源氏物語と共に

源氏物語関連

千年の黙(しじま) 森谷明子

2010-01-22 09:53:13 | 関連本

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森谷明子 千年の黙(しじま)-異本源氏物語  創元推理文庫


源氏物語の伝わらない巻について載っているという書評と、
あさき夢みしファン向きという感想を見て、
気楽に読めるかなと思い探してみました。


第一部 「上にさぶらふ御猫」 こちらはカットして(枕草子)
私は第二部の「かがやく日の宮」 から読みました。
第三部 雲隠れ も、面白かったです♪


何故、かがやく日の宮の巻の写本が伝わらなかった?という推理を
女房がしていきます。
紫式部らしい人物も出てきて、そのまわりの登場人物なども
もっともらしく感じさせる内容でした。


以前の小右記の作者 実資(さねすけ)について誤解していました。
あの堅物の小右記を書いた人が・・と、
片桐洋一先生は冗談でおっしゃったのですね。


紫式部日記絵巻で女房の着物の裾をめくっているのは
実資であると伝わっていますが、
実際には好色でも何でもなく、本当に贅沢禁止令を守っているのか
着物の重ねを調べているのでしょう。


この実資らしき人物も、この本にはなかなか良い味で出てきますので、
興味のある方にはおすすめします。


さて、別件ながら、
若菜以降は、どうも私も気持ちがパッとせず読み続けるのがつらいです。


しかし、皇女である女三宮の結婚に色々悩む朱雀院の親としての気持ちや
それをひき受ける光源氏の思わくなどにも色々感じてしまい、
また何といっても三宮降嫁にともなう紫の上の心の内が
とても哀れです。


この時代に、皇女は独身でいる事が多かったといいいます。
臣下に嫁いでは皇女の財産も臣下のものになるという事ですから、
藤原氏ではなく、光源氏にしか嫁ぐ方法はなかったのでしょう。


女ばかりの琴の合奏が紫の上の頂点だったのでしょうか。
いえ、その頃からすでに光源氏は若い女三宮に対して
気持ちが傾いていったようにも思います。


女三宮はとても美しい人だったようですが、
ちょっと幼すぎたようです。
出家した後も光源氏が未練たっぷりに言い寄る所なども面白いけれど、
きっぱりはねつける点は拍手です。この点、朧月夜は・・・(笑)


女性とは・・色々と感じさせられる源氏物語です。





あも

2010-01-14 09:34:00 | 日記

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源氏物語から少し脱線しますが、和菓子の紹介。


最近、叶匠寿庵の「あも」が気に入っています。


「あも」とは、平安時代の宮中の女房言葉で「お餅」のこと。


この女房言葉は今も伝わっています。
「おまん」は饅頭のこと。「おかか」は削り節。
女房言葉wiki もご参考に。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%88%BF%E8%A8%80%E8%91%89#.E8.AA.9E.E9.A0.AD.E3.81.AB.E3.80.8C.E3.81.8A.E3.80.8D.E3.81.AE.E3.81.A4.E3.81.8F.E3.83.91.E3.82.BF.E3.83.BC.E3.83.B3


大塚ひかりさんの源氏物語をボチボチと読んでいますが、
若菜以降はどうもテンションが下がってしまいます。


彼女が解説でいわれる所の、
『源氏物語を読むと、人はなぜ悩むのか、人は何のために生きるのか、
人の一生とは何なのか、といった根源的な問いにぶち当たります。
そして、それこそが文学なのでは・・・と私は感じずにいられないのです』(横笛)


「根源的な問いにぶち当たること」全く同感です。
だからこそ私は好きである源氏物語が次第に嫌いになっていくゆえんかもしれません。


何となく読んでいて気持ちが暗くなっていくので困ります。


このあたりの解釈はまだ読み足りなくて、違っているかもしれません。
山本淳子先生は、和歌一つをとっても、希望的な解釈だったと思いますから。


ホームドラマ的ドタバタ劇「夕霧」の巻はカットしたいです(笑)
柏木を持ち上げ「あはれ柏木」で終わる「横笛」後は、
しっとりした御法へ飛んで欲しかった。


絵巻でも有名な「御法」の3人の和歌場面は、しみじみしたものがあります。
https://book.blogmura.com/classics/img/classics88_31.gif
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明けましておめでとうございます

2010-01-06 11:20:24 | 日記

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今年も拙い文章ですが、
どうぞよろしくお願いいたします。


暮れにNHK趣味悠々で百人一首の仮名散らし書きなるものを見ました。


何となく納得しました~
和歌の散らし書きには色々なパターンがあるのだと知りました。
それで和歌の歌ははっきりわからないものも多いのですね~
大桃さんのブログにも載っています。趣味悠々サイトでご覧ください。


昨年は親の事などで忙しく、次第に源氏!源氏、と言えなくなって来たのですが、
今年も細々ながら、何かしら源氏物語につながっていきたいと思っています。


という所で、
たまたま大塚ひかりさんの源氏物語(若菜~)を近くの本屋さんで発見!
お正月のお年玉のつもりで2冊を買いました。


まだ最後まではゆっくり読めませんが、
所々、補足のような解説があり、そちらの方もとても面白く感じました。


若菜からの巻は紫の上派にとっては、とてもつらい場面が続きます。
原文でも、こんな悲しい言葉が多かったのかと思いましたが、
朱雀院の女三宮に対する親心もよくわかり、補足も読みながら
やはりこういう年代になってからの方が、よく理解できるように思います。


この年になって、次第に紫式部の心が少しわかるようになったようにも思いますが、
昔に宝塚歌劇でみたパンドラの箱のように、
せめて希望だけは忘れないでいたいと思います。それと、愛も忘れたくないですね。


昨日より今日がなお美しい紫の上にあやかりたいものですが、
その胸中を思うに、色々と複雑になります。
しかし、若菜は秀作でそこが良いという人もいますが、
こんな悲しい紫の上の言葉や和歌が散りばめられているなんて。。


藤壺もそうであったと同様に、玉鬘も晩年は嘆きます。
人生は難しい~・・などと考えてしまうのは、
私の源氏物語が嫌いな所でしょうか(笑)
悲哀があるからこそ、
かえってそこが良くて1000年以上も生き残っているのかもしれませんが。


彰子も定子もそれぞれどうだったのでしょう。
若菜以後の設定は、まるで定子が紫の上で彰子が女三宮のような立場です。


しかし、これから出てくる頭中将の、はかなくも美しい青春像を楽しみたいと思います。
大塚ひかりさんはどう解釈されていくのでしょう。


皆様にとりまして、今年も良いお年でありますように~