終戦60年ドラマSP日本のシンドラー杉原千畝物語を見ました。
これも、実は、途中からでしたけど・・・。(仕事のため、帰宅したのが9時40分)
杉原千畝氏を、私が知ったのは、いつだったかな・・・・。
でも、日本の外務省が、彼の功績を認めた2000年より、ず~と以前だった。
中学か高校生のころだったかな・・・。
歴史の好きな私は、先の戦争での、いろんな人の話を、出版されてる本を読んだように思います。
そこに、杉原千畝氏のことがあったかは覚えていない。
ただ、彼が亡くなったニュースを新聞で読み、新聞は、しばらく、千畝氏の外交官としての仕事について書かれていたように思います。
その後、奥様が書かれた本を読んだのだと思います。
杉原千畝氏
彼の役を、反町隆史君がしていた。奥さん役に飯島直子さんでした。
彼が、ベルリンへ出発寸前まで、駅のホームでビザの発給をしていた思いが、
伝わってきました。
ただ、ただ、【一人でも多くのユダヤ人を助けたい。】
この思いが、ぎりぎりまで彼はペンを走らせたのだと思います。
人道的なこの行為が、当時は、政治的思惑から、称えられなかったことが、
どんなに悔しかった事でしょう。
見ることが出来なかった方は、是非、奥様の本を読んでください。
これも、実は、途中からでしたけど・・・。(仕事のため、帰宅したのが9時40分)
杉原千畝氏を、私が知ったのは、いつだったかな・・・・。
でも、日本の外務省が、彼の功績を認めた2000年より、ず~と以前だった。
中学か高校生のころだったかな・・・。
歴史の好きな私は、先の戦争での、いろんな人の話を、出版されてる本を読んだように思います。
そこに、杉原千畝氏のことがあったかは覚えていない。
ただ、彼が亡くなったニュースを新聞で読み、新聞は、しばらく、千畝氏の外交官としての仕事について書かれていたように思います。
その後、奥様が書かれた本を読んだのだと思います。
杉原千畝氏
彼の役を、反町隆史君がしていた。奥さん役に飯島直子さんでした。
彼が、ベルリンへ出発寸前まで、駅のホームでビザの発給をしていた思いが、
伝わってきました。
ただ、ただ、【一人でも多くのユダヤ人を助けたい。】
この思いが、ぎりぎりまで彼はペンを走らせたのだと思います。
人道的なこの行為が、当時は、政治的思惑から、称えられなかったことが、
どんなに悔しかった事でしょう。
見ることが出来なかった方は、是非、奥様の本を読んでください。