金屋口駅は、紀勢本線の藤並駅と金屋口駅とを結んでいた全線単線非電化のローカル私鉄だった有田鉄道(5.6km)の一般駅として、1916(大正5)年7月1日に開業しました。
しかし、有田鉄道が2002(平成14)年12月31日限りで廃止されたことに伴い、廃駅となりました。
単式ホーム1面1線でしたが、構内に車両基地があり、それに伴う運転扱いがあったため有人駅でした。 しかし、岐阜県の樽見鉄道から譲渡されたレールバス(ハイモ180-101)でのワンマン運転を開始した1994(平成6)年12月21日に出札窓口は閉鎖されました(後に鉄道案内所として再開)。
和歌山県の有田市とその周辺の各町は、全国的に有名な有田みかんの主産地であり、その出荷は主に海上輸送によっていましたが、産地で穫れたみかんを積出港である湯浅港まで運搬する目的で1913(大正2)年2月28日に有田鉄道が設立され、1916(大正5)年7月1日に全通しました。
有田鉄道が最も賑わっていたのは昭和40年前後で、旅客は年間160万人、貨物は3万トンを超えていました。 しかし、それ以降、旅客は減少し続け、みかんなどの輸送も次第にトラック輸送に切り替わっていき、貨物営業は国鉄の貨物縮小のあおりを受けて1984(昭和59)年2月1日で廃止されましたが、廃止前の貨物輸送量は年間2000トンでした。
2001(平成13)年11月1日からは運転本数が1日2往復に減らされ、利用者数は1日平均29人でした。 そして有田鉄道が鉄道廃止の意向を示した時も、地元から廃止反対の声はほとんどなかったため、2002(平成14)年12月31日限りで廃止されました。
<金屋口駅の年表>
・1916(大正5)年7月1日:有田鉄道の一般駅として開業
・1984(昭和59)年2月1日:貨物取扱い廃止
・2002(平成14)年12月31日:有田鉄道が廃止されたことに伴い、廃駅となる
(車両基地に留置されていたキハ58 003)
撮影年月日:2000(平成12)年8月19日