源氏物語と共に

源氏物語関連

輝く日の宮  丸谷才一

2009-03-27 12:07:35 | 関連本

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前回は途中で挫折したこの本ですが、
今回は再び読む事ができました^^


一部、はしょった所もありますが、
なかなか面白かったです♪


藤壺と光源氏のはじめての関係が書かれたとされる
「輝く日の宮」の巻。


今は伝わっていませんが、道長の意志でこの巻を広めなかったという説を
現代の女性学者が推理していく様子が、現代小説として描かれています。


女性作家が好きだったからこういう男性作家の本は久しぶりです。


なかなか魅力的な主人公・女性学者でした。


こんな見識の広い大人の難しい会話はできませんね~^^;


それにしても千年の謎。


伝わらなかった源氏物語の巻。


更科日記の「源氏(物語)50よまき」は
「54巻」なのか「50余巻」なのか、ロマンです。



WBC優勝V2!!

2009-03-25 10:07:46 | 日記
源氏物語に関係ありませんが、

WBC優勝V2おめでとう日本!

イチローが不調だったので、決勝はドキドキしながら
イチローチャンスの10回は、何度もチャンネルを変えました。
まだ打っている。で、逆転!!
韓国の最後の攻撃もドキドキ。
ついに、

<marquee bgcolor="yellow">やったあ~優勝V2\(^o^)/</marquee>

インタビューされたイチローのハイテンションにも驚く@@

昨日も今朝もTVを見まくりました。何だか見ていてニコニコ^^

最初はあまり試合を見る力が入らないのに、
日本が決勝というとTVを見てしまいます。

オリンピックもそうだけれど、日本人だなあ~

女性心理の上手さ

2009-03-23 12:03:44 | その他

ひさしくとだえたまはむことは、いともの恐ろしかるべく覚えたまへば、
言に出でて言はねども、
過ぎぬるかたよりは、すこしまつはしざまにもてなしたまへるを・・(宿木)




亡くなった氷室冴子さんの小説「なんて素敵にジャパネスク」で
使用された言葉「妙齢の女性」


源氏物語宇治十帖では、まさしく妙齢の女性心理が上手だと思う。
大人の表現もあるし、妙齢の女性としてはそうなんだろうなあと思う場面が多い。


匂宮は夕霧の娘・六の君と結婚する。


中の君を慰める薫に遠慮して、まわりの女房達も皆下がってしまった。


薫はついに袖をとらえて、妊娠帯に気づくまで中の君に迫り、
結局、何もしないまま暁に帰る。


『かやうの筋はこまやかにもえなむまねび続けざりける』と
紫式部は地文で具体的な描写は避けている。


そんな中、急に匂宮が中の君を訪れる。


中の君は、薫に油断して匂宮の留守中に部屋に入られた事を後悔。


匂宮がこちらに長く来られない事を恐ろしく思い、
いつもより宮を側から離さぬようにお甘えになるという冒頭文。


ここは、なかなか女性心理をついていると思う。
宮もいつになくまとわりつく中の君を限りなく可愛く思うのは当然。


そしてすぐに薫の君の移り香に気づいて、中の君を問いつめるが、
そんなことはないと泣く中の君のいじらしさに負けてしまう。


だいたいにおいて、中の君はいじらしくて可愛い。
世を知った妙齢の女性心理が散りばめられているように思う。


六の君との結婚話に、匂宮は中の君を気遣いあれこれ慰めるが、
中の君はおうように笑顔で匂宮を迎えようと思う。


つわりで気分の悪い中の君はあまり物も食べられず、
昔から体が弱かったけれど、すぐにけろっとする性分と匂宮を安心させるが、
ついに、ハラハラと涙をこぼす場面など、本当に可愛いと思う。
ここは「あさきゆめみし」でも印象的な場面だった。


気を使う夕霧邸の六の君の所よりは、気楽な中の君邸の方が匂宮はくつろげると感じる。
その後、匂宮の第一皇子を生んだ中の君は、母としての立場も安定していく。


紫式部の描く女性心理は、なかなか面白いと思う。


結婚した時に夫にはすでに正式な妻がいたという事で
式部も同じ思いをしたのであろうか。


女性としての紫式部にも興味が深い。


紫式部日記にも倫子が着せ綿を紫式部にくれたという
ちょっと気になる箇所があるけれど、
それはまた次回に~



タイタスアンドロニカス

2009-03-16 10:09:28 | 日記
源氏物語に関係ない話です。


実は、おばさんなので、イケメン好きでございます。


今うわさの小栗旬くんが蜷川作品に出たと以前に聞いていました。
たまたま先日にBSTVでやっていたのをちらちらと見ました。


シェークスピア作品だそうで、かなり残酷な感じです。
私は横文字は苦手なので、海外文学も苦手。
後で調べてみました~
へぇ~^^;http://www.pia.co.jp/column/play/titus.html


ギョっとする残酷なシーンが多かったのですが、
最後まで小栗くんは悪役で何の役?と、いまだによくわかりません(笑)
・・というか、あまり彼の出演場所を見ていない。
超ファンでもないから、合間に用事もしたし・・


私的には、上半身裸で出てくるのが、細すぎて痛ましかった~^^;


きっと一番忙しい時のお仕事だったと思いますが、熱演☆という感じでした。
むしろ他の方たちが良かったですね。主役の人は地味でしたがそれなりに良かった☆


真中瞳さんや鶴見シンゴさんも出ていましたが、、
その分、発声とか全体に蜷川舞台劇としてはちょっとどうなんでしょう?


以前にもTVで蜷川さんの作品をたまたま見たことがあります。
野村萬斉さん主役のオイディプス王でしょうか。
こちらは海外のギリシャという劇場の雰囲気にも合って、とても良かったです。
さすがに押し出しと発声が良かったように思いました。


小栗くんはイケメンという事で最近かなりもてはやされましたが、
まだまだ頑張って欲しいですね。
彼の「花より男子」や「花ざかり・・」ドラマも注目。
何となく役者魂がありそうな気がしていたのですが。
GTOの頃は可愛かったです。今後に期待☆


・・というか最近はイケメンがいっぱい出てきています。


あまり演技が下手でもガッカリですが、
舞台とTVドラマ、映画、色々雰囲気の違うジャンルでそれぞれ
男前も頑張って欲しいです。


最近、あまりにも横文字に弱いので、英語も少しは勉強をしなくてはと感じています。
海外文学も読まないといけないけれど、昔からどうも苦手ですね~



牡丹

2009-03-10 09:17:02 | 

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中国では古くから牡丹を愛でており、
日本でも後世に盛んにみられる牡丹の花と色。
鮮やかな印象の色です。


しかし、源氏物語にはかさねにしろ、花にしろ、
同系色の蘇芳や葡萄色、紅梅などの色は出てくるのに、
牡丹(ぼたん)という言葉が出てこないように思いました。


とても不思議に思っていたので、
「古典植物誌知っ得」や「日本の色辞典」他で調べてみました。


紫式部の時代に、牡丹ははたして渡来していたのでしょうか。


中国では牡丹は古く隋代から栽培されていたようです。
根皮を漢方として使われていたのが後に花を鑑賞するようになったのは、
日本と同じです。
中国では、国花が牡丹だった時期がありました(今は梅です)


則天武皇が愛した事で、有名になり、富貴草、二十日草(花が20日で散る)
深見草などとも呼ばれます。
花期は夏。春にも咲く二期咲きの寒牡丹もあります。


白居易(701~762)の
白氏文集にも、牡丹を詠んだ詩「牡丹芳」があるそうです。
「花開花落二十日 一城之人皆若狂」
(花開き花落つ二十日、一城の人皆狂ふが若し)


牡丹は奈良時代に、日本に渡来したといわれますが、
「万葉集」には牡丹の歌はありません。


平安時代の「和漢朗詠集」(1018年)には、
美女を牡丹の花にたたえた歌があるそうですが、出典未詳。
また「菅家文草」(900年)4巻、法花寺白牡丹には
白牡丹の清浄な美しさを詠み、5巻 牡丹では俗世の庭でなく、
仙人のいる庭がふさわしいとあります。


中国では、紅色や紫色の牡丹を好み、白色は人気がなかったということです。


李白も牡丹を詠み、長恨歌でも楊貴妃を牡丹や梨・柳にたとえています。


時代から考えて、
少なくとも漢詩を読む紫式部は牡丹の言葉を知っていることになります。


驚いたことに蜻蛉日記や枕草子にも牡丹が出てくるそうです。


「蜻蛉日記」中巻 天禄2年(971年)6月
『何とも知らぬ草どもしげき中に、
牡丹草どもいと情けなげにて、花散りはてるを見るにも』


「枕草子」143段
『台の前に植ゑられたりける牡丹などのをかしきこと』


これは、「白氏文集」
秋ニ牡丹ノ叢ニ題スより
晩叢白露ノ夕、哀葉涼風ノ朝、紅艶久シク巳ニ歇(やみ)碧芳今亦銷(きゆ)をふまえ、両者とも花の終わった牡丹の姿を書きとめています。


百花の王というあでやかな花を愛でたというよりは、この漢詩の知識ですね。


牡丹は当時は花の色を愛でるほど豪華な花でなく、数も少なかったのかもしれません。


「詞花和歌集」(1151年)関白前太政大臣
『咲きしより 散り果つるまで見しほどの 花のもとにて 二十日へにけり』


源氏物語より後の詞花和歌集で
20日たったという事柄で歌が出てくるのは先ほどと同様ですが、
『紅の色ふかみ草さきぬればをしむ心もあさからぬかな』詞歌和歌集(藤原教長)と、
やっと紅の色としての牡丹が出てきます。


後世には鎧などにその色が使われ、中世には豪華な牡丹の花が盛んに描かれていますが、
紫式部の時代はまだ花を鑑賞するにはいたらないようです。


後の牡丹のかさね色は、平安末期の「満佐須計(まさすけ)装束抄」で出てきます。
今と同じ、『ぼたんは表うすき蘇芳、裏みな白し』とあり、
かさねも牡丹の種類にあわせて、あでやかな紅色になっているようです。
しかし、本当の今の色に流行するのは、
舶来の染色が取り入れられる明治以降だそうです。


実は、源氏物語では「くたに」という意味不明の植物があります。
この「くたに」を古注釈・細流抄などでは牡丹として注をつけています。


『昔覚ゆる花橘、撫子、そうび(薔薇)くたになどやうの花のくさぐさを植えて』(少女)


ここでは、夏の季節の花を並べていますが、くさぐさというからには
特に牡丹を立派な花のようにはとらえていないようです。
牡丹に似ている芍薬は草で、牡丹は木と現代では区別するのですが、
やはり当時の牡丹は今のように大きなあでやかな花の木でなかったのかもしれません。
また「くたに」これを草書のくずし字間違いで、「くたん」あるいは「ほたん」と考えるのも面白いかと思います。←原文は知りません


深見草(ふかみぐさ)
20日咲き、二期咲きの花もあるので、季節が春か夏かどちらかということで、
深いという懸け詞も使って江戸時代に
「十日づつ春と夏に咲きわけし花やどちらが色ふかみ草」などとも詠まれています。


<立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花>と後世でも
美しい女性にたとえられる牡丹ですが、
バラと同様にこの時代に日本に伝来しているのに、
その花を愛でることはなかったようです。


蘇芳や葡萄染め、紅梅、紫色、紅色が愛でられる源氏物語の時代です。


画像は牡丹の花携帯待受画像・無料壁紙サイトよりいただきました。
フクシャピンクとされた長崎盛輝氏の色よりは濃いかもしれません。
http://kabegami.image.coocan.jp/mobile/hana/botan.htm