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ガッツ石松のスカイダイビング

今日は、昔見た TV の話をしてみたいと思います。
今からもう40年くらい前、1983年頃の話です。

今でいう「世界ウルルン探訪記」みたいな感じの番組だったと思うのですが、
ガッツ石松氏がスカイダイビングに挑戦する様子が、放映されました。
それを見て、当時確か高校1年だったわたしは、いたく感動したのを今でも覚えています。



芸能人、スポーツ選手のスカイダイビング挑戦は、過去にも例があります。
わたしが知っているのは、まずは、ダウンタウンの浜ちゃんです。
1999年7月31日放送の「ガキの使い」の罰ゲームで、スカイダイビングをやらされて、
最後は思わぬ感動と涙のフィナーレとなったのは、みなさんもよく御存知と思います。

もう1つは、2002年の格闘技イベント「Dynamite!」の第5試合終了後、アントニオ猪木が
上空 10,000 メートルからパラシュートで降下して、国立競技場に降り立ったシーンです。
あれもわたしの記憶に残っています。

でですね、当然といえば当然のことなのですが、
浜ちゃんもアントニオ猪木も、お付きの人が背後にピタリとくっついて、
親亀と子亀の態勢で、パラシュートで一緒に降りてきました。
つまり、一人でスカイダイブしたわけではありませんでした。

当然ですよね。
万が一何かあったら大変ですから。



ですが、わたしの記憶が正しければ、ガッツ石松氏は上空から一人で降下しました。
今から40年以上前に TV で見た話なので、もしかしたら記憶違いの可能性はありますが、
確かそうだったように記憶しています。

だからこそ、それを見たときわたしは、いたく感動しました。
お付きの人のいない、一人でのスカイダイビングでした。
そこが凄かったところだと思います。

その番組で覚えている内容は、2つあります。
1つは、外人のインストラクターからレクチャーを受け、訓練するシーンです。
パラシュートを開くタイミングについて、教わる場面では、

「one,two、three と3つ数えて、パラシュートを開け」
「タイミングが早くても遅くもだめだ」
「気が動転して数えるのが早くなるだろう、だから、こうすればいい」
「one thousand、two thousand、three thousand と数えるんだ、いいか」

そのようにインストラクターから言われた、ガッツ石松氏。
上空から降下する態勢を模して、鉄棒みたいなのにぶら下がって、訓練開始。

「ワンターザン、ツーターザン、スリーターザン ・・・・」

そこでスタジオが爆笑したのを、覚えています。
その他にも、パラシュートを開いた後に、両腕でロープを引っ張って操り、
滑空の加減(?)を調節する動作の訓練も、やっていました。



もう1つ覚えているのは、ダイブを決行したシーンです。
インストラクターの人が同乗して、直前の手ほどきをします。
乗降口から外に出て、主翼の支柱(?)に、両腕を伸ばしてつかまった体勢となります。
あとはいよいよ、その握った両手を離すだけとなりました。

「three、two、one ..... Go!」

インストラクターが号令をかけるも、
ガッツ石松氏、握った手を離せず、主翼下にぶら下がった体勢のまま。
再度、インストラクターが号令をかけ直す。

「three、two、one ..... Go!」

再び、内心の恐怖と逡巡を感じさせる、ワンテンポ、ツーテンポの間が開き、
そのまま「やっぱり無理だよ、こんなの出来るわけないよ(スタジオ爆笑)」
となって終わる展開が頭をよぎった、次の瞬間。

「あっ!」

両手を離したガッツ石松氏は、眼下に広がる光景の中に吸い込まれていき、
直後に番組は CM に入りました。



CM 明け、ガッツ石松氏がダイブを決行したシーンが、リプレイされます。
地上の TV カメラが、ガッツ石松氏のパラシュートを必死に探す、
という場面もあったのではないかと思うのですがが、それは覚えていません。

覚えているのは、地上に降り立ち「やったやった!」とガッツポーズを示すガッツ石松氏の様子と、インストラクターと再会して「これを、言われた通りに上手くやったぞ!」とでも言いたげに、パラシュートのロープを両腕で引く動作をして、誇らしげな笑顔を見せた。
この2つのシーンは覚えています。

1983年頃なので、ガッツ石松氏もまだ30代半ばと若かった頃でした。
それにしても、あのようなことをやってしまうとは、さすがは元世界チャンピオンです。

コンプライアンスに厳しい今と違って、昔の TV は何でもやりたい放題だったから ・・・・。
と思う人もいるかもしれませんが、そのような出演オファーだったなら、
元世界チャンピオンの矜持で、ガッツ石松氏は多分受けていなかったろうと思います。



あの番組を見た当時、わたしは高校1年でした(2年だったかも)。
ガッツ石松氏が手をパッと離した瞬間、「あっ!」となって、固まってしまいました。
あの瞬間の、時が止まったかのような心境は、今でもはっきり覚えています。
そして、じわじわと感動に包まれ、一緒に見ていた親父にそれを悟られないように、
中座してキッチンへ移動したことも記憶に残っています。

あれから40年以上が過ぎ、YouTube の時代となった現在。
この番組の動画が見れないかなと、度々探しているのですが、見つかりません。

「ガッツ石松 スカイダイビング」で Google 検索すると、ガッツ石松氏の天然っ振りを紹介する内容として、「スカイダイビングに挑戦する直前、"ちょっと待って、風向きを見るから"」というガッツギャグをかましたと書いてある複数のネット記事がヒットします。
それはわたしは覚えていませんでしたが、それらのネット記事は、ガッツ石松氏がかつてスカイダイビングを決行したことが紛れもない事実であることを、示しています。

その事実を補強するためにも、今回、わたしの記憶に残っている
あの番組の内容を、記事として書いておきたいと思った次第です。
いつの日か、YouTube で見れるときが来ることを心待ちにしたいと思います。
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SNS が「便所の落書き」呼ばわりされる日

最近のニュースを見ていると、何というか、嫌な時代になったものだなぁと。
そのように思わされることが多くなりました。

何がって、「SNS でモノ申す」の一言居士に支配されている、世間の窮屈さですよ。
ちょっとほんま、キミらが一体なんぼのモンやねんと。
本当にこんな世の中でいいんだろうかと、強く疑問に思っています。





いつ頃からだったか、Yahoo! 等のネット媒体のニュースでは、
次のような言い方の報道が多くなっています。

「X(旧Twitter) では人々の批判の声が高まっています」

それとは逆に、「褒め殺し」のパターンもよく見かけます。
例えば、芸能人が自撮り写真を SNS にアップしたら、「X(旧Twitter) では驚嘆の声が相次いでいます」とか言って、「何とお綺麗な!」、「まるで天使のよう」、「本当に40代?」等々と賞賛の言葉が紹介される、みたいなニュース、最近よくありますよね。

それで誰かが傷付くことは特にないので、褒め殺しは別に問題ないと思うのですが、
しかし、「X(旧Twitter) では批判や疑問の声が高まっています」の場合は、
そういうわけにいかないので厄介です。

今の世の中は、それに支配されてしまっているように思います。
SNS で批判が起きるかどうか、炎上するかどうかが、物事の判断基準になっている。
そのことに疑問を感じている人は、少なくないと思います。





SNS は確かに便利なツールですが、負の側面もあります。

その一つが、SNS に依存する人が増えたこと。
それは言い換えれば、SNS という道具を得て、何かを勘違いし、
とにかく何にでも首を突っ込んで、小賢しいことを言いたがる人が増えた。
その結果が、今の状況に繋がっていると思います。

小賢しいことを言うくらいならまだ良かったですが、
パリ五輪でもニュースになったように、SNS が今は人を傷付ける刃物になっています。
卓球の水谷隼選手が、誹謗中傷の DM を公開していました。
アスリートに直接あんな内容を送りつけるなんて、一体どういう神経なのか(笑)

結局、ああいうことをするのは、匿名の連中です。
素性を隠しているからこそ、あんなことが出来る。
実名顔出しで、自分の言動に責任を持つと表明する人は、あんなことはしない。

きちんと名を名乗った人からの批判なら、対等な立場からの一意見として、
受ける側としても素直に受け止められる、きっとそうに違いない、ですよね。





まだ記憶に生々しい、フワちゃんの一件。
ちょっと一方的過ぎやしないかなと、見ていて思いました。
ネットのニュースでは、フワちゃんへの批判と擁護、両方出ていた筈なのに、
本当にあっという間にこういうことになってしまった。

SNS での批判に押された結果ではなかったかと、そんな気がしますが、
批判と言っても、そのほとんどは匿名の人たちですよね?
それがそんなに重要なことなのかと、わたしは思いますけどね。
実名顔出しでの批判であるならともかく。

あと、岸田首相を『増税メガネ』と揶揄するのが流行ったことが、一時期ありました。
わたしはあのときも、『SNS でモノ申す』の風潮に強く疑問を持ちました。

『お、増税メガネと書いて投稿したら、こんなに多くの人が賛同してくれてる♪』
『このトレンドに、乗るっきゃない!』

どうせ、そんな感じだったんじゃないでしょうか。
実に下らないけれど、SNS はそれなりのパワーがあるから質が悪い。

また下らないこと始めやがって、キミら、きちんと名を名乗ってからやりやがれと。
あんな大喜利ごっこで、日本の未来が、こっちの生活が左右されるなんて、
冗談じゃないですからね。





批判と擁護の両意見があるのに、何故いつも、批判の方が勝ってしまうのか。
それは突き詰めれば、いわゆる「電凸」による実害を主催者サイドが恐れていること。
これが一番大きいと思います。

今は電凸する代わりに、SNS で声を上げ、批判と不買を呼びかける。
それを恐れて、局やスポンサーは、レギュラー降板、放送打ち切り、契約解除で先手を打つ。
この構図がある限り、『SNS でモノ申す』に支配される世の中が続いていく。

そんなの、嫌ですよね。
そんなこと言ってたら、何も出来なくなって、窮屈でやってられない。
上方のお笑い芸人が「死ね!」「出て行け!」「入院せえ!」と、ボケの相方を罵倒する。
今後はそれすらも、SNS で目を付けられ、批判されて、出来なくなるんですか?

SNS で蠢く匿名の一言居士(※)が、一体ナンボのものなのか。
(※何にでも自分の意見を一つ言ってみないと気が済まない人)
彼らに牛耳られる世の中なんて、どう考えても健全とは思えない。
誰かが勇気を持って、この構図を断ち切らないといけない、そう思いませんか?





一番いいのは、SNS の利用に実名顔出しが必須要件化されること。
それが無理なら、実名顔出しの投稿かそうでないかで、影響の重み付けをする。
世の中がそういう考え方に変わっていくしかない。

香川照之さんのときだったか、誰のときだったか忘れましたが、
多くの企業が CM 契約解除へ動く中、一社だけ違う対応を取ろうとした企業がありました。
(確か、フマキラーのゴキジェットの CM だったような・・・・?)

そのように言えば、さらに SNS の集中砲火を浴びて窮地に立たされる。
でも、ほとんどが匿名の批判なのに、それにただ振り回されるのはどうなのでしょうか?
説得する勇気を持つことも必要なんじゃないでしょうか?

「弊社は長年、◎◎◎◎さんとは協力関係を築いてきました。
 この度の一件について、十分に話し合った結果、真摯な反省の意を表明いただきました。
 今後とも弊社の理念に沿って御活躍いただけるものと確信しています」

例えばこのような声明を出す企業があれば、その判断が尊重される。
世の中がそういう流れに変わっていけば良いのにと、思います。





思えば、2ch(現在の 5ch)は、生誕以来ずっと「便所の落書き」呼ばわりされてきました。
なので、2ch でどのような批判が渦巻こうと、社会の動向に全く影響ありません(笑)
投稿の内容もさることながら、「匿名掲示板」であることが大きな理由だと思います。

一方の SNS も、利用者は実名顔出しの認証(公式)アカウントばかりでなく、
むしろ、匿名の利用者の方が圧倒的に多いと思います。
それなのに、SNS が「便所の落書き」呼ばわりされないのは、何故なのか。

芸能人やスポーツ選手、政治家など、世界の著名人が利用しているから、なのでしょう。
だから、2ch のように SNS が「便所の落書き」呼ばわりされる日は、来ないと思います。
大谷翔平選手も使っている SNS を、便所の落書きとは、流石に言えませんよね ・・・・

しかし、ですよ ・・・・

フワちゃんのことや、体操の宮田笙子選手に対しても、
ちょっと厳し過ぎるのではないかと、擁護する意見だってあったわけです。
SNS 利用者の大多数である匿名の意見のうちの、批判の方ばかりが重要視されて
世の中が動いていくことに、不条理を感じている人は多いと思います。

少なくとも、やり直す機会を永久に奪って、二度と立ち上がれなくしてしまうような、
そこまでの社会的制裁を SNS が加えることの出来る世の中は、明らかに間違っています。
だって彼らは、SNS で顔を隠して一言モノ申しているだけで、
何の責任も取ることはないんですから。
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ヒクソングレイシー式排便促進理論

お食事中の方がもしいましたら、すいません。

便秘で悩む人は、多いと思います。
常日頃から健康に留意し、運動習慣を実践し、食事にも気を使っている、
それなのに便秘になることがある、という人もいるかもしれません。
便秘はある意味、現代人の宿命なのかもしれません。

わたしも若い頃は、それなりの運動習慣があり、
便秘で悩んでいた記憶は、特になかったのですが、
歳をとった最近は、ちょっと油断するとすぐ、便秘の症状がやってきます。

例えば、菓子類を食べ過ぎてしまったとき。
若い頃からのストレス解消法として、プロレス雑誌を見ながらお菓子を食べるのが好きでした。
歳を取った最近は、そういうのは控えるようにしているのですが、
仕事で残業が重なり、ストレスが高まると、スナック菓子に走ってしまうことがあり、
そうすると覿面、便秘に見舞われます。



便秘にならないためには、どうすれば良いのか。
規則正しい生活、野菜類や繊維質を摂取する、適度な運動、などがよく言われますが、
「毎日必ずトイレに入って排便をする」これも割と大切かと思います。

自然な便意がなくとも、毎日必ずトイレに入り、
少量であっても、大きい方の便を必ず出すよう習慣付ける。
要は、体内に便を溜めない、ということです。

しかし、それをやろうと思ってトイレに入っても、
既に重度の便秘状態になっていて、どうしようもない場合もあります。
便秘にならないための対策だけでなく、便秘になったときどうするかの対策も必要です。



どんなに頑張っても、ウンともスンとも全く出る気配がない。
そのような重度の便秘状態に陥った場合、まず1つ言えることは、
無闇にキバっても事態の打開にはならない、ということです。

もうかれこれ●日も便が出ていない ・・・・、と思って、
焦りのあまり、ついつい必死にキバってしまいがちになりますが、
それでは肛門を傷める危険性が高まり、頭の血管にも良くないです。

そういうときは、まず、キバるのをやめてリラックスし、
いくつかの対処法を実践して、物理的または精神的な刺激を発生させることで、
体内からの排便作用を誘発させる、これが基本方針です。



以下は、わたしが実際に便秘になったときに実践しているか、または、
机上の理論として思い描いている対処法です。

●便器にしゃがむのをやめて、立ち上がり、排便作用の隆盛を待つ

和式の場合も洋式の場合も、便器にしゃがんでいる体勢は、腰が「く」の字に折れた状態です。
しゃがむのをやめ、便器をまたいで立ち上がり、折れた腰を伸ばしてやることで、大腸から直腸へ繋がる便の通り道が真っ直ぐになり、排便作用の促進が期待出来ます
立った体勢でしばらく待ち、便意がやってきたタイミングで、サッとしゃがんで用を足す。
わたしはこれを便秘になったとき必ず実践し、成果をあげることが多いです。

●過去の思い出を回想する

「物理的または精神的な刺激」と書いたうちの、「精神的な刺激」に相当する対処法です。
便秘でトイレに入っているときは、早く出して楽になりたいと気が焦るあまり、トイレで便器にしゃがんでいる自分自身の状況しか考えることができない、一種の視野狭窄に陥っています
狭いトイレの一室の空間内に、意識の全てが閉じ込められている、そんな状態です。

そこでふと、違うことを考えて、意識を解き放ちリラックスさせる
わたしの場合は、過去の出来事や思い出を頭の中で回想する、ということをよくやります。
例えば、「俺は今、この家(賃貸)のトイレで便秘に苦しんでいるけれど、●年前はあの懐かしいアパートに住んでたんだよなぁ」と思って、その頃の思い出を回想する。
トイレを出たら、昔住んでいたアパートの懐かしい光景が広がっている、と想像してみる。

そういうことを考えると、深層心理の何かが刺激されるからなのでしょうか、なぜだかよく分かりませんが、体内から排便作用が キューーーー と盛り上がってくる効果が、実際にあるんです。
一度、知り合いの人にこれを話したことがあるのですが、全く理解されませんでした(笑)
中には共感いただける方もいるのではと思うのですが、わたしだけなのでしょうか。

●「絶対に笑ってはいけない」の理論の応用

これも「精神的刺激」に属する対処法で、まだ実際にやったことはない机上の空論ですが、要するに「絶対に笑ってはいけない」のあの理論を応用しようという考え方です。
絶対に笑ってはいけない極限状況(例:お葬式など)に置かれると、逆に笑いが込み上げる。
それと同じで、絶対に漏らしてはいけない極限状況に自分を追い込み、排便作用を誘発する
具体的には、スッポンポンになってトイレから出て、その状態のまま排便作用が来るのを待つ(笑)
家の中にぶちまけてしまったら大変ですから(笑)、その危機感によって逆に キューーー と排便作用が盛り上がってくるのではないか、そういう考え方です。



わたしが便秘になったときに実践している対処法は、上記の3つ(2つ)なのですが、
それをやったとしても、どうしても出てくれない場合があります。
それでも何とか突破口を開きたい、どうしたらいいか?

ヒクソングレイシーは一体いつ出てくるのだ?
と思いながら、ここまで読んできてくださった方、お待たせしました。
ここからが「ヒクソングレイシー式排便促進理論」となります。

無闇にキバらず、リラックスして、排便作用が訪れるのを待つのは同じです。
そのときに、口は閉じて、鼻で呼吸をする。
絶対に口を開けない、これが「ヒクソングレイシー式排便促進理論」の特徴です。

400戦無敗の地上最強とも言われた、ヒクソングレイシー。
試合映像をよく見ると、ヒクソンは試合中、努めて口を閉じ、
鼻で息をしようとしていることが分かります。
1998年10月11日、PRIDE-4 の髙田延彦戦、レバー付近の膝蹴りでダウンしたとき。
あのときも、普通だったら苦しそうに口が開いてしまうところですが、
ヒクソンは口を閉じて鼻で呼吸をし、冷静に回復を図っていました。

絶対に口を閉じて、鼻で呼吸する、これが便秘にどのように効くのか。
口を閉じて塞ぐことで、身体に空いた穴は、鼻と肛門の2つだけになります。
その状態で、鼻から空気を スースースースー・・・・ と出し入れすることによって、
肛門の側に ヒクヒクヒク・・・ と刺激が伝わり、排便作用の促進に繋がることが期待できます。

便秘のとき我々はつい、「ウーーーーン」と一生懸命にキバって、駄目だったら「ハァーー」と一息ついて、とやってしまいがちですが、それだと口から息が抜けるので駄目です。

あくまでもリラックスして、口を閉じ、鼻で息をする。
何があっても平常心を失わない、ヒクソングレイシーのあの顔つきになって、
便器にしゃがみ、便秘に立ち向かえば、突破口は必ず開けます。


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Paris 2024(パリオリンピック)雑感

Tokyo 2020 の感動から4年(中国武漢ウイルスのせいで 2021 年開催だったので実際は3年)。
花の都パリを舞台に、2024年夏のオリンピックのときがやってきました。
約2週間に渡って繰り広げられる平和の祭典ということで、お祭り気分をかき立てられます。

愛は地球を救うの24時間テレビや、フジテレビの27時間テレビなど、
昼夜を徹したイベント・放送があるときも、わたしは同様のお祭り気分になります。
しかし、オリンピックは、人生の節目となる思い出が心に蓄積されていくという点で、
人々にとって特別なイベントであると思います。



7/27未明(日本時間)に行なわれた開会式は、良かった、素晴らしかった。
スタジアム開催が通常だった従来の固定観念を覆す、常識破りの開会式でした。
各国の選手団が船でセーヌ川を行進するアイデアが、何と言っても秀逸でした。
エッフェル塔から放たれるレーザー光線ショーも、過去の五輪では見られないシーンでした。

レディーガガとセリーヌディオンとバッハ会長以外はほぼほぼ知らない人ばかりだったのですが(汗)、聖火リレーは豪華メンバーが登場して盛り上がり、盛況のうちに開会式は終了。
事後の報道ではなぜか開会式に対する批判記事もあったようで、しかしわたしは「何で? 別に良かったじゃん開会式」と思って、これから始まる競技日程が楽しみで仕方ありませんでした。



しかし、その後、大会が進行するにつれて、
こんなにも苦虫を噛み潰すことになろうとは、想像もしませんでした ・・・・

思えば、開会式の数日前にあったニュース、「マクロン大統領、シーシェパード元代表の身柄を日本に引き渡さないようデンマークに強く要求」、あれが予兆だったのかもしれません。
五輪ホスト国の首脳が、開幕直前のあのタイミングであんなことを言えば、どうなるか。
日本 sage を狙ってやったとしか思えませんでした。

もう1つ、心に引っ掛かったことがありました。

返す返す、開会式はとても素晴らしいと思いました。
しかし、その後の大会の中継を見ていく中で何度も目にする、パリ大会のシンボルマーク。
あれ、口紅とショートカットの髪型があしらわれた、女性の顔ですよね。
「ファッションの聖地パリ」を表現している、ということなのでしょうか。
にしても、あのように女性を強調する必要性が分かりません。

フランスの文化と言ってしまえばそれまでですが、わたし個人の感覚からすると、ああいう軟派きわまりないシンボルマークは、オリンピックという神聖なイベントには相応しくないです。
メダルにも刻印されるわけですからね、あの図柄は。
それくらいのこだわりはあっていいと思います。



そのように、心に若干引っ掛かるものを感じつつスタートした大会は、
角田夏美選手の金メダルで、初日こそ幸先の良いスタートを切ったものの、
その後は度々、嫌な場面に遭遇することになりました ・・・・

中でも、最もイライラさせられたのが、柔道でした。
女性差別と批判されようが構わない、俺は言う。
レベルの低い中途半端な女審判はいらない、迷惑でしかない。

古賀稔彦がバルセロナで泣かされた「旗判定」をなくしたのは、非常に良いと思いました。
しかし、審判の力量の低さがそれを台無しにしている場面が、多々ありました。
今後のオリンピックは、柔道の審判は全員日本人でいい(笑)
こちとら「侍」「武士道」の国だ、恣意的な贔屓判定などしない。

男子バスケの日本 VS フランスの決勝でも、日本に不利になる微妙な判定があって、
それが勝敗に直結して、日本は金メダルを逃すということがありました。

そして極めつけは、柔道団体戦、同じく日本 VS フランスの決勝でした。
つーか、フランスはいつ欧州からアフリカ大陸に引っ越したのだ?(笑)
村尾三四郎選手の決勝で誤審をやらかしたあの女審判、また出てきやがった、最悪。
阿部一二三選手の試合で 3つ目の消極的指導を明らかに出し渋っていて、階級が上(=体重が重い)の相手にスタミナ切れを起こすのを、あの女審判は待っていたようにしか見えなかった。
最後のルーレットも、本当にあんなにうまいことリネールに当たるものか?(笑)
村尾選手が最後出て行っていたら、間違いなく日本が勝っていた。



しかし、残念ながら、何を言っても全ては後の祭り、やったモン勝ち。
出場するアスリートはもちろんのこと、見る側にとっても大切な4年に一度の大会の思い出が、
こんなに後味の悪いものになってしまうなんて、残念すぎます。

大体、直前にあんなことを言うマクロン大統領の日本 sage からして、普通じゃなかったし。
競技の審判や採点で、恣意的な日本叩きが行なわれてもおかしくはないと、思えてしまう。
そもそも、理念よりも中国との経済関係を優先するような国だからな、フランスは。
大会のシンボルマークだって、何だあれ、厚化粧の●ールガールかよ(笑)

今回のオリンピックで、フランスという国が嫌いになっていまいそうだ。
そんな風に、心中が荒廃してしまいました ・・・・



でも、フランスの一般の観客は、日本に対してもとても暖かかったと思います。
阿部詩選手に贈られた「ウタコール」を、我々は忘れてはいけません。
村尾三四郎選手の決勝の試合で、明らかに投げが決まったのにポイントを取らないあの女審判に対して大ブーイングが飛んでいたようですし、フランスの観客は公平だったと思います。

そのことを救いに思い、気を取り直して、また4年後。
ロスで開催されるオリンピックを、楽しみに待ちたいと思います。
今度は、日本の同盟国、自由とジャスティスの国アメリカで開催なので、大丈夫でしょう。
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映画「大日本人」を見た感想

40度を普通に超える、如何ともし難い猛暑の日が続きます。。。
こういうときは、涼しい部屋で寝転がって、動画を見て過ごすのが一番です。

そんなある日のつい先日。
「松本人志 カンヌにて取り巻きしか拍手せず戸惑う」というタイトルの動画が目に留まり、それを見たのがきっかけとなって、ダウンタウンの松本人志さん(以下、松ちゃん)が製作した映画にわたしは興味を持つに至ったのでした。



松ちゃんが過去に、映画の製作(監督・主演)を手掛け、しかし世間からの評価がいまひとつであったことは、長年ダウンタウンのファンをやってきているので、わたしも知っています。
松ちゃんの「黒歴史」という言い方がされることも、あるようです。

2007年 「大日本人」
2009年 「しんぼる」
2011年 「さや侍」
2013年 「R100」

あの当時、これらの映画を実際に見るには至らず、興行収入も評価も芳しくないらしいことは巷のニュースでそれとなく察知できた、というくらいの関わり止まりでした。
松ちゃんの映画について、わたしの予備知識はその程度しかありませんでした。

しかし、先述の動画「松本人志 カンヌにて取り巻きしか拍手せず戸惑う」の内容と、その動画についていたコメントを見て、わたしは逆に興味を掻き立てられました。
スタンディングオベーションとは程遠い、「総スカン」と言ってもいいくらい客席からの拍手がまばらな状況が、映し出されていたその動画を見て、わたしは思いました。

言うても、お笑い界のトップどころと言われる松ちゃんなのに、
映画製作で一体どのような「やらかし」をしてしまったというのか。
わたしはそのように、逆に興味を持ちました。



そこで先日、松ちゃんの映画「大日本人」を実際に見てみました。

その感想として、まず1つ確実に言えることは、カンヌ国際映画祭にエントリーする作品としては、明らかに「場違い」「スレチ」であると思いました。
既に多くのレビューで言われているように、ラストのあの終わり方は、TV でやるコントの域を出ておらず、映画祭で国際的評価を問う作品としての流儀を欠いている。
わたしはそう思いましたし、同じように感じた人は多かったと思います。

それが、「松本人志 カンヌにて取り巻きしか拍手せず戸惑う」の動画の、
あのまばらな拍手に表れていたと思います。

着想自体は、斬新で、悪くなかったと思います。
ストーリー展開も、途中までは、期待させる内容でした。
ただ、ラストの終わり方があれでは、ちょっと ・・・・

公開当時、「大日本人」は TV CM も流れていたように記憶しています。
「大日本人だよ!」のセリフが今も頭に残る、あの CM です。
あれを見て、名作の予感を抱き、映画館に足を運んだ人は多かったと思います。
そうした人たちの期待を、非常に裏切るラストの終わり方だったと思います。



しかし、別の立場から、全く違った感想も同時に付け加えたいと思います。

あのラストの終わり方こそが、松ちゃんのワールド、真骨頂。
周囲の評価がどうなろうと、誰に媚びることなく、自分のワールドを貫いた。
「ガキの使い」や「ごっつ」を長く見てきた昔からのダウンタウンのファンは、
そのように肯定的に評価する人も多かろうと思います。

結局のところ、我々のような古くからのダウンタウンファンは、松ちゃんの思考様式の特異性、それ自体が面白いと思っている、ということです。
「松ちゃんのお笑いは小難しい」と昔からよく言われ、コントやトークなど、その内容そのものはよく分からず面白いと思えない場合も多々あるのですが、そういうことを考える松ちゃんの思考自体が笑えるという、昔からのファンほどそういう楽しみ方をしていると思います。

そういう目線で「大日本人」のラストを見ると、わたし個人的には、
アメリカ大使館の建物と星条旗が見えた時点で、ニヤニヤが止まりませんでした(笑)

映画を通して松ちゃんが描こうとしたのは、「大日本人の悲哀」だったのかと思うのですが、「時代の流れとともに・・・・」などと抒情的に描けばそれは嘘になる、実際の本当の現実がどうかといえば、圧倒的スーパーヒーロー(=アメリカ)が出てくればそれで全て解決するやんという、その対比のパロディで「大日本人の悲哀」を描くことに、松ちゃんはこだわったと思います。
そこはもう、松ちゃんの思考様式なので、我々にはどうすることも出来ません。

わたし個人的には、ごっつのコントで昔あった「THE BIG MONEY DREAM AMERICA」を思い出してしまいましたが(笑)、全てにおいて圧倒的であるが故にツッコミ処も満載な「アメリカ」という存在に対して、松ちゃんには何か、強いこだわりがあるような気がします。

「ん~、あいつ(=松ちゃん)の頭ん中に、何か1個、そういうイメージがあるんやろな」

浜ちゃんの言葉を借りれば、↑こんな感じになるでしょうか(笑)
それが具体的に結実した1つの作品事例が、「大日本人」のラストかと思います。
「ジャスティス」というワードチョイスも、わたしはかなり好きです(笑)
BGM も絶妙で、個人的にはなかなか楽しめます。

ただやはり、カンヌ国際映画祭という場で、あのラストは相応しいとは思えません。
最後あのまま飛び去って終わるのでなく、再び元の CG の巨人に戻って、映画を見た人に何かを訴えかけるシーンを挟んで締め括れば、評価はまた違っていたのかもしれません。
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