いささか寂しい気もするなと思いました。
「THE MATCH 2022」での那須川天心戦も、「試合」の勝敗は厳然たる事実として、
それが全てではなく、内容については違う評価もできると思うからです。
あの「試合」の勝敗だけで、武尊選手のキャリアがフェードアウトするのは、
あまりに勿体ない、わたしにはそう思えました。
しかし、あれから1年。
武尊選手は決して、諦めたわけでも、惰性に流れていたわけでもありませんでした。
今年の3月29日、武尊選手の復帰戦が発表されると同時に、
Abema TV との専属 PPV ファイター契約(最低保証額1億円)が発表されました。
正直、あの長期休養宣言からこのまま引退だろうと思っていたわたしには、
これは非常に嬉しい誤算、本当に心から応援したいと思ったニュースでした。
そうですよね!
あの那須川選手との「試合」に敗れたからといって、武尊選手の戦歴とカリスマは何ら変わりはなく、ファイターとしての商品価値を生かして、これからもどんどん稼げば良いのです。
このまま終わってしまうのは、あまりにも勿体ない。
そう思う反面 ・・・・
どこまで出来るのかなという不安も、正直ありました。
「THE MATCH 2022」の時点でも、長期のブランク明けの一戦でした。
あれからさらに1年の長期休養明けの復帰戦で、どこまで闘えるのか・・・・
そんなわたしの一抹の不安も、完全な素人の杞憂に終わりました。
武尊選手は「決闘」に臨んだときこそ真価を発揮するファイター。
昨夜の復帰戦を見て、改めてそう思いました。
「THE MATCH 2022」での那須川天心戦、あれは「決闘」ではない。
3分3ラウンドなんて、とても「決闘」とは言えない。
武尊選手は当初、無制限ラウンド・完全決着の「決闘」で行なうことを希望した。
しかし結局、3分3ラウンドの「試合」として行なわれることになった。
おまけにあの「試合」、1ラウンドでダウンこそ喫したが、
その後の2、3ラウンド、武尊選手は完全にゾーンに入っていた。
迎え撃つ那須川選手の表情は、明らかに追いつめられていた。
RIZIN のリングで、メイウェザーや五味選手と闘ったときと、同じ表情だった。
つまり、あの試合が 4、5ラウンド・・・・ と続く「決闘」だったら、結果は分からなかった。
武尊選手が捕らえていた可能性もあった。
武尊選手が一旦ゾーンに入ったら、誰も止めることは出来ない。
そのことを改めて再認識させられた、昨夜の復帰戦でした。
早くもロッタン戦が武尊選手本人の口から飛び出しているようで、残りそう長くはない現役生活で、ファン垂涎の夢の「決闘」を実現させてほしいと思います。
尚且つ、後進世代の選手にも夢を与えられるように、Abema の PPV でしっかり稼いで欲しい。
そう思います。
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「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本を読んで、力道山は昭和のシバターだったと理解できた
先般、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 という書籍を読みました。
作家で柔道家でもある増田俊也氏によるこの著作は、18年間に及ぶ並行取材を経て 2011年9月に刊行され、大宅賞を受賞するなど各界から称賛が寄せられている、後世に残すべき名著です。
それを読んで思ったことを、書いてみたいと思います。
1954年(昭和29年)12月22日、蔵前国技館。
「昭和の巌流島決戦」 とも呼ばれた、プロレスの試合が行なわれました。
あの試合がもしなかったら、いや、あの試合が 「正々堂々と」 行なわれていたならば、
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本が世に出ることはありませんでした。
「昭和の巌流島決戦」 とまで言われたあの試合が、行なわれるに至った背景は・・・
大相撲を廃業後、1954年に日本プロレスを旗揚げした力道山は、「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」「史上最強の柔道家・木村政彦」 を自らのタッグパートナーに指名し、力道山・木村組 VS シャープ兄弟の旗揚げ14連戦で、日本全国に一大プロレスブームが到来します。
力道山は一躍、国民的ヒーロー、スーパースターとなります。
一方で、いつも負け役(力道山の引き立て役)をやらされることに異を唱えた木村政彦は、力道山と袂を分かち、「力道山のプロレスはショーだ、真剣勝負なら負けない」 と挑戦を表明。
日本プロレスが旗揚げした同年の暮れに、早くも両雄の対決が実現する運びとなります。
「相撲が勝つか柔道が勝つか」 と注目を集めたあの試合。
ひとつ重要なポイントは、力道山と木村政彦が互いに商売敵の関係だったことです。
木村政彦は、小さいながらも自らのプロレス団体で興行を打っていました。
力道山と決別後、その自団体のトップとして 「真剣勝負なら負けない」 と挑戦表明しました。
今でいえば、プロレスリング・ノアの No.1(三沢光晴) と No.2(小橋建太) が、シリーズ最終戦のビッグマッチで雌雄を決する、というようなものではなかったと、要はそういうことです。
同じ団体で同じ釜の飯を食う選手同士が、「相撲が勝つか柔道が勝つか」 という煽りだけで試合をしたのではありませんでした。
ということなので、一歩間違えばセメントマッチという危険な要素は、確かにありました。
目障りな商売敵は潰しておきたい。
力道山がそう考えたとしても、おかしくなかったと思います。
然は然り乍ら、そこはプロレスの試合。
力道山と木村政彦、両陣営の間で、事前の話し合いが持たれました。
その結果、本当に本当の真剣勝負で決着をつけることは回避し、引き分けや勝ち負けを繰り返しながら、全国を巡業して、しっかり稼ごう、という方向で取り決められました。
このことは、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本が世に出る前から、文献や証言等で明らかになっていた事実です。
それにも関わらず、試合はあのような結末となりました。
となると、もうひとつの重要ポイントは、
あの結末が本当に、巷間いわれているような偶発的アクシデントだったのかどうか、
ということになります。
史上最強の柔道家・木村政彦の偉大さを知ったうえで、あの試合映像を見たときのやりきれない気持ちに、白黒はっきり決着をつけるための重要なポイントです。
あの試合は、今となってはこの見方が定説となっているように思います。
自分も先日、YouTube で試合の動画を見ました。
脳裏におぼろげな記憶があるので、過去に見たことはあった筈ですが、それもかなり昔のことで、YouTube の映像をしっかりと見る今回が実質初めてでした。
「痛ましい」「凄惨」 という言葉は、決して大袈裟ではないと思いました。
鷹揚としたプロレス黎明期のあの時代に、あんな酷い潰し方をされた木村政彦とは、どのような人物だったのだろうと興味を持ち、そのことが 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本を読む機会へと繋がっていきました。
見たところ確かに、木村政彦が放った急所蹴り(=と言っても、何かの合図をするように爪先を股下に軽く当てた程度のもの)が、発火点になっているように思えます。
あの事件は、木村政彦の反則攻撃がきっかけで、偶然起きたものだった。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
つまり、両者ともブック通り引き分けにするつもりで試合開始したが、反則の急所蹴りをやられてキレた力道山が、暴走して本気で潰しに行った・・・
・・・ということなのであれば、自分としては一応納得できます。
アントニオ猪木ではないですが、「リング上はいつなんどき、何が起きても対応できないといけない、応戦できなかった木村政彦が悪い」 と言われても仕方ないと、思うからです。
それは、木村政彦自身も同じだったと思います。
「俺が不甲斐なかっただけだ」 と、あの結果を潔く受け入れていたでしょう。
あれが本当に、偶発的に起きたものだったのであれば。
そうではなく、最初から仕組まれた騙し討ちだったのだとすれば、話は全く違ってきます。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の著者・増田俊也氏は、「真剣勝負なら木村政彦が勝っていた」 を証明することが、少なくとも執筆開始時点のゴール(=救われる/救われないの基準)であったようですが、それはそんなに重要ではないと思います。
世間は今でも、あの試合を↑このように見ています。
だから、「返り討ちにできなかった木村政彦が悪い」 と言われたら、何も言い返せない。
「真剣勝負なら絶対に負けなかった」 と今さら証明しても、ひっくり返すのは無理。
力道山のブック破りが、偶発的だったのか、意図的(計画的)だったのか。
重要なのはそこです。
これが、実際の本当の話だったのではないかということ。
そうだとした場合、騙し討ちはどのように仕組まれたのか。
その詳細を世間が知ること。
それこそが重要です。
結論としては、
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本を読んだことで、自分は、この記事のタイトルにも書きましたように、あの試合で力道山がやったことは、昨年の大晦日、2021年12月31の RIZIN.33 で件の YouTuber がやったのと同じことであったと、理解できました。
空手チョップは OK なのに、「木村政彦の当て身は禁止」 を力道山は強硬に主張し、最後まで譲らなかった件(ガチの展開になった場合に備えて、自分に少しでも有利になるようにという意図があったのか)。
試合当日も 「俺の当て身だけ禁止なのはおかしい」 と食い下がる木村政彦に、力道山は 「絶対に怪我はさせない、反則をすればレフェリーが止めるから問題ない」 と言って退けるが、そう言いながらレフリーは結局、力道山配下の人物に試合前日に決められた件(前田日明 VS アンドレ戦で試合当日に急遽レフリーがミスター高橋からアンドレのマネージャーに変更された一件を想起させる)。
しかしですよ、、、
試合ルールで揉めるなんて、グレイシーだってやっているし、猪木アリ戦でもあったこと。
それは百歩譲ったとして、それよりも何よりも、最低なのは念書の件。
関係者の証言等で既に公になっていた事実かもしれませんが、少なくとも自分は、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本を読んで初めて、念書の件の顛末を知りました。
話し合いで取り決めた約束事を、契約書または覚書(念書)に書き、当事者同士の署名捺印入りで2通を作成、互いに交換所持して、法的または道義的義務で双方を拘束する。
あの試合のときも、同じことが行なわれた、筈だったと。
しかし、現実にこの世に存在したのは、木村政彦が書いた念書だけだった。
「最初の試合は、1本目2本目を交互に取り、3本目で時間切れ引き分けとする」 と書かれたその念書を、力道山は、試合の3日後にマスコミに公開した・・・
事の詳細は、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本の中に書いてあります。
その記録が今後、この名著の中に残されていくことは、大きな意味があると思います。
これはもう、誰がどう見てもアウトです。
いくら何でも、あんな卑怯なことはやっちゃいかんですよ(笑)
試合ルールで有利になるよう駆け引きするとかいうのとは、話の次元が違う。
RIZIN.33 で久保優太選手を陥れた、件の YouTuber のことを、前田日明が自身の YouTube チャンネルで一刀両断していますが、あの言葉(人間の〇〇)は、力道山にこそ向けられるべき。
自分はそう思います。
あとは、事後の話として、あの試合の試合映像。
全編ノーカットな映像は(少なくとも表には)存在せず、いくつかの場面がカットされていて、実際の試合時間よりも短い映像しか、今は見ることができないとのことです。
カットされているのは、力道山サイドにとって隠したいシーンとのことで、全編ノーカットの試合映像を見れば 『木村政彦の反則で激怒した力道山が・・・・』 の定説が覆る可能性はどうやら高いようです(詳細は 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本を参照されたく)。
いわゆるひとつの、証拠隠滅ってやつでしょうか。
史上最強の柔道家・木村政彦は、こうまでのことをして陥れられたのだということは、
後世に伝えられていくべきです。
今さら何を言おうと、リングの上は結果が全て。
騙される方が馬鹿だっただけ。
油断していた木村政彦の負けに変わりはない。
等々・・・
念書の件の顛末を知ってなお、そう言うのは、最早 「泥棒に入られる方が悪い」 という論理。
泥棒は所詮、泥棒でしかない。
ちなみに、Wikipedia の力道山の頁 を見ると、次のように書かれています。
「ノンフィクションを謳う」 とわざわざ付記しているところに、
この一文を書いた人の皮肉の意図が垣間見える気がするのは、考えすぎでしょうか。
確かに、増田俊也氏は木村政彦サイドに立つ人物です。
力道山(プロレス)サイドの著書や証言も全部読んだうえで、判断すべきではないか。
確かにその通りです。
でも自分は、それをしようとは思いません。
引退したプロレスラーが、挙って YouTube チャンネルを開設し、現役時代の秘話や思い出話を語り聞かせる昨今の風潮は、とても良いことだと思っています。
自分もこの歳になり、そうしたプロレスの昔話を、楽しませてもらっています。
しかし中には、『今語る本当の真実』、『有名なあのアングルには、実はこういう裏が隠されていた』 とか言いながら、そこでまた嘘の話を聞かせる(=その時々で言うことが違う)という事例があることも知っています。
特に、新日本の営業本部長だったあの人(オヤジ)。
アングルのアングルを信じ込ませて、また小銭を稼ごうと企むなんて、いまだにこんなことやってんのかよw、と呆れてしまいました。
一事が万事、そういう事例もあるので、
あの力道山 - 木村政彦の試合について、プロレスサイドからの証言を知ろうとは思いません。
好奇心を刺激されて楽しむのが目的ではなく、本当の真実を知ることが重要だからです。
その観点に立つなら、プロレスサイドの言い分は聞くに値しない。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の著者・増田俊也氏は、「真剣勝負なら木村政彦が勝っていた筈だ」 を証明することをテーマに、連載の執筆に着手しました。
しかし、書き進めていくうち、実は負けていたのではないかと認めざるを得ない事態に直面し、「これでは木村先生も救われないし、ここまで書いてきた自分自身も、誰一人として救われない」 と葛藤に襲われて・・・・
といった辺りのことも、正直に書かれています。
その真摯な姿勢は、「力道山先生」 という表記にもあらわれていると思います。
何より、木村政彦の著書や証言に多くの食い違いがあることも、正直に指摘されています。
木村政彦サイドに立って史実に手心が加えられたような本では、決してないと思います。
結果、「これですべての人が救われる」 とまで言われ、多くの称賛を得ています。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本を読んだ、今々の自分の正直な気持ちを言えば、力道山の顔を見るのも嫌になったというような感じですが(笑)、そんな自分にとっても、書籍の終盤、病と闘う木村政彦が夫人とともに散歩に出ていてふと漏らしたという一言のシーンには、感じ入るものがありました。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本から自分がもらった、それがひとつの救いだと思います。
作家で柔道家でもある増田俊也氏によるこの著作は、18年間に及ぶ並行取材を経て 2011年9月に刊行され、大宅賞を受賞するなど各界から称賛が寄せられている、後世に残すべき名著です。
それを読んで思ったことを、書いてみたいと思います。
昭和の巌流島決戦
1954年(昭和29年)12月22日、蔵前国技館。
「昭和の巌流島決戦」 とも呼ばれた、プロレスの試合が行なわれました。
あの試合がもしなかったら、いや、あの試合が 「正々堂々と」 行なわれていたならば、
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本が世に出ることはありませんでした。
「昭和の巌流島決戦」 とまで言われたあの試合が、行なわれるに至った背景は・・・
大相撲を廃業後、1954年に日本プロレスを旗揚げした力道山は、「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」「史上最強の柔道家・木村政彦」 を自らのタッグパートナーに指名し、力道山・木村組 VS シャープ兄弟の旗揚げ14連戦で、日本全国に一大プロレスブームが到来します。
力道山は一躍、国民的ヒーロー、スーパースターとなります。
一方で、いつも負け役(力道山の引き立て役)をやらされることに異を唱えた木村政彦は、力道山と袂を分かち、「力道山のプロレスはショーだ、真剣勝負なら負けない」 と挑戦を表明。
日本プロレスが旗揚げした同年の暮れに、早くも両雄の対決が実現する運びとなります。
袂を分かった力道山と木村政彦は、商売敵の関係にあった
「相撲が勝つか柔道が勝つか」 と注目を集めたあの試合。
ひとつ重要なポイントは、力道山と木村政彦が互いに商売敵の関係だったことです。
木村政彦は、小さいながらも自らのプロレス団体で興行を打っていました。
力道山と決別後、その自団体のトップとして 「真剣勝負なら負けない」 と挑戦表明しました。
今でいえば、プロレスリング・ノアの No.1(三沢光晴) と No.2(小橋建太) が、シリーズ最終戦のビッグマッチで雌雄を決する、というようなものではなかったと、要はそういうことです。
同じ団体で同じ釜の飯を食う選手同士が、「相撲が勝つか柔道が勝つか」 という煽りだけで試合をしたのではありませんでした。
ということなので、一歩間違えばセメントマッチという危険な要素は、確かにありました。
目障りな商売敵は潰しておきたい。
力道山がそう考えたとしても、おかしくなかったと思います。
プロレスなので決着はつけずにいく、と話し合われていた筈が・・・
然は然り乍ら、そこはプロレスの試合。
力道山と木村政彦、両陣営の間で、事前の話し合いが持たれました。
その結果、本当に本当の真剣勝負で決着をつけることは回避し、引き分けや勝ち負けを繰り返しながら、全国を巡業して、しっかり稼ごう、という方向で取り決められました。
このことは、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本が世に出る前から、文献や証言等で明らかになっていた事実です。
それにも関わらず、試合はあのような結末となりました。
となると、もうひとつの重要ポイントは、
あの結末が本当に、巷間いわれているような偶発的アクシデントだったのかどうか、
ということになります。
史上最強の柔道家・木村政彦の偉大さを知ったうえで、あの試合映像を見たときのやりきれない気持ちに、白黒はっきり決着をつけるための重要なポイントです。
反則の急所蹴りで偶発的に起きた KO 劇、なのであれば納得もできる
あの試合は、今となってはこの見方が定説となっているように思います。
『木村の急所蹴りに激怒した力道山が、怒涛のラッシュで KO した』
自分も先日、YouTube で試合の動画を見ました。
脳裏におぼろげな記憶があるので、過去に見たことはあった筈ですが、それもかなり昔のことで、YouTube の映像をしっかりと見る今回が実質初めてでした。
「痛ましい」「凄惨」 という言葉は、決して大袈裟ではないと思いました。
鷹揚としたプロレス黎明期のあの時代に、あんな酷い潰し方をされた木村政彦とは、どのような人物だったのだろうと興味を持ち、そのことが 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本を読む機会へと繋がっていきました。
見たところ確かに、木村政彦が放った急所蹴り(=と言っても、何かの合図をするように爪先を股下に軽く当てた程度のもの)が、発火点になっているように思えます。
あの事件は、木村政彦の反則攻撃がきっかけで、偶然起きたものだった。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
つまり、両者ともブック通り引き分けにするつもりで試合開始したが、反則の急所蹴りをやられてキレた力道山が、暴走して本気で潰しに行った・・・
・・・ということなのであれば、自分としては一応納得できます。
アントニオ猪木ではないですが、「リング上はいつなんどき、何が起きても対応できないといけない、応戦できなかった木村政彦が悪い」 と言われても仕方ないと、思うからです。
「真剣勝負なら木村政彦が勝っていた」 のかどうかは重要ではない
それは、木村政彦自身も同じだったと思います。
「俺が不甲斐なかっただけだ」 と、あの結果を潔く受け入れていたでしょう。
あれが本当に、偶発的に起きたものだったのであれば。
そうではなく、最初から仕組まれた騙し討ちだったのだとすれば、話は全く違ってきます。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の著者・増田俊也氏は、「真剣勝負なら木村政彦が勝っていた」 を証明することが、少なくとも執筆開始時点のゴール(=救われる/救われないの基準)であったようですが、それはそんなに重要ではないと思います。
『木村政彦の反則(急所蹴り)に激怒した力道山が、本気のメッタ打ちで KO した』
世間は今でも、あの試合を↑このように見ています。
だから、「返り討ちにできなかった木村政彦が悪い」 と言われたら、何も言い返せない。
「真剣勝負なら絶対に負けなかった」 と今さら証明しても、ひっくり返すのは無理。
力道山のブック破りが、偶発的だったのか、意図的(計画的)だったのか。
重要なのはそこです。
『史上最強の柔道家・木村政彦を、周到に仕組んだ騙し討ちによって
衆人環視の目の前で KO した力道山が、富と名声を欲しいままにした』
衆人環視の目の前で KO した力道山が、富と名声を欲しいままにした』
これが、実際の本当の話だったのではないかということ。
そうだとした場合、騙し討ちはどのように仕組まれたのか。
その詳細を世間が知ること。
それこそが重要です。
力道山のブック破りは 200% 計画的だった、その証拠に・・・
結論としては、
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本を読んだことで、自分は、この記事のタイトルにも書きましたように、あの試合で力道山がやったことは、昨年の大晦日、2021年12月31の RIZIN.33 で件の YouTuber がやったのと同じことであったと、理解できました。
空手チョップは OK なのに、「木村政彦の当て身は禁止」 を力道山は強硬に主張し、最後まで譲らなかった件(ガチの展開になった場合に備えて、自分に少しでも有利になるようにという意図があったのか)。
試合当日も 「俺の当て身だけ禁止なのはおかしい」 と食い下がる木村政彦に、力道山は 「絶対に怪我はさせない、反則をすればレフェリーが止めるから問題ない」 と言って退けるが、そう言いながらレフリーは結局、力道山配下の人物に試合前日に決められた件(前田日明 VS アンドレ戦で試合当日に急遽レフリーがミスター高橋からアンドレのマネージャーに変更された一件を想起させる)。
しかしですよ、、、
試合ルールで揉めるなんて、グレイシーだってやっているし、猪木アリ戦でもあったこと。
それは百歩譲ったとして、それよりも何よりも、最低なのは念書の件。
関係者の証言等で既に公になっていた事実かもしれませんが、少なくとも自分は、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本を読んで初めて、念書の件の顛末を知りました。
念書の件
話し合いで取り決めた約束事を、契約書または覚書(念書)に書き、当事者同士の署名捺印入りで2通を作成、互いに交換所持して、法的または道義的義務で双方を拘束する。
あの試合のときも、同じことが行なわれた、筈だったと。
しかし、現実にこの世に存在したのは、木村政彦が書いた念書だけだった。
「最初の試合は、1本目2本目を交互に取り、3本目で時間切れ引き分けとする」 と書かれたその念書を、力道山は、試合の3日後にマスコミに公開した・・・
事の詳細は、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本の中に書いてあります。
その記録が今後、この名著の中に残されていくことは、大きな意味があると思います。
これはもう、誰がどう見てもアウトです。
いくら何でも、あんな卑怯なことはやっちゃいかんですよ(笑)
試合ルールで有利になるよう駆け引きするとかいうのとは、話の次元が違う。
RIZIN.33 で久保優太選手を陥れた、件の YouTuber のことを、前田日明が自身の YouTube チャンネルで一刀両断していますが、あの言葉(人間の〇〇)は、力道山にこそ向けられるべき。
自分はそう思います。
試合映像の件
あとは、事後の話として、あの試合の試合映像。
全編ノーカットな映像は(少なくとも表には)存在せず、いくつかの場面がカットされていて、実際の試合時間よりも短い映像しか、今は見ることができないとのことです。
カットされているのは、力道山サイドにとって隠したいシーンとのことで、全編ノーカットの試合映像を見れば 『木村政彦の反則で激怒した力道山が・・・・』 の定説が覆る可能性はどうやら高いようです(詳細は 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本を参照されたく)。
いわゆるひとつの、証拠隠滅ってやつでしょうか。
史上最強の柔道家・木村政彦は、こうまでのことをして陥れられたのだということは、
後世に伝えられていくべきです。
今さら何を言おうと、リングの上は結果が全て。
騙される方が馬鹿だっただけ。
油断していた木村政彦の負けに変わりはない。
等々・・・
念書の件の顛末を知ってなお、そう言うのは、最早 「泥棒に入られる方が悪い」 という論理。
泥棒は所詮、泥棒でしかない。
プロレスサイドからの言い分は聞くに値しない、なぜなら・・・
ちなみに、Wikipedia の力道山の頁 を見ると、次のように書かれています。
ノンフィクションを謳う増田俊也著の 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 が、
主に木村視点での綿密な取材を行い、ヒットしたことで話題となった。
主に木村視点での綿密な取材を行い、ヒットしたことで話題となった。
「ノンフィクションを謳う」 とわざわざ付記しているところに、
この一文を書いた人の皮肉の意図が垣間見える気がするのは、考えすぎでしょうか。
確かに、増田俊也氏は木村政彦サイドに立つ人物です。
力道山(プロレス)サイドの著書や証言も全部読んだうえで、判断すべきではないか。
確かにその通りです。
でも自分は、それをしようとは思いません。
引退したプロレスラーが、挙って YouTube チャンネルを開設し、現役時代の秘話や思い出話を語り聞かせる昨今の風潮は、とても良いことだと思っています。
自分もこの歳になり、そうしたプロレスの昔話を、楽しませてもらっています。
しかし中には、『今語る本当の真実』、『有名なあのアングルには、実はこういう裏が隠されていた』 とか言いながら、そこでまた嘘の話を聞かせる(=その時々で言うことが違う)という事例があることも知っています。
特に、新日本の営業本部長だったあの人(オヤジ)。
アングルのアングルを信じ込ませて、また小銭を稼ごうと企むなんて、いまだにこんなことやってんのかよw、と呆れてしまいました。
一事が万事、そういう事例もあるので、
あの力道山 - 木村政彦の試合について、プロレスサイドからの証言を知ろうとは思いません。
好奇心を刺激されて楽しむのが目的ではなく、本当の真実を知ることが重要だからです。
その観点に立つなら、プロレスサイドの言い分は聞くに値しない。
すべての人が救われる
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の著者・増田俊也氏は、「真剣勝負なら木村政彦が勝っていた筈だ」 を証明することをテーマに、連載の執筆に着手しました。
しかし、書き進めていくうち、実は負けていたのではないかと認めざるを得ない事態に直面し、「これでは木村先生も救われないし、ここまで書いてきた自分自身も、誰一人として救われない」 と葛藤に襲われて・・・・
といった辺りのことも、正直に書かれています。
その真摯な姿勢は、「力道山先生」 という表記にもあらわれていると思います。
何より、木村政彦の著書や証言に多くの食い違いがあることも、正直に指摘されています。
木村政彦サイドに立って史実に手心が加えられたような本では、決してないと思います。
結果、「これですべての人が救われる」 とまで言われ、多くの称賛を得ています。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本を読んだ、今々の自分の正直な気持ちを言えば、力道山の顔を見るのも嫌になったというような感じですが(笑)、そんな自分にとっても、書籍の終盤、病と闘う木村政彦が夫人とともに散歩に出ていてふと漏らしたという一言のシーンには、感じ入るものがありました。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 の本から自分がもらった、それがひとつの救いだと思います。
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あれはどう見ても猪木の勝ちだろう
唐突だが、アントニオ猪木 VS モハメド・アリの DVD を見た感想を書いてみたい。
1976年6月26日、日本武道館で行なわれた「世紀の一戦」である。
この試合映像は、過去ずっと長い間、封印され続けてきた。
市販のビデオで視聴することはおろか、テレビの放送でチラ見することもできなかった。
アリ側がすべての権利を握っていたからだといわれている。
1998年にアントニオ猪木が引退したときでさえ、過去の名勝負映像として紹介されることすらなかったのである。
それがなぜ、40年近く経ってから封印が解かれたのかは、分からない。
とにかく、2014年6月26日、『燃えろ! 新日本プロレスエクストラ猪木 vs アリ伝説の異種格闘技戦!』という、新日本プロレスの DVD マガジンで市販されることになった。
定価は1600円で、今現在も amazon で買うことができる。
本当なら、もっと高値がついてよい代物だと思うが、そこは嬉しい誤算ではある。
2枚組 DVD の disc1 は、ニューヨークでの調印式、公開計量、テレビ朝日「水曜スペシャル」での契約書サインの模様、などが収められている。
後楽園ホールでの公開スパーリングが収録されていないのが惜しいが、それを差し引いても、資料的価値が非常に高い盛り沢山の内容となっている。
試合当日に向けて、雰囲気が盛り上がっていく様子が、ひしひしと伝わってくる。
この disc1 を頭から終わりまで通して見た時点で、自分は、あの試合が実現したことは本当に凄いことだったのだなと素直に思った。
1990年代後半に総合格闘技が出てきたときに、変に首を突っ込んでみたり、最近は政界に復帰して独善的パフォーマンスに興じたりなど、近年のアントニオ猪木は自分はあまり好きではない。
がしかし、アリ戦を実現させたことは、本当に凄いことだったのだ。
これだけは、認めるしかない。
disc2 では、入場シーンから最後の判定まで、試合の模様がノーカット収録されている。
プロレスや格闘技にあまり詳しくない人でも、「猪木アリ状態」という言葉は、聞いたことがあるのではないだろうか。
アリ側の一方的なルール変更要求により、関節技や投げ技、スタンディングでのキックなど、ほとんどの攻撃を禁止された不利な条件で闘うしかなかったアントニオ猪木が、残された最後の策として取ったのが、寝たままの態勢で相手の脚を蹴り続ける戦法だった。
それが後に、「猪木アリ状態」と世間で言われるようになった。
アントニオ猪木は、「猪木アリ状態」を貫いて15ラウンドを闘い、引き分けに終わった。
その結果、世間から「世紀の凡戦」と酷評され、袋叩きの目に遭ったわけだが、プロレス格闘技の世界に多少は詳しい自分としては、その試合内容がどんなものだったのか、興味はあった。
実際に見た感想としては、別に全然普通に楽しめる試合じゃん、と思った。
太腿の裏側を蹴るいわゆる「アリキック」だけでなく、アントニオ猪木は、アリの膝関節も蹴りで執拗に狙っている。
膝関節を蹴られたら、下手をすれば脚が折れてしまうので、非常に危険である。
2000年5月26日、船木誠勝がヒクソン・グレイシーと闘ったとき、ゴング直後のヒクソンの膝関節蹴りで、船木誠勝は右膝にダメージを負い(=スロー再生で見ると膝がグニャリと曲がっているのが分かる)、試合終盤に動けなくなり、敗れた。
K-1 の試合でも、ローキックで脚を蹴られ動けなくなり KO 負け、そんなシーンは珍しくない。
アントニオ猪木は、アリキックと膝への関節蹴りの一点集中で、アリの脚を壊しにいっている。
つまり、アントニオ猪木は本気で勝ちに行っていた。
2ラウンドが終了した時点で、アントニオ猪木の全身は汗でびっしょり。
それはそうだろう、仰向けに寝たままの態勢で、リングを這って間合いを詰めていき、相手の脚を思い切り蹴り続けるなんて、余程の体力とスタミナがないとできない芸当だ。
試合開始当初は、ビッグマウスとパフォーマンスで挑発する余裕を見せていたアリも、ラウンドが進むにつれて、左脚太腿が変色して腫れあがり、口数も減っていく。
世間からは「世紀の凡戦」と酷評されたが、本気で勝ちに行くアントニオ猪木の攻撃に、アリが徐々に追い詰められていく様子が、映像ではっきり捉えられている。
非常にスリリングで楽しめる試合だ。
15ラウンドまでもつれた試合は判定となり、ジャッジ3人が、ドロー、猪木、アリの三者三様。
アリに採点したジャッジは、一体何を考えているのか?
2発か3発、アリの強烈なフックがヒットする場面もあったが、アリが見せた攻撃はそれだけ。
それ以外は、アントニオ猪木の蹴りを一方的に受け続けるだけだったのに、あれで何でアリのポイントが上回ることがあるのだ?
アントニオ猪木の蹴りをよけたのもポイントになるのか?
この試合に関しては、いわゆる真剣勝負かヤオかの議論が今も絶えないが、自分が見た感じ、試合自体はいわゆるヤオではないと思う。
アントニオ猪木は、本気で勝ちに行っている。
ヤオがあったとすれば、最後の判定、あれはヤオだろう(笑)。
1976年6月26日、日本武道館で行なわれた「世紀の一戦」である。
この試合映像は、過去ずっと長い間、封印され続けてきた。
市販のビデオで視聴することはおろか、テレビの放送でチラ見することもできなかった。
アリ側がすべての権利を握っていたからだといわれている。
1998年にアントニオ猪木が引退したときでさえ、過去の名勝負映像として紹介されることすらなかったのである。
それがなぜ、40年近く経ってから封印が解かれたのかは、分からない。
とにかく、2014年6月26日、『燃えろ! 新日本プロレスエクストラ猪木 vs アリ伝説の異種格闘技戦!』という、新日本プロレスの DVD マガジンで市販されることになった。
定価は1600円で、今現在も amazon で買うことができる。
本当なら、もっと高値がついてよい代物だと思うが、そこは嬉しい誤算ではある。
2枚組 DVD の disc1 は、ニューヨークでの調印式、公開計量、テレビ朝日「水曜スペシャル」での契約書サインの模様、などが収められている。
後楽園ホールでの公開スパーリングが収録されていないのが惜しいが、それを差し引いても、資料的価値が非常に高い盛り沢山の内容となっている。
試合当日に向けて、雰囲気が盛り上がっていく様子が、ひしひしと伝わってくる。
この disc1 を頭から終わりまで通して見た時点で、自分は、あの試合が実現したことは本当に凄いことだったのだなと素直に思った。
1990年代後半に総合格闘技が出てきたときに、変に首を突っ込んでみたり、最近は政界に復帰して独善的パフォーマンスに興じたりなど、近年のアントニオ猪木は自分はあまり好きではない。
がしかし、アリ戦を実現させたことは、本当に凄いことだったのだ。
これだけは、認めるしかない。
disc2 では、入場シーンから最後の判定まで、試合の模様がノーカット収録されている。
プロレスや格闘技にあまり詳しくない人でも、「猪木アリ状態」という言葉は、聞いたことがあるのではないだろうか。
アリ側の一方的なルール変更要求により、関節技や投げ技、スタンディングでのキックなど、ほとんどの攻撃を禁止された不利な条件で闘うしかなかったアントニオ猪木が、残された最後の策として取ったのが、寝たままの態勢で相手の脚を蹴り続ける戦法だった。
それが後に、「猪木アリ状態」と世間で言われるようになった。
アントニオ猪木は、「猪木アリ状態」を貫いて15ラウンドを闘い、引き分けに終わった。
その結果、世間から「世紀の凡戦」と酷評され、袋叩きの目に遭ったわけだが、プロレス格闘技の世界に多少は詳しい自分としては、その試合内容がどんなものだったのか、興味はあった。
実際に見た感想としては、別に全然普通に楽しめる試合じゃん、と思った。
太腿の裏側を蹴るいわゆる「アリキック」だけでなく、アントニオ猪木は、アリの膝関節も蹴りで執拗に狙っている。
膝関節を蹴られたら、下手をすれば脚が折れてしまうので、非常に危険である。
2000年5月26日、船木誠勝がヒクソン・グレイシーと闘ったとき、ゴング直後のヒクソンの膝関節蹴りで、船木誠勝は右膝にダメージを負い(=スロー再生で見ると膝がグニャリと曲がっているのが分かる)、試合終盤に動けなくなり、敗れた。
K-1 の試合でも、ローキックで脚を蹴られ動けなくなり KO 負け、そんなシーンは珍しくない。
アントニオ猪木は、アリキックと膝への関節蹴りの一点集中で、アリの脚を壊しにいっている。
つまり、アントニオ猪木は本気で勝ちに行っていた。
2ラウンドが終了した時点で、アントニオ猪木の全身は汗でびっしょり。
それはそうだろう、仰向けに寝たままの態勢で、リングを這って間合いを詰めていき、相手の脚を思い切り蹴り続けるなんて、余程の体力とスタミナがないとできない芸当だ。
試合開始当初は、ビッグマウスとパフォーマンスで挑発する余裕を見せていたアリも、ラウンドが進むにつれて、左脚太腿が変色して腫れあがり、口数も減っていく。
世間からは「世紀の凡戦」と酷評されたが、本気で勝ちに行くアントニオ猪木の攻撃に、アリが徐々に追い詰められていく様子が、映像ではっきり捉えられている。
非常にスリリングで楽しめる試合だ。
15ラウンドまでもつれた試合は判定となり、ジャッジ3人が、ドロー、猪木、アリの三者三様。
アリに採点したジャッジは、一体何を考えているのか?
2発か3発、アリの強烈なフックがヒットする場面もあったが、アリが見せた攻撃はそれだけ。
それ以外は、アントニオ猪木の蹴りを一方的に受け続けるだけだったのに、あれで何でアリのポイントが上回ることがあるのだ?
アントニオ猪木の蹴りをよけたのもポイントになるのか?
この試合に関しては、いわゆる真剣勝負かヤオかの議論が今も絶えないが、自分が見た感じ、試合自体はいわゆるヤオではないと思う。
アントニオ猪木は、本気で勝ちに行っている。
ヤオがあったとすれば、最後の判定、あれはヤオだろう(笑)。
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