長生きすることは、嬉しいことばかりじゃない。
元気で、身の回りのことなど自分で出来る「自立」してる状態であれば、
幸いである。
しかし、寝たきりや介助などの支援が必要な状態となって生きてても、
つまらないのではないか?
だれも、自分が、まさか、介護される日がくるとは、思ってない。
しかし、現実的に考えれば、この先、介護される人は、増加するらしい。
外科的怪我による介護より、痴ほう症などの脳の病での介護も増えている。
では、この先、どのようにして生活していれば、
元気で、自立していられるか?
「老いる」ことからは、逃れない。
ここ最近は、いろんな健康番組を視聴して、勉強している。
で、私の結論は、
神様から、お迎えが来るまでは、「今日を生きる。為に生きる。」
これに尽きると。。。
何にもしなくても1日が過ぎて行き、
誰かのために、美味しい食事を3食作っても1日が過ぎていく。
時間は、元気で働いてる人にも、病で病院のベットにいても、
公平に過ぎていく。
なら、誰かが、自分を必要としているのなら、
その人の為に、生きる。
「生きてる」喜びは、自分が役に立ってると思うこと。
元気で、身の回りのことなど自分で出来る「自立」してる状態であれば、
幸いである。
しかし、寝たきりや介助などの支援が必要な状態となって生きてても、
つまらないのではないか?
だれも、自分が、まさか、介護される日がくるとは、思ってない。
しかし、現実的に考えれば、この先、介護される人は、増加するらしい。
外科的怪我による介護より、痴ほう症などの脳の病での介護も増えている。
では、この先、どのようにして生活していれば、
元気で、自立していられるか?
「老いる」ことからは、逃れない。
ここ最近は、いろんな健康番組を視聴して、勉強している。
で、私の結論は、
神様から、お迎えが来るまでは、「今日を生きる。為に生きる。」
これに尽きると。。。
何にもしなくても1日が過ぎて行き、
誰かのために、美味しい食事を3食作っても1日が過ぎていく。
時間は、元気で働いてる人にも、病で病院のベットにいても、
公平に過ぎていく。
なら、誰かが、自分を必要としているのなら、
その人の為に、生きる。
「生きてる」喜びは、自分が役に立ってると思うこと。