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おっさんの品格
尊き御方の十一人連れ
おっさんは、神社やお寺を巡ることが趣味の一つであるサラリーマンです。
とはいうものの、神社やお寺に行って、何かお願い事をするわけではありません。
お堂の前で読経したり、手を合わせたりはしますが、そのときに 「どうか○○が◎◎しますように ・・・・」 などとお願い事を唱えることは基本的にしません(気恥ずかしいので)。
かといって、ある種の観光気分で行くわけでもなく、では何のための寺社巡りなのかと聞かれると、何とも答えようがありませんが、敢えて言うとすれば、人間が歳を重ねる過程での自然のなりゆき、自ずと向かう行動、そういうものではないかと思います。
寺社巡りを始めたことで、何か運気が開けたとか、そういうことも特にありません(たぶん)。
ただ、これまでの経験上、1つ言えることがあります。
寺社巡りの道中では、たまに不思議な出来事に遭遇することがあります。
「そんなの、偶然だろ」 と言われたら返す言葉もない、些細な出来事に過ぎないのですが、当の本人自身からすれば、「ああ、上の方から見守ってくださっているのかなぁ ・・・・」 と有り難い気持ちにさせられる、そういう経験をしたことが何度かあります。
「虚しく往きて実ちて帰る(むなしくゆきてみちてかえる)」
という、空海が残した有名な言葉があります。
何事も期待せず、心を無にしてとにかくそこへ行ってみれば、充実した気持ちで帰途に就くことができる、という意味なのだそうです。
「雨が降りそうだし、今日は行くのやめようかな」 と怠けそうになる気持ちを曲げて、予定通りにお寺を訪ねたときの帰り道は、「虚往実帰」 の心境を実感できます。
そこに、道中で遭遇した不思議な体験が加われば、より一層の実ちた気持ちになります。
今から十数年前、県内のある観音霊場を巡ったときのことです。
その観音霊場は、その存在が今はほとんど知られておらず、歴史に半分埋もれかけている 「上野三十四観音札所」 という霊場で、↓次のような言い伝えが残されています(原文)。
ある一人の貧しい女性が、夢のお告げで三十四観音巡りを始め、上野巡礼と書かれた笈摺(おいずる)を着た 「尊き御方の十一人連れ」 の一行に途中で遭遇したので、一緒についていって最後の三十四番・清水寺で結願を達成すると、同行していた十一人連れは忽然と姿を消した。
「もしや、あの御仁方は観音様の御導きだったのか」 と女性は感涙を流した ・・・・。
・・・・ というのが、上野三十四観音札所の言い伝えの内容です。
実際にあった実話ではなく、フィクションの類ではあるでしょう。
そんな上野三十四観音札所を、十数年前に巡ったことがありました。
最後の三十四番・清水寺は、自分の行き付けのお寺である高崎観音へ向かう途中にあるので、いっつもしょっちゅう行っている馴染みのお寺です。
なので、上野観音巡りの最後のフィナーレを飾る結願寺としては、マンネリ化による感動不足になるであろうことは正直否めませんでしたw
しかしそこは、「虚往実帰」 の初心に戻り、結願の当日、三十四番・清水寺に向かいました。
このお寺に行くには、山のふもとの石票から本堂まで、520段もの長い石段を上っていきます。
その途中にある266段の石段は、近くの高校の陸上部の練習場としてよく使われていて、結願のあの日訪れたときも、練習が行なわれているちょうど真っ最中でした。
何と言っても、266段、地図上の水平距離で測っても100mを超える石段です。
そのとてつもない急勾配の石段を、入れ代わり立ち代わり、順番に駆け足で上り下りする陸上部員らの様子を、石段の一番下からしばらく眺めた後、近くにいた部員に尋ねてみました。
「これ、一人何本走るんですか?」
「何回」 でも 「何往復」 でもなく、「何本」 という言い方に、中学高校と一応陸上部だった頃のプライドをそれとなく漂わせつつ、そのように聞いてみました。
すると、「10本です」 と答えが返ってきました。
ここを10本も上り下りするのか、ひえ~、と内心思い、さらに聞きました。
「みなさん何人で来られているんですか?」
すると、「生徒が9人で、先生が2人です」 と答えが返ってきました。
見ると確かに、石段を見上げた向こうの端に、部の顧問と思われる先生が2人、ストップウォッチを持って待ち構えていました。
残りの生徒9人が、ノルマの10本目指して走り続けるその横を歩いて、266段を上って本堂に辿り着き、絶対秘仏の千手観音菩薩の見えない御影の前に立ち、読経し、合掌礼拝。
おっさんの上野三十四観音札所巡りは、それでひとまず結願を達成できました。
そうしている間も、振り返った背後では、「ほら最後走れ走れ!」、「あと1本!」、「ほらもっと腕振って腕振って!」 と顧問の先生が檄を飛ばす中、ノルマ10本に挑戦する部員たちの格闘が続いていました。
最後の一人が石段を駆け上って来て、全員がノルマ完了したのを見届けた顧問の先生2人は、観音堂(本堂)にお参りし、「よし、じゃあ恒例のあれやろう!」 と言って、生徒9人全員を引き連れ、観音堂の向かいにある楼門へ上がっていきました。
楼門の上から、市街を遠く見渡して談笑する、生徒9人と先生2人 ・・・・。
まぶしいその後ろ姿は、まさに 「尊き御方の十一人連れ」 に他なりませんでした。
その日の帰り道が、いつもにも増して実ちた気持ちだったのは、言うまでもありません。
そんな出来事が、今から十数年前にありました。
ただの偶然と言ってしまえば、そうかもしれません。
それがあったからといって、何がどうなったわけでもありません。
しかし、寺社巡りの道中で時々遭遇する、不思議な偶然の一致。
それは、自分だけのひそやかな原体験として、心の中の大切な思い出になります。
とはいうものの、神社やお寺に行って、何かお願い事をするわけではありません。
お堂の前で読経したり、手を合わせたりはしますが、そのときに 「どうか○○が◎◎しますように ・・・・」 などとお願い事を唱えることは基本的にしません(気恥ずかしいので)。
かといって、ある種の観光気分で行くわけでもなく、では何のための寺社巡りなのかと聞かれると、何とも答えようがありませんが、敢えて言うとすれば、人間が歳を重ねる過程での自然のなりゆき、自ずと向かう行動、そういうものではないかと思います。
寺社巡りを始めたことで、何か運気が開けたとか、そういうことも特にありません(たぶん)。
ただ、これまでの経験上、1つ言えることがあります。
寺社巡りの道中では、たまに不思議な出来事に遭遇することがあります。
「そんなの、偶然だろ」 と言われたら返す言葉もない、些細な出来事に過ぎないのですが、当の本人自身からすれば、「ああ、上の方から見守ってくださっているのかなぁ ・・・・」 と有り難い気持ちにさせられる、そういう経験をしたことが何度かあります。
「虚しく往きて実ちて帰る(むなしくゆきてみちてかえる)」
という、空海が残した有名な言葉があります。
何事も期待せず、心を無にしてとにかくそこへ行ってみれば、充実した気持ちで帰途に就くことができる、という意味なのだそうです。
「雨が降りそうだし、今日は行くのやめようかな」 と怠けそうになる気持ちを曲げて、予定通りにお寺を訪ねたときの帰り道は、「虚往実帰」 の心境を実感できます。
そこに、道中で遭遇した不思議な体験が加われば、より一層の実ちた気持ちになります。
今から十数年前、県内のある観音霊場を巡ったときのことです。
その観音霊場は、その存在が今はほとんど知られておらず、歴史に半分埋もれかけている 「上野三十四観音札所」 という霊場で、↓次のような言い伝えが残されています(原文)。
前略、ここに当国巡礼の始まりは長和三年、一人の女あり、なにとど一度巡礼のうえ観音の力をたのみ二世安楽の願いを達せんものと、いえども貧乏の女史で遠国歩所の力なく、むなしく月日をへむ。ところにある夜、当為の御本尊より夢の告げにて、当国に三十四ヵ所れいけんあらたかな観音立ちもうすと知り、同年四月十六日ひそかに家を出て当為より次々に尋ねめぐるに、不思議や途中にて何国の仁とも知らず、尊き御方の十一人連れにて、上野巡礼と書きたる、おいずるを着たるが、同行となるにて夢の告げにたがわず、今の清水まで山上三十四ヵ所打ち納め、右の尊き御方々ゆくえ知れずになふ、かんるい肝にめいじ同二十三日下向と伝え伝るなり。それよりこのかた、上野順礼と名付けて諸国より信者のひと二世安楽をいのることしかり。
ある一人の貧しい女性が、夢のお告げで三十四観音巡りを始め、上野巡礼と書かれた笈摺(おいずる)を着た 「尊き御方の十一人連れ」 の一行に途中で遭遇したので、一緒についていって最後の三十四番・清水寺で結願を達成すると、同行していた十一人連れは忽然と姿を消した。
「もしや、あの御仁方は観音様の御導きだったのか」 と女性は感涙を流した ・・・・。
・・・・ というのが、上野三十四観音札所の言い伝えの内容です。
実際にあった実話ではなく、フィクションの類ではあるでしょう。
そんな上野三十四観音札所を、十数年前に巡ったことがありました。
最後の三十四番・清水寺は、自分の行き付けのお寺である高崎観音へ向かう途中にあるので、いっつもしょっちゅう行っている馴染みのお寺です。
なので、上野観音巡りの最後のフィナーレを飾る結願寺としては、マンネリ化による感動不足になるであろうことは正直否めませんでしたw
しかしそこは、「虚往実帰」 の初心に戻り、結願の当日、三十四番・清水寺に向かいました。
このお寺に行くには、山のふもとの石票から本堂まで、520段もの長い石段を上っていきます。
その途中にある266段の石段は、近くの高校の陸上部の練習場としてよく使われていて、結願のあの日訪れたときも、練習が行なわれているちょうど真っ最中でした。
何と言っても、266段、地図上の水平距離で測っても100mを超える石段です。
そのとてつもない急勾配の石段を、入れ代わり立ち代わり、順番に駆け足で上り下りする陸上部員らの様子を、石段の一番下からしばらく眺めた後、近くにいた部員に尋ねてみました。
「これ、一人何本走るんですか?」
「何回」 でも 「何往復」 でもなく、「何本」 という言い方に、中学高校と一応陸上部だった頃のプライドをそれとなく漂わせつつ、そのように聞いてみました。
すると、「10本です」 と答えが返ってきました。
ここを10本も上り下りするのか、ひえ~、と内心思い、さらに聞きました。
「みなさん何人で来られているんですか?」
すると、「生徒が9人で、先生が2人です」 と答えが返ってきました。
見ると確かに、石段を見上げた向こうの端に、部の顧問と思われる先生が2人、ストップウォッチを持って待ち構えていました。
残りの生徒9人が、ノルマの10本目指して走り続けるその横を歩いて、266段を上って本堂に辿り着き、絶対秘仏の千手観音菩薩の見えない御影の前に立ち、読経し、合掌礼拝。
おっさんの上野三十四観音札所巡りは、それでひとまず結願を達成できました。
そうしている間も、振り返った背後では、「ほら最後走れ走れ!」、「あと1本!」、「ほらもっと腕振って腕振って!」 と顧問の先生が檄を飛ばす中、ノルマ10本に挑戦する部員たちの格闘が続いていました。
最後の一人が石段を駆け上って来て、全員がノルマ完了したのを見届けた顧問の先生2人は、観音堂(本堂)にお参りし、「よし、じゃあ恒例のあれやろう!」 と言って、生徒9人全員を引き連れ、観音堂の向かいにある楼門へ上がっていきました。
楼門の上から、市街を遠く見渡して談笑する、生徒9人と先生2人 ・・・・。
まぶしいその後ろ姿は、まさに 「尊き御方の十一人連れ」 に他なりませんでした。
その日の帰り道が、いつもにも増して実ちた気持ちだったのは、言うまでもありません。
そんな出来事が、今から十数年前にありました。
ただの偶然と言ってしまえば、そうかもしれません。
それがあったからといって、何がどうなったわけでもありません。
しかし、寺社巡りの道中で時々遭遇する、不思議な偶然の一致。
それは、自分だけのひそやかな原体験として、心の中の大切な思い出になります。
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