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おっさんの品格
洋楽ロックバンド合縁奇縁(5)
今からもう40年近くも昔、高校時代の青春の日々を、80年代洋楽の黄金期とともに過ごした。
そんな80年代洋楽人間を自称するワタクシが、当時の思い出の断片と Wikipedia のカンニングに基づいてお送りする、80年代洋楽なり切り回顧録 (`・ω・´) シャキーン
80年代洋楽シーンで活躍したバンドの、解散および再結成にまつわる話ですが、
内容は全然大したことありませんので、どうか過剰な期待はせず、
ポテトチップスなど食べつつ適当に読んでいただけたら幸いです m(_ _)m
奇才デビッド・バーン(David Byrne)が率いる4人組、トーキング・ヘッズ(Talking Heads)。
アメリカは N.Y 出身のこのバンドの歴史は古く、結成は1975年に遡る。
Wikipedia を見ると、ニューウェーブ、ファンク、アート・ポップ等々、ジャンルの名称が多く並んでいるが、デビッド・バーンの個性は枠にとらわれなかったと思う。
1975年の結成以来、実験的且つ試行錯誤の期間がしばらく続き、
1983年の5作目のアルバム「Speaking in Tongues」で、コマーシャルにリーチ。
その間、メンバーの入れ替わりは一度もなく、
結成当初からの4人の固い絆で、ようやく掴んだサクセスだった。
・・・・・ と、Wikipedia 情報を元に、知ったようなことを書いてみたw
トーキング・ヘッズのデビューから80年代前半までについては、リアルタイムで見てないのでよく分からず、「Speaking in Tongues」の何曲かを聞いたことがある程度の半可通なのが、実際のところの正味の話(横山やすし)だ。
しかし、自分が洋楽にハマった時期と、ちょうどタイミングを合わせるかのように、
1985年の 6th アルバム「Little Creatures」が、バンド史上最大のヒットを記録した。
このアルバムなら、自分も良く知っている。
代表曲の1つである「Road to Nowhere」の他、「And She Was」、「The Lady Don't Mind」などのヒット曲の PV を、深夜の MTV で目撃した。
デビッド・バーンの変人っ振りは、当時高校生だった自分も一目見て分かった。
続く1986年の7作目「True Stories」も、前作の勢いを維持してセールスを伸ばした。
同アルバムからのシングル「Wild Wild Life」は、仮装のど自慢大会を思わせる仕立ての PV が面白く、そこに登場するデビッド・バーンは、変人っ振りにさらに磨きがかかっていた。
「Love for Sale」の PV も、デビッド・バーンの奇才のやんごとなきを感じさせた。
アバンギャルド一辺倒かというとそうでもなく、7曲目「Dream Operator」では、
センチメンタルなメロディと歌詞がベストマッチした、美しい曲を聞かせてくれる。
ただ、全体的には、デビュー当初からのトーキング・ヘッズを知らない自分から見ても、
デビッド・バーンの理念が突っ走っているというか、先走っている印象は受けた。
1988年のアルバム「Naked」が、4人で録音した最後のアルバムとなった。
以降、デビッド・バーンはソロ活動へ突き進み、紅一点のメンバーであるティナ・ウェイマス(Tina Weymouth)を含む他の3人は、別バンドでの活動、プロデューサー業へと移行した。
そして、1991年にトーキング・ヘッズの解散が正式に発表された。
1991年当時、自分は就職を翌年に控えた大学生の身分で、洋楽情報を仕入れるべく「週刊FM」などを毎週買って読んでいたのだが、トーキング・ヘッズ解散のニュースを見かけた記憶はない。
あるいは、見たのかもしれなかったが、そのときそれをどう受け止めたのかも全く記憶にない。
解散の内情を知ったのは、ずっと後年になってのことだった。
メンバー間の不和があったのも、そうなのかもしれないが、
デビッド・バーンの奇才に、あとの3人がついていけなくなったのではないか。
今にして思うと、自分はそんな風に想像する。
2002年、トーキング・ヘッズはロックの殿堂(The Rock'n Roll Hall of Fame)入りを果たし、そこで4人は一度だけ再結成して「Psycho Killer」他をセレモニーのステージで演奏したが、
その際にデビッド・バーンは、次のようなコメントを出して継続的再結成を否定したとのことだ。
「我々の音楽的志向はあまりにもかけ離れている」
また、ロックの殿堂 2002 での、一夜限りの再結成時のバックステージに関して、
今では Wikipedia など複数の情報ソースで、次のように書かれているのを見ることができる。
「4人は目も合わせないほど険悪な空気だった」
「メンバー間には終始冷たい空気が流れていた」
音楽的志向の違いだけでなく、何かよほどのことがあって、決定的に仲違いしたのか。
1991年の解散まで、20年近くも一緒にやってきたのに、儚いといえば儚い話だと思う。
自分はそれほどトーキング・ヘッズのファンなわけでもないが、時が過ぎても目も合わせられないほどの禍根を残したという解散劇のことが、ずっと頭から離れなかった。
しかし、8年ほど前にネットで偶然みつけた、4人の集合写真 ・・・・
「THE ROCK & ROLL HALL OF FAME」とロゴの入った幕を背景に、4人が一堂に会し、
白髪の歳老いたデビッド・バーンの隣で、ティナ・ウェイマスがいい笑顔を見せている。
クリス(Chris Frantz)とハリソン(Jerry Harrison)も、笑っている。
これを見る限り、「目も合わせないほど険悪な空気だった」、「終始冷たい空気が流れていた」ようには思えないのだが、カメラの前だから大人の振舞いをしただけだったのか。
もしそうだとしても、それでもこれは、本当にいい写真だと思う 。。。(>д<)。。。
その後のメンバーの発言録が示しているように、2002年の再結成の機会をもってして、
完全なる雪解けとはいかなかったようだが、あれからもう20年以上が経っている。
4人はいずれまた、この写真のように笑顔で再会するときが必ず来ると思う。
時間とともに心が変わり、過去に対するエモーションが大きくなるのは、人の定めだと思う。
洋楽ロックバンド合縁奇縁 - 続く
そんな80年代洋楽人間を自称するワタクシが、当時の思い出の断片と Wikipedia のカンニングに基づいてお送りする、80年代洋楽なり切り回顧録 (`・ω・´) シャキーン
80年代洋楽シーンで活躍したバンドの、解散および再結成にまつわる話ですが、
内容は全然大したことありませんので、どうか過剰な期待はせず、
ポテトチップスなど食べつつ適当に読んでいただけたら幸いです m(_ _)m
Talking Heads (1975 – 1991, 2002)
奇才デビッド・バーン(David Byrne)が率いる4人組、トーキング・ヘッズ(Talking Heads)。
アメリカは N.Y 出身のこのバンドの歴史は古く、結成は1975年に遡る。
Wikipedia を見ると、ニューウェーブ、ファンク、アート・ポップ等々、ジャンルの名称が多く並んでいるが、デビッド・バーンの個性は枠にとらわれなかったと思う。
1975年の結成以来、実験的且つ試行錯誤の期間がしばらく続き、
1983年の5作目のアルバム「Speaking in Tongues」で、コマーシャルにリーチ。
その間、メンバーの入れ替わりは一度もなく、
結成当初からの4人の固い絆で、ようやく掴んだサクセスだった。
・・・・・ と、Wikipedia 情報を元に、知ったようなことを書いてみたw
トーキング・ヘッズのデビューから80年代前半までについては、リアルタイムで見てないのでよく分からず、「Speaking in Tongues」の何曲かを聞いたことがある程度の半可通なのが、実際のところの正味の話(横山やすし)だ。
しかし、自分が洋楽にハマった時期と、ちょうどタイミングを合わせるかのように、
1985年の 6th アルバム「Little Creatures」が、バンド史上最大のヒットを記録した。
このアルバムなら、自分も良く知っている。
代表曲の1つである「Road to Nowhere」の他、「And She Was」、「The Lady Don't Mind」などのヒット曲の PV を、深夜の MTV で目撃した。
デビッド・バーンの変人っ振りは、当時高校生だった自分も一目見て分かった。
続く1986年の7作目「True Stories」も、前作の勢いを維持してセールスを伸ばした。
同アルバムからのシングル「Wild Wild Life」は、仮装のど自慢大会を思わせる仕立ての PV が面白く、そこに登場するデビッド・バーンは、変人っ振りにさらに磨きがかかっていた。
「Love for Sale」の PV も、デビッド・バーンの奇才のやんごとなきを感じさせた。
アバンギャルド一辺倒かというとそうでもなく、7曲目「Dream Operator」では、
センチメンタルなメロディと歌詞がベストマッチした、美しい曲を聞かせてくれる。
ただ、全体的には、デビュー当初からのトーキング・ヘッズを知らない自分から見ても、
デビッド・バーンの理念が突っ走っているというか、先走っている印象は受けた。
1988年のアルバム「Naked」が、4人で録音した最後のアルバムとなった。
以降、デビッド・バーンはソロ活動へ突き進み、紅一点のメンバーであるティナ・ウェイマス(Tina Weymouth)を含む他の3人は、別バンドでの活動、プロデューサー業へと移行した。
そして、1991年にトーキング・ヘッズの解散が正式に発表された。
1991年当時、自分は就職を翌年に控えた大学生の身分で、洋楽情報を仕入れるべく「週刊FM」などを毎週買って読んでいたのだが、トーキング・ヘッズ解散のニュースを見かけた記憶はない。
あるいは、見たのかもしれなかったが、そのときそれをどう受け止めたのかも全く記憶にない。
解散の内情を知ったのは、ずっと後年になってのことだった。
メンバー間の不和があったのも、そうなのかもしれないが、
デビッド・バーンの奇才に、あとの3人がついていけなくなったのではないか。
今にして思うと、自分はそんな風に想像する。
2002年、トーキング・ヘッズはロックの殿堂(The Rock'n Roll Hall of Fame)入りを果たし、そこで4人は一度だけ再結成して「Psycho Killer」他をセレモニーのステージで演奏したが、
その際にデビッド・バーンは、次のようなコメントを出して継続的再結成を否定したとのことだ。
「我々の音楽的志向はあまりにもかけ離れている」
また、ロックの殿堂 2002 での、一夜限りの再結成時のバックステージに関して、
今では Wikipedia など複数の情報ソースで、次のように書かれているのを見ることができる。
「4人は目も合わせないほど険悪な空気だった」
「メンバー間には終始冷たい空気が流れていた」
音楽的志向の違いだけでなく、何かよほどのことがあって、決定的に仲違いしたのか。
1991年の解散まで、20年近くも一緒にやってきたのに、儚いといえば儚い話だと思う。
自分はそれほどトーキング・ヘッズのファンなわけでもないが、時が過ぎても目も合わせられないほどの禍根を残したという解散劇のことが、ずっと頭から離れなかった。
しかし、8年ほど前にネットで偶然みつけた、4人の集合写真 ・・・・
「THE ROCK & ROLL HALL OF FAME」とロゴの入った幕を背景に、4人が一堂に会し、
白髪の歳老いたデビッド・バーンの隣で、ティナ・ウェイマスがいい笑顔を見せている。
クリス(Chris Frantz)とハリソン(Jerry Harrison)も、笑っている。
これを見る限り、「目も合わせないほど険悪な空気だった」、「終始冷たい空気が流れていた」ようには思えないのだが、カメラの前だから大人の振舞いをしただけだったのか。
もしそうだとしても、それでもこれは、本当にいい写真だと思う 。。。(>д<)。。。
その後のメンバーの発言録が示しているように、2002年の再結成の機会をもってして、
完全なる雪解けとはいかなかったようだが、あれからもう20年以上が経っている。
4人はいずれまた、この写真のように笑顔で再会するときが必ず来ると思う。
時間とともに心が変わり、過去に対するエモーションが大きくなるのは、人の定めだと思う。
洋楽ロックバンド合縁奇縁 - 続く
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