今日であの阪神大震災から20年が経つんですね!
私が生まれ育った伊丹も、1日約3万5千人が利用していた高架駅の阪急伊丹駅が約440mに渡って崩壊し、1階の交番で当直勤務の警察署員1人が犠牲になりました。
この崩壊した阪急伊丹駅の映像は、その後ニュースなどで何回も流れましたが、私も実際に現場に行って自分の目で見て、“子供の頃からずっと利用していたあの駅が、こんな姿になってしまうとは” とショックを受けたのをはっきりと覚えてます。
(地震で崩壊した阪急伊丹駅)
市内全体の被害は、死者23人、重傷者226人、軽傷者2490人、全壊は2,434棟、半壊は7,499棟でした。
地震発生直後から、多くの市民が避難所に向かい、市内の避難者数は8,775人、避難所数は71か所でした。
私達家族が住んでた家も全壊してしまったので、近くの北中学校の体育館やあじさいセンターなどの避難所で約3か月間避難所生活を送ったのですが、当時は悲壮感に包まれていました。
伊丹市は地震で住む家を失った市民のために、市内5か所に計660戸の仮設住宅が建設され、原田家も避難所生活の後、仮設住宅に移りました。
伊丹市の場合は、阪急伊丹駅の再建が震災から1400日以上もかかるなど、被害の後遺症が長く続く続いたのでした。
もうあのような大地震は絶対に起きてほしくないですね。