大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

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今日は東京大空襲の日!

2020年03月10日 | 今日は何の日

今から75年前の1945(昭和45)年の今日(3月10日)、アメリカ軍のB29爆撃機により、東京は大空襲を受けました。

東京は1944(昭和19)年11月24日以降、実に100回以上の空襲を受けましたが、大規模な空襲は1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月24日、5月25日の5回でした。
その中でも特に被害が大きかったのが3月10日の空襲だったことから、「東京大空襲」といえば、この日の空襲を指すことが多いです。

3月10日の空襲をアメリカ軍はミーティングハウス2号作戦と呼び、東京の下町の市街地に密集する木造家屋と町工場を焼き払うことを目的としたため、これまで行っていた昼間の高度10000m近い高高度からの爆撃とは異なり、高度2000m前後のの低高度での夜間・焼夷弾無差別絨毯爆撃という戦術が用いられた初めての空襲でした。

マリアナ諸島の各基地から325機のB29爆撃機が出撃(東京まで来襲したのは279機)し、3月9日から10日に日付が変わった直後の深夜の午前0時8分から2時間半にわたって東京に38万1300発、1783トンもの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾、エレクトロン焼夷弾、ナパーム弾などを投下しました。
この空襲により、東京は現在の墨田区、江東区、台東区を中心に約41平方キロメートルが焼け野原となり、当時の警視庁の調査では、死者8万3793人、負傷者4万918人、焼失家屋26万8358戸ということでしたが、この被害数には早期に遺体が引き取られた者を含んでいないため、実際に死者は10万人を超えると言われています。 これは単独の空襲による犠牲者数としては、世界史上最大です。

この東京大空襲の記録を残すための公的な施設はなく、江東区に2002(平成14)年3月9日に開館した民間の「東京大空襲・戦災資料センター」があるだけです。

東京都は、3月10日の大空襲を忘れないために、戦争の惨禍を繰り返さないようことを誓って都民一人ひとりが平和を考えることを目的として、1990(平成2)年7月20日に東京都平和の日条例を制定し、その第1条により3月10日を「東京都平和の日」と定めました。