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絶対に笑ってはいけない初詣

自分は一応、神社やお寺を訪ねることが、趣味というか嗜好の一つです。
その行動のルーツは、幼少の頃に毎年の恒例行事だった「新年初詣の旅」にあります。
元日の朝、親戚一同が車数台に分乗し、県内の神社お寺をハシゴしてまわったものでした。
毎年楽しみにしていたそのイベントは、高校に進学する頃まで続きました。

あの懐かしい旅の出発地点だった田舎の家に、わたしは今も毎年帰省し、そこで新年を迎え、
一応かたちのうえでは、わたしが親族を代表するような感じで、最寄りの神社(お寺)へ単身初詣に行くのが、元日の恒例行事となっています。



界隈では割と有名な神社(お寺)で、県内外からの参拝客で駐車場がすぐ満杯になります。
なので、車で行くことはできず、山の中の細い田舎道をブラブラと歩いて向かいます。

その行きの道中で一度、はぐれ者っぽい感じの人に遭遇したことがありました。
『財布を落としてお金がない、500円あれば駅まで行ける』と声をかけられ、わたしが「500円で大丈夫ですか?」と財布を取り出すと、それを見て急に目の色が変わって『2000円、3000円くらい貸してくれるかな』と金額がエスカレートし(笑)、「これも何かの縁ですかね」みたいなことを言いつつ結局 3500円ほどを手渡して差し上げました。
『お兄さんありがとー』と叫びながら、その人は歩き去っていきました。

その日の夜、TV のニュースで「午後3時頃、◎◎市の登山道で人が刃物で刺され軽傷」と出て、
え? もしかしてあのときすれ違ったあの男?
あそこで断っていたら、俺がやられていた?
((((;゚Д゚)))) ガクブル
・・・・ と一寸肝を冷やしたという、そんなこともありました



そこは神社とお寺が同じ敷地内にあるところなのですが、どういう歴史的経緯からか、
互いに「一切関係ありません」と柴田恭兵のスタンスを貫いて、反目し合っています。
どちらかというと神社の方が人気を集め、本殿の前はいつ見ても長蛇の列です。
一方、お寺側も巨大不動明王像を建立して対抗し、近年は人気を盛り返しつつあります。

神社のお参りには時間がかかるので、わたしはいつも足早にお寺の方へと向かい、
御堂の二階部分の大広間で執り行なわれる、御祈祷の儀に参列します。

幼少期の「新年初詣の旅」のとき、参列者の最前列で跪き、畳に額を擦り付けて拝礼をするお爺ちゃんの姿を、何度も見たことがありました。
今は自分がその代わりをしているのだ、と思いながら、広間の一角に陣取って、御祈祷の儀の開始を静かに待つ間は、厳かな束の間のひとときです。



しかし、人間、そういう畏まった状況に置かれると、逆に笑いのツボが活性化してしまうのは、どうしてなのでしょうか。

鐘が打ち鳴らされ、お坊さん数人が登場し、御祈祷が始まります。
受付で住所氏名その他を記入してお布施を包んだ人に対する「特別祈願」が、主な目的です。
ピーンと張り詰めた空気の中、1つずつ順番に読み上げられていきます。

「岡山市○○町、三宅○○より祈願奉る、身体健康、良縁成就、如意円満の旅(ガキッ!)」
「倉敷市○○町、岡本○○より祈願奉る、無病息災、学業向上、如意円満の旅(ガキッ!)」
「広島市○○町、安藤○○より祈願奉る、商売繁盛、交通安全、如意円満の旅(ガキッ!)」
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・

1つ読み上げるごとに、大きな木槌を机に叩きつけて「ガキッ!」と合図の音を鳴らし、
「ハイ、不動明王様に願いを届けた、次!」という感じで粛々と進行していくのですが、
時々、振り下ろした木槌の当たりどころが悪く、スカってしまうときがあります。

「高梁市○○町、田中○○より祈願奉る、家内安全、身体健全、如意円満の旅 スカッ  」

「あれ、今の人、音が鳴らなかったから、願い事が届いてないと思うんですけど」
という想念が頭をよぎった途端、笑いのツボのスイッチが入り、
以降、お坊さんの木槌がスカる度に

「笠岡市○○町、山本○○より祈願奉る、悪疫退散、合格祈願、如意円満の旅  スカッ 」
「デデ~ン、山本、アウト~」

と、笑いが込みあげる状態に陥り、往生したことがありました(笑)



特別祈願の読み上げが終わると、御祈祷の総仕上げとして「大般若転読」が行なわれます。
経本を手に取って、アコーディオンのようにパタパタと開け閉めし、全巻を通読したことにするということが全員のお坊さんによって一斉に行なわれるのですが、そのときに

「アーーーリャァァァーーーー!!!!」
「オー-リャァァー-ーーーーー!!!!」

などと盛大な掛け声が発せられ続けるので、今はもう慣れましたが、最初にその場面に出くわしたときは「中学の野球部か」という想念に取りつかれ、笑いを堪えるのに苦労しました。

その後も、毎年元日の初詣を続けていくうちに、わたしもそれなりに成長し、
「如意円満の旅」が実は「如意円満のために」と言っていることが分かった他、
御祈祷の最中に勝手な想念で笑いが込み上げることもなくなりました。

何年か前の御祈祷の折には、「お隣の神社にもお立ち寄りいただければと思います」とお坊さんの挨拶があり、長年反目し合ってきた神社とお寺同士で関係改善の兆しも見られるようです。
物事は良い方向に進んでいくのが世の常なのかなと、そう思います。
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