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洋楽ロックバンド合縁奇縁(4)

80年代洋楽の黄金期とともに、高校時代のほろ苦き青春を過ごした。
そんな80年代洋楽人間を自称するワタクシが、全然大したことない昔の思い出話なんかを
気ままに書き綴っていっております (`・ω・´) シャキーン

テーマは、80年代洋楽シーンで活躍したバンドの解散および再結成にまつわる話。
いわゆる「裏情報」的なものは全くないので、そこは期待しないでいただきたく。
自分の当時の記憶や、その後に分かった既知の情報を、回想してなぞっているだけの
本当に単なる思い出話という感じです。



The Go-Go's (1978 – 1985, 1990, 1994, 1999 – 2023)



The Go-Go's(※)は、Wikipedia を見ると「世界で最も成功したガールズバンドの1つ」
という紹介のされ方をしている(※以下、文字数削減のため "The" は省略する)。
80年代洋楽シーンに3枚のスタジオアルバムで、キュートな足跡を残した。

1981年のデビューアルバム「Beauty and the Beat」が、いきなりトリプルプラチナを記録し、
「We Got the Beat」、「Our Lips are Sealed」の2曲のシングルが大ヒットした。
1982年の 2nd アルバム「Vacation」では、アルバムと同名のシングルが日本でもヒットした他、
「Girls of 100 Lists」、「Worlds Away」辺りの曲で、中心人物の一人である Jane Wiedlin の個性が形をあらわし始める。

1984年の 3rd アルバム「Talk Show」になると、演奏も板について楽曲は洗練され、
シングル「Head over Heels」がスマッシュヒットしたが、
あまりに大き過ぎたデビューアルバムのインパクトを超えることは出来なかった。
3作目をリリース後の1985年に Go-Go's は解散した。



Go-Go's は、リードボーカルのベリンダ・カーライル(Belinda Carlisle)
リズムギターのジェーン・ウィードリン(Jane Wiedlin)
リードギターのシャーロット・キャフィー(Charlotte Caffey)
ドラムのジーナ・ショック(Gina Schock)
ベースのキャシー・バレンタイン(Kathy Valentine)
の、女性5人からなるロックバンドだ。

バンドの設立とその後の運営には、Belinda と Jane の2人が中心的役割を果たしたようだ。
Jane は Go-Go's の多くの楽曲を手がけ、解散後もソロ活動でユニークな才能を発揮した。
カーズで言えばリック(Ric Ocasek)に相当する、バンドのインテリジェンス担当として
活躍したのが Jane だった。



一方の Belinda は、バンドのリーダー兼リードボーカルで、楽器の担当は無い。
Go-Go's のライブや PV では、一人だけ手ぶらで歌い踊っている。
Wikipedia の略歴を見ると、Jane が "musician, song-writer" であるのに対し、
Belinda は "singer" となっており、Go-Go's 解散後のソロ活動でも、
Jane のように自分で曲を書いたケースは少ないようである。

逆に言えば、歌い踊るビジュアルだけでビジネスが成立する、それが務まったのは
5人の中では Belinda だけだった、とも言えるだろう。
Go-Go's 解散の翌年には、早くも最初のソロアルバム「Belinda」の発表に漕ぎ着けたことから分かるように、Go-Go's 時代から音楽業界が放っておけない逸材だったということなのか。

他にも、ヒットシングル「We Got the Beat」の作詞作曲など、バンド活動に多大な貢献をしたリードギターの Charlotte も、Go-Go's 解散の2年後の1987年にバンド「The Graces」を結成して活動を再開し、注目を集めた(過去記事「Lay Down Your Arms」参照)。



そのように、メンバーそれぞれが豊かな個性と才能を持つバンドである Go-Go's が、
解散することになった大きな原因の1つが、ドラッグだった。
Wikipedia を見ると、メンバー間の不和と音楽的方向性の違いも理由として挙げられているが、
リーダーの Belinda がドラッグに溺れたことが大きかったと思う。

Belinda 自身が後に述懐した有名な話によれば、Go-Go's に限界を感じていたある日、
うら若い新人ガールズバンドのライブを見に行って「この子らのようなエキサイトメントは
自分たちにはもう無いのだ」と実感して悲しい気持ちになった、とのことだ。
そんなこんなの精神的スランプから、ドラッグに手を染めてしまったのだろうか。

1980年代といえば最早「Sex, Drug ang Rock'n Roll」の時代でもなかったのに、
あのようなフレッシュで華やかな、前途のある若い女性たちが、ドラッグに侵され、
挫折を味わわねばならなかったのは、痛々しいことだったと思う。



自分の認識では、5人のメンバー全員がドラッグ中毒になってバンド活動不能になったのかと
思っていたが、Wikipedia を見ると、5人全員ではなく "some band members" と書いてある。
その中に Belinda が含まれていたのは間違いない(ソロ1作目のアルバム「Belinda」のライナーノーツに、その辺りの事情が書いてあったのを見た記憶がある)。

しかし Belinda は、Go-Go's 解散後、ドラッグから立ち直るトレーニングを経てソロデビューし、
1987年の「Heaven on Earth」で全世界的成功を収め、見事にカムバックした。
Jane ら他のメンバーも各々のキャリアを積み、2001年の4作目のスタジオアルバム「God Bless The Go-Go's」で本格再始動した Go-Go's は、マイペースの第二活動期に入り、ツアーを継続した。

そんな Go-Go's の5人に、再び試練が訪れる。
金銭および権利の絡むマネージメントの問題で、2013年に Kathy Valentine が脱退し、
一時はドロドロとした訴訟沙汰にまで発展した。
最初にデビューした頃のようなプレッシャーは、なかったであろうにも関わらず、
今度は金銭問題で揉めてしまうとは、人間だよなあ ・・・・、と言うしかないと思う。



でも、人間だからこそ、また分かり合えるときが来る。
双方の誤解が解けたことで、2018年に Kathy Valentine が復帰、5人は元のさやに納まった。
いろいろあって一度袂を分かった仲間が、再び手を取り合い、ファンに夢の続きを見せてくれる。
こういう話はやっぱりいいものだと思う。

コロナ禍の 2020年には、5人のメンバーそれぞれがオンラインで演奏に参加して
撮影したビデオを世界に配信し、話題を呼んだ。

2021年にはロックの殿堂入りを果たし、2023年、Belinda がバンドの解散を宣言した。
しかしその後も、単発的なステージやショーでの再結成は続いている。

Belinda はソロだけでも十分やっていけるのに、Go-Go's のライブ活動も並行して
行なっているところに、Go-Go's への愛が感じられると、自分は常々思っていた。
「世界で最も成功したガールズバンド」Go-Go's は、リーダーの Belinda を中心にとした絆によって、二度の困難を乗り越え、幸せなラストランで幕を閉じようとしている。





洋楽ロックバンド合縁奇縁 - 続く
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洋楽ロックバンド合縁奇縁(3)

自分は一応、80年代洋楽の黄金期とともに高校時代の青春を過ごした、
80年代洋楽人間を自称する者であります (`・ω・´) シャキーン

当時の洋楽雑誌や FM ラジオなどから得た情報と、最近のネットソースから拾って事後に補完した情報をもとに、80年代洋楽シーンで活躍したバンドの解散および再結成にまつわる全然大したことない思い出話を、気ままに書き綴ってみようというこのシリーズ。

最初に書きましたように、自分にとって特別なバンドであるカーズ(The Cars)の解散および再結成について最後に書くことで、一応完結するという、そんなような流れになっております。
いわゆる「裏情報」的なものは全くないので、そこは期待はしないでいただきたく。



Thompson Twins (1977 - 1993)



イギリスの pop バンド、トンプソン・ツインズ(Thompson Twins)の全盛期はと聞けば、
1985年に出たアルバム「Here's to Future Days」の頃であると、誰もが答えるだろう。
そして、自分のお気に入りは何と言っても「Lay Your Hands on Me」だ、これしかない。

あの当時、夜な夜な MTV 系番組をハシゴして見るのが、三度の飯より好きで、
それで、「Lay Your Hands on Me」の PV を、一晩のうちに4回くらい見たことがあった。
同様の体験としては、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース(Huey Lewis & The News)の
「The Power of Love」、あれも何度も見た記憶があるが、
「Lay Your Hands on Me」はそれのさらに上を行き、一晩で4回見たことがあった。

「Lay Your Hands on Me」は、それくらいにリプレイされ、チャートを席捲した。
あのピアノのイントロを聞くと、今でも狂おしいほどの懐かしさが込み上げてくる。
あの頃に戻れるものなら戻りたい、そんな気持ちにさせられる一曲だ。



「ツインズ」は「双子」という意味だが、我々がよく知るトンプソン・ツインズの構成は、
トム・ベイリー(Tom Bailey ♂)
アラナ・カリー(Alannah Currie ♀)
ジョー・リーウェイ(Joe Leeway ♂)
の3人組だ。

Wikipedia によると、最初は7人編成だったようで、メンバーチェンジを繰り返した後、
デビュー当初からの親分格のトム・ベイリーを中心とするトリオに落ち着いた。
紅一点♀のパーカッショニスト、アラナは、リーウェイと共に 1981年から途中参加した。

「僕らは3人で結婚したようなものだ」と、いつだったかの洋楽雑誌のインタビューで、
確かトム・ベイリーが話しているのを見たのを覚えている。
メンバーの絆、結束の強さを伺わせる言葉であると感じた。
仲睦まじい3人なんだなあ、と思ったものだった。



その後、またいつかの洋楽雑誌で「アラナがトムの子を身籠った」というニュースを見た。
そのとき併せて「本当のツインズになってしまった」という言い方で、リーウェイの脱退についても書かれていたように記憶しているが、同じ記事で見たのかどうかかはやや記憶が曖昧だ。

とにかく、洋楽雑誌を通じて自分は「アラナ懐妊」と「リーウェイ脱退」のニュースを知った。
そして、以前に見た「僕らは3人で結婚したようなものだ」のインタビューが頭に残っていて、
それらがミックスされた結果、自分の中で一つのストーリーが形作られた。

つまり、リーウェイが脱退したのは、トム・ベイリーとアラナの関係を
快く思わなかったからではないかと、自分はそのように思い込んでしまった。
「おめーら、俺たち3人で結婚したっつってたくせに、何デキてやがんだよ」
とヘソを曲げて出て行ったものと、自分は⻑年ずっとそう思っていた。



リーウェイ脱退後、トム・ベイリーとアラナは2人で活動を継続するが、それまでの成功を上回るには至らず、1991年の「Queer」がトンプソン・ツインズのラストアルバムとなった。
その様子は、当時の洋楽雑誌を通じて、自分も何となく感じ取ることができた。
つまり、先細るようにフェードアウトしていった、ように自分には見えた。

「あそこで亀裂が入ったのが運の分かれ目だったな」と、余計にそう思わせた。
仲睦まじかった3人が、2人になったことで、トンプソン・ツインズの全盛期は終わった、と。
しかしそれは、自分の間違った思い込みだった。

Wikipedia を見ると、リーウェイの脱退は1986年、トムとアラナの第一子懐妊は1988年。
そもそも、リーウェイはヘソを曲げようにも曲げようがなかったのだ。
脱退はリーウェイの個人的理由によるもので、マネージメントの問題はあったものの、
平和的な離脱だった、とも書いてある。



人間の記憶の曖昧さと、情報の正確性の重要さを、痛感した次第である。
この記事を書くために Wikipedia を見て調べたことで、↑の正しい認識に改まった。
それまで自分は、高校当時に洋楽雑誌を見て知った断片的情報をもとに、
「トム・ベイリーとアラナの関係を妬んだリーウェイが出て行った」と、
ずっと思い込んでいた。

ただ、結果的には、1985年のアルバム「Here's to Future Days」が出てから
リーウェイが脱退するまでが、トンプソン・ツインズのピークとなったことは間違いなかった。
グループを脱退したリーウェイは、ソロ転身を図るもアルバムのリリースには至らず、
一時的に映画に出演するなどした後は、音楽業界から完全に遠ざかっているとのことである。

1991年にトム・ベイリーと結婚したアラナは、2人で新しいユニット Babble を結成して音楽活動を継続するが、1996年の2枚目のアルバムを最後に活動停止を余儀なくされ、2003年にはトムとの結婚生活も終わり、その後は音楽から離れて、ガラスアートと環境活動の道を志向して現在に至っているとのことだ。



一方のトム・ベイリーは、現在も音楽業界で現役バリバリさながらに活躍中のようである。
トンプソン・ツインズの頭脳として腕を振るった才能は、伊達じゃないといったところか。
そんなトム・ベイリー、いつかのポッパーズ MTV でピーターバラカンに「あの自信満々なカメラ目線が僕はちょっと生理的に受け付けない」と、ナルシスト呼ばわりされて嫌われていたことがあった。

しかし、ナルシストが時には役立つこともある。
YouTube を見ていると、所謂「くちパク」の TV ショウ映像をよく見かける。
あれはある種、晒しものの拷問だと自分が思う通り、大抵のアーティストは皆恥ずかしそうに歌う格好だけしているが、いつか見たトンプソン・ツインズの「くちパク映像」で歌うトム・ベイリーは、全く平気な様子だった(笑)

トンプソン・ツインズの再結成としては、2001年に「Channel 4 show」という TV 番組でのスタジオライブ(?)で一度だけ、3人が集まって演奏をしたことがあるとのことだ。
今はそれぞれの道を歩む3人だが、トム・ベイリーが現在もライブ活動を行なっているようなので、
アラナとリーウェイがゲストで招かれて、3人が再びステージに立つ日が来ればいいと思う。





洋楽ロックバンド合縁奇縁 - 続く
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Emotion in Motion

本当に人生、何が起こるか分からないものです。
ふとしたことが転機となって、どう転ぶか、分からない。

その結果、自分の心に長年残ってきた、馴染みの音楽が、
それまでと全く違った意味を、帯びることもある。
良くも悪くも。

そう、自分はいずれにしても、
音楽によって慰められ、励まされながら、残りの人生を生きていく。
そのことを、改めて実感している次第です。

 

80年代洋楽が柱であるこのブログに、度々登場する、カーズ(The Cars)というバンド。
「洋楽ロックバンド合縁奇縁」で触れたように、自分にとって、ちょっと特別な存在だ。
高3の冬、寒い受験の時期に、深夜の MTV で「Tonight She Comes」の PV を見て、
「うわ、カッケー!」となり、カーズを明確に意識するようになった。
あの頃の空気感は、同曲の PV の原色のイメージと重なって、今も皮膚感覚に残っている。

そんなカーズは、リーダー兼ソングライターのリック(Ric Ocasek)が、楽曲作成など
ほとんど全てのインテリジェンスを担い、5人のメンバーを率いるバンドだった。
1984年のアルバム「Heartbeat City」で、キャリアの頂点を極める成功を収めた後、
カーズは一時休業状態に入り、リックは2作目のソロ「This Side of Paradise」を発表した。

1986年 「This Side of Paradise」



「This Side of Paradise」は、自分が初めて買った CD プレーヤーで 2枚目に聞いた CD ソフトであった点でも、思い出の残るアルバムだ(1枚目は、シングル「Tonight She Comes」と一緒に出たベスト盤「Greatest Hits」だった)。

今改めて聞くと、この「This Side of Paradise」というアルバム。
レコーディング(プロデュース)が非常に、緻密に丁寧に行われていると気付かされる。
具体的に言うと、Charlie Sexton の1985年の「Pictures for Pleasure」をここ最近ずっと聞いていたが、それと比べると、音の厚みや明瞭さが違うことがはっきり分かる。
ソニーの Bluetooth スピーカー SRS-XG500 から出てくる音が、まるで違うのだ。

「This Side of Paradise」の製作にあたってリックは、使用する機材のマニュアルを隅から隅まで熟読してからレコーディングに取りかかった、と当時の洋楽雑誌に書いてあった。
その徹底した完璧主義の成果が、表れているのだろうと思う。



母艦のカーズが「Heartbeat City」で大成功した後だったこともあり、
「This Side of Paradise」は、高い評価とともに受け入れられた。
リックの他のソロアルバムと比べても、商業的にも間違いなく成功した作品だった。

1曲目「Keep on Laughing」は、「Heartbeat City」を彷彿とさせるシンセのリフで幕が開く。
この、リック一流のトラップに、ニヤリとしたカーズファンは多かった筈だ。
2曲目「True to You」も、カーズ的なノリの売れ線チューンで、グイグイ攻めてくる。

一方で、リックが元来指向する「陰キャの魂の叫び」路線の曲も、しっかり収録されている。
9曲目「Hello Darkness」がその典型だが、ラストのタイトル曲「This Side of Paradise」の歌詞に至っては、「そこまで言いますかアナタ」と CD のライナーノーツの解説は呆れている(笑)

you're looking for another end
doing time
but you still can't turn away
you're looking for a real friend
any kind
that wants to play the games you play


人生に 背を向けて
人生の 刑期を務めながら
人生に 未練がある 君は
君の 人生ゲームに 
つきあってくれる 友人を
探している

そんな中、アルバム「This Side of Paradise」から出たシングルで、最も売れたのが、
Billboard チャート15位まで上昇した3曲目「Emotion in Motion」だった。
リックの作る曲にしては珍しく、歌詞も曲調もストレートなラブソングとなっている。
見て非常に分かりやすい PV も、プロモーション効果を発揮したと思う。

「君を離さないためなら、僕は何だってするよ」の "恋は盲目人" となったリックは、
禁断の果実を食べて息絶えた恋人を生き返らせる「魔法の薬」を探す旅に出る。
どこかの奥深い洞窟へ分け入り、モンスターと決闘し、ついにその小瓶を手に入れた。
生き返った恋人と永遠の愛を誓い合い、2人はいつまでも幸せに暮らした。

・・・・・・ という内容のストーリーを、リックが演じ切る PV となっている。
当時の洋楽雑誌 MUSIC LIFE のレビュー記事で、「リック君のぎこちない演技が ・・・・・」
と書かれていたのを覚えているが(笑)、リックの全編オカマチックな動きが微笑ましい。
「魔法の薬」を手に入れて、何はなくとも一目散に駆け寄って飲ませるのかと思ったら、
スキップみたいな足取りで曲の振り付けをしながら戻ってきたシーンが、一番笑える(笑)



しかし、ぎこちないがゆえに、どこか心を打たれるものを感じたのは、今でも覚えている。
それが「Emotion in Motion」の PV を最初に見た印象だった。

リックの盟友で、カーズ・サウンドのキーマンであるグレッグ(Greg Hawkes)が、
アルバムのレコーディングに参加し、「Emotion in Motion」でもいい仕事をしている。
グレッグの演奏するシンセのサポートと、間奏のソロが、曲を情感たっぷりに盛り上げる。
PV のハイライトは、モンスターの首が飛ぶ、洞窟での決闘シーン。
その印象が、グレッグの職人技によって、リスナーの耳に深く焼き付けられる。

あの華奢な細腕で、リックは愛する人を救うために、身命を投げ打って決闘に挑んだ。
男たるもの、長い人生で一度くらいは、そのような名誉に預かりたい、ものである。
誰に知られることはなくとも、自分自身の、心の中の誉として。



自分は出来る限りのことはやった。
命の瀬戸際で、助けを求めてきた。
救いの手を差し伸べた。
危険な情事を、聞かされた。
深く傷付いた。
あれは過ちだった、一緒にいきたい。
すべてを水に流し、受け入れた。

赤い字の紙が、判明すれば
肩代わりした。
連日連夜、戦争にいく覚悟で
仕事に向かい、身を削った。
このストーリーを、続けるために。

報われなかった。
モンスターとの決闘に、自分は敗れた。
出来る限りのことはやった。
その誉は、変わらない、自分の中で。



長い人生、本当に何があるか、分かりません。
今から彼此40年近く前、カーズファンになったのが縁となって、
リックのソロアルバム「This Side of Paradise」を、聞くところとなりました。

その中から出て、全米でヒットしたシングル「Emotion in Motion」は、
「ちょwww、そこはさっさと行って飲ましたらんとアカンやろwww」
と、PV を見た印象としては、笑える要素がありながらも、
切々とした感動的な曲調が、その後も長く、心の中に残ってきました。

そして今では、自分にとっての「誉」を呼び覚ましてくれる、
レクイエムとなっている、のであった。

Ric Ocasek - Emotion In Motion (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=uVXy7AsjvL4
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洋楽ロックバンド合縁奇縁(2)

自分は一応、80年代洋楽人間を自称する者であります (`・ω・´) シャキーン
80年代洋楽の黄金期が、ちょうど高校時代の青春真っ只中でした。

そんな自分が、ちょっと背伸びをして、当時の洋楽雑誌や FM ラジオ等から得た情報と、後年のネットソースから得た情報をもとに、80年代洋楽ネタの思い出話の類を、気ままに書き綴ってみたいと思います。

テーマは、80年代洋楽シーンで活躍したバンドの、解散および再結成にまつわる話です。
そもそもなぜこんな話の記事を書こうと思うのか、それについては、カーズ(The Cars)の解散および再結成について書くときに、併せて話すことにします。

どちらにしても、全然大したことない話ばかりなので、過剰な期待はしないでいただきたく、
どうぞよろしくお願いします。 m(_ _)m



Wham!(1981 - 1986)



ジョージ・マイケル(George Michael)とアンドリュー・リッジリー(Andrew Ridgeley)の2人からなる、ブリティッシュ・ポップ・デュオの Wham! は、自分が洋楽にハマったときには既に、ジョージ・マイケルのワンマンショーになっていた。

ライブの映像を当時何度か見た記憶があるが、ボーカルを歌うマイケルの横で、アンドリューはただニヤニヤ笑っているだけだったような記憶がある。
洋楽雑誌を立ち読みしても、マイケルについては毎週のように、新しい彼女が出来ただの別れただのという記事が載るのに、アンドリューの方は、カーレースに出場してクラッシュしたとか、そんな記事をごくたまに見かける程度で、人気・注目度の差は歴然に思えた。



Wham! の何曲かのクレジットにアンドリューの名前もあるので、全然何もしていなかったわけではないのだろうが、バンドでの役割分担、人気、音楽的才能などを、客観的且つ総合的に鑑みて、アンドリューに対して多くの人が「違和感」を感じていたように思う。
Wham! に対する2人の貢献度は、自分には 9:1 くらいに見えた(9がマイケル)。
解散は時間の問題だろうと思っていた通り、1986年に Wham! は解散した。

Wham! 解散後、マイケルは堰を切ったようにソロ活動に邁進し、全世界的な成功を収めた。
一方のアンドリューも、1990年にソロアルバム「Son of Albert」を発表した。

「あの、元 Wham! のアンドリューが!」みたいな感じのノリで、アンドリューのソロアルバムは当時の洋楽雑誌で、割と大きな広告が打たれていたのを覚えている。
ただ、レコード会社が考えたのかどうか知らないが、「お金だけだったらやんないよ」というあのキャッチコピーは、アンドリューを遠回しに dis っている印象を受けるばかりで、MUSIC LIFE だったかを本屋で立ち読みしていてあのキャッチコピーを見たとき、自分は思わず吹いてしまったw



Wham! の解散は結局、オフィシャル・アナウンスにあった通り、マイケルが自分の才能を思う存分に発揮できる活躍の場を求めた、ということに尽きるのだろう。
解散に際して、2⼈の間でいざこざがあったのかどうか、実際のところは誰にも分からない。
Wikipedia によると、「これはポップ史上最も平和的な解散だ」とマイケルが言ったそうだ。

しかし、ラストアルバムからのシングル「The Edge of Heaven」のジャケット写真(冒頭の画像)。
「俺はソロで自分のやりたいようにやる」と背を向けるマイケルに、「捨てないで」とアンドリューがすがっている図式にしか見えず、あれを見る限り、「ポップ史上最も気の毒な解散」と言った方が良さそうに思えるw

自分は当時、Wham! をそれほど熱心に追っていたわけではなく、Wikipedia で事後に知った情報になるが、「(ほとんどの曲を作っていた自分は)いつもプレッシャーを感じていた」、「金銭的に公平でなかった」という不満を、ソロ転向後にマイケルが打ち明けたそうだ。
音楽的方向性の違いだけでなく、そういう面での不満も解散の一因としてあったようだ。



Google で Wham! を画像検索すると、2人で対等に、はじける笑顔で仲良くやっていたデビュー間もない頃の写真がたくさん出てくる。
あの頃の活動状態が続いていれば、Wham! はもっと長続きし、2人でハッピーになれたのだろう。
しかし、マイケルがメキメキと才覚を伸ばす一方で、アンドリューはのんびり屋を決め込み、その結果「ポップ史上最も気の毒な解散」の写真(冒頭の画像)の結末に至ったのは、寂しい気もする。

それで終わったらいかにもムナシイ話だが、2010年代の半ば頃だったか、Wham! の30周年リユニオンに関する話が、噂となって世界を駆け巡ったことがあった。
自分は、2015年当時にネットでその情報を知り、とても明るい気持ちになったのを覚えている。
解散したバンドの再結成について、何を今さら的な批判もあるだろうが、自分はそうは思わない。
当時のファンを喜ばせることは間違いなく、何を言われようがどんどんやればいいと思うからだ。



しかし実際は、2012年にマイケル自身が「Wham! 再結成の噂は真実でない」と声明を出したとのことで、その後も、世界のファンが待ち望む噂が実現する日が来ることはなく、2016年のクリスマスの日、53歳の若さでマイケルは亡くなった。

一方のアンドリューは今も健在で、2023年のロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)のセレモニーでは、受賞したマイケルに代わってスーツ姿で登壇し、入魂のスピーチを行なった。
Wham! 再結成は叶わなかったが、それに代わる節目のメモリアルを、アンドリュー自身が行なった。
それによって、Wham! 時代の金銭面や待遇面、貢献度の点での不均衡は、帳消しになったのかもしれないと、自分は思う。





洋楽ロックバンド合縁奇縁 - 続く
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洋楽ロックバンド合縁奇縁

このブログは、80年代洋楽カテゴリを設けて、いくつかの記事を書いています。
そんな中、「一番のファンは誰なのか?」と聞かれると、答えるのはなかなか難しいです。

自分が洋楽の門戸を叩いた、高校時代の青春真っ只中だった1984年、1985年、1986年。
あの当時の思い出をなぞることのできる、記憶に残るアーティストやバンドの名曲を、
今も幅広く楽しんでいる、というのが実情だからです。
聞いた記憶がある、耳に残っている、というのが大きな原動力になっているからです。

しかし、振り返ってみると、
当時やっていた深夜の MTV で、たまたま出くわした曲の PV を見て、

「うわ、かっけー!」
「めっちゃクールやん!」

とショックを受けて夢中になり、聞き始める、というプロセスを経たバンドが1つだけあり、
それが、カーズ(The Cars)です。
その意味で、自分にとってカーズは特別なバンドです。

そして、以下の過去記事の中でそれとなく示唆していますように、カーズというバンドには、
デビューから解散そして再結成に至るまでの、長きに渡るドラマチックな来歴があります。


わたしは、80年代洋楽人間です。
80年代洋楽が青春のすべてでした。
80年代洋楽好きであることが、自分のアイデンティティと言っても過言ではありません。
80年代洋楽好きになっていなければ、カーズファンになることもありませんでした。



時は2024年を迎え、1980年代の洋楽シーンで活躍したアーティストや、バンドのメンバーが、鬼籍に入ったというニュースを、度々目にするようになりました。

カーズのリーダー兼ソングライターのリック・オケイセック(Ric Ocasek)も、
2019年に他界し、バンドの歴史にピリオドが打たれました。
自分も80年代洋楽人間の端くれとして、何かを書き残しておきたい動機に駆られています。

今と違って、情報ソースは非常に限られた時代でした。
洋楽雑誌、FM ラジオ、カセットや CD のライナーノーツ、それくらいのものでした。
しかし、それなりにアンテナを張って集めた当時の情報の記憶と、後年の現代になってネットで拾って補った情報を元に、80年代洋楽シーンで活躍したロックバンドの、解散およびその後の再結成に関する、見聞録と言ったら大袈裟ですが、当時の記憶を辿った思い出話のようなものを、「洋楽ロックバンド合縁奇縁」と題して、書き綴ってみようと思います。

自分は業界人でないのはもちろん、海外に友⼈がいるインターナショナルな人間でもないので、
いわゆる「裏情報」的なものは一切持ち合わせていないことを、最初にお断りしておきます。
あくまでも、当時の記憶と後年に補った「表情報」に基づいた、単なる思い出話です。
取り上げるバンドのチョイスが初心者丸出しなのも、どうか御容赦いただきたく m(_ _)m


   


ということで、80年代洋楽シーンで活躍したロックバンドの中で、自分が独断と偏見で選んだバンドの 解散・再結成にまつわる思い出話 をしていく前に、ネットで見つけた以下の URL に書かれた内容をまずは紹介したいと思います。


Digital Music News というネットメディアによる、2015/2/24 の署名入り記事です。
「バンドが解散する9つの理由」というストレートなタイトルに目を引かれます。
古今東西の洋楽バンドが解散するに至った9つの理由が挙げられているわけですが、
(1) から (9) の番号の意味(重要度)については明記されていませんが、中身を読んだところ、第1位から第9位の順番で紹介されている、つまり上にあるほど解散理由として重要度が高いということのようです。



(1) Money(お金)

「不幸なことに、新人バンドからスーパースターに至るまで、バンドが解散する理由の主な原因がマネー(お金)だ。バンドの収入だけでやっていけなくて、貧乏な生活が嫌になったメンバーは、一人また一人と、収入に見合った現実の生活を始める(=バンドを脱退する)。スーパースターの場合は金銭的公平が気になり始める。Coldplay は、全ての曲の権利を4人で均等に分配していたことで有名だ。Chris Martin が明らかに一人で書いたアコースティック・バラードであっても、4人のメンバーは作詞作曲のクレジットを均等に得る。これを公平でないと思う⼈もいるかもしれないが、バンドのリーダーがファーストクラスのシートに座りフェラーリを運転する一方で、バスに乗りヒュンダイ車を運転するカツカツの生活を送る他のメンバーがそれを見たら、事は丸く収まらないだろう。面倒をなくすにはこうするのがよい。"俺のギターリフは15%のロイヤリティを得るべきだ" とか文句を言うのはやめて、全ての曲を均等に分配する、そうすればバンドは長続きする。」 ・・・・ 大体こういう意味のことが書いてあると思う。
(1) から (9) の説明の中で、この (1) の説明文が最も長いので、お金が理由でバンドが解散するケースが一番多いということなのだろう。


(2) Clashing Personalities(不仲、人間的衝突)

「お金以上に、これが原因で多くの偉大なバンドが崩壊した」と書いてある。ある一人のメンバーが他のメンバーを過剰にコントロールしようとする、あるいは過剰にリーダーシップを取ろうとした場合にこうなる、的なことも書いてある。要は、人間的ないざこざということだろう。
イーグルス(Eagles)のドンヘンリー(Don Henley)とグレンフライ(Grenn Frey)など、具体的に何組かのバンドとメンバーの名前が挙げられているが、ポリス(The Police)の3人の名前が書いてあるのは、自分は全く聞いたことが無いのでちょっと驚いた。


(3) Allocation of Business Duties

「近年の音楽産業においては、バンドのメンバーは自分の仕事を責任を持ってきちんとこなさないといけない。時間通りにリハーサルを行ない、簡単なビジネス業務を代行する、など。それができなければバンドは機能しない。昔のように、ドラッグでラリった状態で会場⼊りしてそのままステージに立つ、みたいなことをしていてはやっていけない。近年の成功しているロックスターは、スマートで、一生懸命働き、責任感があり、ビジネスを熟知している。」 ・・・・ みたいなことが書いてある。要は、バンドのメンバーが怠慢であっては駄目だ、ということだろうか。


(4) Ego(自尊心)

"ego" は「自我、自尊心、うぬぼれ」という意味があると思うが、ここではおそらく「自尊心」と解釈するのが適切なのだろう。「バンドのメンバーの中の一人が "自分は他の誰よりも一番優れている" と自尊心ゆえに思い始めたら、そのときからバンドの崩壊が始まる」 ・・・・ というようなことが書いてある。さもありなん、という感じか。


(5) Conflicting Goals(バンドの目的の相違、対立)

「すべてのバンドが、結成当初から話し合う必要があるのはバンド結成の目的だ。家族と共に過ごす人生を送りたいのか、精力的にライブを行ないたいのか。リスク覚悟でメジャーレーベルで勝負するのか、インディーバンドとしてやっていくのか。その辺りの目的意識が違っていたら話にならない。」 ・・・・ 的なことが書いてある。まあ、それはそうだろう。


(6) Musical Differences(音楽的方向性の違い)

「バンドの解散理由として発表されるのがいつもこれだが、表向きの方便である場合がほとんどだ。しかしながら、実際の話、進化と実験を好むミュージシャンもいれば、それまでと同じやり方でいきたいと考えるミュージシャンもいる。バンドのメンバーが音楽の方向性に賛同できなければ、バンドはうまくいかない。」 ・・・・ 解散の理由が「音楽的方向性の違い」とは、カーズも当初はそう言われていたし、日本では吉川晃司と布袋寅泰の COMPLEX もそう言われたものだが、なるほど、それは表向きの方便なのですか、そうですか (。・ω・)φ フムフム


(7) Fatigue(疲れ)

「どんなに成功したバンドでもハードワークで消耗することはある。ツアー中心に活動してきたバンドが、ツアーがだるくなったからといって、ライセンスやグッズ販売の活動を始めるのは難しい。YouTuber が毎週ビデオを作るのは飽き飽きする作業で、それに比べると、バンドがツアーに出るのはリフレッシュできて幸運だが、典型的な YouTube スターと同じ稼ぎを得るには数回のツアーに出ないといけない。」 ・・・・ のだそうだ。
バンドが数回のツアーに出るのと、それと同じ稼ぎを得るのに YouTuber が毎週動画を作るのと、どっちが大変かという感じのことが書いてあるが、要は、バンドがツアーに出るのは大変で、それで疲れて嫌になって解散する場合もあると言っているのだと思われる。


(8) Significant Others(影響力のある他人)

「オノ・ヨーコであろうと、ミュージシャンの妻を持つ家庭を作りたいと考える夫であろうと、影響力のある他人が最終的に、バンドにとって好ましくない方向にミュージシャンを引っ張ってしまうことがある。」・・・・・ といったことが書いてある。
オノ・ヨーコ(ビートルズ)の事例を考えれば、(8) で言わんとすることは大体お察しだろう。
洋楽とは関係ないが、ジャイアント馬場の妻・元子夫人が、全日本プロレスの運営に多大な影響力を持っていたことは有名で、それが度重なる衝突の原因となり、最終的にノアの分裂・旗揚げへと繋がっていった。それと同じことを言っていると思う。


(9) Drugs(ドラッグ)

「The list of famous musicians who have ODed is endless.」つまり、ドラッグで命を落とした有名ミュージシャン、メンバーがドラッグにおぼれて空中分解したバンドは数多い、と。ニルバーナ(Nirvana)のカートコバーン(Kurt Cobain)、ドアーズ(The Doors)のジムモリソン(Jim Morrison)の2人の名前が、薬物依存で亡くなった有名ミュージシャンの事例として挙げられているが、この (9) については多くを説明する必要はないだろう。



洋楽ロックバンド合縁奇縁 - 続く
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