「どうして不在の中から、知を受け取るのだろう?』
数点の、桜並木の道から、僕は僕に似た景色、僕の求める景色、僕を恋する景色を選び取る。
それは冷徹に貫かれる意志とは全く違っていて、のんきに考え事をしている時に足が選んでいる道。
数行の、たった一晩で書かれるたくさんの雑多なブログから、
僕は僕の文章の種が芽吹きそうな種と元を探す。つまり、盗作。
厳密に言うとコピーはしない。もちろん、
コピペもしない。
読んでいる時がちんぷんかんぷんであればいい
あればあるほど、いい。
そこに誤解が生まれるから、その誤解が紐解くなにかが、
僕という土台を足がかりにして、間違った答えを見つけ出す。
それが、オリジナル。
間違った用法と、間違った単語と、間違った意味をたくさん憶えている。
それが、オリジナル。
風が吹いてくる景色を探した
想像力の風が、向こう側から吹いてくる景色を探した
ひらがなの方がいいと思う事はたびたびある。
どこで区切ったらいいのか、その切れ目がわかりにくい方が、
より一層多くの誤解を生むからだ
僕はたくさんの聞き間違いをして、たくさんの空想をして、たくさんの空耳の中から、
自分だけに割り振られたノイズを探した。僕の呼吸で。.
導かれるままに話をしていたら、
何人かの人間は僕に向かって予測を立てる。
柔らかい予測、硬い予測、そして、アテにならない予測。
予想と書いてもいいけど、僕にとって相手がお客さんであるなら、
そこに客観性という言葉を割り当てて、そこに理性を近づけよう。
君の理性を殺し、君の感情を、僕の理性にする。
刺し込むように、割り当てていく.
それをもって僕は、例え間違っていようとも、君に対する相対性に
ひとときの何かを委ねて、
相対する僕たちの誤解に委ねて、(重ねて、)
その間違いを認める事と受け取る事が同義であるように、
君を客観性と呼ぶ。
だから正直言えば、僕らの持つ客観性は、一つも真実が失われいないのなら、
最初から何一つ証明されていない。
だから僕らはそこに便利な断絶の記号を持ち寄って、
それを砂上の楼閣という音でコピーした。
普通、何人かの科学者がいれば、そこには理論と証明が付きものだ。
だけど僕らが会話する【普通】という観念の縛りにある日常の中で、
証明された会話など、いったいどれほどあるのだろう。
そしてまた、僕たちに、信じられる科学者の友達など、何人ほどもいるのだろう。
数え切れないほど、多くて少ない。
中途半端なくらい、【普通】からは隔絶されている。
閉じた音の縛りの中で、反響音を聞いて、ぼくらはそれを残響音だと思い込む。
過去から発せられる音なんて、じつは一つもないのに。
未来からやってくる光も、宇宙を満たしてる源初の闇も、
じつはすべて刹那の自閉に閉じ込められているのに、
そこにまだ、空間と名付けて、距離を拡げようというのか?
結局過去なんてものは、どれくらい硬くしつこくエネルギーで縛り付けて、
ぎゅっと重力で固めて、形を保っていられるかということでしかない。
全部がハードウェアだとしても、全部がソフトウェアだとしても、
やがて今という変質の時間をかけあわせ続ければ、
それらはどろどろに熔けていく。
たった一秒ではじまった世界なら、たった1秒で終わる。
僕の人生と同じくらい、短い速さで伸び縮みする。
心臓が孤独に打ち拉がれて、宇宙の歳だけ周期を重ねていく。
どんな巨大なマクロも、どんな場所にある小さな欠片も、
すべてが閉じながら開いている限り、
それは僕の死の中に包含されている。
結論などありはしない。
ただ、日常から非日常に向けて幽離しようと跳躍するものだけが、
不可解な死を遂げることができる。
道ばたで落ちている石ころを蹴った事があるだろうか?
その石ころに痛いと言われた事はあるだろうか?
傍に立っているカカシに話しかけた事はあろうだろう?
しかもその会話に、断絶を感じた事があるだろうか?
あらゆる存在から祝福されて、神の名前をもらった事があるだろうか?
同じだけの存在を前にして、自分がちっぽけだと感じた事はあるだろうか?
だれだってあるだろう
だれもがここではひとりなのだから。
多くの時限爆弾が仕掛けられた密室で、
僕一人が起爆剤を探してる。
何もかもが静寂に包まれた宇宙で
僕だけが動く方法を知っている。
誰にも出会えない真っ暗闇で、
僕だけが鏡の光を呑み続けている。
喪われるだけで
ただ一つを目の前にするだけで
それがこんなにも孤独だと、
どうして僕にはわかるのだろう。
それはいつまでも鏡の知を超えなくて、
いつも僕の姿しか映さないから
ずっと同じ場所で爆発を繰り返して
ずっと同じ場所で爆縮を続けるから
だからここにある変化は何もかも同じで
そして何もかもが違う場所にあろうとする
もしもひとつひとつの違う物が
あらゆる物質の最初の結び目が、
僕と一緒にほどける事を願うなら
そのとき僕等はひとつの同じになろうとする。
本当に僕を手に入れる方法は、
やはり僕が死ぬしか無いのだから。
あらゆる自殺の中に、形を崩壊させない自殺があるだろうか?
どんな長い永遠が、愛液の涙を氷に冷ますだろうか。
僕に維持できる記憶はひとつもない。
ただのひとつも、この世界に記録する事はできない。
あの巨大なピラミッドでさえも、
あの間違いだらけのナノテクでさえも、
一人の誤解が組み立てた断壁の科学でさえも、
それはあらゆる場所に、記録が不可解な不可能であること。
だから僕は君たちに、僕の死の再生を委ねるべき。
自殺の起こる奇跡のような再現性を、ただ君の心の前で繰り返すべき。
読み取られている絶壁の隔離だけが、
その幽離だけが、激しい感情の乖離だけが、
その理解不可能さこそが、
僕たちの再生を記録する媒界としての媒体なのだから。
だだをこねる胎児の宇宙のように
僕の星くずが、ひとつだけ消えていく
『今日、君と出会ったことで・」
数点の、桜並木の道から、僕は僕に似た景色、僕の求める景色、僕を恋する景色を選び取る。
それは冷徹に貫かれる意志とは全く違っていて、のんきに考え事をしている時に足が選んでいる道。
数行の、たった一晩で書かれるたくさんの雑多なブログから、
僕は僕の文章の種が芽吹きそうな種と元を探す。つまり、盗作。
厳密に言うとコピーはしない。もちろん、
コピペもしない。
読んでいる時がちんぷんかんぷんであればいい
あればあるほど、いい。
そこに誤解が生まれるから、その誤解が紐解くなにかが、
僕という土台を足がかりにして、間違った答えを見つけ出す。
それが、オリジナル。
間違った用法と、間違った単語と、間違った意味をたくさん憶えている。
それが、オリジナル。
風が吹いてくる景色を探した
想像力の風が、向こう側から吹いてくる景色を探した
ひらがなの方がいいと思う事はたびたびある。
どこで区切ったらいいのか、その切れ目がわかりにくい方が、
より一層多くの誤解を生むからだ
僕はたくさんの聞き間違いをして、たくさんの空想をして、たくさんの空耳の中から、
自分だけに割り振られたノイズを探した。僕の呼吸で。.
導かれるままに話をしていたら、
何人かの人間は僕に向かって予測を立てる。
柔らかい予測、硬い予測、そして、アテにならない予測。
予想と書いてもいいけど、僕にとって相手がお客さんであるなら、
そこに客観性という言葉を割り当てて、そこに理性を近づけよう。
君の理性を殺し、君の感情を、僕の理性にする。
刺し込むように、割り当てていく.
それをもって僕は、例え間違っていようとも、君に対する相対性に
ひとときの何かを委ねて、
相対する僕たちの誤解に委ねて、(重ねて、)
その間違いを認める事と受け取る事が同義であるように、
君を客観性と呼ぶ。
だから正直言えば、僕らの持つ客観性は、一つも真実が失われいないのなら、
最初から何一つ証明されていない。
だから僕らはそこに便利な断絶の記号を持ち寄って、
それを砂上の楼閣という音でコピーした。
普通、何人かの科学者がいれば、そこには理論と証明が付きものだ。
だけど僕らが会話する【普通】という観念の縛りにある日常の中で、
証明された会話など、いったいどれほどあるのだろう。
そしてまた、僕たちに、信じられる科学者の友達など、何人ほどもいるのだろう。
数え切れないほど、多くて少ない。
中途半端なくらい、【普通】からは隔絶されている。
閉じた音の縛りの中で、反響音を聞いて、ぼくらはそれを残響音だと思い込む。
過去から発せられる音なんて、じつは一つもないのに。
未来からやってくる光も、宇宙を満たしてる源初の闇も、
じつはすべて刹那の自閉に閉じ込められているのに、
そこにまだ、空間と名付けて、距離を拡げようというのか?
結局過去なんてものは、どれくらい硬くしつこくエネルギーで縛り付けて、
ぎゅっと重力で固めて、形を保っていられるかということでしかない。
全部がハードウェアだとしても、全部がソフトウェアだとしても、
やがて今という変質の時間をかけあわせ続ければ、
それらはどろどろに熔けていく。
たった一秒ではじまった世界なら、たった1秒で終わる。
僕の人生と同じくらい、短い速さで伸び縮みする。
心臓が孤独に打ち拉がれて、宇宙の歳だけ周期を重ねていく。
どんな巨大なマクロも、どんな場所にある小さな欠片も、
すべてが閉じながら開いている限り、
それは僕の死の中に包含されている。
結論などありはしない。
ただ、日常から非日常に向けて幽離しようと跳躍するものだけが、
不可解な死を遂げることができる。
道ばたで落ちている石ころを蹴った事があるだろうか?
その石ころに痛いと言われた事はあるだろうか?
傍に立っているカカシに話しかけた事はあろうだろう?
しかもその会話に、断絶を感じた事があるだろうか?
あらゆる存在から祝福されて、神の名前をもらった事があるだろうか?
同じだけの存在を前にして、自分がちっぽけだと感じた事はあるだろうか?
だれだってあるだろう
だれもがここではひとりなのだから。
多くの時限爆弾が仕掛けられた密室で、
僕一人が起爆剤を探してる。
何もかもが静寂に包まれた宇宙で
僕だけが動く方法を知っている。
誰にも出会えない真っ暗闇で、
僕だけが鏡の光を呑み続けている。
喪われるだけで
ただ一つを目の前にするだけで
それがこんなにも孤独だと、
どうして僕にはわかるのだろう。
それはいつまでも鏡の知を超えなくて、
いつも僕の姿しか映さないから
ずっと同じ場所で爆発を繰り返して
ずっと同じ場所で爆縮を続けるから
だからここにある変化は何もかも同じで
そして何もかもが違う場所にあろうとする
もしもひとつひとつの違う物が
あらゆる物質の最初の結び目が、
僕と一緒にほどける事を願うなら
そのとき僕等はひとつの同じになろうとする。
本当に僕を手に入れる方法は、
やはり僕が死ぬしか無いのだから。
あらゆる自殺の中に、形を崩壊させない自殺があるだろうか?
どんな長い永遠が、愛液の涙を氷に冷ますだろうか。
僕に維持できる記憶はひとつもない。
ただのひとつも、この世界に記録する事はできない。
あの巨大なピラミッドでさえも、
あの間違いだらけのナノテクでさえも、
一人の誤解が組み立てた断壁の科学でさえも、
それはあらゆる場所に、記録が不可解な不可能であること。
だから僕は君たちに、僕の死の再生を委ねるべき。
自殺の起こる奇跡のような再現性を、ただ君の心の前で繰り返すべき。
読み取られている絶壁の隔離だけが、
その幽離だけが、激しい感情の乖離だけが、
その理解不可能さこそが、
僕たちの再生を記録する媒界としての媒体なのだから。
だだをこねる胎児の宇宙のように
僕の星くずが、ひとつだけ消えていく
『今日、君と出会ったことで・」