源氏物語の原文は、本当に現代人には難しくて理解できないのが残念です。
口語訳もそれぞれに素晴らしいのですが、
やはり原文のさりげない1行の言葉にも
紫式部の意図のようなものが見える時があります。
たまたま見ていた「竹河」では、玉鬘が薫の性格をほめるのですが、
その母である女三宮に対して
『母宮のしどけなうおほしたてたまへれど、なほ人にはまさるべきにこそはあめれ』(竹河)
新潮古典集成訳では「女三宮がさほどしまりがなくお育て申されたけれど
やはり薫は優れていらっしゃるようです」と、女三宮の批判をしています。
このしまりがなく育てたと玉鬘が思っていたという表現は、
何となく女三宮がいまだにしっかりしていない感じを表してしているように思いましたが、どうでしょう。
玉鬘がまわりの女房達の噂から聞いていたのか、
それとも実際に六条院などで面識があったのかはわかりませんが、
たまたま女三宮に興味を持っていたので、
とても面白い言葉と思いました。
しかし一方では、
『これかれ、ここに集まり給ひて、三条の宮に参り給ふ・・
・・六条の院の方ざまのも、なほかの入道の宮をば、えよきず参りたまふなめり』(竹河)
夕霧達は玉鬘邸に寄った後に、やはり入道宮(女三宮)を素通りできず、
沢山の子供・家来を連れて参上するのです。
女三宮は亡き父光源氏の正妻だった位置の人でもあり、
しかも朱雀院の娘という事ですから、
夕霧もおろそかのできず大事にされているというのがわかりますね。
ここに限らず、色々な文章の一端に発見があるのが面白いと思うのです。
そこが源氏物語の原文の素晴らしさではないかと思います。
でも、本当に難解な文章は、現代人には理解できないのはとても残念です。
「あの高砂うたひし君」といわれても
どの巻の誰のことだったか?
いちいち前の事まで覚えていない事が、源氏物語のややこしい所でもありますが、
とにかく原文に答えはあるようです。
素直に味わいましょうと先生に言われました。
夕顔が殺された物の怪は、原文では屋敷にすむ物の怪とあったから
六条御息所ではないと考えるというお考えだそうです。
紫式部の事だからと、つい深読みしてしまいそうですが、とても参考になりました。
原文全部を理解はできませんが、
少しずつ原文の素晴らしさにふれる事が出来たら嬉しいですね^^
また、原文と口語訳を比べてみるのも、その作家さんの解釈がわかって楽しいと思います。
邪道かもしれませんが、とにかく自分なりの源氏物語を楽しみたいと思っています♪
画像は石山寺の吉岡幸雄さんの展示より夕顔の扇。