大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

石北本線 呼人駅!

2015年09月25日 | 

北海道網走市にあるJR北海道の呼人駅は、新旭川駅と網走駅とを結ぶ全長234.0kmの石北本線の一般駅として、1923(大正12)年10月5日に開業しました(開業時は網走線に所属)。

相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な無人駅です。
開業時に建てられた木造駅舎は、民営化後の1988(昭和63)年末にコンパクトな駅舎に建て替えられました。

 <呼人駅の年表

 ・1923(大正12)年10月5日:網走線の一般駅として開業
 ・1923(大正12)年11月18日:線路名が網走本線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1961(昭和36)年4月1日:線路名が石北本線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1974(昭和49)年10月1日:貨物取扱い廃止
 ・1983(昭和58)年1月10日:荷物取扱い廃止、 駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる

 
(左はJR北海道の駅名標、2003年6月15日撮影:右は国鉄時代の駅名標、1988年9月3日撮影)

 
(左は1988年9月3日撮影:網走方面を望む:右は2003年6月15日撮影)

 
(旧駅舎・ホーム側)

 
(左は旧駅舎、1988年9月3日撮影:右は現在の駅舎、2003年6月15日撮影)


 撮影年月日:1988(昭和63)年9月3日、2003(平成15)年6月15日


旧国鉄宮津線 久美浜駅!

2015年09月24日 | 

京都府京丹後市の久美浜駅は、舞鶴市の西舞鶴駅から宮津駅を経由して山陰本線豊岡駅までを結んでいた全線単線非電化のローカル線だった国鉄宮津線(83.6km)の一般駅として、1929(昭和4)年12月15日に開業しました(開業時は峰豊線に所属)。 宮津線はその後、北近畿タンゴ鉄道を経て、京都丹後鉄道となりました。

単式ホームと島式ホームの2面3線を有していて列車交換可能な簡易委託駅です。
開業時に建てられた木造駅舎は、北近畿タンゴ鉄道に転換後に、かつて存在した久美浜県の県庁舎を再現した新しい駅舎に建て替えられました。

久美浜駅が属していた国鉄宮津線は1932(昭和7)年8月10日に全線開通しましたが、沿線に天橋立という日本三景を抱える路線ながら、モータリゼーション化と沿線の過疎化のため利用者は次第に減少し、1980(昭和55)年12月に施行された国鉄再建法により1987(昭和62)年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止承認されてしまいます。
地元では3回にわたって宮津線特定地方交通線対策協議会を開いて協議した結果、1988(昭和63)年4月7日に第3セクター鉄道として存続させることを決定し、結局、国鉄が開業させる予定で工事を進めながら国鉄再建法の規定により工事が中断されていた宮福線を引き受ける第3セクターとして設立されることになっていた宮福鉄道が宮津線を引き継ぐことになりました。

そして宮津線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された後、1990(平成2)年4月1日に宮福鉄道を改称した北近畿タンゴ鉄道に転換されましたが、これは国鉄再建法の廃止対象線区最後の転換になりました。
しかし、同鉄道の経営悪化により、2015(平成27)年4月1日に京都丹後鉄道に移管されました。

 <久美浜駅の年表>

 ・1929(昭和4)年12月15日:国鉄峰豊線の一般駅として開業
 ・1932(昭和7)年8月10日:線路名が宮津線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1990(平成2)年4月1日:北近畿タンゴ鉄道の駅となる
 ・2015(平成27)年4月1日:京都丹後鉄道の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(宮津方面を望む)

 

 
(旧駅舎正面)


 撮影年月日:1989(平成元)年7月28日


姫新線 播磨徳久駅!

2015年09月23日 | 

兵庫県佐用町にあるJR西日本の播磨徳久駅は、山陽本線の姫路駅から津山駅を経て新見駅までを結んでいる全線単線非電化の国鉄姫新線(158.1km)の一般駅として、1935(昭和10)年7月30日に開業しました(開業時は姫津東線に所属)。

かつては相対式ホーム2面2線を有していて列車交換も可能でしたが、その後、片側の線路は撤去されて、現在は単式ホーム1面1線の無人駅です。
開業時に建てられた木造駅舎は、2001(平成13)年に「ひまわりの郷ふれあいセンター」を併設した新しい駅舎に建て替えられました。

2012(平成24)年度の1日の平均乗車人員は127人です。

播磨徳久駅が属する姫新線は、山陽地方と山陰地方とを結ぶ陰陽連絡路線の1つとして建設され、かつては大阪発の急行「みささ(大阪~鳥取間)」「みまさか(大阪~中国勝山間)」も運転されていましたが、その後、モータリゼーション化により1970年代(昭和50年代)以降は利用者が減少し、1989(平成元)年3月11日のダイヤ改正で線内唯一の優等列車だった急行「みささ」「みまさか」が廃止されてからは、陰陽連絡路線や津山市と京阪神とを結ぶ役割を失い、今は地域輸送が中心となっています。

 <播磨徳久駅の年表>

 ・1935(昭和10)年7月30日:国鉄姫津東線の一般駅として開業
 ・1936(昭和11)年4月8日:姫津東線が姫津線の一部となり、同線の駅となる
 ・1936(昭和11)年10月10日:姫津線が姫新線の一部となり、同線の駅となる
 ・1986(昭和61)年11月1日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・2013(平成25)年8月1日:駅構内終日全面禁煙化

 
(左はJR西日本の駅名標、2004年12月23日撮影:右は国鉄時代の駅名標、1989年4月5日撮影)

 
(津山方面を望む)

 
(左は1989年4月5日撮影:姫路方面を望む:右は2004年12月23日撮影)

 
(左は旧駅舎、1989年4月5日撮影:右は現在の駅舎、2004年12月23日)

 
(左は旧駅舎、1989年4月5日撮影:右は現在の駅舎、2004年12月23日撮影)

 
(播磨徳久駅前にいた猫)


 撮影年月日:1989(平成元)年4月5日、2004(平成16)年12月23日


紀勢本線 大内山駅!

2015年09月22日 | 

三重県度会郡大紀町にあるJR東海の大内山駅は、亀山駅から新宮駅を経て和歌山市駅までの384.2kmを結んでいる紀勢本線の一般駅として、1927(昭和2)年11月13日に開業しました(開業時は紀勢東線に所属)。

長い単式ホームと島式ホームの2面3線を有していて列車交換可能な無人駅です。
開業時に建てられた木造駅舎は、2002(平成14)年にコンパクトな駅舎に建て替えられました。

2013(平成25)年度の1日の平均乗車人員は46人です。

大内山駅といえば、無人化される前は、駅員がホームに敷き詰められた砂利を熊手で掃いて、京都の龍安寺の石庭のような縞模様を描いている駅として有名でした。

 <大内山駅の年表>

 ・1927(昭和2)年11月13日:国鉄紀勢東線の一般駅として開業
 ・1959(昭和34)年7月15日:紀勢本線が全通したことにより紀勢東線が紀勢本線の一部となり、同線の駅となる
 ・1983(昭和58)年12月21日:荷物取扱い廃止、駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(左は1996年9月11日撮影:跨線橋から新宮方面を望む:右は2002年5月30日撮影)

 
(旧駅舎・ホーム側)

 
(左は旧駅舎、1996年9月11日撮影:右は現在の駅舎、2002年5月30日撮影)


 撮影年月日:1996(平成8)年9月11日、2002(平成14)年5月30日


旧国鉄田川線 犀川駅!

2015年09月20日 | 

福岡県京都郡みやこ町にある犀川駅は、日豊本線の行橋駅と日田彦山線の田川伊田駅とを結んでいた全線単線非電化の国鉄田川線(26.3km)の駅でした。
もともとは、筑豊の炭鉱地帯で掘り出された石炭を周防灘に面した苅田港まで運搬するために建設された豊州鉄道の一般駅として、1897(明治30)年4月20日に開業しました。その後、九州鉄道に合併された後、国鉄田川線の駅となりました。

しかし、田川線は筑豊炭田の衰退とともに旅客・貨物とも輸送量が減少し、1980(昭和55)年12月に施行された国鉄再建法により1987(昭和62)年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止承認されます。 地元では5回にわたって対策協議会を開いて協議した結果、1989(平成元)年2月6日に第三セクター鉄道に転換することを決定しました。

そして国鉄田川線は1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)に承継された後、1989(平成元)年10月1日に第三セクターの平成筑豊鉄道に転換されました。

犀川駅は、長い相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な駅でした。
古い木造駅舎は転換時まで解体されずに残っていましたが、平成筑豊鉄道に転換後の1993(平成5)年に喫茶店なども入った新しい駅舎に建て替えられました。

 <犀川駅の年表>

 ・1897(明治30)年4月20日:豊州鉄道の一般駅として開業
 ・1901(明治34)年9月3日:九州鉄道が豊州鉄道を合併し、同鉄道の駅となる
 ・1907(明治40)年7月1日:鉄道国有法により九州鉄道が国有化され、国鉄の駅となる
 ・1909(明治42)年10月12日:国鉄線路名称制定により国鉄田川線となり、同線の駅となる
 ・1971(昭和46)年10月20日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)の駅となる
 ・1989(平成元)年10月1日:第三セクターの平成筑豊鉄道の駅となる

 
(国鉄時代の駅名標)

 
(田川伊田方面を望む)

 
(旧駅舎・ホーム側)

 
(旧駅舎正面)


 撮影年月日:1989(平成元)年2月20日