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夜の浅草寺お百度参り

わたしは一応、寺社巡りを多少の趣味とする普通の一般サラリーマンです。
なものですから、近くに寄った折にふと足が向かう、行き付けのお寺というものがあります。
東京都台東区にある浅草寺も、その1つです。

以前は、カメラを新調したら大体、浅草寺へ出向いて試し撮りに興じたものでした。
そのように何度も頻繁に足を運んだ浅草寺には、たくさんの思い出があり、
2008年10月の前立本尊御開帳は、そのハイライトの一つでした。
現時点では 2017年11月が直近の訪問で、それから久しく行けていない状況です。



浅草寺の思い出といえば、「夜の浅草寺お百度参り」というのをやったことがありました。
今から19年前の話になります。

きっかけは、地元の親友が大病を患ったと知ったことでした。
自分に何ができるだろうかと考え、自分のやり方で願掛けをしようと思いました。
それが「夜の浅草寺お百度参り」すなわち、浅草寺の入り口にある雷門と、
仲見世通りの先にある観音堂の間を歩いて100往復する、という計画でした。



ただの気休め、馬鹿げた真似かもしれないと思ったと同時に、
理屈では説明できない何かが、自分をその行動へ向かわせました。
物事を無心に思い立つときは、得てしてそういうものではないでしょうか。

いずれにしても、昼間の仲見世通りのあの混雑っ振りからすると、
浅草寺において「お百度参り」をやろうとしたら、
夜のタイミングを狙って決行するしかありませんでした。



2006年3月某日(土)、PM7:45頃、上野駅到着。
浅草通りを歩いて浅草寺に到着し、PM8:20頃「夜の浅草寺お百度参り」スタート。

Walkman で音楽を聞きながら、最初の10往復くらいは順調に進んだが、
イヤホンから聞こえる曲の進み具合から、観音堂 ⇔ 雷門 の1往復に10分くらいかかると分かり、このペースでいくと10往復に100分、100往復には1000分つまり17時間くらいかかってしまう ・・・・ と早々に悟り、気分的に追い詰められた。

足の裏に水膨れができて歩行困難になり、100往復は時間的にも体力的にも無理だった。
PM11:00過ぎ、ひとまず半分の50往復に予定を変更し、
来訪者のいなくなった仲見世通りの石畳を歩き続けた。



1円硬貨10枚を握り締め、約380m離れた観音堂 ⇔ 雷門を行ったり来たりしながら、
観音堂に着いたら、合掌し、1円硬貨を一つ欄干に置く。
10往復して掌の1円がなくなったら、100円硬貨を一枚浄財箱へ奉納し、
欄干に置いた1円硬貨10枚を回収し、それをまた握り締めて歩き出す。
・・・・ という行ったり来たりを、際限なく繰り返した。

AM0:00過ぎ、イヤホンを耳から外し、辺りを包む静寂を感じながら歩き続けた。
境内を複数の警備員が巡回していて、不審人物がられないか心配だったが、
職務質問等を受けることもなく、暖かく見て見ぬふりをしてくれていた。

AM4:40頃、50往復(約19km)を何とか達成できた。
途中で2度トイレに行ったのと、30往復時点で一服したのを除けば、約8時間を歩き通した。
足裏の損傷(水膨れ)が激しく、踵歩きで這うように上野駅に戻り、コインロッカーのシャッターが開くAM6:00まで待って、始発の新幹線でとっとと群馬に逃げ帰ったw






その翌週の 2006年3月某日(金)、上野駅から浅草通りを流して浅草寺へ。
PM8:50頃「夜の浅草寺お百度参り」の後半スタート。

前回の50往復の教訓から、焦らず急がずの脱力歩きを心掛けた。
しかし、10往復した辺りで足の裏がまた痛み出し、左の股関節も機械的に痛み始め、
早々に追い込まれてしまったが、後戻りはできなかった。



前回同様、観音堂に着くたびに、合掌し、1円硬貨1枚を掌から巾着袋に移し、
掌の1円がなくなったら、100円硬貨を浄財箱に奉納し、巾着袋の1円10枚を掌に戻して、
・・・・ を繰り返しながら、観音堂と雷門の間を往復し続けた。
今回は無理せず、10往復ごとに休憩を挟んだ。

AM5:00頃、仲見世通りの灯りが消え、カラスの鳴き声が騒がしく聞こえ始めた。
ラストの1往復のとき、長く苦しかったお百度参り達成を祝ってくれるかのように、
境内の鐘楼が鳴り始め、AM6:05頃、100往復目の観音堂に到着。
巾着袋の1円10枚と、最後の100円硬貨を浄財箱に奉納し、般若心経を通読、合掌。

五重塔前のハトがたむろするスペースで、座り込み、放心状態でしばらく一服した後、
ズタボロになった身体をひきずって、上野駅に引き返し、始発の新幹線で群馬に遁走w






以上が、当時の日記をもとに書き起こした「夜の浅草寺お百度参り」の顛末です。
あのとき38歳で今より随分若かったですが、それでも一週間でのダメージ回復は無理だったようで、2週続けてあんなことをしたとは、なかなか無茶したもんだなと今にしてみれば思います。

あれが、自分の思い出になったという以外に、何かの役に立ったのかどうかは分かりません。
ただ、不思議なことというのは、やはりあるようです。
お百度参りの翌週、2006年4月1日(土)の日記の内容を、以下に掲載します。

明け方5時過ぎ頃の寝起き時、またいつもの金縛りの主(?)が降りてきて、うつぶせ体勢でまどろんでいた俺の背後から何やら覆い被さってきて抱き締めてくれていたようだった。正直、癒されてしまった。もしかして、先週先々週とお百度参りをした浅草寺の秘仏御本尊様の使いの仏さまか? などということを想像してしまうが、俺のことを上の方から見守ってくれる見えない力がもし存在するのだとすれば、ありがたいことである。

わたしはもともと、高校時代の昔から金縛りに遭う体質で、今でもよくあります。
金縛りになるときは「あ、これは来るな」と前兆が分かり、それから身体が動かなくなり、じっとしていると何か変なものが見えたりして怖いことになりそうなので、目を閉じて周囲を見ないようにして、頑張って必死に動こうと努めます。
つまり、金縛り状態のときは、ちょっとした恐怖心の中でそこから逃れようとするわけです。



しかし、お百度参り翌週の4月1日の明け方に来た金縛りは、全く違いました。
背後から抱きしめられ、手を固く握られる感触が非常にリアルで、且つ心地よく、
恐怖心も逃れようとする意識も全くありませんでした。
あれは、後にも先にもあの一度きりの、不思議な体験でした。
(浅草観音に限らず、観音様にまつわる逸話として、同様の体験を語る人は多いと思います)

以上のような個人的な出来事があった経緯から、わたしは、
人でごった返す仲見世通りの喧噪よりも、夜の浅草寺の雰囲気の方が好きです。
もう久しく行けていないですが、次回訪問する際も、陽が落ちた暗闇の中に浮かび上がる観音堂の正面にまた立ちたいと、そのように思っている次第です。
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